2008年9月10日水曜日

親をも売るのか水道企業団、広報に便乗し無賃配達


忘恩の徒の言葉がある。忘八(ぼうはち)ともいう。仁義礼智忠信孝悌(てい)の八つを失った者を指す。南総里見八犬伝がこれを柱として作られた。ご存知、滝沢馬琴の手になる。山東京伝の弟子、勧善懲悪物を得手とした戯作者、八十一まで長生き。芥川龍之介の作に晩年の馬琴を書いたものあり。これもいい出来だった。
 忘八は女郎屋の亭主をも指す。水道企業団は仁義礼智忠信孝悌を知らない。八戸市議会の部屋を無料で使い、それを払っていないことは前に記した。もともと八戸市が所有した税金投入の塊の水道事業を市民の知らないところで掠(かす)め取った。これ自体がとんでもないことだが、自分たちの議会を持つなら、自分たち水道企業団の中でしろ。あたかも、八戸市役所と関係があるような素振りをして、実は何の関係もないと、総務課長の下村氏はいう。水道企業団は他団体だと。他人が何で本人面して八戸市の議会の部屋を無断進入して、銭も一円も支払うことなくいまだに使用できるのか。議会事務局も事務局、これを積年見過ごすは愚の骨頂(ぐのこっちょう・この上なく愚かなこと)。八戸市もボケだが、それを良いこととして市役所に図々しく入り込む根性が汚い。
 議会事務局には五年さかのぼって請求するように伝達、するかしないかは市民が注視すればいい。
 さらに汚い手口を発見。それは「おらほの水」、これは水道企業団が八戸市役所の広報のように市民に配布するもの。この配布を長年無料で八戸市に依頼。
 これが発覚したのは町内に居られる行政委員の高齢化。年間百八十万円で、ボランティア的配布。ところが寄る年波で勘弁して欲しいの弁あり。そこで広報公聴グループが調査、出来ない、勘弁してくれと、もう少しがんばる地域が出た。出来る地域は行政委員に、できない地域はチラシ配布業者に頼んだ。
 ここで長年図々しく、この制度に一円も支払わず配布を願っていたのが汚い塊の水道企業団。こいつらはどういう神経なのだろう。市役所から土地建物、水道設備の一切を無償で盗んだだけでなく、立っている者は親でも使え、寝ている者なら病人までもコキ使えじゃ忘八のチャンピオン。これ以外のこんな汚いズルイ、カッコ悪いの3Kを知らない。
 八十二億円の水道料を得て、十五億円の利益を出しながら、一円の銭も払いたくないはどういう料簡なのだ。これこそ料簡違い(りょうけんちがい・心の持ち方が正道にはずれていること)という。水道企業団の長はお飾りの小林市長、理事者側の根性が汚い。その報告だけ受けて信実が見えるのか。
 市長は意気込みあれど、部下がヘイヘイ言うだけで動こうとしない。体に麻痺が進行している。担当課は水道企業団に請求しろ。水道企業団被害者の会を作り足並みを揃えろ。(「はちのへ今昔」被害者の会ってのもあった)
 五年にさかのぼり半分の九十万円、四百五十万円を請求しろ。かれらはふんだんに金を有しながら金の使い方を知らない。こういうのを守銭奴と呼ぶ。
水道企業団は請求されれば支払う用意があるとぬけぬけとほざく(他人がものを言うのをののしっていう語)。月夜に狼が吠えるがごとく、銭を払うと水道企業団がほざくからには徹底して請求の態度を貫け。水道企業団は他団体、八戸市役所とはなんの関わりもないのだ。

2008年9月9日火曜日

小林市長は飾り、嘘をつく理事者に担がれているだけ2

八戸市役所職員は多すぎて、自分が何をするかを理解できない。昨日掲載の交流センターがどの部署に属するかを見ると、これは総合政策部、ここに政策推進課、中心市街地活性化推進室、広報市民連携課、東京事務所がある。
 部長は高島司氏、次長が石黒一之氏、政策推進課は課長以下11名、交流センター建設は9名、広報市民連携課は17名、東京事務所3名の都合42名。石黒次長の下にサポートセンター掌握部署の市民協同グループがある。石黒氏は前は都市政策課長、広報市民連携課は違う部署に所属、役所の良くて悪い点は人事異動、全く知識の無い課に配属され、一から勉強、それも大きな交流センター建設の難問を抱える。
 為に46億円新規投入の事業に没頭は理解できるが、その程度の頭では絶えず変化する時代に立ち向かえない。昨日の議会質問で若武者三浦博司議員が、詳細設計を書かせている間に、H鋼材の値上がりは分かったはず、それらは業界誌等で把握できたのではないかとヤンワリ質問。問題の本質はここにこそある。
 役所は先送りをする体質、自分が担当していることも、どこか上の空。自分以外にこの事を推進、遂行できる者なしの気概にかける。無事定年を迎えたいという、やっとこ課長にお情け部長じゃ、役所の体質は変らずむしろ悪くなるだけ。大体二千人の大部隊が、隣の職員が何をしているかを知らない。
 もっと悪いのが石黒氏、自分の部下の市民協同グループが規定通りサポートセンターの指定管理募集を開始。これが交流センターとぶつかる事業なのは百も承知、二百も合点。ところが、全体へのめくばりができないから、これが走る。途中で「はちのへ今昔」に気づかれ、居直りだ。それが昨日の記述。
 自分の手足がどのように動くのかは、頭が決めるんだ。手足が決めるのではない。頭にそれを訊くと、頭にないことだけにオロオロ、ウロウロ、それは会議を開いたと吐いた自分の唾がふりかかっただけ。
 敵を撃退するなら、装備、防備を考えてやれ。将棋じゃないが自分の武器の駒が、相手に取られ、形勢逆転はよくあること、が、役人は信念を持って進む。信念は新年おめでとうと違う。これは以前に風張課長で使った古ギャグ。信念のカケラもないから風見鶏だ。
 課長も課長なら次長も次長だ。いいコンビだが、その上の高島って部長も頂けない。部下が何をしているかを知らないのも情けないゾ。
 これが交流センターの実情。彼らが市長の答弁書を書く、かいたのは恥。三年前の文言で今の時代を解説できるのか。役所はちあきなおみじゃない。この人は東京板橋の生まれ、名前二つを芸名にする苗字の無い歌手、昭和46年の喝采がメガヒット。吉田旺作詞、中村泰士作曲、あれは三年前 止めるあなた駅に残し、動きはじめた汽車にひとり飛び乗ったで、一躍実力歌手となる。
 市役所が三年前のサポートセンター開始当時のアンケートを交流センターに移動するために集めたような嘘をつくな。これは山口洋子作詞、平尾昌晃作曲、昭和49年150万枚売れた、中条きよしの歌、折れた煙草の吸いがらであなたの嘘がわかるのよ…女があとから泣けるよな哀しい嘘のつける人で役所が嘘をつくな。間違いは間違い、訂正すればいい。それを無理押し、ゴリ押しするところに問題が発生。市長は経緯を知らぬから答弁書通りに読む。読ませたあなたが悪いのよ、市民があとから泣けるよな、苦しいうそをつかせる人。
 税金を無駄に使うな、一人でも交流センターに来て欲しいのが実情。それなら、交流センターにサポートセンターを持ち込むべきだが、どこかこの「はちのへ今昔」の
論理に間違いがあるか。

2008年9月8日月曜日

小林市長は飾り、嘘をつく理事者に担がれているだけ


九月八日市議会定例会で民主党の三浦博司氏がまちづくり行政について質問。根城の総合福祉会館内に市民活動サポートセンターがあり、指定管理制度で年間六百万円を投入し百八十団体を擁する。
 過去三年間の成果がこれで、投入した税金は千八百万円、つまり一団体に対し十万円の税金を投入したことになる。このサポートセンターの指定管理が切れ、今度は五年間の契約が新規の受託者と結ばれる。ところが予想だにしなかった三日町の交流センターが浮上。
 都市政策課が長年弘前大の教授に有料で街中を分析してもらい続けた。これが、曲者で大した案も出さず、沈香(じんこう)も焚たかず屁へもひらず(特によいところもなければ悪いところもなく、平々凡々であることにいう)で経年、ここで出た案は市民参加型の街づくりが必要。これをまとめたのが課長の石黒一之氏、今は交流センターを推進する政策部次長、これが注意人物。都市政策課から人数を率いて中心市街地活性化推進室に風張知子氏を室長に、一人だけ前田晃氏が秘書課から移動し、これらが交流センター建設部隊。
 つまり、交流センターの基本は名前の如く市民の交流拠点。ここが出来れば誰しも根城のサポートセンターが移動すると考える
 ところが石黒氏はどういう訳か、これを失念、指摘されると、交流センターにも同じ物を作って何処が悪いと筆者に噛み付いた
○9月5日までサポートセンターの指定管理を募集している。交流センターが出来たら移動してもらうと応募者に伝えろ。同じ物が二つあると市民がどちらに行けばいいか迷う。
●いいじゃないですか好きな方にいけば。
○ 税金の無駄だろう
●必要な税金は使えばいい。
○ それは間違いだ、部長に訊く
●失礼じゃないか、私が答えているのに。
○ 市民の税金を無駄にするな。
●今日は部長はいない。こんなやりとりが数回あり、結局、石黒氏は担当諸課と調整し、八月三十日(土)午前八時に電話してきた。
指定管理者とは毎年一度協定書を交わす、その中に移動の文言を入れるがどうか

○ それでよかろう。
ここで考えた。役人は文書にして出さない。自分たちは要求するが、言葉だけで逃げきろうと考えるもんだ。石黒氏も腹黒で同じことをするなと、議会で質問してもらい担保にすると人事課長に協定書の担保を伝達。
色々なやりとりの中で、石黒氏のようなめちゃくちゃな論理を吐く人物がいてもいいと評価したから、人事課長に下駄を預けた瞬間があった。それ故、人事課長の登場。
 ところが、今日の議会で三浦議員の質問に、協定書の話も出ず、三日町の交流センターに行くかもしれない行かないかも知れないの市長の弁
 市長は飾りか? 理事者は正確に事態を告げなくていいのか。三浦市議は五年間走ると三千万円かかる、三日町の交流センターにすればどうかと丁寧な質問を繰り返すが聞く耳を持たない。三千万が小額と思えば、二つあってもいいの発言になろうが、同じように二つの部屋に人員を配備し輪転機、パソコン、電話、コピーをそろえる必要があるのか。一つで足りるだろう。
 市長は役人作成のメモを読む。そこにはサポートセンターは資料を作成する市民にとっては駐車場がある根城が便利、集会するには三日町が便利との発言。これはサポートセンターが立ち上がる三年前の論議。交流センターが出来たらどうするの論議はサポートセンター利用者にされていない。
 石黒次長は交流センターが出来るので会議を開いて決定したと明言。じゃ、それは何時、会議録は?の筆者の質問に部屋をウロウロ、挙句、資料を三十分探しても見つけられない。おかしいな、あるはずだが…。ないのは会議をしていないということだ、と筆者に気合を入れられた。してもいないことを平然と言う。二つあって何処が悪いというなら、石黒氏の給与でそれを支弁しろ。
 市民の税金は無駄に使うものではない。無駄を無駄と知って使うなら個人の給与から支弁しろ。
 このように国も八戸市も首長は役人のいいかげん答弁書を代読。気の毒なものだ
 それにつけても三浦博司市議は言葉は丁寧、誠実な喋りで前途が楽しみな弱冠三十、見事な若武者。

JRは民間会社、八戸市は随意契約で便宜供与は不届き


各課の随意契約を調査中、その中からこれは看過できないものを掲載。
道路建設課が6457万の随契をなした。当初は7266万。なんでこんな契約がなされたかを追求。JRが昔国鉄と呼ばれ、日本全国に鉄道網が敷かれた。明治五年の新橋・品川間がその始まり。蜂須賀侯爵らが出資した日本鉄道株式会社が明治24年に東北線を上野・青森間に開通。その余材を使い、明治27年八戸線が登場。
 私鉄を官営として国鉄が誕生。ここが野球軍を所持、それが1949年の国鉄スワローズ。名投手金田正一を擁した。金田は18歳で阪神戦でノーヒット・ノーランの記録を樹立、後年もこの若年記録は破られない。立教からプロへすすんだ長島茂雄を四打席連続三振に討ち取る。彼のドロップを打ち崩す選手はまれ。奪三振3509は当時の世界記録。国鉄は金田だけが凄く、他は弱体。登板すれど敗戦投手の金田は女性たちの母性本能をくすぐった。甘いマスクで倅に俳優が出た。JRが稼いでいた頃、それから職員がブラ下がり、赤字に転落し国鉄分割。そして株式会社へと転身。
 何故、八戸市が一民間会社のJRと随契を結んだのか。これを調べると道路法の第三十一条が根拠だと道路建設課が呈示。そこには当該鉄道事業者と交差する道路の所有者は協議しろと記してある。
 問題の線路をまたぐ橋は八戸駅から下田に向かう線路上の「東北本線八戸駅構内八戸通こ線橋改築に係る詳細設計」。これに6457万円を支払った。
 随契でなく競争入札が原理原則。何故だの問いに道路法が出てきた。これには罰則はないが、協定は結ぶべき。その協定には工事の施工方法及び費用とあり、これを随契だと八戸市は勝手な判断。しなけらばならないとは記していない。
 この契約は橋の設計、設計には測量もある。これを随契としたため、JRの指定会社が実施。八戸にも立派に20余社が測量の看板を掲げる。同様、橋の設計を行う会社もあまたある。これらに仕事が出ず、何でJRごときに仕事を出すのか。出すなら出すで、自分たち道路建設課は設計書(発注すると概算この程度になるの試算)を作れ。それも投げて自分で幾らかかるの計算もしない。それが本当に市民のためなのか。
 面倒な仕事は避ける逃げるでは、太宰治が人間失格の中で引用したひきがえるの詩と同じだ。
ゆくてを塞ぐ邪魔な石をひきがえるは廻って通る。
 天下の赤字会社国鉄の残党、JRがやることに間違いがないと、盲従するのも一方法、しかし、それに間違いがないのか、もっと安く確実に作成できないかを、市民は担当課が精魂こめてしていると信ずるから、必死で税金を負担している。景気後退で市民の所得は減ったが、税は変わらぬどころか上昇。これで市民に生きろと言えるのか。
 が、市役所職員の給料は減らず三社大祭の職員互助会の山車まで全額税金で出した。不埒(ふらち・法にはずれていること。道にそむいていること。ふとどき。不法)以外の何物でもない。こうした職員が二千人もいる。何を仕出かしのかかさっぱり判らぬ。だから、今日も市役所に行く。こうした仕事は議員諸君の仕事だ。だが、彼らはあてにならない。調査権があるにも関わらず、一票が欲しくて追求できない。情けないものだ。
 八戸市内にも堂々税金を払い技術優秀な企業が幾つもある。それらに仕事を廻すことを考えよ。市民が潤ってこそ税金も入る。ところが、自分は仕事をしたくない、給料は一円でも多いほうがいい。これじゃ泥棒と何処が違う、泥棒はパクられれば刑務所のリスクあり。役人は何もしなくとも職を失う気遣いもないじゃ、泥棒より悪くないのか? 街の中でこんな看板を見る。悔い改めよ、審判の日は近い、市役所職員はこの警句を自分のこととして受け取れ。
 この橋の建設には15億円かかるという。これに待ったをかけろ。地元企業にも仕事を分けろ。この努力なしに市民は税を払いたくない。
 今までやってきたので、ついそのまま出したというなら、悔い改めよだ。間違いに気づいて過ちを改める、改めないことを過ちという。
 建設業界はこの問題を注視しろ。仕事はまだまだある。が、諸君は気がつかないだけ。

2008年9月7日日曜日

日本の話芸 古典落語 人情話 2

「関取千両幟」
ところが勝っていけない相撲がありまして、やはり大阪相撲で江戸へきて十日間全勝。ところが誰一人、ひいきにするというお客様がない。何になりましてもごひいきは大切でございます。お相撲さんなぞはいただくお給金よりはご祝儀の方が大変なもので、初めて太刀山を倒しましたのが大正五年でございますね、夏場所八日目に東の小結だった栃木山という人がこの天下無敵の太刀山を倒した…。いやどうも、国技館が割れるような騒ぎで、負けないというものを負かした…栃木山が部屋へ帰って来たら背中へ百円札がべたべた貼ってあった。今の百円じゃありません。大正時代ですから…そうですね、今のお金に換算したら十万円ぐらいの価値があろうという、そいつがべたべた、背中へ貼りつけてあったんですから…。あたくしも相撲とりになりゃよかったと思った…なったって弱いんじゃしょうがない。栃木山という人が太刀山を破った…その翌年の春場所でございます。これは十日目結び、西の正大関でございました大錦卯一郎という大阪の出身、この人にまた太刀山がやぶれましたんで…。二番負けたというので、とうとう太刀山という人は引退をしてしまいました。本来は横綱というのは負けちゃいけないんだそうです。天下無敵、日の下開山というんですから負けるべきもんじゃない、勝って当り前なんです。だけども今そんな事を言ってた日にゃ横綱になったらすぐに引返しなくちゃならない。場所数もふえているし致し方もございませんが…。
 大錦が勝ちました時にその後後会のかたが大変よろこんで、
 「今日はよくやってくれた。お前にほうびとしてこれをあげるからお父ッつァんに何か好きなものを買っておやり」
 というので小切手を一枚くれた。これが三万円あったそうです。大正時代の三万円ですから、何か買ってやれッてんですが、いろいろ考えたが買いようがない。神戸に六甲山という山がある、あの下へ地所を買いまして隠居所を建てました。地所ぐるみ三万円で立派に出来ましたものでしょう。これを大錦のお父ッつァんへ贈り物にしたという…。わずか一番でそういう事がある。
 ところが十日間の全勝というんですが、誰一人ひいきにするお客様がない。あア、俺は江戸の水には合わんのかと…関取が淋しそうに…腕組みをしている。表から家の中の様子をしきりに覗いている乞食がいる…。
「おい、何じゃ乞食が表でうろうろしているようじゃ。銭をやって早う去なしてしまえ」
「はい。…おこもさん、関取が銭をくれるからこれを持って早う通っとくれ」
「ありがとうございます。あっしやァ銭ァ欲しくはねえんで…お宅の関取にちょいと会わしてもらいてえが、会ってもらえるかどうか…聞いてみておもらい申してえんで」
 「(弟子親方に)何じゃ、銭はいらんが親方にちょっとでも会わしてくれといいますが…」
 「うん? わしに会いたい…(入り口ヘ出て来た態で)おこもさん、こっちイ…いやア、遠慮はいらんで入っとくれ。…わしに何ぞ、用でもあるのか」
 「どうも…わざわざお呼び立てをしてすみませんが折入って頼みがあるんで聞いてもらえましょうかね」
 「出来ることなら聞いてあげるが…」
 「実はね、あっしや関取がひいきなんでねえ」
 「何じゃ」
 「(テレ隠しに笑って)ヘッヘッヘこんな事を言やァこのやろう、気でも違ってやんだろう、天下の力士を乞食の分際でひいきとはとんでもねえ奴だと、腹ァ立てるかも知れねえがまア…何といっていいか、好きでたまらねえから、こういうのをひいきというんじゃねえかと思うんですが…。乞食がどうなるもんじゃねえが、あっしが持って来て食ってもらいてえものがある。こんな汚ねえものは食えねえとごみためへ放り込まれりゃアそれッきりだから、先イお聞き申してから持ってこようかと思うんですが、いかがでござんしょう」
「わしがひいきじゃで下さるものがある…折角の思召し、快よう頂戴をいたします」
「えッ?(意外という面持)食っておくんなさる…そいつァ有難えなどうも…じゃ、今すぐ持ってくるから待っておくンねえ」
 表へ出て行きましたが…お蕎麦を持ってきた。
 蕎麦というものは大変縁起のいいもの。商いをしてまとまりました時には祝いに蕎麦でも食べようという。手を打つ、手打ちそばという。それから晦日に蕎麦を食べると金がのびるという…晦日そばというものを今でもずいぶん召し上がる方がありますが。どういうわけで晦日にそばを食べると金がのびるんだろうと…ある方に聞いてみたらそうじゃないんだそうです。金箔屋さんで金を打って伸ばしている、隣の家で味噌汁をこしらえて、その味噌の香がぷーんとしてくるともう、どう叩いても金が伸びなくなる。そういう時に、そば粉を火の中へくべると味噌の香りを消して元のように金がとんとん伸びて行く。だから味噌の香を消すには蕎麦粉で消して金を伸ばすといったんだそうで…。それを晦日にそばを食べると金が伸びるんだなんてんで…。
(箸を持ち蕎麦を食う形)「どうも、いくら食ったって伸びやしねえや」なんてんで、愚痴をこぼしているのがある。そば屋には一定の器があるが、そんなものは乞食には貸しませんから竹の皮へそばを包んでもらい、ふちの欠けたきたない茶碗へだしを入れて、
「どうもお待ちどうさまでございます。へえ、これァね、(茶碗を差し出し)あっしの器でこんな汚ねえが、蕎麦屋でようく洗ってもらったんで。心ばかりのもんでどうかひとつ、関取に食っていただきてえんで…」
 「折角の思召し…頂戴いたします。(振り向いて)野郎、箸を持ってこい」
 取り的から箸を取り寄せ、竹の皮包みを引き寄せて、ふちの欠けた汚ない茶碗で関取がさもうまそうにこの蕎麦を食べている。天下の力士にご馳走をする乞食はさぞ愉快でしょう…。
 「(にこにこ嬉しそうに)ありがてえなどうも…関取、お前さん、食っておくんなすったね」
 「おこもさん、恥ずかしいがわしは、江戸へ来てひいきのお客さんは一人もない。わしのような者でもひいきじゃといって頂戴したのは、あんたの蕎麦がはじめて…。大名がたの前で山海の珍味をいただくより、心からくだされた一杯のそばは実に美味い。大名衆でもおこもさんでも、ひいきという二字に変りはござりません。大阪へ去んで、江戸のお乞食さんまでにごひいきになったといえばわしの鼻が高い…どうぞこの上とも、末永うひいきにしておくれ」
 嬉し涙を瞼に浮かべて両手をついたから、
 「あッ、まァまァ、関取、手をあげておくんなさい…よく言っておくんなすった。さぞ心持ちが悪かったろうが、今、口直しをあげるから、ちょいッと待っておくんなさい。おうッ(遠くの人へ手を叩き呼ぶ)甚太、熊、留…」
 「どうした、食ったか…」
 「あとで話をするから、持ち込め」
 どかどか…運んでまいりました酒肴、そうこうするうちに今の乞食がすっかり早変りをし、
 「関取、あっしゃアね、魚河岸の新井屋てえもんで…。上方見物に行ってお前さんを見たんだ。あア、いい関取がいるな、江戸へ来なすったらいいと思っていた…今度、江戸ィ来たという話だからしるし物の一つもこせえてあげようと思ったんだが、何しろここンところは、目の回るように忙しいんでその折りがなかった…すると、仲間の寄り合いでお前さんの話が出て、『どういうわけかあの関取は相撲は強いが人気が無え。乞食がそばを持ってッて食うか』…十人が九人といいてえが、十人が食わねえ…あっしゃ一人、食うと言ったんだ。『もし食ったらどうする』『魚河岸がそろってひいきにしてやる』てえから、『よし、それじゃ俺が一役買って出よう』ツてんで…こんな茶番をしたわけなんだが…、天下の力士を乞食の分際でひいきだとはとんでもねえ、この馬鹿野郎奴と、つまみ出されてもしょうがねえのを、大名衆でもお乞食さんでもひいきという二字に変りはねえといわれたら…その宿無しは嬉しいだろうねえ。お前さん、聞きやァ上方へ帰るてえ話だが…いやァいけねえ、お前はんが帰るといっても、今度は魚河岸が帰さねえ。どうか江戸へとどまって十分にはたらいておくれ。これは今の口直しだよ」
 と持ち込んだ酒肴…。これが動機になって、たいへん江戸で人気を得ました。
 大阪の天下茶屋に安養寺という尼寺がございますがここに墓がある。池田から出ました人で稲川重五郎。
  相撲とりを夫に持てば
  江戸長崎やくにぐにを…
 とさわりでおなじみの『関取千両幟』。あの浄瑠璃に出ます稲川というのはこの人をモデルに書きましたもので…。
 関西相撲の逸話でございます。

2008年9月6日土曜日

ユニバース南類家店の垂れ流し


県内一番と称されるユニバースはますます拡大の一途をたどり、弘前の倒産スーパーを買い取ったとか。大きくするばかりが能じゃない。市民に迷惑をかけないのも仕事だ。
 八戸市南類家店はクーラーから出る水処理が悪く、敷地から歩道、そして車道にまで水が溢れている。これについて苦情を言うも聞き流し、何度も水を垂れ流しにする。かかる行為は看過できないとユニバース本部に苦情を言うも、何の返事も返答、回答もない。本日も最後の夏の抵抗で暑く、ユニバース南類家店からまたも水が漏れ始めている。
 歩道を歩く者の身にもなれ、車道から水をあびせられた洗濯代はユニバースが持つのか。どうも本部総務課の対応が最悪、拡大路線ばかりが仕事じゃない、寄せ集めの人材じゃ、末端まで神経が行き届かない。悟れ。

日本の話芸 古典落語 人情話 1

「はちのへ今昔」被害者の会が、筆者の話を連載というが、筆に力がないと、読者をつなぎ止められない。さらに、難しいのがノンフィクション。徹底した調査が必要。時間と金がかかる。ところが、小説は楽、花魁、職人、めおとの三つの題をまとめるだけで一話できる。常現寺のおいらん道中の話で、大筋の花魁が分かれば、後は枝葉だけ。
落語で難しいのは人情話、落語にはいい話が沢山あるが、昨今の若者はそれを知らない。落語に造詣(ぞうけい・学問または技芸に深く達していること)の深い人には「はちのへ今昔」もやきが廻ったの叱責もあろうが、辛抱していただきたい。落語と言えば笑点での座布団ぶんどり合戦しか知らないむきもある。ご寛容のほど。
「紺屋高尾」
花魁で、最高の位にいるのを太夫と申しまして、中でも有名なのは高尾太夫で十一代まであったらしいんですが、とりわけ、初代の、花魁道中の時、自分の生んだ子を乳母に抱かせて一緒に練り歩いたという子持高尾、仙台萩で有名な伊建綱宗が通ったという仙台高尾、それにこのお話に出て参ります紺屋高尾、この三人がよく知られております。
 神田紺屋町で奉公人が十五人、手広くやっている藍屋吉兵衛という染物屋がございます。ここに永年奉公している久蔵という男が寝込み医者を呼びます。
「お前の病気は恋煩いだ。それも相手は素人じゃない。入り山形に二ツ星、いま全盛の三浦屋の高尾に想いをかけた。どうだ当ったろう」
「へえ……あっしやア両親に早く死に別れやしてね、身寄りってえなア、千佳の竹の塚の在にいる伯父だけでして。で、その伯父にゃア子供がねえんで、あっしを可愛がってくれましてね。前前から、年期があけたら家で引き取るからって言ってたんす。あっしもそろそろ帰ろうかと思って友達にそういったら、『お前は二十六にもなるってえのに、吉原に一度も行ってねえが、田舎イ引っ込んじまったら一生知らずに済んじまう、俺が連れてってやる』ってえから、『俺ア以前から、あんなとこイ行って悪い病気でもしょったら生涯取返しがつかねえ。決して吉原に足入れんなっていわれてるから厭だ』っていったら『花魁道中見物するだけならべつに間違えはねえ、かえっていいみやげ話になる』ってんで、無理に引っ張っていかれちまった。すると凄い美人で『ああいう花魁なら、死んでもいいから盃が貰いてえ』っていったら、友達が笑いやがって『馬鹿アいやがれ。ありゃア病気しょい込む気遣えはねえが、大名道具っていって、てめ えにや盃どころか傍へも寄れねえ』そこで錦絵を買って眺めてました」
「ハハハ、表向き見識を売ってはいるが、売り物に買い物、金さえ出せば自由になるよ」
「幾らで?」
「そうだな、初回で、どうしても十両だろうな」
「先生、あっしの給金は月一分で」
「そうか、年で三両か……、お前三年の辛抱は出来るかい? そうか、それならば九両を溜めなさい。そしたら花魁に逢わしてあげる……なあに、一両ぐらいなら、あたしが足してもいい……ああ、身請でもされない限り、廓にいなくなることはない。もしさようなことになっても、何とかしてお前に逢わしてやるから、その気になって一生懸命働きなさい」
 病は気から、薬は気やすめ、薬を飲むってえとたちまち全快いたしました。さア金を残そうってんで、一生懸命働いておりますうちに、丸三年がたち、四年目に入った二月。
 「親方、なんぞご用で」
 「ああ、ちょっと話があるんだ。まアそこイ坐れ……俺がゆうべ帳面調べたら、お前の給金が残らず俺の方の預りンなってて、三年分で九両溜まってる。そこでだ、お前が辛棒した骨折りとして、俺から一両ここイ包んどいた。これをお前にやる。これでお前の金は十両ンなったんだ。判ったな?」
 「へえ、さいですか、十両ンなったんすか。じゃア、十両出しておくんなさい」
「なんだ、手ェ出しやがって、確かに十両はてめえの金だ。で、あと三年辛棒したら、合せて二十両ンなる。そしたら俺が店を持たして、鉄漿(おはぐろ)つけた女房を貰ってやるから、紺の暖簾下げて、『親方、これを染めてくださいまし』『ようがす、あさっておいでなさい』かなんか、てめえがいえるようになる。それまで預っといてやるから、一生懸命やれよ」
 「親方、三年前にあっしが患った、その時、お医者が金ェ溜めて高尾を買う気ンなりやァ治るってんで、その通りィしたら治った。で、金が溜まったんで高尾を買うんで十両くれ」
「そうかい。なぜそれを先ィいわねえんだ。三百文女郎買うってんなら渡せねえが、大名道具となりやァ話ァ別だ、なア……三年分の給金で一夜の栄華を買うてなァいい度胸だ。……気に入った。よして金ェ渡してやろう」
「さいですか。じゃア今夜出掛けるんで」
 とにかく身綺麗にしなくちゃァいけないってんで、床屋や湯へやりまして、女房のおみつにいいつけ、荒物から履物にいたるまで、仕度をさせます。やがて久蔵が戻りますってえと、着替えをさせ、十両の金を持たせまして、先ずはお玉が池の先生のところへ、先生がお茶屋ィ行って話しますってえと、三浦屋へ聞き合わしてくれた。と、客がいま何かの都合で急に帰ったんで、花魁があいているという。
 早々に茶屋を引き上げまして三浦屋に送りこまれます。玄関には三浦屋の主人、四郎左衛門が出迎えまして、久蔵は花魁の部屋へ通される。先生の方は、ここまで来れば用はございません、お茶屋に引き返えす。
 ただきょときょと見廻しているだけで、ぽオ。となっちまった。と、番頭新造というものがそこィ入って来まして、
「お大尽、御寝(ぎょし)なりまし」
「ぎょしなりまし? なんです?」
「寝なまし」
「ねなまし? はアはア……どちらイ寝なます?」
「どうぞあれへ」
 見ると、高さ四、五尺はあろうかという絹の夜具が敷いてある。どうやって上ろうかってんで思案にくれておりますってえと、そこへ禿に手を曳かれた高尾が入ってまいりました。
 ここで引付けの盃や煙管のやりとりなどがございます。さて、いよいよお引けってえことになりまして、高尾と久蔵の二人だけとなります。
「主はよう来なんした。今度はいつ来てくんなます?」
 いつ来るかっていわれても、いくら紺屋の職人だって、あさってたァいえません。べそをかいたと思ったら、泣き出した。驚いたのァ高尾太夫。この人ア、四代目とも五代目ともいわれておりますが、高尾を継いだ中でも一番美しく、生まれも良く、才媛で、しかも素直でやさしいという、申し分ない人でございましたそうで、
「どうしなんした? おなかでも痛うざますか」
「へえ、いえ、そうじゃねえんで。今度来られるなア、三年経ってからなんでして、それを思うと」
「三年? なんぞ仔細がありなんすか? わちきに聞かせてくんなまし」
「へえ……実ァあっしァ紺屋の職人でござんして、三年前に花魁を見染めてからってえものは、仕事が手につかねえ、だが花魁にやァ、傍にも寄れねえっていわれたんで、いっそ死んじまおうと思ったら、あっしを今日ここィ連れてきてくれた、お玉が池の先生が、十両金ェ拵えたらきっと逢わしてやるからっていってくれたんで、お恥ずかしいが、あっしァ一年で三両しきゃ取れねえ。だが、花魁に逢えるんならってんで、三年間、ビタ一文使わねえで、ようやく九両溜った。そこイ親方が、よく辛抱したってんで一両くれたんで。親方はそん時、あと三年辛抱したら暖簾分けてやるって、いったんすが、それで溜めたんじゃねえっていったら、じゃア行って来いって。あっしが着物がねえってんで、着物から帯から、親方がまだ履いてねえ履物と、切り立ての褌、それに金入れまで、そっくり貸してくれたんで、こうしてお目にかかることが出来たんす。また来るにゃア三年稼がなくっちゃなりません、いや、稼ぐなア辛抱出来る                   ですが、そのうちにやア花魁がここィ居なくなりャ二度とお眼にかかれねえ、それを思うと悲しくってつい泣いてしめェやした」
 これを聞きました高尾、源平藤橘……四姓の人と枕をかわすいやしい身というのに、三年も想いつめてくれる情の深さに涙しまして、こういう実のある人につれ添っていたなら、生涯見捨てられることはなかろうと、
 「主、それは本当ざますか。わちきは来年の二月十五日に年期があけるんでざます。もし、わちきのようなものでも、女房にしてくださんすなら、主のところへたずねて行きたいんす」
 「へっ? 花魁が? あっしのかみさんに?」
 「拝みんす。どうかわちきを女房にしてくんなまし」
 「あ、ありがとうごぜえやす」
 「それなら、二度とここへ来てはなりんせん。今夜の勘定は、わちきがよいようにしておきまほう。主の持って来なんした十両は、親方の仰言るようにしなさんし」
 その夜は、馴染並みの扱いを受けまして、また逢うまでの形見の品を貰い、大門口まで送って貰いまして、意気鷹揚と店へ帰ってまいりました。
 それからまた真っ黒なって働きますうちに、その年も暮れ、翌年の二月十五日。
 吉兵衛の店先へ新しい四手駕籠がぴたりっと停まって、中から出てまいりましたなァ、髪をしっとりと丸髷に結い上げ、眉は剃ってうっすら青く形だけを残し、お召納戸に黒紋付姿の高尾太夫でございます。
 親方にしとやかに挨拶する口もとには、もう鉄漿をつけまして、
 「これはどうぞ久蔵さまへのおみやげでございます」
 と、花魁の方から持参金。
 ちょうど大伝馬町に手頃な店があるのを見つけた親方は、早速暖簾を分けてやりまして、高尾もまた、久蔵と、仲睦まじく、末長く暮らしたということで、紺屋高尾として後世までその名が残りました。
 まことに人の運命は計り知れないという、紺屋高尾の一席でございます。