2009年4月18日土曜日

奥南新報続

三戸の昨今
松十旅館の改良
昨今諸事改良加え勉強と誠実を旨とするより投客の気受け頗る良好なりと

八戸町会議員名寄帳
今淵正苗氏
今淵さんは医者だと言い、高利貸しだと言い、湯屋の亭主になったとまで言う、それもそのはずか、何時先生の前を通ってみても看板が真っ黒になってしまっていて医院とも診療所とも読まれぬ、それは患者も薬収も見えたことがない、一方には大分お金を貸し出し召される、高利の事とて貸す方にも借りる方にもそれ相応の無理も魂胆もあるものと見えて始終刑事沙汰が絶えぬ、我々も其の手練手管を聞いてはいないが滅多には明かさぬ、この事実からして今淵さんが医者から高利屋に転業したと思うのは全く以って無理もないけれど僕が名寄帳を作るについて調べた所によれば正に金貸しを営んではござるが医者も其のまましてござる、昔から医は仁術と言う、その仁術の看板揚げた表には日がな一日人っ子一人寄りつかないで、血を吸い肉を殺ぐような裏手の高利屋が爪も立たぬ程な繁盛とはそもそも浮世は不思議なもの、裏と表とは元より反対に相違なけれどこれほど違った両面を一っ胸で使い分けるとは到底事実が合点せぬゆえ気に叶った一方のみ発達するのは当たり前のことならずや、ヨシヨシ分かった、そもそも湯屋の亭主とは如何、それにも曰く因縁があれど(以下不明)
を以って推されたる一人なりしが廃校後上京して医科大学中の別科生となり業卒って郷に帰り開業以って今日まで経るが先生は斯道における学術経歴共に奥南医界の牛耳をとるに足るのみか其の豪儀の気性と不屈の意思とに至っては更に歓称すべきものあり、僕が初手からして先生と崇めるのも単に医者だからばかりでない所が思いきや、それが高利貸しの方へ発展しようとはだ、併し其の所が先生のことだから大に貯めるは大に散ぜんが為かも知れぬ未だにわかに非難するべきでないと思う
(以下略)
○三本木通信
当村において最も信用ある各種を挙げれば益川呉服店を首めとし酒造家は三浦由竹、小間物屋は川崎新兵衛、請負師は南専松、金貸し業は大竹久八、医院は佐竹左門、菓子店は中島曙庵、貸し座敷は福遊楼の島田某、料理屋は三輪兵太郎、写真師は○原某、侠客は中村倉松、米やは三浦友次郎、豆腐屋は菊池茂、湯屋は佐々木クラ(以下不明)
八戸町会議員名寄帳
石橋源三郎
同じ石でも玉につく石もあれば瓦にも劣る石もある、石橋叩いて渡ると言えば至って堅いはずなるに其の実は焼け石ボロボロ箸にも棒にもかからぬ代物ありとぞ、同じ石族の中にも石橋源三郎と呼ぶ軽石みたような浮かれ男はあれは全体とうの昔、小中野へ男妾に住み込んだと聞いていたに驚いた、驚いた、町会議員とは驚いた、初めてそう聞いた時は定めし何かの間違いであろう、小中野廓内に日曜会とか呼ぶ四角張った名前の売女団体があるそうだからその役員でも為ったと思うたに、これは案外千万なるご出世、去るにても刷新凄まじくかかる名議員達を吹き集めて何事の誤相談召さるにや、八戸も段々道化てきていずれ其のうちには役場からエンブリでも出るように刷新するであろう、その時はこれらの人も満更役に立たぬでもあるまい、源ちゃんは第一背器量がいい、さしづめ藤九郎という役目だ、老後の思い出に一踊り踊るもこの上のご名誉であろう、ただしこれは未来のことだ、何かさし当たっての仕事があるまいか、あるある、好いのがある、写真を撮ることを知っている、先ず町会議員を一人一人撮影させて芸者なみに技術の標本とてもして「はちのへ新聞」に掲げることは当人も議場で口を叩くよりかお易い御用であって掲げられた仲間が嬉しがっておまけに新聞が一段と器量を上げるに極まったり、唐にも天竺にもこんな妙案が又あるべきやは、傍聴席の我々も大いに頗る賛成申す、右の次第でこの先生八戸には滅多にいないが、それでも何時の間にか、男の子を三人までも拵えた長男は或る料理屋が蝶よ花よと育て上げたる娘を孕ませた、さすがにおれの子だと喜ぶかと思いの外の大立腹で手を切らせた、己目の前に実行を見せ置きながら親の真似をしたとて怒るとは甚だ聞こえぬ理屈だが次男も三男も家の金銭を持ち出して女と賭博に使い捨てたことはいくら 「はちのへ新聞」に頼んで奥南を虚報呼ばわりしても打ち消し難き事実である、結構でござらぬか、親に似ぬ子は鬼っことさえいう「お前によう似たやや生んだ」カカアからして誉めねばなるまい、豪傑の子多くは豪傑にならざるに反して放蕩者の息子を立派な放蕩者に仕立てるとはなかなか人の及ばぬ所、ハハア議員になる値打ちはこの辺にてもあるのか畢竟実物教育の効験恐ろしや恐ろしや
○愛国婦人会当町有志の義捐金募集
金一円柏崎新町正部家キヨ、金五十銭二十三日町金子キク、八日町藤田ミ子、金三十銭番町武藤ナホ、二十三日町藤井ミ子、同藤井カク、長横町西舘ノブ、山伏小路柳川テル、八日町大岡リヨ、金二十銭十三日町中村サイ、同中村カク、同村井トミ、同大橋トメ、荒町西川トメ、同下斗米トラ、同吉田コト、同滝沢リチ、同滝沢スエ、糠塚大原ヤエ、六日町岩岡フジノ、同小野寺ツキ、長横町西舘マス、同高木リキ、朔日町古内フク、同松館ミナ、十一日町広田トク、同田村キヨ、同西舘エキ、下大工町羽生ミドリ、同石橋カシ、柏崎新町接待ナツ、類家白井シゲ、同吉川ソノ、二十六日町大久保コト、三日町橋本トク、大工町杉村キン、田代村小野寺イシ、八日町米川フジ、二十八日町石橋トヨ、金十五銭六日町岩岡コノ、同岩岡アサ、金十銭八幡町井上マス、同植村ミワ、鳥谷部町佐藤ツユ、同岩崎カナ、十三日町加藤ハマ、同三上トキ、同高橋ムラ、同高橋トク、同大橋ヤス、同加藤カ子、同林タキ、同林ミセ、同安藤アヤ、同大橋トヨ、同八田ユミ、荒町福井カ子、同更沢カ子、同下斗米ハツ、同大島ミチ、同川口トク、金十銭荒町島守ツル、同船場トラ、新荒町八田セン、同大久保マツ、同北村イツ、同大野ソノ、同斉藤イワ、同斉藤ミヨ、同三井ヒサ、徒士町鈴木セイ、稲荷町山崎ウタ、同稲城タカ、同稲城ヨノ、上組町大久保トミ、長横町木村クラ、同江刺リエ、朔日町大山ヨシ、同宮本サト、十一日町石橋まさ、下大工町高橋ナヨ、柏崎新町玉内チャウ、同久水リエ、岩泉町楢舘 ナカ、番町小野寺スカ、同大村スエ、山伏小路寺井ミ子、同折壁トウ、鍛冶町岩崎イツ、同扇藤スエ、同上野トク、大工町高橋イシ、同松宮トミ、同安藤キイウ、同松村キヨ、類家工藤リセ、同工藤キサ、糠塚河合トヨ、六日町工藤ハル、二十三日町大久保イシ、下組町名久井チヨ、同安藤キク、同牧野ヨシ、同下斗米スエ、同河原木サダ、八日町小笠原タ子、同稲田スエ、同荒木田フク、三日町村井ヤヨ、十八日町桑原ヒデ、番町楢舘ツナ、上徒士町都築テル、町組町西久保ナカ、金五銭十三日町村井カヨ、新荒町根城サヨ、本徒士町稲葉ミチ、下大工町杉山ハル、長横町滝沢チヨ、山伏小路神山ヤエ、三日町中里ナカ、下組町千葉キン、同千葉スエ、鍛冶町久慈トク、
○前浜遭難溺死者弔慰金寄付人名簿
佐々木馬吉、猪内孝三郎、久保沢三郎、熊野石太郎、林岩松、清水三郎、荒川三郎、佐々木市三郎、軒申松、松田成松、富田忠次郎、磯谷熊吉、富田長治郎、株五郎、荒川岩松、清水松三郎、富田丑松、富田由松、柾谷宇之松、伊保内寅之助、佐々木金蔵、佐々木寅之助、佐々木熊太郎、浜田弁吉、佐々木孫三郎、佐々木元太郎、浜浦八太郎、沼田岩松、佐々木孫市、寺戸直太郎、新町三太郎、佐々木石松、佐々木ふく、山内丑松、小林藤松、佐々木寅吉、荒川吉五郎、佐々木三郎、南五郎、磯谷甚太郎、磯谷仁蔵、佐々木千之助、磯谷由松、山内與吉、高橋初太郎、清水八十八、佐々木末吉、清水丑松、清水菊冶、清水兼松、清水三郎、鍋島五郎、清水三之助
○八戸町会議員名寄帳
石橋万冶
石橋家は八戸町の旧家たると同時に名族である、したがって人物も輩出したが近代に於いては先ず万冶氏を推さねばならぬ、宗家の寿備翁は飄逸高雅の人であったが常に「我が一門中幸いに万冶のあるを以って我徒を代表せしむるに足る」と人に語られた翁の明鑑宏量も又称すべきである
石橋万冶氏は町会議員中最も長く勤続しつつある且つ郡会議員もしたり県会議員ともなられた人である、実業方面に於いてはこれまた長年の間階上銀行の重役をも兼ねられた事がある、そうしてこの節は家政をば令嗣直三郎氏に任ぜられて自分は徒士町の別邸に専ら養蚕を事としておられる、氏は斯業を以って地方開発上重要なる事業の一として身をもって之に当たらるので、氏が出るにも入るにも常に地方公益の為に心を致さるるのは今更の事ではないが他にあっては安逸を貪るべき位地を以っては事業の為に老いの将に至らんとするを忘れらるるとは宜しく多とするべき所である、氏の如きは実に政治方面に対しては八戸町の元老と称すべきである
氏は性質沈重温厚しかも内に毅然として侵すべからざるの精神気魄を蔵せらる、他に対して任せらる限り任せる、譲られるだけ譲る、しかも其の限度を超えるに至っては断じて許さぬ、氏の政派を起こせる乃至選挙を争えるもの詮なしこれはみなこの精神の実現に外ならぬ、かつて土曜会の企てあるや氏実に発起者の一人にてありき、しかるに創立総会において気に食わぬ会員を名簿から除きおきて退場を迫るの狂態を演じせしよりさすが温厚の氏も別に公民会なるものを設けて一旗幟を立てるのやむべからざるには至れりき、しかして氏は該会領袖の一人として概会の益々隆盛に赴くと共に氏の名声も亦愈々重きを内外に加えたりき、氏は元より自ら陳頭に立って華々しく剣戚を振るう所の戦士ではない、しかしながら枢機に参して大体を案じ作戦の計画をめぐらすについては頗る大切なる名将である
○六ヶ所村通信
山役人の休職
野辺地小林区署当平沼保護区詰なる森林主事菅英氏は昨年六月中より隣村甲地村長者久保保護区を兼任することなり爾来両村を受け持ちおりしが先般青森地方裁判所において官印盗用森林窃盗の罪名の許に重禁固一年半の処罰を受けたる天間林村榎林千葉三郎との間に該事件に付如何わしき風説ありしが、それかあらぬか本月中旬に文官文限令により休職を命ぜられたり

2009年4月17日金曜日

奥南新報

阪本安太郎氏と鍛業
八戸二十八日町鍛工なる同氏は久しく斯業界に雄視つつあるは世の知る所なるが今を去る十八、九年前地方に於ける製軸業の勃興せる時に当たり右に用いる刻み機械の破損することあるも修繕に応ずる鍛工なきより往々事業の進捗を妨げる概し自ら神戸に至りて完全なる「ダライ」盤を購求すると共になお其業を暦修別に自宅裏手に該工場を設けしより歯車その他要部の修繕等に至る迄差し支えなく注文に応じ得られる事となりしかば他に便益を与えること多大にして地方の機器修繕並び新製は挙げて同氏の一手に帰するの盛運を開きたり日々使用せる熟練の職工を合して十数名に達するの外渡り職人の来たりて使役を乞う者少なからざるも役に立つ者は十中一人位にして幾んと信用し難たし中には田舎鍛冶屋と軽蔑して法螺を吹きたて「ダライ」盤の使用方法も知らずして巧者ぶり、論より証拠実地に掛けて試験するに大へまをやらかし道具を破損して逃げ出す者などありて容易に口車に乗られざるが多しとぞ、古名工が鎚の音を聞きて精妙を悟りしと同じく氏も鎚打ちや「ダライ」盤運転の響きによりて直にその職工の技量と機械の具合を識別することが容易に出来得るというに徴するもまた斯業に熱心にして深き興味を有するを知るべし氏の如きもと平鍛冶より叩き上げて今日の盛運を開くに至るまた尋常の腕前ならずと言うべし
○軽米岩岡商店の近況 同店は開店以来頗る繁盛しつつおるが来る旧二十七日より正月七日まで十日間景品付大売出しをなす由
和洋小間物陶器漆器硝子器雑貨
文房具運動器撃剣道具一手販売
ランギペン一手特約販売
陸奥国八戸三日町
関野重三郎
荷札弊店製造紙製ツエ
キハ価低廉ニシテ頗ル便利也
見本ハ御申込次第進呈
八戸二十三日
伊藤荷札店
八戸三日町
片岸元吉
石油硝子器類
洋釘類
諸紙類
畳表類
その他種々

弊店販売の時計及び付属品双眼鏡望遠鏡眼鏡その他諸機械類は構造精巧堅牢なり
弊店は誠実を旨とし廉価にて販売す
弊店は御需に応じ入念精密に修繕す
白銅皮中形二円半、本銀片硝子アンタル六円四十銭、同両蓋八円、七日巻き十円、本メリケン小型中型十七、八円、その他新型時計種々ボンボン時計小型二円八十銭、三円、三円半、四円その他種々
八戸番町停車場通り
前原時計店
各湯屋備え付けの時計は時間正確に致し置き候

八戸町大字堀端三番地
横沢新太郎
改良亀の井
銘酒千とせ
官塩元売捌所

本紙一枚一銭五厘
一ヶ月定価十銭
郵税一枚当たり五厘
毎月十回発行
広告料 五号活字十七字一行一回金五銭五回以上金四銭、特別広告料は通常料金の三割増し、いずれも前金
発行人 近藤喜衛
編集人 関向堅吾
印刷人 石原義衛
陸奥国三戸郡八戸町大字堀端三番地
発行所 奥南新報社

○屋根転落して頓死
三戸郡地引村大字苫米地五十七番地平民大工職夏堀源松は去る一日午後二時頃自宅細工場に於いて工事に従事中雪のため屋根転落し頭部を強く打たれ鼻耳口より出血甚だしく直に医師の診察を受けたるも遂に午後四時頃死亡したりと
○八戸精米所の開設
八日町吉田三郎兵衛氏は今回自家所有の下番町敷地に精米場を開設し昨今しきりに運転しつつあり

○何ぞ暴慢なる
大日本捕鯨会社が極力怪運動を試みたる屠鯨所設置の出願は、公共に害ある故を以って不許可に帰したるに関わらず、走狗的奸輩はあくまで○欲を逞しうせんとし、更に恵比須浜の私有地を選定し、屠鯨所を設置するに意ありと伝う、真否未だにわかに断じ難しといえども万一拠ある風説なりとせんか、何ぞそれ暴慢にして、公利公益を無視するの甚だしきや
彼奸輩等の主張する所によれば、地方庁が不許可を与えたるは、官有地に係れるに由るも、別に私有地を選定し設置する以上、何等容啄の権能なしと、是れ所謂鈴を盗んで耳を覆うの類に外ならず、縦令私有地たりといえども、苟くも公利公益に妨害ありと認める以上、地方庁は行政の職権を以って、十分これを制裁するの機能あること無論なり、いわんや衛生上公共上公安上に妨害ありと認めるに於いておや、いわんや地方庁が与えたる不許可の理由は、彼奸輩等の解釈するがごとき狭義的の理由にあらずして、きわめて広義的な範囲を有するに於いておや
地方庁己に認めて公共に害ありと為し、又地方一般一致して之を否認す、彼奸輩等如何に三百的口吻を弄し、かつ如何に一部の臭類誘惑するも、其の目的を実現せんこと断じて不可能なるべし、もしあくまで公益を軽視し、暴慢を逞しくする如きあらば、関係漁民の公憤は斉しく発して再び紛擾を激成せんこと必然なり、一片地方公益を尊重するの意ありとせば、須らく猛省自抑する所なかるべからず
○文明の利器は国家経済の基
手間少なき人自炊者等に最も適すマッチ一本にて点火すれば直に強熱を発す無煙無臭一点の臭なく飯湯魚肉を煮炙る等即座に弁じ誠に文明の利器賞賛の外なし
一枡の水沸騰十分間     石油一厘代
一枡の飯炊き上げ二十分間  石油二厘代
定価 二円半より六円位
官許度量衡器販売所
米田金物商会
八戸町三日町
会主 米田宇兵衛
営業部主任 米田善三郎

本社は各高級技師諸士の名誉社員を有す
本社は缶詰製造上設計及び見積もり等惣てのご依頼に応ず
本社は缶詰製造上に付十数年来の経験を有す
八戸実業缶詰工社
社長米田宇兵衛
副社長高橋吉助
理事八田宇吉
  志賀十二
  吉田紋次郎
  米田善三郎
  米内山健助
八戸町大字窪町四番地
珍菓特約販売広告
月ヶ瀬乃梅
臥龍梅
園の薫
都の誉
右四菓子は衛生上有益の原料品のみを混合し調整方丹精工夫をこらしたるものなれば永く貯蔵にたえかつ体裁優美にしてご進物として最適当也依て地方販売方を三井商店に一手特約仕候間沢山御用命仰せ付け被下度奉希上候敬白
東京市京橋区入船町二丁目
菓子製造販売商 古市本舗
陸奥八戸新荒町
地方一手特約販売商 三井惣助
八戸三日町 菓子商 松橋貞吉
  十八日町 菓子商 藤源福蔵
  湊新町  勉強堂 中島新太郎
  湊浦町  花月堂 山内初太郎
  白銀       大橋留吉
○新流行新柄
教員学生服
八戸二十三日町 浅沼裁縫店
○表具師 八戸十六日町 中島嘉吉
○クリーム石鹸 代理店
八戸二十三日町 工藤伝三郎
○種油製造業
煉油類
肥料製造販売
陸奥八戸三日町
橋本和吉
○八戸町会議員名寄帳
小山田定弥氏
氏少壮東都に遊学して法律を修めたり、すでにこの素養あり、思慮綿密にして挙措苟しくもせざる○る処ありというべし、家代々富裕なれども驕らず高ぶらずさりとて理義を重んじ人情に厚く公益慈善の為には常に相応の出金を惜しみたることなし、他にあっては己を奉ずること奢侈にして他を待つに卑吝を極むの者滔々皆是なる間に立って、己を持する頗る厳に反って他に対して寛容なるは何人といえども感服せざる能はざるところなり、氏は金持ちにも似合わずハイカラ式を好まねば未だかつて自転車に乗らずといえども義理と褌を欠きたる例なく、世の中には役人とさえ聞けばどんな小役人へでも手摺骨拝しながら立派な独立の人間、威張りたがる者あれど、氏は全く違って、ヘッポコ官吏などへペコペコお辞儀せぬ替りにどんな人でも粗末にせぬ、心の呵責に神経昂ぶり夜もロクロク眠れぬ者ありというに、心広く体ゆたかにゆっくり安眠できる故モルヒネを呑む必要なく心身共に愈々壮健なるは重畳の至というべし、
天は満るを欠く厳父久しく病床に呻吟せらる、氏もとより至孝かかりしより此の方出て遠く遊ばず常に傍らに待して家事を見るの外他を顧りみず、昨年県会議員の改選に際し衆望に背いて強いて候補たるを辞したるもこれが為めなりと聞こえにき、氏既に父母に其の孝其の骨肉に対する友情慈愛知るべきのみ、試みに氏の家庭を訪れば、春は即ち梅花香り、秋は即ち菊花薫る、満堂の和気人をして欣美に堪えさらしむ
氏の性格おおよそ上述のごとくなるが上に氏は実業に熱心にしてなかんづく牛馬改良のために貢献せるもの年あり其の功績の漸く顕著なるは世人の熟知せる処なるを信ず、今や我が町会は刷新剤の中毒に依って身体不自由となりたれば町政などはこの末如何になり行くも知るべからず、頼むは神様仏様よりも先ず以って氏の如き資望あり手腕あり抱負あり誠意ある所の諸氏のみ、町民の禍福一に諸氏肩上係れり、別して氏は春秋に富む、庶幾くは我が八戸町為に否国家の為に原頭の老杉、巌角の古松厭はるる勿れ、至嘱々々

2009年4月16日木曜日

BeFMの終焉は自身の体質改善が出来ないため

落語の巨匠、五代目古今亭 志ん生って人が得意な枕がある。昔へびってのには名前がなかった。皆でなんだこいつァ、のたのたはいずりまわってやがって、妙じゃねえか、まるで屁のようなやつだ、屁だ屁だっているうちにこいつがビーって……。どうした話じゃないが、語ると芸だから実に味があった。
 ビーエフエムの話だ。こいつらがボタンの掛け違いをして、広域で許可を取らず、目先の欲で八戸単独で許可をとった。この先棒を担いだ奴が塚原。その後棒が河村で米屋の社長だ。昨日、この河村に逢った。塚原は葬式で来ない。自分の葬式じゃこれるはずもないが、そうではなかろう。
 散々にビーエフエムのことを書いてくれたが、それを読んだ人が全国のミニFMの防災面の活躍を教示してくれた。知らないことが沢山あった。これらの防災情報を積極的に展開すれば、八戸圏域には福音になる。今回の水道企業団の断水は人災、これの広報活動で1741万円消費した。応分の負担を県に求めると言うが、これは県だけに見当違いだ。これはそのうち解説する。
 さて、ビーエフエムだが、一旦緩急あれば広報活動には巨額な金が動く。防災システムが八戸圏域で一番遅れているのが今回の断水で露呈した。これを補うには新規設備だと役所は張り切る。デジタル化して10億円を防災無線につぎ込むというが、もっと安価で市民のためになるのがFM放送だ。これを生かす手がないかと思案。「はちのへ今昔」が当初考えた広域情報を流すなら、毎年三千万円を集められる、この金でビーエフエムを再建できないかと河村にあった。塚原は広域放送はできない一点張りだからだ。
 自身の考えを捨て、市民のためを優先するべきだが、知恵の足りない奴は得てしてこんなもんだ。これしかできない、これが最善だと思い込む。誰が? 自身がだ。だから人の話が耳鼻に入らない。愚かだ。他人の意見、それも行政の支援を得ないと立たない鼎の足が一本欠けたような現在のビーエフエム。自身で立とうとするなら、手段方法があろう。できないを言い続ければ、消える以外には手がない。五年前に塚原に言ってくれた。ビーエフエムを面白い放送にするにはお前自身が変わらなければダメだと。人間は無限の可能性に満ちる。だから毎日が面白い。ところが、自身の周りに垣根を張れば、自身が穴に落ちるのサ。
 役所もビーエフエムの体質が変わらなければ毎年五百万の補助はしないという。ビーエフエムに言わせれば放送料だというが、実際は補助だ。補助金はそれなりの使途を明確にすべきだ。商工会議所のような妾の手当てのような手の出し方はするべきではない。
 河村は言う。年間六千万円の経費がかかる。三千万じゃ足りない。が、経費節減をしなければ存続はない。この景気だ。広告費は誰でも惜しむ。それでも立てるのかね。三千万はいらないとヨ。なら、滅亡の道をたどらないように、塚原と河村のポケットマネーを精精注ぎこむことだ。電波は個人のものではない。大衆のもの。どこか間違っていないのか。
 世の中は自分が変われば、実に楽しいところだ、尻の穴の小さいことを言い、目先の金に追われると見えるものも見えなくなる。携帯電話事業に窮し、FMの話に飛びついて、これで助かったと思ったが、さらに追い炊きで金に窮するも己が撒いた種。身から出た錆だ。世の中は一寸先は闇だ。
 ビーエフエム開局時に八日町の橋本ヤエモンと叫んだアナがいた。穴があったら入りたいと言うアナ。これが女性だけに……。橋本一族には八戸に電気をもたらしたはちえもん、八右衛門という美男子がいた。やえもんなんてのはいないのヨ。八戸にいて八右衛門を知らないは聞こえません。こうした放送局、従業員もそれなら、経営者もこれだ。関西弁でどもこもならん。ドコモがならんじゃないヨ。いかに昔は携帯電話屋だったビーエフエムといえども。
 時代は刻々と変化、変わる時代に変わらぬ体質じゃ、まさに時代遅れを絵に描いたようなものだ。

2009年4月15日水曜日

八戸市議会史から

明治前期の県会
戸長選挙
廃藩置県により八戸藩は八戸県となり、それまで旧領主として藩政をとった藩知事は辞任、大参事がこれに代わる。八戸城下は藩政時代は御町奉行が統治責任者で町人、百姓を取締り武士は目付けが行う。県になてからは区別なく取り締まる。
八戸県は五県合併で青森県となる。
明治四年十二月二十五日支庁より御用差し紙につき出頭したところ、第一区戸長逸見輿長、同副新宮主、第二区戸長小山田源内、副岩泉市兵衛、第三区戸長百嶋平、副山本登弥太、第四区戸長松岡軍蔵、副河原木博一、第五区玉内寛、副野中連云々
大小区制
明治五年に大小区制がしかれ、青森県は十の大区となり区長がおかれ、それらがいくつかの小区に細分された。
第九大区は七小区に細分
第九大区 八戸    区長上杉吉寧
第一小区 舘・長苗代 戸長百嶋 平
第二小区 旧八戸   戸長大沢多門
第三小区 沼館・浜通り戸長木村興世
第四小区 大館・階上・類家戸長小向久貞
第五小区 中居林・是川・島守戸長平田吉博
第六小区 名久井・中沢戸長苫米地魯也
第七小区 剣吉・苫米地戸長高嶋壽名
区長上杉は八戸藩最後の大参事、もう一人の大参事大田広城は権典事として県庁入り。
小区の戸長はすべて八戸藩士だった。
区制の実情
徳川時代は地域を代表として代官の指令を住民に取り次ぐ役目を名主、その下には村落ごとに乙名という村役、代官…名主…乙名…百姓となっていた。代官は武士、名主以下は百姓で、名主は選挙で選ばれた。
大小区制の小区の戸長は、この名主にあたり、その下の乙名は惣代人と称した。
誓書
今般拙者どもより惣代人として貴殿方を選挙し、当明治十年六月より向こう十二年まで三年間、当村において土木起工、金穀公借の節は、惣代人として保証し、かつ村内の利益保安の儀につき、その筋よりお尋ね等あれば拙者どもに代わり、見込み申し立て方、しかるべくお取り計らいたく、これに後日異存は申さないことを堅くお誓いします
第九大区六小区平村
明治十年六月 住民及び土地保有者二一五名連署
小萩沢久作殿
荒谷弥八殿
砂庭清三郎殿
前書の趣、拙者共立会い承り届候也
              区長岩泉正意
              戸長苫米地魯也
この文書は村の惣代人は住民や地権者から選挙されたが、それには区長、戸長が立ち会った。村一切の代理を委任し異議は言わないとある。これは村人の利益代表ではなく、統治機構の末端である。大小区制は藩政時代そのままだった。
明治九年の県会
初めての県会は明治九年二月二十五日青森で開催。議員は各大区長と学区取締、名望人が一人づつ、それに各小区の戸長で構成され、総員九三名。議員の中、名望人だけが選挙された。
第九区名望人 
一番札 中島渚
二番札 野崎和次
三番札 大沢多門
議員として出席するのは一番札のみ、二番以降は補欠で一番不在などに順次出る。
中島は八戸藩江戸家老、のち八戸藩初代大参事、明治四年廃藩置県では総括責任者。
県会制度の改正
府県会規則の制定
明治十一年各県の行政にあたる県令を集め東京で開かれた地方官会議で、いわゆる「新三法」が決定。この中に「府県会規則」があり、議員は郡から五人以内を選挙によって選出。議会は県費のうち地方税で負担する経費について、予算額と賦課方法を議定するということになった。
 議員を選挙できる選挙権は二十歳以上の男子、郡内に本籍を有し地租十円以上を納める者であった。

2009年4月14日火曜日

何か変だぞ八戸市役所

日本は法治国家、法を守ってこそ我々は守られるもの、しかし、地方自治体が法を守らずして、我々市民にのみ方を守れは不当。
一、 固定資産税の課税は、地方税法を守り、市内の固定資産を総て市役所職員の足で廻り、課税が適当か不当かを確かめてから課税せよ。
二、 地方自治体が決定した条例を守れ、市民は条例を守らなければ処罰を受けるが、自治体がそれを守らないは誰が罰する?
固定資産税については再三、再四書いてきたので、聞き飽きた読み飽きた人もいるだろうが、いよいよ切符がくる。家が壊れた傾いた、路線価が下がったのに全く反映されていないなど、不平と不満だらけだろうが、役所に足を運ばなければ何にもならない。
去年、資産税課のカウンターでごねてる親父がいて、「あなたより私の方が市長と懇意だ」と言ったが、「何か役に立つかも」と名刺を渡した。「ハア」と受け取ったが、苦情の言い方、文句のつけ方、もう少し言えば喧嘩の仕方にはコツがある。すべからく長いものには巻かれろの諺もあり、それはそれで正しいが、それでは世の中少しも良くならない。
 筆者が言うのは自分の固定資産税をまけてくれ、という尻の穴の小さい話ではなく、課税方法に間違いがあるから、不当に取った分は返却せよと言う。全市民に課税したから、その分総てを返せ、それから正しく課税し直せと言う。
五億円をかけて不用な航空写真は撮るな、その金は固定資産を一軒一軒調べる調査費に使え。その調査は八戸市民のアルバイトでまかなえ。五億円を中央の業者に支払うなら、八戸市民に還元せよと叫んでいる。
航空写真は十月撮影、地方税法は課税年の三月までに調査せよ。
これ自体で違法は間違いない。自治体に裁量権は勿論ある。しかし、違法、あるいは法を遵守せずに勝手な解釈はできない。
A県ではこうでB県では違う解釈では法の一貫性がない。そのため国が法を徹底させるのだが、地元住民がその違法性に気づかなければ、やりたい放題でしかない。
我々市民は役所のすることに間違いはないと思い勝ちだが、役所も間違う、あるいは信用できないと批判の目で見ないと、見えるものも見えなくなってしまう。
今ライブドアの堀江容疑者が東京拘置所に収監されているが、それは証券取引法違反容疑だ。
何人たりとも法に違反すれば逮捕、拘留される。
地方自治体の制定した条例も同じ。
特殊浴場、つまりトルコ風呂、昨今はソープ・ランドと言うが、これも岩手県は許可、青森県は不許可。このため八戸ナンバーの車が、岩手県のその場に多いそうだ。筆者は行ったことがないのでよくわからん。
A地区でOK。B地区はダメも妙なものだ。岩手県人がスケベエで。青森県人は去勢された犬のように従順とも思えない。老人になって、欲望から蹴落とされた人間は、人畜無害で計算にも入らない。ご破算で願いましてで、人生のごわさんが近くなれば、人間が枯れて来る。丸くなったなんて言われるのが好々爺、ところが筆者はそうじゃない。今回気づいたのは市長が旅行に出る。その時カバン持ちの秘書が同行。市長は条例でグリーン車に乗れる、ところが秘書は乗れないが乗っている。これは条例違反で、グリーン車料金は支払う必要がないのに支払ったと、八戸市にその銭を返せと噛み付いた。
吏員が不正に金を使い、それを一年以内に発見した場合に限り、監査請求ができる。
これを利用したナ。
この監査は定期的に、今度は○課を何月何日に監査するよと、予告編をしてから踏み込む。そして帳簿を調査だか検査だかをなす。不正があれば糾すそうだ。今までに見つけた、あるいは見つかった事例を寡聞(かぶん・見聞の狭いこと)にして知らない。
この監査室は市役所旧館の五階にある。数人の吏員が担当。ここに容疑事実と、それを証明する資料を添付。これが存外難しい。内部告発でもなければ、なかなか不正資料は提出できない。それを一年以内という決められた期限が更に追い討ち。
大体、本気で解明する気なら、五年の期間に変更すべき。
条例では、グリーン車利用は特別車と書かれている。
(鉄道賃)
第14条 鉄道賃の額は、次の各号に規定する旅客運賃(以下この条において「運賃」という。)、急行料金及び特別車両料金並びに座席指定料金による。
(1) その乗車に要する運賃
(2) 急行料金を徴する列車を運行する線路による旅行の場合には、前号に規定する運賃のほか、急行料金
(3) 市長並びに助役、収入役、区長、常勤の監査委員及び教育長(以下「助役等」という。)の職務にある者が特別車両料金を徴する客車を運行する線路による旅行をする場合には、第1号に規定する運賃及び前号に規定する急行料金のほか、特別車両料金
つまり、三役の外に監査委員と教育長だ。議会の議長の名がないから、議長もグリーン車には乗れない。この議長は調べていないので暇が出来たら調査。(議員は特別職で別勘定)
市長の秘書名は書いてない。つまり、秘書がグリーン車を利用し、その料金を八戸市が支払ったのは不当だ。その金を返させろという書類を作成し、証拠の書類としては、人事課に直近の市長の行動に随行した秘書が消費した旅費の明細を開示請求した。
要領明記
一条例違反と思う
二その容疑事実の確認
三そのため総務課に出向き、当該課、つまり秘書の旅費を支弁した事実の書類開示請求
四それをもとに監査請求用紙を提出
 ここからは監査室が請求が妥当かを判断し妥当となると、監査委員を集合させ、監査が開始となるようだ。ここからいきなり歯切れが悪くなるが、それは、監査委員がどのように監査をするのかは、筆者が監査委員ではないのでわからないからだ。
ともかく、この監査委員に対し意見陳述はできる。するか、しないかを監査室の吏員が聞くので、陳述したい、あるいは、どんな人が監査委員か顔が見たいなどの要求、要請、欲望を持つ人は陳述を請求するといい。そして結論が出ると結果が郵送される。結果は「本件は請求理由なし、棄却」
棄却とは、申立てについて審理のうえ理由がないということだ。
理由は
(旅費の調整)
第24条 旅行命令権者は、旅行者が公用の交通機関、宿泊施設等を利用して旅行した場合その他この条例又は旅費に関する他の規定による旅費を支給した場合において、不当に旅行の実費をこえて旅費を支給することとなる場合には、その実費をこえることとなる部分の旅費について、旅費の全部又は一部を支給しないことができる。
2 市長は、前項の規定の統一ある適用を図るために、同項の規定を適用する場合に関する統一的な基準を別に定め、旅費の全部又は一部を支給しないこととする場合には、当該基準によるものとする。
3 旅行命令権者は、旅行者がこの条例の規定による旅費により旅行することが当該旅行における特別の事情により、又は当該旅行の性質上困難である場合には、市長が定める旅費を支給することができる。
だと、何だこれは。解説は次号

2009年4月13日月曜日

白銀漁業界の長老、知恵のかたまり越後松助さんの話から

越後松助さんの話から
白銀の商業
白銀の商業といっても、湊や鮫のように出船、入船に賑わった村落と違い、その昔から扇ヶ浦の中心として住まいを高台に求め、浜と畑を朱として生活してきた。明治になり新道(現在の下夕通り?)が出来てから、浜の魚も一段と活発になり、それに需要が増した。三島川を中心として主に西側に八戸から商人が移転してきた。
魚の行商は天秤棒にザル、魚を入れて浜伝いに湊へ、それから八戸へと行商するコース、西の平を下り三島神社前を通り浜崖にかかり、岩淵通りから現在の梶野医院前に出て汐越に入り、上の山を通って、湊橋を渡り小中野~八戸へと肩で担いで行商したのが、新道によって一直線に湊本町に出て、橋を渡って行商、その後間もなく魚類の卸問屋も三島周辺に出来、その他菓子屋、鍛冶屋、屋根屋、金物屋、煙草屋等の店が点在。町並みが出来たのは明治の末、大正には大きな買い物は湊、八戸へと足を伸ばしたが、こまごましたものは白銀で間に合う。祝儀、佛祝儀の目出鯛やまんじゅう、ラクガン等も武尾さんで作り白銀村の必要に応ずるようになり、また鍛冶屋の橋本、魚の問屋の長谷川さん、雑貨商の田村、大橋、菓子類の南山さn、薬屋の戸狩さん、下駄屋の石橋、屋根屋の長島、松尾さんというように他の店も続々と中心ばかりでなく大沢地区、下夕通り地区(清水川)にも大塚、淡路商店と出来、店屋さんも出来てきたのです。
大正十一年、浜の漁の需要に応え八戸町の橋本家では現在地に八戸製氷株式会社を創立させ、白銀の名物としての氷会社となって現在まで白銀農漁民、否湊、鮫の人々に供給した。長い間の夏季には特にその喉をうるおした功績は大なもので、その恩恵を浴した人たちの多くは、今は草葉の蔭で今日の変貌と往時に感謝しておる事でしょう。
又一つ忘れることのできないのは、昭和に入って間もない頃出来た三島の清水で作った清涼飲用ラムネです。製氷会社ができて間もなく橋本音次郎さんに、大橋晋吉さんや武尾三郎さんらが働きかけて出来たのが白銀ラムネ工場で、三島の湧壷から五、六十メートル下の処に工場を建てラムネを作り一般に販売し、白銀海水浴場に来たお客様や農漁民に重宝がられ、時折麦刈り時の暑い盛りには各家々の女達が検査から外れた、玉落ちしたのを一升瓶や手桶に買いに行き、畑や麦の収穫時に喉をいやした記憶は五、六十代の人なら、よもや忘れはしないでしょう。
 次に前述のように農漁村であったが故に現在でも労災病院前に唯一軒福美屋旅館があります。明治の末頃といわれる三島館があり、主に海水浴客が泊まった宿屋が一軒ありました。今の野里食堂さんの処です。
昭和の初期頃、大相撲の巡業で前頭以下の相撲取りが宿泊したり、海浜を散策したものですが、湊や鮫の如く人の出入りの少ない白銀は、旅籠も営業できないような物資の流通においても素通りする町であり、現在もそれを物語る様に港も鮫、湊に片寄って白銀浜は必要度には変わりないが商的な繁りは余りありません。
次にやはり、ほとんどの人に忘れられようとしている建物は、現在の白鴎保育園付近に三島倶楽部(土地は金入)(金入さんの肥料倉庫)が間口六間位、奥行き十二、三間に舞台があり大正、昭和初期まで地方廻りの旅役者が芝居をしたり、えんぶり組(白銀)一般に公開したり、村の集会場として、この昭和十年頃まであったと記憶しています。今日でこそわが家でテレビドラマを見る、また世界のニュースが送られてきますが、昭和初期までは映画とて弁士付きの映画であり、その他は別稿のようにえんぶり、権現舞とその三島倶楽部で行われた芝居見物が娯楽であり、それも年に何回と限られた数でした。三島倶楽部は今の五、六十才以上の人たちの恋の囁き場でもあった訳です。
○ 白銀の網大工
地引網が網の種類で一番早いのではないか、それ以前は網といわれる位でもなくも、掬い網か、また、小さな曳き網如きものもあったかも知れませんが、小魚は、それは小さな網でも多少は獲れるのですが、やはり、浜で生活するようになり、鯨が鰯を追い、岸にその魚群が色をなしカモメがそれを追いかけ、夜ともなればほんの波打ち際まで鰯が入ってきて、それを捕獲しようとしたのが地引網だと思われます。
その網は最初は関東、関西をみならい購入して、この白銀浜でも使用するようになり、また、それが破網したり、耐用年数がきて、不使用となれば、必ず別の物を仕立てて漁獲してきたと思います。その網を作るに麻が撒かれ、糸にして、網目にして網を仕立ててきたのです。それが明治、大正、昭和の入ると量が何十倍も必要となり、網は専門の業者が作るようになった。
 白銀では軒末吉さんが網大工としては早かった。明治四十年頃から専業で弟子を養成。道具は簡単なもので、アバリ、鋏、網切り出刃くらいのもの。技量は大工の名にふさわしく優れたものだった。
軒さんの弟子 佐々木福松(ハマコ)、高橋石太郎(大久喜)、高橋兼松、軒丑松(末吉長男)、佐々木虎吉(寺小路カマド)、佐々木福蔵(イヘ)、佐々木鉄五郎(熊五郎カマド)、中村高明(甚五郎様)、大館岩蔵(ヒノミ)、佐々木要次郎(赤市カマド)が昭和十五年までの大工さんとして活躍した方々です。
続・名前の出た子孫で写真を持つ人、乞う連絡

2009年4月12日日曜日

東奥日報に見る八戸及び八戸人 その一続

○ 北寄貝 過る六日、七日の両日は殊のほか降雪にてこれにつれて八戸北方の海岸にてホッキ貝山の如くに寄り盛岡地方よりも買込人ありて近来珍しきホッキ貝の大漁ありたり
○ 鯡船(にしんぶね) 北海道より生鰊を積みこみたる汽船は本日鮫港に入津(にゅうしん・船が港に入る)せり、其の値段はいまだ決定せざるという
● 八戸通信 四月十日発 (昨日の続き)看守押丁の処刑 かって報道せし八戸監獄を脱せし囚徒事件により去んぬる三月二十九日看守両名は免職となり、同三十日弘前始審裁判所八戸支庁に於いて公判の末、看守の内一名は罰金七円、其の外押丁一名は罰金五円の申し渡しを受けたり
○ 戸長役場 は昨冬より今以って午後十二時頃まで夜業せられたる甲斐ありて事務の整頓申すまでもなく新制施行に際し事務引継迄も出来居ることにて、今に町長新選になるも一切不都合なしという
○ 町長候補者は兼ねて私選せし通り元戸長を挙げることにて助役には町長にも譲らざる老練の人を選ぶべしと目下協議中なりとのこと
○ 八戸産馬組合長の選挙会は四月十日同事務所に於いて開札せられしが、其の様子を聞くに本年の選挙会は非常に競争ありて急に身元を造らんと十五頭の馬を借り入れ等随分発狂者の如き有様なり、而して其の競争者はどれも無給料にして当選を望み居りしものあれば他に香ばしき所ありてのことか、いずれにしろ株主中は一同心配し居るものなり
● 八戸小中野通信 自治制 町村分合自治制施行の件については小杉好效氏は旧戸長兼指命官の名義を以って新旧の事務を処弁し日夜●掌頗る繁劇(はんげき・非常に忙しいこと)の容子村会議員の員数は十二人となせり
○ 輸出 八戸及び本村近傍にて伐採せる桐五、六千本(凡そ六百石弱)を過日汽船に積み込ませ鮫港を経て東京へ輸送せり、なお数千本を買い求め続々輸送するの見込みなりと
○ 輸入 北海道より初ニシンを積み込み鮫へ風帆船四隻倭般三隻にして而して最初の買値は壱丸(二百尾)に付き八、九十銭より七、八十銭までに売買せしが、現今は大に下落し壱丸につき五、六十銭より四、五十銭までとなれり。
○ 定期船 函館八戸間の定期航海は本月より毎月二回即ち十日二十五日の両日を以って渡航を始めることとなりしか初度の航海即ち本月十日には錦城丸という汽船が午前に函館より入港し午後には直ちに帰港する予約にて既に取り扱い人本村回漕店大久保幸助氏は之を各地に広告し乗船切符も売り込みたる程なりしか、如何なる事情にや、当日に至るも汽船の入港せざるのみならず、予定の錦城丸は何か差し支えを生じたるとか、急に北島丸を代船となすべき旨にわかに広告せしが、その後五、六日を経過するも更に汽船の入港をみざるしに、然るに本月十五日の夜、北島丸は入港、翌朝午前函館へ向け帰港、また、兵庫丸は本月十七日東京解纜(かいらん・ロープを解く)同十九日鮫港着同二十日函館へ向け出帆すべしと広告を為せしも皆初期の不始末に懲りて乗船を見合わせて却(かえ)って路を青森に取る者多し
○ 教育 本村は頗る学事熱心なる所なり而して村民の子女概ね学校に入りて普通の教育を受け傍ら遊芸を伝習するを以って常とす、去る十九日湊尋常小学校二十日は簡易小学校に於いて春季の大試験を執行し父兄親族の参観を許したり
○ 宗教 村民は専ら仏教のみを信仰し、かって他教のこの地に入りたることを聞かず、其の宗旨は浄土宗、真宗、禅宗、日蓮宗にして中浄土、禅の両宗は之が過半を占むるものの如し
● 八戸通信 気候は暖和にして華氏の寒暖計四十度より五十度の間を昇降せり、長者山の桜並びに松館の臥龍梅も既に蕾を含みたりと
○ 潮干 本月十四日は潮干狩りとて例年浜通り鮫、白銀近傍へ出遊びするもの夥しく中には八戸学校の生徒同義塾の書生及び官吏、教師等の諸氏続々運動せりと
○ 川尻改良 は深く村民の希望を属する所にして、今其の目的を聞くに元来湊川(小中野村新町と湊村浜通りの間を流れる大河なり)は其の川尻浜通りなる舘鼻下にありて水頗る急激なりしか、去る十一年の秋大洪水の為、川口を変じ爾来俄かに流勢弛緩河水の減少を来たせしより従来の如く自在に舟棹を通するあたわざるにより村民合同の力を以って河底の土砂を掘取り更に河口を旧所に開通して船舶の出入りを自由にし以って大に河海運漕の便宜を起こさんとの趣意なりと
○ 八戸警察署 特務巡査たりし本県士族蛇口幡太郎氏は今回願いによりて其の職を免ぜられたるに付き在勤中の同僚諸氏が慰労のため北越亭に於いて宴会を開きたりと
明治二十二年五月五日
● 三戸郡八戸町会議員
去る一日同町第二級選挙会を開きし処左の通り十二名当選になりたりと
浅山正美 泉山吉平 福田祐記 石橋萬冶 村井幸七郎 山田文次郎 橋本文助 奈須川光宝 朝水礼次郎 加藤萬吉 橋本和吉 源晟
● 又去る二日、同町第一級選挙会を開きし処左の通り十二名当選になりたりと
宮原直衛 成田芳雄 富岡新十郎 永崎嘉八郎
石橋甚三郎 大久保平蔵 上野葆真 関野市十郎 西舘忠昶 伊藤七六 工藤新助 山本勝次郎
● 八戸通信 五月四日発 村長候補者 旧中居林村より分裂なりたる是川村の村長候補者は同村簡易小学校教員市川武雄氏にて助役はこれまで旧役場の給仕たりし滝沢潔なりという
○ 徴兵参事員 の事務は郡役所となし五戸、三戸は分会を設けたるより両地方においてはやや不満をいだき居る模様あり
○ 旧売市村外八ヶ村 村会議員は佐藤正弘外十一名にして村長は旧戸長なる某氏が椅子をしめんと奔走中なりとの評判なるが、同村はかつて分裂等までも騒ぎたてたる程なれば容易に候補者たるは如何のものにや
○ 衆議院議員候補者 当三戸地方においては医学士大田弘安氏を同議員の候補者たらしめんと或る部分の人々が尽力中なりという
●小中野村会議員 三戸郡なる同村会議員は去る五月一日の選挙会にて当選せられたるは(一級)佐野貫一 村山仁平 長畑徳十郎 藤田宇吉 
中村栄吉 石塚勝之助 (二級)亀徳鶴壽 大久保弥三郎 細越清五郎 大崎市太郎 小笠原藤平 中村浅吉当選せられしという
● 私立消防組 三戸郡八戸町大字二十八日町及び大工町に於いては百嶋鼎1氏初め石橋甚三郎、石岡吉十郎等の諸氏相図り計画せし私立消防隊組はかつて其の筋へ出願の処、去月六日認可になりしかは、この程其の組織上について協議中なりという
● 八戸通信 五月九日発 農業 三戸郡鮫村は戸数二百戸に近くして村民は耕地少なきところより常に漁業に従事して農業にはすこしも関せざる有様なりしが、同村の豪農島田幸助、松橋兵六の両氏は其の耕地の僅少にして農業の奮わざるを憂いかつて官有原野の内不用に属し居る分を開墾地に払い下げを受けて村民共の開墾地と定め熱心に尽力農業を勧誘したれば村民共も非常に奮起して盛んに耕耘に従事しおりしに、如何なる都合起こりしものか、惣代人は去る十五、六年の頃、該原野なる開墾地を禁伐林に編入したるよしにて今まで村民が耕耘に従事して幾多の村益を図り居りたると一朝の水泡に帰し開墾地として払い下げは勿論其の出入りさえ禁ぜらるる如くに立ち至れば同村農事篤志家は非常に落胆し居れり
○ 米相場の下落 八戸町の米相場は仙台米、越後米等各地より輸入あるためか一円につき白米一斗四升位にて値段は目下一斗八、九升に下落せり、この勢いにて行かば二斗位にも下落するならんと町民どもは取り取りの話
○ 八戸皇道学会 八戸にては神官教導職諸氏が申し合わせ会員およそ三十余名にて神道を拡張せんと同町某神社内に於いて毎月第二日曜日を以って同学を講究致し居りしか追々会員も増加しついては来る十九日には大会を長者山新羅神社社内に開くよしにて目下準備中なり
○ 浄土宗小教会の会議 去る六日より八戸来迎寺にて開会せし同会は去る八日閉会せり、尤も(もっとも)番外には同寺住職にして議長は浄安住職之をつとめ議員は各寺並びに檀家中より一寺につき二名の出席にて都合二十七名なり
●舘村村長候補者 佐藤正弘氏なりと又五戸村長候補者は小熊識三郎氏なりという
● 舘村会議員 第一級には西浅吉 小笠原茂助 伊東三太郎 三浦岩松 杉本亥之松 坂本独卯之助当選せられ、第二級には佐藤正弘 小向直次郎 木幡晴八郎 出町七郎 佐々木孫四郎 三浦福松当選せられたりしと
● 湊村会議員 第一級には吉田源五郎 吉田第吉 小平直吉 佐々木喜兵衛 神田次倫 高橋兵助当選せられ、第二級は佐々木源助 佐々木辰之助 荒川勘之助 清水太郎 鹿窪中字 笹本孫右衛門当選せられたりと
● 三戸郡鮫村会議員 第一級には高橋勝太郎 小清水由太郎 高橋新助 荒木田由蔵 長谷川権之助 松橋兵助当選 第二級 中常吉 磯島栄太郎 高橋初太郎 高橋勇次郎 高橋安兵衛 山田金蔵当選
● 八戸通信 塵捨て場 売市村の溜池は一昨年来おおよそ七、八百円を費やして築造せしに堅牢に出来して昨年の如き旱魃の際にも水十分にして耕耘に事欠かず誠に耕作上幸福なることにてありしか、今度八戸町にて右溜池の水門に塵芥を捨てることにて漸々堆積し且つ堤上に於いて塵芥を焼いて焼き肥やしを作るなど、為に堤防欠け崩れ水門も是が為に填塞(てんそく・ふさがりつまる)せられて水元も不自由かつ夏分に至れば臭気甚だしくして時疫の流行もこれなきを保うずべからず、自然衛生上に取りても大害を与うべければ、其の筋にては速やかに他に取りのけさするように致されたきものなりと村民共は一同に望みおれり尤も八戸町には塵捨て場という標木を建て設のあるにもかかわらず、当村の溜池に捨てるとは誠に不都合の至りならん、また、糠塚村道路中にある塵捨て場は人家に接近して其の不潔申すばかりでなく且つ去る五日のこととか焼き肥やしの火が強風のため岩泉氏、石橋氏の宅に飛散し一時困難を起こせしと人家接近の場所にては至りて危険の事と考えれば宜しく其の辺に取締をつけざれば異日不測の変事を醸すなきを保うずべからざるなり
● 是川村会議員 三戸郡なる同村会議員は去る一日の選挙会に於いて当選せられたるは(一、二級共)北城茂右衛門、上野太右衛門、是川佐次郎、下澤万次郎、阿部浅吉、田端伊勢次郎、田中倉吉、水野松五郎、中村小助、中山秀之助、下館吉次郎、上野孫助の十二氏なり、而して去る十四日より村会を開きたりという
● 市川村会議員 一級吉田喜平冶 吉田源八 木村孫太郎 木村栄太郎 鈴木栄次郎 川村弥衛 二級 吉田直吉 野口勇助 鈴木徳也 浜金八 鈴木与衛 鈴木佐太郎の十二氏なり
● 五戸村会議員 一級 菊池萬之丈 三浦重吉 川村平蔵 江渡惣衛 鳥谷部健之助 藤田善五郎 二級 三浦万平 江渡又次郎 櫛引慶太郎 金子利七 中市寛蔵 小熊織三郎の十二氏
● 町会議員の再選 三戸郡八戸町会議員は去る一日選挙せられたる内、宮原互衛氏が六十以上の高齢なるを以って事故を申し立て辞選したるにより去る十四日右補欠員選挙会を開きたるに高点者は稲城篤実、島守定正の二氏と決まりしも同点なるをもって更に年長を取り稲城氏は選挙せられたりという
● 八戸通信 五月十六日発 宴会 立岩三戸郡長を始、浅山、石橋の諸氏は過日長者村大字石手洗村総本家岩館善次郎宅にて宴会を開催なされたり
○ 分離願い 石手洗村は長者村より分離せんと過般願書を差出したるよと
○ 村会 是川村会は去る十四日開会せしか村長は有給に決せりという
○ 校舎処分会 八戸方面七十余ヵ村連合書籍館及び高等小学校舎処分会は近日中開催の予定にてこのほどそれぞれ委員を選挙せられたり
○ 商況 当時金融繁ならず閑ならず先ず通常の取引なり、利息は商業社会の取引高きもの日歩四銭二厘、低きもの三銭五厘なり、現今汽船入港頻繁なるが、積荷は多く大豆にして伊勢、四日市、並びに東京へ向け輸出せり而して当地主なる物産は鰛〆粕並びに干し粕並びに干し鮑割貝にして陸産物は大豆なり通常銀行なども上半期より下半期は金融よろし是は下半期には海産物多く輸出相成り諸国より商人入り込むにより随いて金融上大に影響を及ぼし諸商業者多少の利益を見る銀行の如きも上下両期に於いては金銀出納著しく差異の生ずるをみる当地の他国に対する金融は多く東京より借り青森函館に借りるを例とす、東京は商業の中心なれば諸仕入物は多く彼に仰げども当地よりの輸出物は之に平均せざるによる青森は商業の取引はまれなれども官金為替は当地よ支払うものは多く又函館は当地より出稼ぎ人あるによりて昨年下半期頃は小札銅貨払底にて取引上非常に困難を極めしか、近頃に至りては小札は勿論銅貨等いずれも不自由を感ずることなく、殊に銀貨もボツボツ見受けられる
● 五戸村通信 五月二十八日発 政治思想 を有する人民皆無と言うて可なり、全体この辺の人民は質朴にて万事官の命ずる所に随う
○ 旅人宿 を営業するもの五軒中尤も評判良きは浪岡喜六方(「はちのへ今昔」知恵袋・五戸安藤陽三氏曰く、これは八戸の浪岡旅館と縁戚)にて家の構造も中々立派にて其の体裁と又青森などの旅人宿に劣らざるの如し
○ 公立五戸病院 伊藤院長赴任以来非常の繁忙を極め院長以下諸員五名にて患者に接しおれり、院長始め患者を取り扱うに親疎の別なく親切なるにより頗るに人民の信用を得、当時来診患者日々三十人位なりという
○ 貸し座敷 二軒あり娼妓四、五名にて毎晩遊治郎(あそびにん)の舞い込み多く頗る繁昌せりという
○ 商況 一体上景況とも申すべく、金融も宜しき方なり、当時白米上等小売十銭に一升七合五夕同大豆三升一、二合同小豆二升五合同精栗二升ぐらいにて一俵の値段右に準じ定めおるという
○ 混堂(湯屋か?) 一軒あり、このへんにては頗る清潔という可なり浴客は戸数に比較して少なき方なり
○ 五戸警察署 にては巡査巡回の線路各所の押印箱を提げ置くが何者の悪戯か、右の箱を盗み取りたると両三回ありという
● 村長及び収入役 三戸郡下長苗代村長山内光氏は辞選せられ川勝隆邑氏が当選せられたりと小中野収入役は酒井大五郎氏、舘村収入役は木幡清八郎氏なりと、又小中野村書記は森貫一氏、舘村書記は井川元壽、沼館善五郎村上岩太郎の三氏なりと八戸通信 六月十八日発 金欄会 三戸郡三戸町の同会は毎土曜日三戸小学校その他近在学校教員諸氏の集会にて三戸小学校に開く其の趣旨たるや学校授業上の事並びに数理法教科書その他教育に関する新聞雑誌等も取り寄せおるという○三戸町近況 目下養蚕は概して三眠以上なりしが気候順なれば意外に捗り且つ桑葉も廉価なりという○田植え は目下非常の繁忙にて八分通りは植付けも終わりたり○病院 八戸町にては先年公立病院の廃せられたる以来今淵正苗氏が開設にかかる私立病院あるのみなるが二千戸に近き八戸町にてとかく手の廻り兼ねる有様なれば昨年有志協議の上、大病院を建築せんと相談、諸機械購入のため某氏に金を渡すも行方しらずとて