2009年1月21日水曜日

監査が必要な監査委員会


八戸市の報酬で一番高いのが代表監査委員、この任命権者は市長、つまり市長のめんこ(八戸弁でお気に入り)。その金額は年間873万円。決して安い額ではない。つまりこの役職はかなり重要だから応分に支払われる。
 ところが、これがダルい。「はちのへ今昔」は資産税課の不動産鑑定契約に不審を抱いて昨年十一月から調査、ところがこれを監査委員会が監査を終了した文書を入手。そこでどのような監査をしたかを開示請求。昨日(一月二十日)監査委員会が書類を開示した。
 はじめて監査の実態が判明。
① 監査委員会が監査日と内容を相手の課に通知。
② 予備監査として相手の課が当該書類を前日までに監査委員会室にもちこむ
③ 予備監査は一日のため監査委員会事務局は大慌てでこの書類に眼を通し相手課に十七時までに返却。
④ 後日本監査日を指定し相手課長、係長らを呼び監査委員及び事務局員と雑談
この本監査日に交わされる文言は記録されていない。そのため雑談と「はちのへ今昔」は断定。
 この土地鑑定業務は三年に一度、パスコの航空写真撮影と表裏一体。三年に一度、パスコと一億三千万円、不動産鑑定協会と五千三百万円の契約を結ぶ。監査委員会はこの契約全般を見る好機だが、監査委員会は二年に一度の頻度で各課を渡り歩き調査。
 つまり、この平成二十年八月十二日の監査をのぞけば永久に今回契約の土地鑑定業務を見るチャンスは失われる。平成二十一年からは新規契約となるからだ。
 ところが、監査委員会事務局はこの業務委託の印紙、契約期日を見ただけで返却、そして指摘事項ないと断じた。
 この程度のことなら小学六年生でもできる。肝心なのは契約内容の吟味。この契約の成果品(役所がこれこれを成果として提出せよと命令したもの)に間違いがあるが調べたのかと訊くと、なにしろ限られた人員で限られた時間の中でする作業のため……と言葉に切れがない。
 それがこのザマかと言ったら不服そうな面をした。ザマが気に入らないかと問うと、そうだという。不審を抱くは問う側の心の有り様、いいかげんに事を処理するなら不審を抱かぬが一番。不審がないから問う言葉もない。穏便穏便。穏便は事なかれ主義。それが目付けの仕事か? 監査は目付けじゃないのか? その根性なら監査室は不要だ。役所の金が適正に使われているかを調査するのが監査の仕事のはず。それを忘れれば存在する価値がない。
 我々市民は役人には必ず間違いがあると感じている。しかし、それを調査する場所があり、それを監査委員が実施すると固く信じているが、鑑査範囲を二十年四月一日から六月三十日と区切り、そこだけを見る。まして土地鑑定業務は三年に及ぶ、その末の四月から六月をみて事足りるという神経に疑問を感ずる。痛んでいる。病んでいる。監査委員はその己の手足、そして神経が腐っていることを知らなければならない。
 それも出来ないなら監査委員は総入れ替えすべきだ。自分のことも処理できない人間の集団は市民の期待に応える資質に欠ける。ザマは無いゾ。先ず不審を抱き、一日で終わらせようとせず、真実を追究する心なくして役人のダルい体質は改善できないのだ。事前通知、期間限定ではスーパーのチラシと何処が違う?