2009年2月3日火曜日

芸ごとあれこれ 座談会 昭和三十五年頃、デーリー東北から


出席者 
高橋しゅんさん(茶道)
豊山一英さん (華道)
西山とみさん (琴)
花柳葉章さん (日舞)
豊島和子さん (洋舞)
大久保牧子さん(オルガン教室)
芸への熱意欠ける
長続きしない若い人

日本的なものからあちら風のものまで、最近の幼児、おじょうさん方のおけいこごとはブームの傾向を見せている。
八戸市内でも茶道、華道を問わず、あらゆる面で芸能を身につける層が厚くなっている。つぎに同市のお師匠さん六人の出席を求めて、最近の芸ごとについて話をきいてみた。
司会 婦人、こどもさんのおけいこごとは最近とくににぎやかになったようで、きょうはみなさんのたずさわっているそれぞれの道についてよもやまのお話を聞かせていただきたく思います。まずこの道の喜びとか悩みといったものから語っていただきたい。
高橋 けいこを始めてからもう三十年になりましょうか。コケが生えるほどになりましたが、始めた当時からくらべたら、だいぶ発展、進歩したと思っています。主人の勤務の関係で二十年ほど金沢に住んでいましたけれど、金沢は芸ごとの盛んなところでお茶、お花、踊り、琴三味線など盛んでした。そんな関係で私もみようみまねで茶道を始めたわけで、もともと好きだったものですか ら、楽しんでやってこられました。八戸へ来た当時はこうした芸ごとは遅れているのにビックリし、ぜひ盛んにしたいと私なりに考えて始めたのですが、いまではお勤めをしながら、お茶を習いにくる人も年々ふえるばかりで感無量のものがあります。
豊山 私の花歴は高橋先生の半分くらいで、まだまだ未熟ですが、教えてほしいとやってくるかたたちと一緒に習うつもりでやっています。このごろの若い方たちは何事もてきぱきとなさり終戦後習い始めた私たちとくらべたら、いろいろな面で随分違うと思いますね。
西山 私は始めたばかりで目下勉強中というところです。琴は好きで、昔の尋常小学校二年の時から習っていましたけど…。ここは東京と違ってどこかしら芸に対する考え方が違うんですね。芸熱心とでもいうか、そういったものに欠けているようです。私もお免状もいただいていますけど、このままでは井戸の中のかわずになるような気がして、ときどき上京して勉強しています。テレ ビなどで演奏をしているのをきいていても実に進歩していると思います。子供も年期を入れた方もその精進ぶりは敬服させられます。こんなところはお手本にすべきだと思います。きびしいおさらいがあってこそ上達するのだと思うのですが。
花柳 踊りを始めて十一年。やったのは小学校一年の頃、見ているだけではがまんできず始めたということになりますが、やっていれば夢もあるかわり苦しみもあります。
大久保 ピアノが専門ですが、いまヤマハオルガン教室で子供たちにオルガンを教えています。最初は小さな子供たちになれるだけで精一杯で、随分気苦労もあったけど、このごろやっと軌道に乗った感じです。
豊島 美しいもの、知的なものを感じるような子供に成長するよう祈りながらレッスンをつけていますが、ひとりひとり顔が違うように個性も違い、それぞれの個性に適した踊りをみつけだし、子供に教えてるつもりです。一年に一回の発表会では、大勢の前で舞台にあがって踊るのですが、三つくらいの小さな子供も、ものおじせず堂々と踊ってみせるのを見ると、本当に胸がいっぱいになります。おかあさんがたも舞台のソデで涙ぐんでしまうようですね。子供たちも楽しみで、舞台に一度あがると、自信もつき技術もいちだんと上達が早くなるようです。
豊山 どの道にも通ずることでしょうが、芸ごとを身につける動機は、ある年齢に達して、自分から習い始めるのと、親御さんが子供にすすめて習わせる場合と二通りありますね。
高橋 そうですね。いまの若い人はなんでも幅広く覚えようと、お勤めをしながらでもお茶、料理とたいへん意欲的ですね。私たちは何かひとつのことにうちこんで。それをなし遂げようとしたのですが、そういう方は少ないようです。広く一通 りやってみればそれでよいという気持ちで、お茶もやってはみたものの窮屈だとか、足がしびれるとかですぐやめる人もあるわけです。
多くなった余暇楽しむ婦人
お母さんも一緒に練習を
司会 花は美しいものであり、審美眼を高め、生活を豊かにするわけで、けいこをつけるにも効果があるんじゃないですか。
豊山 ほんとうに花をきらいな人はいないわけで、きれいな花をいっそうよくみせるのが私たちの仕事であり、へやに花を飾りたいなと思う気持ちが、もう生け花の心に通じるのですから。
高橋 茶道、華道は一体のものですし、懐石料理とか茶室とか建築も関係はあります。お茶も広い勉強が必要だと思っています。
豊島 そうですね。何ひとつけいこするにも、広くいろんなつながりがでてきますね。
司会 茶、花、踊りと選ぶ道は違っても最後の目的はひとつ、ということでしょうね。心を豊かに生活に潤いをという点で。
西山 私の所に来る奥様も言っていますが、何かおもしろくないことがあると、離れへ行って思い切り琴をひくそうです。そうすると気持ちもさっぱりするとかで、気分転換にもなっていいですね。
大久保 私は洋楽ですけれど、やはり同じことが言えますね。いまの子供たちは音に対して敏感で、小さいときから耳を鍛えるということは、きれいな音楽になれる意味でもいいことです。俗悪な音楽には耳を貸さなくなります。私のオルガン教室では小さな子供にはおかあさんもいっしょについてきてもらって、いっしょに勉強してもらうのですが、おかあさんたちも娘時代の夢が実現し、とても楽しいし、家へ帰ってからも子供と一緒に練習できてこんないいものはないと言っています。
豊山 洋楽でも、踊りでも自分でできたら本当にすばらしいですね。私もいろんな発表会を見せてもらうたびに年甲斐も無く、やりたくなるんですよ。
花柳 最近はレジャーを楽しむ奥様がたも多くなって、私のところへもずいぶん参ります。中には将来は名取りに…という人もいますが。
間口の広げすぎ
一週間芸ごと予定ぎっしりの人も

広く浅くの気風に疑問?
司会 皆さんが弟子として修行していた時代と、現在師匠として教える立場をくらべて時代の相違というものを感じませんか。
大久保 今の子供たちは私たちの頃とくらべけいこの時間が少ないように思うんですが。
高橋 人数が多すぎてひとりひとりゆっくり見てあげられないですね。
大久保 子供たちは遊びたいし、テレビも見たいし、子供ながらも忙しいでしょうが、家庭でももう少し勉強してもらいたいですね。
豊山 お花なら家へ帰ってからもう一度はたてなおすんですから、復習は必ずやるようになるんですけど。
豊島 私は洋舞が大好きでこの道に入ったのですけれど、そのころはまさか専門家になろうとは思わなかった。研究生時代はただひたすら踊りだけで、いつも頭から離れなかったものですが、今の人はあれもやりたいこれもやりたいと、やりたいものを盛りだくさん抱えているものですから、どれも広く浅くなってしまうんですね。
豊山 昔はおけいこごとはたいてい昼のうちにやったものですが、いまは午後遅くから夜にかけてやるようになりましたね。お勤めの方が多いせいなのでしょうが、それだけ忙しい時代なのかもしれませんね。
花柳 私のところも夕方から夜にかけてですね。
豊山 うちへいらっしゃる方は月曜は花で火曜はお茶、水曜は料理のおけいことぎっしりつまっていて、ほんとうに忙しいらしいですよ。
大久保 近所の子供も○○ちゃんには水曜日しかお遊びの時間がないんですっていってるんですが、子供でもたくさんのおけいこごとを抱えて大変のようです。
司会 昔なら好きでたまらないからと芸ごとを始めたものですが、最近は一種のアクセサリーでやる人も多いんじゃないですか。
豊島 それは感じます。小学校前の小さな子供がバレエも日本舞踊も琴も、花も茶もとやらせられて、私のところは一週三日のけいこなのですが、一日しか来れないからとお母さんが言いに来たのには、正気かしらとびっくりしました。いろいろなものをやってみて、そこから好きなものを取るという方法もありましょうが、親の虚栄心でやらせられるお子さんも多いようですね。
家庭の協力必要
だれにもスランプが…

司会 こと芸ごとに関しては相当きびしいものであり、親たちの思いつきや、浮ついた気分から子供に習わせるというのは考え物ですね。
大久保 始めても三ヶ月くらいでやめてしまうなら、やらないほうがいいと思います。半年ぐらい続けて、うちの子は才能がないからとやめさせるおかあさんもありますが、半年かそこらで子供の才能がわかるはずもありません。
西山 琴もやさしいものだと思っている人が多いんですね。難しい曲になってくるとやめてします。残ってる人は本当に好きで、という方ばかりですね。どの道にも通ずることでしょうが、ある時期には大なり小なりの行き詰まりを感じるよ うです。そのブランクの期間は個人個人で長かったり、短かったりですけど落ちる人はそのころのようですね。またやってみようと始めるともう安心です。たいてい長続きします。この期間の家庭の励ましが大事だと思いますね。
司会 芸ごとはおかあさんの趣味にひかれがちなのではないでしょうか。最近の子供は自主性が伸びてきているからみんなそうだとはいえませんが、やはり親のこのみは左右するでしょうね。
高橋 それはいい傾向だと思うんですよ。家庭の協力がなければ長く続きませんから。
豊山 私のところにも小さな子供をつれてくるおかあさんがいますけど、花を自分で処理できるようでないと難しいと思いますね。
豊島 親に強いられてくる子は嫌気もさして長続きしないようです。本人も好きで親たちも好きでという人は休まずに来るし熱心ですね。
高橋 休まずに来る人には、その家庭のかたの励ましが感じられていいものですね。
花柳 いつもおばあさんにつれられて来る子がいるんですが、そのおばあさんが踊りが好きで好きでという人で、子供の方が今日は行きたくないといっても、おばあさんにさとされて来られ熱心にやっています。
豊山 何かのつごうでけいこを一時中断されても、又けいこを始める時期が来たら気軽に来てほしいですね。
変わってきた教育法
厳しさの中にも優しみも

司会 習う層が厚い割りに教える側が少ないという感じがしませんか。
大久保 ピアノ場合は絶対的に先生が足らないですね。先生同士のつながりもないものですから、一体どんな先生がいて、何人ぐらい生徒をもっているのか、ぜんぜんわからないのが困ります。全部預かれない場合、ほかの先生を紹介したくても紹介のしようがありませんから。
司会 昔のけいこごとはきびしいものであったのですが、このごろは厳しさもだいぶ薄らいできているようですね。
豊山 根本的に教育方針が変わってきているので、昔のようにきびしいやりかたではだめなようです。ほめる場合でも他の人に比べて上手いから褒めるのではなく、その人の今までの出来栄えに比べて上達していたら褒めてやります。生徒にはやさしくしかも師としてきびしい面もなければなりません。その辺が難しい所ですね。
高橋 私もいろいろ研究して少しでも覚えやすいようにしてはいますが、同じように教えても三年かかる人もあれば一年で覚えてしまう人もあり、個人差はありますね。
司会 それぞれの道において将来の方針など。
高橋 茶道は利休の典型は変える余地もありませんので、この完全さをそのまま引きついでいくだけですね。新しいことと言えば腰掛でも出来るようになったことかしら。
豊山 私の方は高橋先生とは対照的で、新しいものにはどんどん意欲的に取り組む覚悟です。各流派ともそうでしょうが、最近はもり花など、どの流派の生け花か区別がつかなくなってきていますね。古典は古典でよいものをもっていますし。
西山 琴のほうでも古典を現代にするとくずれてしまうようで、昔どおりに教えています。
豊島 古典には古典のよさがあるし、それは十分認めますが、時代に即して新しい踊りを作っていくのが私の仕事ですから、これからは郷土性のある創作舞踊の研究ということですね。
司会 だれでも芸ごとに対する夢は持っているし、それらが身についてくると、おのずから品性も生まれてきますね。ではこのへんで。