2009年5月16日土曜日

大番1

連続テレビ小説といえば「おはなはん」、これは1966年の一年間放映。これで全国に名が通ったのが樫山文枝、ほんとうはこの役は森光子が演ずるはずだったが、運命の女神のいたづらで、森が乳腺炎、代役が樫山に、話の筋立てがよく、大当たり。視聴率は56・4%。脅威の大ヒットだ。
この連続テレビ小説の第一作が獅子文六の「娘と私」。これもいい味を出した。1961年の一年間テレビドラマ。この獅子は劇作家、九州中津の出身、当然同郷の大先輩の福沢門を叩き、慶応大学へ進学。業界小説の第一人者。その獅子が書いたのが「大番」株屋の話だ。これが実にいい味を出しているが、冗長な部分が多い。それを省略し圧縮したものを分割掲載。
大番 1
その年の八月二十八日は、ひどく暑い日で、日盛りの午後一時三十五分に、姫路発の鈍行列車が、東京駅へ入った時には、機関車も、汗みずくで、フーフーと呼吸を喘いでいた。
吏京へ着いたら、職を見つけるのは、造作もないだろうが、それにしても、誰かの世話になった方が早道だろうと、ふと、俵子長十郎の兄のことを思い山したのは、昨夜の汽車の中だった。
 長十郎の兄は、弁五郎といって、東京の日本橋のソバ屋で、働いてるという。ソバ屋という店は、鶴丸町にも、姫之宮市にもないが、ウドン屋のようなものであることは、弁五郎が帰省の時に、本人の口から聞いている。日本橋という場所の、そういう特殊な店で働いているからには、訪ねていけば、すぐわかると、思っていたのである。
 ところが、改札係りは、忙しそうに、「そういうことは、広場の交番で訊きなさい」と、次ぎの旅客の渡す切符に、手を出した。
 広場という語も、交番という語も、彼には、初耳であったが、そのとおり真似て、人に訊くと、駅前の巡査の立ってる場所に、辿りつくことができた。
「え?日本橋の橋かね?それとも、日本橋区かね?」若い巡査だったが、親切に、丑之前の相于になってくれた。
「さア、どがいですやろう」
「日本橋の橋だったら、わかりいいが、日本橋区となると、広いからね。せめて町名でもわからん限り、教えようがないよ」
「なんぼ、広うても、ソバ屋いうたら、すぐ、知れますらい。日本橋の方角を、教えてやんなせ」
「君、東京は、ソバ屋が、非常に多いんだよ。日本橋区だけだって、何百軒あるんだか、知れやしない。それだけの目当てで、訪ねていくのは、ムリだよ……。一体、君は、どこから、何の目的で……」と、巡査は、職務的な訊問を始めた、
 丑之助は、包み隠さず、一切を迷べた。所持金が、八十幾銭ということまで、話したが、家出の原因だけは、ボカして置いた。
「君のような、無鉄砲な男が、時々やってきて、交番を困らせるんだ。どうだね、旅費は、何とかしてやるから、このまま、郷里へ帰らんかね。.肉親も、心配してるだろうし、第一、東京で宿無しになったら、どんな人間でも、不良化するからな。警察の厄介にならんうちに、郷里へ帰り給え……」と、型のような説諭が、始まったが、この陽気な家出人には、無効だった。
 「そがい、いいなはらずと、せっかく東京へ出てきたのですけん、早う教えてやんなせ」
 丑之助は、確信を捨てなかった。日本橋、ソバ屋、俵子弁五郎と三つの条件が備わっているのに、いかに東京が広いといっても、目的を達しない道理がないと、考えていた。百軒近いソバ屋を歩いたが、今日探せなければ野宿してまた、明日探せばいいと考えていた。茅場町裏のあるソバ屋へ入った時に、天プラでも揚げてるのか、芳香が特に烈しく、彼は、まったく抵抗を失い、弁五郎を訊ねることも忘れて、ベッタリ、椅子の上へ、腰を下してしまった。
「入らっしやい」女中が、注文を聞きにきた。
「ウドン、一杯、やんなせ」
「おウドンは、何に致します」
「何でも、かんまんです、十銭のを」
 彼は、ソバ謎を歴訪してる間に、もりかけ十銭という字を、どこの店でも見ていた。
 運ばれたウドンかけを、彼は、驚くべき速さで、食べた。なんという美味であるか。汁まで全部吸ったが、とても、一杯では、我慢ができなかった。三杯、統けて、丼をカラにした。
 八十銭あるわ。もう一杯食べても、何とかなろうわい。
 四杯目を、注文した時に、人ロから、積み上げた空のセイロを片手に、ハチマキをした出前指持ちが、帰ってきた。
「オータ(喘きの間投詞)、あんた、弁五郎はんやないかい!」
 丑之肋は、イスを撥ね飛ばして、立ち上った。
 丑之助は、勝利を味わった。
 見なはれ、やっと見んけれア、わからんもんや。わしア、弁五郎を探し当てたやないか。
 誰にともなく、彼は、心の中で叫んだ。
 ところが、やっと採しあてた俵子弁五郎は、帳場で眼を光らせてる、主人の手前もあるのか、至って非友情的な態度で、
 「お前や、何しに、東京へきよったんぞ」
 と、頭ごなしに、叱りつけた。
 丑之肋は、一向に怯まず、頗る人に会った嬉しさを、満面に表わしながら、大きな声で、出奔の顛末を、話し始めた。ソバ屋の店先きとしては、異様極まる風景だから、二、三の客も、女中さんも、忍び笑いをして、見物している。
「おい、弁どん……」
 果して、帳場に坐ってる主人から、声が掛った。
「お客様のご迷惑だぜ。そんな話しは、裏へ行ってしなさい」
 弁五郎は、ソレ見ろという顔つきで、シブシブ、丑之助を連れて、裏口へ回り、釜場の熱気が、ムーッと流れてくる路地で、立ち話を始めた。
 「なんちゅう、トッポ作かいね。アテもなしに、国を飛び出してきよって……東京はな、今ひどい不景気やけん、職なぞありはせんぞ。量見変えて、早よ、国へ戻れ」
 俵子弁五郎のいうことは、結局、東京駅前の巡査と、同じなのである。
「そがいにいわんで、この店でええから、わしが働けるように、頼んでやんなせ」
 「いけんてや。お前のような田舎者が、自転車乗って、よう出前に歩けやせんわい」
「それでも、弁やんも、最初は、田舎やッつろ」
 丑之助も、負けていなかった。ウドンを三杯食ってから、一層、腹がすわってきたような、気分なのである。
「とにかく、わしア、お前の世話はできん、国へ戻れや」
「ほたら、職は自分で探すけん、それまで、ここへ泊めてやれんなせ」
「阿呆やな。そんな勝手が、雇い人のわしにでくると思うとるんか」
 丑之助のネバリが強いので、弁五郎も、声高に、争ってると、
「弁ちゃ,ん、ザル三つに、冷麦一つ、大急ぎで、xxさん……」
 と、女中が、出前を命じにきた。
「おい、ほんまに、量見変えないけんぜ」
 弁五郎が、店の方へ、立ち去った後で、さすがの丑之助も、これは、容易ならぬ事態が生まれたと、考えずにいられなかった。
 弁五郎、頼むに足らず。
 あの様子では、全然、丑之助を庇護しようとする意志が、ないらしい。彼も、東京へ出るうちに、すっかり、郷土愛を失ってしまったにちがいない。そんな男にすがっても、無益である。この上は、頼める人といったら、東京駅前の巡査だけである。あの巡査も、彼に帰郷を勧めるだろうが、既に販京の上を踏んでるのに、オメオメ、国へ帰ることはない。その決心を、あの巡査に話して、何とか、職業の道をつけてもらおう―
 そう思って、再び、東京駅へ引き返すべく、ズックのカバンを、肩にかけた時に、
 「あの、ちょいと……旦那さんが、あんたを呼んでますよ」
 と、また、女中が、姿を現わした。
 あ、そうか。
 彼は、先刻のウドンの代を、まだ払ってないことに気がついた。その勘定を、催促してきたにちがいない。こうなると、夢中で食ったウドン三杯の代金が、惜しまれるが、今更、仕方がない。
 女中に導かれて、熱い釜前を通り抜けると、帳場にたってる畳敷きがあって、そこに、主人が坐っていた。
「お前さん、何かい、東京で働きたくて、国を飛び出してきなすったのかい?」
 彼は、丑之助の頭から足の先きまで、ジロジロながめながら、訊いた。
 「はい、そうだすらい」
 「体は、丈夫そうだね」
 「はい、病気は知らんですらい」
 「年は、いくつ?」
 「十八だすらい」
 「どうだね、一所懸命、働く気があるかい」
 「はい、働くことやったら……」
 丑之助の瞳が、明るくなった、ソバ屋の主人は、どうやら、彼を雇い人れる気があるらしい。
「弁五郎に負けんで、働きますけん、どうぞ、使うてやんなせ」
「いや、あたしの家は、人手が足りてるんだ。お顧客さんから、小僧を一人頼まれてるんだがね。太田屋さんという株屋だが、大変、用の多い家だよ」
 「用の多いのは、かんまんですが、カブ屋ちゅうのは、何商売だすかいな」
 これには、ソバ屋の主人も、苦笑したが、さて、一口には説明がつかないのに、弱った。近代資本土義の申し子なんて、言葉を、彼は知らない。
「別に、悪い商売じゃないよ。まア、住み込んでみれば、わかるさ。といって、お前さんの仕事は、商売と関係はないんだ。店の掃除と、使い走りの小僧が、欲しいというんだからね」
「それやったら、一所懸命やります。あんた、さっち(是非)世話してやんなせや」
 丑之助は、顛を、ぺこぺこ下げ、そして、懐中に手を入れ、
「先刻のウドン、なんぼだすかいな、お払い申しますけん」
 と、ご機嫌をとるような声を出したが、
「お前さんから、金もとれないよ」と、主人は、横を向いた。
 そこへ、弁五郎が、出前から、帰ってきた。
「お前、こがいな所へ入り込んで、何ぞ」
 と、彼は、丑之助を叱りつけたが、主人は、
「そう、ガミガミいうもんじゃない。国の者の面倒は、見てやるもんだよ……。ところで、弁どん、坂本町の太田屋さんから、小僧を頼まれてるから、この人を世話しようと思うんだがね、あすこの旦耶が、お宅へ帰らないうちがいい、すぐ、連れてってやらないか……」
 その夕から、丑之助は、坂本町の現物店、太田屋に住み込む身となったのである。
 ほんとに、運のいい、丑之助だった。家出人が、東京へ着いて、その日のうちに、職にありつくなんて、滅多にあることではない。それというのも、日本橋区のソバ屋を、一軒一軒、尋ねて歩こうという根気に、運の神様も、根負けがしたのかも知れない。そして、頼りにした弁五郎が、意外に薄情だったことも、彼の好運に味方した。ソバ屋万久庵の主人も、弁五郎が普通の友情を示していたら、惻隠の情なぞ、起しはしなかったろう。
 そして、丑之助が、微々たる現物屋であるが、とにかく、株というものを扱う店に、ワーンジを脱いだということが、生涯の運勢に、関係することになったのである。
彼が、最初の奉公を、乾物屋とか、履物店とかで、始めたとしたら、恐らく、この小説は、生まれなかったと、考えられる。
 しかし、その晩の丑之助が、維からもチヤホヤされた、というわけでもなかった。
 「よし、置いてやるよ。ただし、月給は、五円しかやらないよ」
 太田屋の主人は、ゴマ塩の頭を、角刈りした男だったが、ロクロク、丑之助の身許も訊かないで、雇い入れをきめてしまった。まるで、駄犬でも、飼う時のような態度だった。
 五円の月給というのは、当時としても、低額に過ぎた。女中さんでも、七、八円から、十円の給料だったのである。しかし、そういう相場を知らない丑之助は、何の不服も、感じなかった。知っていたとしても、彼は、東京で、自分を雇ってくれる人に対して恩恵を感じたろう。
「それから、誰か、この男を、湯に連れてってやらないか。何だか、少し、臭うよ、この男は」
 主人は、本宅へ帰るために、履物へ足を下しながら、ニコリともしないで、そういった、店の者たちは、声を揚げて、ドッと、笑った。
 その時から、丑之助に対する軽蔑が、始まった。
「名前、何てえの?」
「赤羽丑之助だすらい」
「国は?」
「四国だすらい」
「モのダスライっていうの、やめねえか。気になっていけねえよ」ゝ
「やめますらい」
「まだ、やってやがら………君、万久庵の弁公の友達らしいな」
「友達の兄だすらい」
「何でもいいや。これから、弁公が働定とりにきても、おれの分は催促しないように、頼んでおくれよ」
「そら、いけんですらい、そがいなことは……」
 やがて、彼は、新どんという一番若い小僧と、銭湯ヘやられた。あんな大きな浴場も、風呂桶も、見たことがなかった。鶴丸町の森家の湯殿を覗いて、立派なのに、ビックリしたことがあるが、その比ではなかった。東京の偉大さを、痛感しないではいられなかった。
「おい、君、氷水飲んでいこう」
 新どんは、氷屋の前を通ると、丑之助を誘った。
「いや、わしは……」
 彼も、一日歩き回って、湯に入ったので、喉がカラカラだが、所持金のことを考えた。
「いいよ、オゴってやるよ」
 新どんは、事もなげにいった。
 二人は、氷アズキを、一杯ずつ食べた。
「わしァ、こがいにウマい氷水を、始めて、食べよりました」
 丑之助は、お世辞でなく、感想を述べた。
「驚いたね、君の国にァ、氷アズキないのかい。じゃア、今度、アイスクリーム、食わしてやらア。この方が、もっと、うめえよ」
 勘定を払う時に、新どんは、小僧服のポケットから、ジャラジャラと、五十銭銀貨をつかみ出して、その一枚を、抜き出した。丑之助は、横眼で、それを見ていて、ドキリとした。
 新どんの年齢は、彼と同じぐらいらしいし、店員のうちの最下位らしいが、それなのに、こんなに、金を持っていて、惜しげもなく、彼に氷水をオゴってくれた。察するところ、よほど、収入があるのだろう。彼の給料は、五円ときまったが、新どんの方は、五十円ぐらい貰ってるにちがいないと、羨ましかった。
 店へ帰ると、大勢いた店員の姿が見えず、残ってるのは、新どんより、少し年上に見える小僧一人だった。
「由どん、鈴木さんや、松本さん、もう帰っちゃったの」
 新どんが、訊いた。
「ああ、みんな、オタノシミだよ。おれは、このところ、大曲り(相場で損をすること)だから、店で飯を食うより仕方がねえや」由どんという小僧も、黒いセルの小僧服を着ていたが、上着は、脱いでいた。どうやら、小僧は、この二人らしく、以前、三人いたのを丑之助で、補充するのであろう。
 いつか、日が暮れて、飯時になった。店の片隅に、チャブ台が置かれ、サバの煮たのと、香の物だけが列んでいた。六十ぐらいの爺さんが、炊事の世話をして、女気はないらしかった。
 丑之助は、二人の間に畏まって、座を占めたが、飯を食い如めると、職を見つけて、安心したせいか、実にウマかった。汽車弁の白米も、ウマかったが、大きな飯ビツに充満している米粒の味は、また別だった。先刻、ウドンかけを、三杯も食ったのに、いくらでも入った。
 翌日から、丑之助は、丑どんになり、小僧の制服を着る身となった。 冬は紺のヘル地、夏は黒いセルの詰襟服で、黒いボタンがついてる。大会社の給仕の服だが、それを、株屋街の小僧さんに、数年前から、一斉に着用させるようになったのも、震災後の興隆気分と、何か関係があったかも知れない。それ以前は、角帯前垂れ姿で、呉服屋の小僧さんと、何の変りもなかった。続