2009年1月13日火曜日

八戸消防本部、架空人員に手当て支給

八戸市には常備消防(消防署)と非常備消防(消防分団)がある。消防分団も消防本部の管轄下にあるが分団員は民間人。
 これらに手当てが支給される。なかには消防分団員はボランティアを建前とすると手当てを受け取らない人もいるそうだ。その数三名とか。
 手当てには年手当て(人件費)、出場手当て(火災現場)、警戒手当て(消防車を走らせ鐘を鳴らす)、訓練手当て(河川敷で放水)、賄い手当て(弁当代)、機関員手当て(運転手代)で年間七千百万円支出。
 この請求人数に着目、1148人だが、実際は1104人と45名分が幽霊手当て。これらは消防本部が直接、財政部に請求するも、防災室経由で金が支出されたことになっている。この防災室は予算を請求する立場にないため、頭上を飛来する敵機をみるが如くに呆然。
 が、一度緩急あればその責を問われる。これも妙なものだ。昨年末の徹底検証の結果。この幽霊請求金は消防本部の裏金にはならず、人員過多のまま消防分団に支払われた。すると消防分団の誰が幽霊分を食ったかの問題も生ずるが、それは今回の目的ではないので追及はしない。
 が、不必要な金は一円たりとも出すべきではない。「はちのへ今昔」の目的はオンブズマンのように不正支出を戻せではない。故意に支出したものなら別だが、必要なことは今回を教訓にして次回は繰り返すな。前任者と同じことをして、何で俺だけが責められなきゃならないのか?の愚問もある。これには貴君がその席にあったことを不遇とせよとの返答もできるが、それじゃ可哀想だろう。
 次年度の予算に同じことを請求しなさんな、そこに工夫と改善がある。このことこそ役人がすべきことだと教える。間違いと聞き違いはこの世には多い。それをいちいちめくじら立てることでもない。人生は長い、されど暖める席は短い。その短い間に改善、改革をせよ、あるいは出来ないのかと問われている。
 他人のことを問い歩く「はちのへ今昔」だが、手前のことになるとどうも自信がない。高齢者の看板を背中に背負わされていてさえもこれだ。若者が悩むのもあたりまえだ。