八戸に人は集まり、その数二十五万、ゴマンといるわけだが、又、逢いたいなァ、話をしてみたいなァと思わせる人ってのは数が少ない。そんな数の少ない一人に属するのが、この珠峰さん。泉紫峰さんのお弟子さんで、時折、遠くで見かける人だが、実に人柄がいいなァと思っていた。
人に好かれるには「ハイ」と「イイエ」しか言わずに、黙ってニコニコしてるといい。これで大抵誰からも好かれるようになる。
これが極意だが、簡単そうにみえて、存外難しい。何のかんのと聞かれも しない、言い訳や愚痴を思わずこぼす。これを口から出さずに「イイエ」と言いながら相手を食い入るように見る。つまり仕種(しぐさ)で訴える手段もある。ボディーラングエッジて言い方もあるが、外国から伝わった手段方法じゃない。日本古来のもの、能、狂言などにそれを見つける。勿論、歌舞伎の世界、つまり日舞にもあるんだ。
日舞の世界から宣伝広告に頼まれた訳じゃァないが、踊りを覚えると、人柄が変わる、それもいい方に、背筋は伸びる膝の痛みはない、若く見えると三拍子も四拍子も揃えたのが日舞。人前で踊る楽しみも覚えて、幾つになってもやめられないのがこの世界。
珠峰さんが踊りの世界に入るきっかけは写真の左の紫峰さんに手ほどきを受けたこと。世の中、何が自分の人生を大きく変えるかわからないもの。さて、その辺を中心に珠峰さんの半生を皆さんに紹介。
珠峰さん、本名は高宮巻子さん、昭和二十一年小中野生まれ、父は富田船大工、母は北海道の産、室蘭の造船所に父が働きに出た時知り合い結婚。その子らは三女一男。その次女が珠峰さん。
県立高校の受験と意見を異にし、入学しなかった珠峰さん。落ちたと書かないところがミソ。そのまま湊の三宅商店っていう軍手屋さんに就職。そこで軍手を作っていた。昭和三十七年頃、八戸の水産界が日の出の勢いを見せる頃、夏堀源三郎って代議士が熊谷義雄にその座を追われ、憤死しちまう時代だ。軍手も売れて忙しかったことだろう。
その軍手工場の同僚が踊りをやろうよと持ちかけた。
聞けば、その娘の家に近所の人が集まり、踊りの師匠が教えにくるとのこと。「新年会で二人で踊ってみせようヨ、みんなびっくりするべ」とでも言ったのだろう。この言葉が珠峰さんの人生を決めた。その踊りの師匠が泉紫峰さん。それから、ず~っと泉紫峰さんと共にすごしてきた。まるで 姉妹のように。踊りの世界は奥が深い。上手、手練ともなれば、更なる難しい踊りに挑戦するから、何処まで行っても終わりがないほど。
若い娘だと、結婚が踊りの世界に残れるか否かを決める。この珠峰さんもこぼれるほどの色気を示す女の盛り、二十三才で結婚を迎えた。生涯の伴侶は造船所に勤める真面目な青年、踊りを習うきっかけになった同僚の親戚。つまり、この同僚と出会わなければ、珠峰さんは結婚も日舞とも出会わなかった。
「人生っておもしろいですネ、サヨナラ、サヨナラ」の淀川長治さんじゃないけど、不思議なものが待ち受けるものだ。そして、結婚し家庭に入り込んだ珠峰さんは、ご主人に踊りの「お」の字も言わない。
ここが、この人の真骨頂、人間の上に入るもとだ。結婚は人生の最大のもの、主人に気に入られ、共に白髪の生えるまで添い遂げるのが女の道と信じている。今もだゾ。ここを大きな声で言いたい。
もっとも小さな声じゃ聞こえない。健気に働く珠峰さんに亭主が聞いたナ「お前、踊りはどうするんだ、泉紫峰さんの稽古場に行かないけど…お前には才能があるんだ、気兼ねしないでお行きヨ」いい亭主だネ。人はかくあるべきだヨ。俗に伴侶をベターハーフ、良い半分と言う、まさに二人で一人前、独身じゃ気づかぬことを教えてもらえるのも結婚の良さだヨ。「屁をしても面白くもない一人者」の川柳もあるゾ。
その言葉を聞いてイソイソ出かける珠峰さん。紫峰師匠の教えよろしく昭和四十九年に名取り、そしてめでたく師範が五十 四年、紫師匠は多くのお弟子さんに恵まれ、押しも押されもしない名人となられた。その進歩と発展を共に苦しみ喜んだのが珠峰さん。
ご主人よりも長い付き合いなのだ。師匠の泉紫峰さんが中央で踊る、或いは他府県で舞われるとき、珠峰さんは授かった我が子を小中野の実家に預けて出かけた。
師匠の踊りをしっかりと眼に焼付け、その上手さと巧みな技量を頭にたたみこんだ。いつもは優しく、人の気をそらさぬ珠峰さんも、自分のお弟子さんには厳しい。それは紫峰さんの姿から身につけたもの。いい加減に踊ればキチンとした芸にはならない。師匠のひたむきな芸への熱意だけが人を大きく 伸ばすことを我が眼で確認したからに外ならない。いつもは優しい珠峰さんが叱咤する言葉に涙したお弟子さんが幾人いたことか。中には、もう辞めよう、ここまで行ったら辞めるんだと決めながらも、お稽古が終われば、いつものにこやかな顔に戻り、優しい言葉をかけてもらえる喜びで、もう何十年も珠峰さんの門をくぐり続ける人がいる。それは日舞の魅力もさることながら、やはり珠峰さんの持つ人間力だ。
何らかの理由で踊りを続けられないことが、人生には発生するもの。そして、その嵐が何年か、あるいは何十年かで収まったとき、また珠峰さんの門を叩く。そうした魅力を珠峰さんの門は持っているのだ。
何と言う表現が適当なのだろう、毎日が楽しく、そして踊ることが出来る自分が嬉しいという、珠峰さんの気持ちは何処から来るのだろう。それは仏教の言葉を借りれば簡単に解明できる。菩薩の力なのだ。あの観世音菩薩が持つ観音力、これは苦しみを共に分かち合い、そして、その苦を抜き去るという絶大な力なのだ。
この珠峰さんが、その観音力を知っているかどうかを筆者は確かめていない。だが、仏教が何たるものかを知らずとも、我が人生をひたむきに進むその中に、この力を身に付ける人を、現代社会の中で時折見かける。何を求めるのでもなく、何を期待するのでもないが、我が人生を進みながら、周りの人に力を与える。
それは生きる力と言ってもいい、精進する力と取ってもいい。人を励まし伸ばす力が珠峰さんにはある。
それを筆者はロクに言葉を交わした訳でもないが、あたかも鮫の灯台が夜行する船に、航行する指針となる光を、何を求めるでもなく、何を期待するでもなく投げ続ける力、それを珠峰さんの中に見出していたのだ。
観世音の力、諸経の王と呼ばれる観音経の偉大なる力は、聖徳太子も気づかれ、自らその解説本をお示しになられた。太子は今から千四百年も前のお方だ。日本人は偉大な力を持つ民族ではある。為政者の中にも立派な方はお出ましになられたが、この珠峰さんのように、庶民の中にも輝くものを持つ人が出るのもありがたい。
今、珠峰さんの門を叩く人たちから珠峰さんの魅力を聞いた。
名取の悦峰さんは本名は深畑房子さん「根城から珠峰さんに習いたくて来ています。途中何人もの踊りのお師匠さんたちがおられます。私は珠峰先生の人柄が好きで、終生離れられません、指導が厳しくて涙 をながす時もあります。でも、人情味があって、長くご指導を受けてます」
旭ヶ丘の小笠原アサ子さん
「子供たちが一人前になって、やっと踊りを始めることが出来ました。遅い開始ですけど、本当に踊りの出来る楽しさを噛みしめています」
近くの細越サエさんは
「主人を病気で亡くし、悲しくて辛くて、何も喉を通らず、一人で泣いてばかりいました。でも、中断していた踊りが私にはあるって気づいて、八戸市民の出演する「ファンタジー」を見物に行き、踊りの素晴らしさを再認識しました。そして、又、珠峰さんに教えてもらえるんです。泣いてばかりいてもだめ、生きることは辛いけど、でもネ、楽しいこともあるんですヨ」
観世音菩薩のあまねく洩らさず人々を救いたいと願う心、それを現代に具現するのは人間の力、泉珠峰教室は電話43・5646
人に好かれるには「ハイ」と「イイエ」しか言わずに、黙ってニコニコしてるといい。これで大抵誰からも好かれるようになる。
これが極意だが、簡単そうにみえて、存外難しい。何のかんのと聞かれも しない、言い訳や愚痴を思わずこぼす。これを口から出さずに「イイエ」と言いながら相手を食い入るように見る。つまり仕種(しぐさ)で訴える手段もある。ボディーラングエッジて言い方もあるが、外国から伝わった手段方法じゃない。日本古来のもの、能、狂言などにそれを見つける。勿論、歌舞伎の世界、つまり日舞にもあるんだ。
日舞の世界から宣伝広告に頼まれた訳じゃァないが、踊りを覚えると、人柄が変わる、それもいい方に、背筋は伸びる膝の痛みはない、若く見えると三拍子も四拍子も揃えたのが日舞。人前で踊る楽しみも覚えて、幾つになってもやめられないのがこの世界。
珠峰さんが踊りの世界に入るきっかけは写真の左の紫峰さんに手ほどきを受けたこと。世の中、何が自分の人生を大きく変えるかわからないもの。さて、その辺を中心に珠峰さんの半生を皆さんに紹介。
珠峰さん、本名は高宮巻子さん、昭和二十一年小中野生まれ、父は富田船大工、母は北海道の産、室蘭の造船所に父が働きに出た時知り合い結婚。その子らは三女一男。その次女が珠峰さん。
県立高校の受験と意見を異にし、入学しなかった珠峰さん。落ちたと書かないところがミソ。そのまま湊の三宅商店っていう軍手屋さんに就職。そこで軍手を作っていた。昭和三十七年頃、八戸の水産界が日の出の勢いを見せる頃、夏堀源三郎って代議士が熊谷義雄にその座を追われ、憤死しちまう時代だ。軍手も売れて忙しかったことだろう。
その軍手工場の同僚が踊りをやろうよと持ちかけた。
聞けば、その娘の家に近所の人が集まり、踊りの師匠が教えにくるとのこと。「新年会で二人で踊ってみせようヨ、みんなびっくりするべ」とでも言ったのだろう。この言葉が珠峰さんの人生を決めた。その踊りの師匠が泉紫峰さん。それから、ず~っと泉紫峰さんと共にすごしてきた。まるで 姉妹のように。踊りの世界は奥が深い。上手、手練ともなれば、更なる難しい踊りに挑戦するから、何処まで行っても終わりがないほど。
若い娘だと、結婚が踊りの世界に残れるか否かを決める。この珠峰さんもこぼれるほどの色気を示す女の盛り、二十三才で結婚を迎えた。生涯の伴侶は造船所に勤める真面目な青年、踊りを習うきっかけになった同僚の親戚。つまり、この同僚と出会わなければ、珠峰さんは結婚も日舞とも出会わなかった。
「人生っておもしろいですネ、サヨナラ、サヨナラ」の淀川長治さんじゃないけど、不思議なものが待ち受けるものだ。そして、結婚し家庭に入り込んだ珠峰さんは、ご主人に踊りの「お」の字も言わない。
ここが、この人の真骨頂、人間の上に入るもとだ。結婚は人生の最大のもの、主人に気に入られ、共に白髪の生えるまで添い遂げるのが女の道と信じている。今もだゾ。ここを大きな声で言いたい。
もっとも小さな声じゃ聞こえない。健気に働く珠峰さんに亭主が聞いたナ「お前、踊りはどうするんだ、泉紫峰さんの稽古場に行かないけど…お前には才能があるんだ、気兼ねしないでお行きヨ」いい亭主だネ。人はかくあるべきだヨ。俗に伴侶をベターハーフ、良い半分と言う、まさに二人で一人前、独身じゃ気づかぬことを教えてもらえるのも結婚の良さだヨ。「屁をしても面白くもない一人者」の川柳もあるゾ。
その言葉を聞いてイソイソ出かける珠峰さん。紫峰師匠の教えよろしく昭和四十九年に名取り、そしてめでたく師範が五十 四年、紫師匠は多くのお弟子さんに恵まれ、押しも押されもしない名人となられた。その進歩と発展を共に苦しみ喜んだのが珠峰さん。
ご主人よりも長い付き合いなのだ。師匠の泉紫峰さんが中央で踊る、或いは他府県で舞われるとき、珠峰さんは授かった我が子を小中野の実家に預けて出かけた。
師匠の踊りをしっかりと眼に焼付け、その上手さと巧みな技量を頭にたたみこんだ。いつもは優しく、人の気をそらさぬ珠峰さんも、自分のお弟子さんには厳しい。それは紫峰さんの姿から身につけたもの。いい加減に踊ればキチンとした芸にはならない。師匠のひたむきな芸への熱意だけが人を大きく 伸ばすことを我が眼で確認したからに外ならない。いつもは優しい珠峰さんが叱咤する言葉に涙したお弟子さんが幾人いたことか。中には、もう辞めよう、ここまで行ったら辞めるんだと決めながらも、お稽古が終われば、いつものにこやかな顔に戻り、優しい言葉をかけてもらえる喜びで、もう何十年も珠峰さんの門をくぐり続ける人がいる。それは日舞の魅力もさることながら、やはり珠峰さんの持つ人間力だ。
何らかの理由で踊りを続けられないことが、人生には発生するもの。そして、その嵐が何年か、あるいは何十年かで収まったとき、また珠峰さんの門を叩く。そうした魅力を珠峰さんの門は持っているのだ。
何と言う表現が適当なのだろう、毎日が楽しく、そして踊ることが出来る自分が嬉しいという、珠峰さんの気持ちは何処から来るのだろう。それは仏教の言葉を借りれば簡単に解明できる。菩薩の力なのだ。あの観世音菩薩が持つ観音力、これは苦しみを共に分かち合い、そして、その苦を抜き去るという絶大な力なのだ。
この珠峰さんが、その観音力を知っているかどうかを筆者は確かめていない。だが、仏教が何たるものかを知らずとも、我が人生をひたむきに進むその中に、この力を身に付ける人を、現代社会の中で時折見かける。何を求めるのでもなく、何を期待するのでもないが、我が人生を進みながら、周りの人に力を与える。
それは生きる力と言ってもいい、精進する力と取ってもいい。人を励まし伸ばす力が珠峰さんにはある。
それを筆者はロクに言葉を交わした訳でもないが、あたかも鮫の灯台が夜行する船に、航行する指針となる光を、何を求めるでもなく、何を期待するでもなく投げ続ける力、それを珠峰さんの中に見出していたのだ。
観世音の力、諸経の王と呼ばれる観音経の偉大なる力は、聖徳太子も気づかれ、自らその解説本をお示しになられた。太子は今から千四百年も前のお方だ。日本人は偉大な力を持つ民族ではある。為政者の中にも立派な方はお出ましになられたが、この珠峰さんのように、庶民の中にも輝くものを持つ人が出るのもありがたい。
今、珠峰さんの門を叩く人たちから珠峰さんの魅力を聞いた。
名取の悦峰さんは本名は深畑房子さん「根城から珠峰さんに習いたくて来ています。途中何人もの踊りのお師匠さんたちがおられます。私は珠峰先生の人柄が好きで、終生離れられません、指導が厳しくて涙 をながす時もあります。でも、人情味があって、長くご指導を受けてます」
旭ヶ丘の小笠原アサ子さん
「子供たちが一人前になって、やっと踊りを始めることが出来ました。遅い開始ですけど、本当に踊りの出来る楽しさを噛みしめています」
近くの細越サエさんは
「主人を病気で亡くし、悲しくて辛くて、何も喉を通らず、一人で泣いてばかりいました。でも、中断していた踊りが私にはあるって気づいて、八戸市民の出演する「ファンタジー」を見物に行き、踊りの素晴らしさを再認識しました。そして、又、珠峰さんに教えてもらえるんです。泣いてばかりいてもだめ、生きることは辛いけど、でもネ、楽しいこともあるんですヨ」
観世音菩薩のあまねく洩らさず人々を救いたいと願う心、それを現代に具現するのは人間の力、泉珠峰教室は電話43・5646