2008年5月25日日曜日

我が人生に悔いなし 九

中村節子
 ○日本儀礼文化協会認定司会師
 詩吟でもお茶でもある程度年数を経ると、何かの行事のときの司会の役が廻ってくる。特に詩吟の場合は順番に会長挨拶以外の役割が廻ってくるのである。たとえば今回の吟行会の開会のことばは誰、乾杯は誰、閉会の言葉は誰、司会は誰という様に、年に一度はどれかに当たる。
 私が司会に興味を持ったのは、極端に下手な司会者と極端に上手な司会者に出合ったことがきっかけであった。それまで友人の結婚披露宴に何度か招待されているが、当時は親戚とか新郎の友人が司会を担当するのが普通であったので、上手とか下手とか気にならなかった。
 あるときYホテルでの披露宴に出席して、ものすごく下手な司会者に出合った。新郎の友人であったが、客の名前は間違える、言葉はとちる、失礼しましたの連発、拍手をどうぞの連発、新郎新婦が気の毒になるほど雰囲気は悪かった。
 一週間後に今度はGホテルの披露宴に出席した。これがまたすばらしく上手な司会者であった。司会によってこれほどまでに雰囲気が違うものかと感動した。その時の司会者はプロであったことを後で聞いた。
 この時から司会というものにすごく興味がわいてきた。結婚披露宴だけでなく、発表会や記念式典等、うまくいくも悪くいくも司会者の腕にかかっていると言っても過言ではないほど、司会は大事であることを知った。
 その後、新年会の司会や芸能発表会の司会をおそるおそるやってみた。
 その時である。冠婚葬祭の仕事をしている夫からの情報で、司会者養成講座があることを知った。会場は石川県金沢市の平安閣、初級講座は三日間(九時~十七時)であった。受講料は高いし、交通費も宿泊費もかかる。じっくり考えた末、受講することに決めた。
 昭和五十六年、壱吟会創立の頃と同時期であった。金沢市の平安閣には男女合わせて三十三名の受講者が集まった。
 講師は話力研究所の所長である。まずプロの司会者を養成する講座であること、初級講座の三日間は話し方の基礎講座であることの説明があり、一人一分間の自己紹介から始まった。聞いて驚いた。私以外はすでに司会者として活躍している人達であった。しかもそれぞれ会社に所属し出張という形で受講している。フリーは私だけであった。全員の自己紹介の後は、それに対する批評が始まった。これがまた手厳しい。たとえば「私は司会をさせて頂いております」「私は司会をやっております」の言葉づかいの違いの注意、敬語の使い方、助詞(てにをは)の強弱等々。一日目の終りには宿題が出た。テーマが与えられ一分間にまとめること。
 二日目は宿題の発表から始まった。その時のテーマは何であったか覚えていないが、一人の発表が終わるとすぐ批評、それから二人目に続く。厳しいなあと思った。午後からは表現について。一つのことを色々の言葉で色々な形に表現する。又、ガギグゲゴの鼻濁音について等々。二日目の終わりにも宿題が出た。感動したことを二分間にまとめることであった。
 三日目の午前中は感動したことの発表。午後は指名されてからテーマが与えられ、すぐ発表。持ち時間一分。「次は中村さんです。テーマはバラ」「ハイ」発表の場所まで十歩ぐらい。「バラ」歩きながらバラを考える。ひらめいた。三ヶ月ほど前、恩師の誕生日に皆でバラだけの花束を贈った。「これだ!」何とかうまくいった。講師にほめられた。
 三日間の初級講座が終わった。講師の最後の言葉は「NHKのアナウンサーの言葉を、気をつけて聞く様にして下さい」であった。
 帰路の列車の中で考えた。三日間は只々話し方であった。司会者はとか司会をする時は……等と司会と関係さりそうなことは全く出てこなかった。仕事を休んでお金をかけて、私は何のために金沢まで来たのだろう? 家に帰って夫に話した。「わざわざ行ったかいが無かった様な気がする。中級講座になったら本格的に司会の内容に入ると言ってたけれど…」講習会場の金沢の平安閣は、総合結婚式場なので、シーズンオフをねらって日程を決める。やがて中級講座の案内が届いた。同じ会場で同じく三日間、受講料も同額である。どうしようかと迷った。
「やりかけたことだから、行ってみなさい」と夫の言葉にそうかなと思い申し込みをした。
 中級講座の受講者は半分になっていた。きっと私の様に無駄だと思ったのだろう。講師は超ベテランの現役の司会者であった。司会とは…から始まり、マイクの持ち方、服装、女性のヘアスタイルは目にかぶさる様な前髪にしてはいけません。相手に目が見えるようにすること。めがねはライトで反射するのでコンタクトレンズが良い。この様な場合、あの様な場合、失敗例、成功例等々、実にこまかいところまで説明してくれた。中級講座を受講したおかげで、初級講座での話し方がいかに大事な基礎であったかがわかった。
 家に帰って、受講して良かったと夫に話した。三ヶ月ほどすぎて上級講座の案内が届いた。勿論申し込んだ。
 上級の受講者はまた減り十一人になった。結婚披露宴、芸能発表会、記念式典、告別式、その他諸々。お互いに司会者になったり客になったり、実際にやってみた。私の声はマイクにとても良く通る声だと言われた。詩吟をやっているおかげだと思う。
 上達するには経験を積むこと。他の人の司会を見たり聞いたりすること。ハプニングをすみやかに対処できて、初めてプロと言えるのである、と教えられた。
 三日間の講座を終り修了証書が手渡され、そして日本儀礼文化協会司会師として認定された。
 最後に講師より贐(はなむけ・旅立ちや門出に贈る品物・金銭または詩歌など)として、次のような言葉が贈られた。
「皆さんはこれからそれぞれの土地で、司会者として活躍していくことでしょう。経験を積んで最高の司会者を目ざして下さい。決して最低の司会者にはならないで下さい。最低とは「拍手をどうぞ」を連発する司会者です。拍手は強請するものではありません。ここで拍手が欲しいと思ったとき、自然に拍手が出るように仕向けるのがプロというものです。勉強して下さい。」
 いよいよプロとして本格的に司会業をスタートさせた。主に結婚披露宴の仕事が入ってきた。自然に拍手が出るようにするにはどうしたら良いか。あの様な場合、この様な場合と、経験を積むほどに要領がわかってきた。思った様に拍手が出たときの気分の良いこと。「うまくいった!」と心の中で叫ぶ。
 ものすごく緊張する仕事であるが、司会は楽しい。
○女の人ですか?
 Gホテルの玄関は、一目で結婚披露宴の帰りと思われる人達でにぎわい、次から次へ来るタクシーを待っていた。
やっと私の番がきて乗り込むと、
「お客さんは結婚式の方ですか」と聞かれた。「ハイそうですよ」と答えて私はハッとした。結婚披露宴に出席となれば正装、しかも女性のそれは特にはなやかである。その人達のために「至急ホテルに直行」との無線を受けたタクシーに、平服の客が乗った。「ああ、私は着替えて来たのです。早いでしょ」「ハア…やっぱり結婚式のお客さんですか。あの…お客さんには、おみやげがつかなかったのですか」なるほど、ほかの人達は大きな引出物の包みを持っている。
「私には引出物はつかないのです。司会をしたのですから」
「司会? 女の人がですか? 引出物はつかないんですか」
「ええ。私は招待客ではなく、司会をするのが仕事ですから」
「仕事ですか。女の人がねぇ」
運転手さんとは家に着くまで話をした。
 日本儀礼文化協会認定の司会師として、八戸市はもちろんのこと、青森市、十和田市、二戸市と、司会の仕事を始めて三年目、昭和五十九年頃は、まだ女の司会者は珍しかった。打ち合わせに行くと「えっ? 女の人ですか」とよく言われた。大丈夫かなあというような顔つきをする。こういう時こそ私には闘志がわくのである。
 司会には詩吟が役立つ。新婦がお色直しで中座するとき、衣装に合わせた内容の和歌を朗詠する。打掛の紋様が鶴の時とか、花の紋様とか、白無垢の時とか、私のオリジナルである。女なればこそである。
○結婚祝いの詩
「あれ? 中村さんが司会ですか?」
「そうですよ。お待ちしていました。今日もまたよろしくお願いしますよ。」
「またですかあ。中村さんに会えばこれだからなあ。わかりました。」
この様な会話を何度かわしたことだろう。
 あれは私が司会業を始めたばかりの頃であった。私の担当する結婚披露宴に、八戸水産高校校長のAさんが現れた。Aさんとは古い詩吟仲間である。数日前の披露宴の打ち合わせで、今日の来賓祝辞はAさんであることを当然私は知っていたが、Aさんは驚いた。
「えっ? 中村さんが司会?」
「そうです。私です。今日の新郎さんは教え子さんだそうですね」
「そうです。一年、二年と担任だったんです」
「そこでお願いがあるのです。お祝いの詩吟をやって下さいませんか? 結婚祝いの詩」
「えっ? 私が頼まれているのは祝辞です」
「そうです。その祝辞をのべたあとに吟じて下さればいいのです」
「だけどたのまれたわけでもないし…」
「新郎さんもご両親も、校長先生が詩吟をやっていることなど知らないわけでしょ。だからたのむとかたのまれるとかではないんです。祝辞をのべたあとに、私は趣味で詩吟をやっています。つたない吟ではありますが結婚祝いの詩を吟じて贐とさせて頂きます。と言って吟ずればいいのですから」
「それもそうだけど……」
「新郎さんの心に一生残りますよ。何のために詩吟をやっていますか。今役立てなくてどうしますか。」
「そうだな、だけど急だしな、うまくやれるかなあ」
「大丈夫。大丈夫」この様なわけでこのときAさんは祝辞のあとに結婚祝いの詩を吟じた。とても立派だった。
披露宴が終わったあと新郎のお父さんが言った。
「校長先生がうたったのは詩吟というものですか。いいもんですなあ」と。
Aさんとは、来賓祝辞と司会の関係で度々一緒になる。その度毎に詩吟をお願いした。
「またですか」と言いながら快く吟じてくれる。新郎新婦にとっても、ご両親にとっても、仕事を している私にとっても、お祝いの一吟は心に残る一コマである。
 ある結婚披露宴で余興の時間になったとき「私は詩吟をやります」と名乗り出た男性のお客さんがいた。「詩吟ですか。ちょうどよかった。すぐ次にやって下さい。何を吟じますか?」
すぐ次と言ったので男性は少しあわてたようだ。急いでポケットから本を取り出した。見ると私達と同じ教本だ。どちらの詩吟の会の方かなと思っていると、彼はページをパラパラとめくっているが中々みつからない。
「結婚祝いの詩ですか」
「うん」またパラパラとめくっている。
「六十四頁ですよ」
彼は六十四頁をめくって
「えっ?」と私の顔を見た。
「あんだ、なんで覚えているの?」
「ま、いいですから。どうぞステージへ」とうながした。
結婚祝いの詩を習いたての新人さんの様だが、中々しっかり吟じていた。しばらくして温習会があり、その彼とバッタリ会った。目をまんまるくして驚いていた。私と同じ会の会員だったのだ。