2008年5月16日金曜日

お荷物・八戸観光協会 自立できずおんぶに抱っこに肩車


商工会議所内を借りている観光協会とは何か。 今回はこれを徹底解明する。なにをしているんだかが不明なところで、市役所も建て直しのために職員を昨年度から送り込んだ。そもそも、何を建て直しするのかというと、
観光協会の収入は一億五千八百万円、そのうち九割が市役所からの金、内訳は
運営補助   千百万
観光宣伝等  千六百万
各種祭補助  四千五百万
コンベン   二百五十万
史跡根城広場 三千四百万
観光プラザ受託千七百万
博物館受付  九百四十万
合計一億四千百万円
観光協会が集めた会費は五百七十万円
全体の三・六%でしかない。この会費での運営を回避するには会員増強でしかないが、もともと何をしているか不明な団体に入会する者はいない。危機感を強めた協会は商工会議所の任意団体の集団に着目し、それらを包含して体面を保つ数字を確保。それがコンベンションだ。
そして名前も観光コンベンションとなった。コンベンションは和訳すると集会。
何故、観光協会が博物館の受付業務をしなければならないのか、ここに興味を持ち調査を開始。博物館に行政文書の開示請求をした。
すると、以下のことが浮かびあがってきた。
史跡根城の広場、観光プラザ、博物館受付は随意契約、または指定管理者制度となり、ここから一割の収益をあげている。これが六百万円。この金欲しさに妙な仕事に手を伸ばした。こんなことをせず、本来の観光業務に邁進するべき。
すると観光業務とはなんぞやとの疑問が生ずる。八戸市議会からは評判の悪い小林八戸市長は、いきなり事を発表する。議会や各党、会派に説明も相談もない。
これを議会は問題視しているそうだ。根回しがないのだろう。自分がトップだから、相談も談義も必要ないと踏んでいるから始末が悪い。議会制民主主義の時代、空気が読めないでは福田総理と同じ。尚悪いのは役人上がりだけに、政治の駆け引きを知らない、意志伝達手段の弁論にかけては零点。
人の心を開かせ、そこに彫刻するのが弁舌の骨子、
これが出来ないから大島代議士からも「空へた」と酷評される。言えばいい、伝達すればいいでは弁論のなんたるかを知らない。
聴衆を引込み魅了するような喋りこそ大事。その弁舌下手の小林市長も「観光こそ八戸活性化の総合力を発揮させる鍵だ」と着眼。これは至言。
観光は商業、漁業、農業を総合的に刺激できる重要なもの、観光客は金を使いに観光地にでかける、
宿泊、交通、みやげ物と金をふんだんに使う。その金を消費させる仕組みこそ大事なのだ。
その原動力となるのが観光課であり、商工会議所、そして観光協会である。
ところが、肝心要の観光協会は前にも記したように、観光とかけ離れたところでモゴモゴしている。
どうして観光協会がこんな惨めな団体になったかと言えば、観光協会長が無給という点に帰する。タダで動くのは地震と風だけ。
人が動けば金が必要となる。こんな道理は誰でも知っている。この惨状でも現会長は不平も不服も言わず長年その重責を担った。
いまこそ、その馬鹿げた仕組みを解消し、年間二百万円程度の報酬を支払え。この二百万円を支払うためには観光協会の会員を増やすことを条件とするべき。つまり会員を二百人増強できる人を一年限りの会長に据える。翌年も二百人増強できれば続投させるが、ダメなら次の人にバトンを渡す。
先ずもって八戸市民に観光協会の実体を知らしめ、外部から強力な人材を募ることだ。会員が増えれば智慧も増える。増えさえすれば、三社大祭、えんぶりなどの運営方法策定もより明確になろう。観光協会単独、商工会議所単独ではことは成就しない。市役所観光課との三位一体こそが重要。
観光協会がうまく機能していないため、市役所の職員を二年の期間限定で派遣。その一年が経過した。
さほどに、小林市長の思い入れは深いのだろう。観光は観光協会に任せればいいとの認識が市民間に蔓延しているが、そうではない。解決は市民全体でしなければならない。観光協会の体質を変え本来の業務に専心させるには、会長更迭、事務局員の総入れ替え、そして、三位一体で八戸の観光を動かす調整役が必要。
この人材発掘こそ八戸発展の鍵となる。それほど重要な役割を担う人物が必要だ。この人材に八戸市が金を出す。二年契約で三位一体を実現させ、通年でえんぶりを鑑賞できる場所を設ける。そこでは食事が出来ることが肝要。
三日町に出来る交流センターにそれを期待したい。まだ何になるかが判明しないが、実現も決して不可能ではない。
ダイナミックに八戸を変えることの出来るのは行政だ。しかし行政だけでは無理。そこで市民参加を呼びかける部署が必要になるわけ。
本来の仕事に戻れという理由は史跡根城の広場は平成六年十月公園化された。その時から随意契約で観光協会に仕事が廻った。
平成六年 千百八十万円
平成七年 二千五百万円
平成八年  二千万円位
平成九年  二千万円位
平成十年  二千八十六万円
平成十一年 二千九十八万円
平成十二年 二千百二十万円
平成十二年 二千百二十万円
平成十三年 二千百四十六万円
平成十四年 二千百五十五万円
平成十五年 三千七百万円
平成十六年 三千三百七十万円
平成十七年 三千三百八十万円
次年度からは指定管理者制度、
平成十八年 三千四百万円
平成十九年 同
平成二十年 同 これは三年契約のため同額
何故、史跡根城の広場が随意契約で観光協会に出たのか、また、博物館受付業務はいまだに随意契約で観光協会に引き続き出ている。さらに不可解なのは博物館が臨時職員を日給六千七百三十円で雇ったが、観光協会に投げる時は日給六千六十二円と一割下。官尊民卑か? 理由は何だろう。
次第に金額が膨らんだのは植木屋への発注業務が観光協会に一任されたから。観光協会と植木屋で上手くやれということだ。上手くは美味くか?