2008年5月1日木曜日

源のよしつねさまのこと 1


むがし、(昔)八戸に源義経さまが来たんだど。
家来っこにいたばしのちゅうじという人がかだってきたず。(ついてきた)
よしつね様と一緒に船で鮫の浜に来てな、そごがら舘越山さ来て小屋を建でで住んでいだず。
そんでな、家来のいたばしのちゅうじの言うには、見晴らしが良くないと討手が来るのが見えない。
もっと見晴らしの良い所がないかと探すと、四方を見渡せる山を見つけたず。
そんでな、そこに移り住んだず。
その山が河原木の高舘だったず。
そこに移り住んでな次の年、常陸坊を京の都に使わして藤カ森稲荷から土を一握り運ばせて、稲荷のほこらを類家の北のスサキ(砂の溜まった場所)にお造りに  なったんだど。
そごぁ堤になっていだず。こねんだ(最近)までかんたろう堤とよばれていだどごだんだ。
今の柏崎小学校の前のお稲荷さま(藤ケ森稲荷)がそれだず。
お建てになった年は西暦一一九一年、今から八百十七年も前のこどたず。

そんだ、そんだ、ほがにもこっだらだ話しっこぁあるんだ。(他にもこんな)
舘越山さキリストの墓があるんだ。
新郷村にもあるそんだが、八戸のほうがほんとだ。昔、戸来のひとぁ来て、キリストの墓が八戸にあったずとへったらな。(言ったら)
すたら(そうしたら)ある村人が、おらほ(自分達)の村にも作ったらよかべと、新郷にもキリストの墓ができるようになったんだど。
この話はしばらくつづきやんす。