ハサップ事業が実施されれば、魚運搬のトラックから曲がり角や道路に臭い水が流れだすことはない。魚は全て函に入れられフタがされる。車が横転しないかぎり、この心配は除去される。ノルウエー方式のような完全に人の手に触れないのではないが、かなり近くはなりそうだ。
宮本常一は全国を廻り各地の良い点、悪い点を指摘、その眼力は鋭かった。「はちのへ今昔」がハサップこそ再生八戸の原動力となると断言するのは、宮本のこの一文。
次に日本の西南端に眼を移そう。鹿児島県川辺郡坊津町は薩摩半島の西南隅にあって、東支那海に面する良港である。この港は鯵ケ沢よりはさらに古くさらにはなやかな歴史を持っている。遣唐使時代の大陸へ向う船はここから出たこともあるし、中世におけるシナ大陸との交通にあたっても、ここに北九州の博多とともに重要な門戸であったし、さらに琉球列島をつたって南に通ずる南方貿易の基地でもあった。江戸時代に入って鎖国がおこなわれてからはここが島津藩密貿易の基地であった。したがって多くの問屋があり、それらの商人の繁盛と活動は目ざましかったという。しかしそのおこなわれるものが密貿易であったから世人の目をくらますために、一般に廻船などを利用することは少なく、カツオ船を利用していたといわれる。カツオ船で冲へ漁業に出て行き、海上で密貿易船の来航をまちうけたり、あるいは屋久島の港など利用して取引きしたという。したがってここのカツオ船の行動半径は広く、他のカツオ漁村が基地から半径四〇キロ内外のところで操業していたのに対して、坊津のカツオ船は江戸時代の初めにすでに坊津の南方四〇〇キロ位のところまで出漁しているのである。そして密貿易とカツオ漁を併存させて明治に入って正式に海外貿易がおこなわれることになると開港場でない坊津の密貿易の体制はすたれてしまい、カツオ漁業一本の村になったのである。だが、広い漁場を持っていることによってなおあふれるような活気をもっていた。
それが今見るかげもないようにさびれて来ているのはいったいなぜであろうか。港はよいけれども土地のせまいためにカツオブシ製造の工場すら十分に持てなかったことから、土地の広い東方八キロの所にある枕崎にカツオブシ製造揚が密集してくることになる。そしてカツオ漁船も、それに乗り組む漁夫も上地の者でありながら、とって来た魚は坊津で水あげされることはない。しかも日頃はカツオ船も漁夫も漁場で働いているので、港も町もひっそりしている。町に居た問屋たちももっと取引きに便利なところへ出て行かざるを得なくなる。こうしてこの町がさびれ始めたのである。
その二つの町に見られるような現象はまだ全国いたるところに見られるものであるが、それにしても藩政時代の終りまでは国の端々まで一応活気のみちあふれた町があったのである。たとえば東支那海にうかぶ長崎県五島列島の西海岸にさえ、もとはあふれるような活気が見られた。いまは見るかげもなくなっている浜ノ浦というところを一〇年ほどまえに訪れたことがあるが、そこの寺の過去帳を見ると、東は和歌山あたりから、瀬戸内海各地の漁船がここに釣漁にやってきており、中にはこの浦におちついて問屋になったものもある。そのもっとも大きな問屋だった家を訪ねたことがある。家は大きな材木をつかってきわめてがっしりと造ってあり、間数も多く、二階の押入の中には長櫃がいくつもおかれていた。帳簿類を入れてあったとのことであけて見るとまだ四、五〇通の古文書がのこされていたが什器類はほとんどなくなっていた。
「昔は浜ノ浦の浜の砂がなくなってもこの家の財産はなくならいだろうといわれたものだが、浜の砂はなくならないけれど、私の家の財産はなくなりました」と若い主人は語ってくれた。目にあまるような贅沢をしたわけでもなく、自然につぶれていったのだという。魚がつれなくなったのではないが、遠方から漁船が次第に来なくなった。また手押しの船が動力船になると、魚を浜ノ浦へあげず、直接佐世保や博多へ持っていくようになって、取り扱う魚の量がずっと減ってしまった。しかしその家ではもとのままの規模で経営をつづけていた。それがやがて家を行きづまらせてしまうのだが、浜ノ浦自体も、五島では一番貧しい村になり下っていった。
八戸はこうはならない。ぎりぎりの所で小林市長を得た。しかし、彼の失敗を喜ぶ者も市役所内にもいる。これは信条、信念に基ずくところでいかんともしがたい。が、水産界はこの男の着想力を喜び、あとは業者の努力を味付けとするべき。何でも悪い悪い、ダメを並べることなく、ダメな現状でも何かを探し求めることだ。
輸出こそ最大の武器となろう。しかし、そこまで行き着く道には幾つもの障害がある。それを人智の限りを尽くしてまだ見ぬ未来を担う子どもたちのために我々が努力することだ。
八戸も危ういところまで来た、しかし、国の策を八戸にもってこれた市長の力を大したことがない、一部業者が喜ぶだけだの否定的な考えを持つな。近視眼で物を見るな。ハサップを活かすも殺すも浜の人々の考え方一つ。国の威信をかけた巨額の水産界への投資、これを活かすことは八戸を、否、日本の水産界浮上の好機。
武輪水産の会長は縁あって京都からこの地に来た。水産界の振興をこころから願っておられる。八戸にはサンマの加工場がないが、これをどのように解決するかを、長老の言に耳を傾けよう。金がないと怯えるな、金はなんとでもなる、人々の熱い思いと昼夜をわかたず体を動かす努力がそれを解消させるものだ。
浜値を上げろ。それはセリに二番をつけることだ。一番高い業者が魚を引き取る。二番目に高い業者に落札価格に応じて数%を手数料として払う。二番が欲しくて高値を呼ぶ。これも昔からあるセリ値を上げる手段方法。
大事なのは冷蔵庫を満杯にできる魚買取基金だ。これが50億円もあれば面白い商売ができる。国内に売ることばかり考えずに加工して手間賃を稼ぐことだ、幸いにも八戸は輸出港、海外へどしどし輸出できる。それも地元産品を中心に送れるのだ。
どうだ、諸君、頭を抱えるばかりではなかろう、市長の首が替わり、八戸に朝日がさしているのが筆者には見える。その原動力を活かすも殺すも市民ひとり一人の心次第。幸せは誰が決める? 皆、ひとり一人の心が決める。時代は変わった、税金を自分の生まれ故郷に納められるようになった。中央の八戸人が税金を八戸に納めるようにするには、生まれ故郷の八戸がどうなっているか、それを知らせなければならない。それには「はちのへ今昔」のように、八戸の町を映像で日本全国に散った八戸人たちに見せることだ。八戸に起居するものには当然なことも、それが国を捨て、あるいは離れなければならなかった者の心に訴える。
望郷……、この言葉こそ八戸を活性化する魚買取基金を得る元になる。
2008年10月30日木曜日
2008年10月29日水曜日
ハサップが支えるようになる魚の町八戸1
かつて八戸港の船籍は千、だが、今は二百に減った。このままでは漁業は絶滅の危惧ありと、国はもうかる漁業を唱えた。船の構造、魚の貯蔵・運搬も改革し、衛生面でも世界に通じる八戸港構想がハサップ。
この推進も困難を数えれば幾つもあり、その困難さゆえに悲観的になる向きもいる。が、人類はそうした困難に直面するたびに克服策を講じた。今、アメリカ発の金融恐慌が叫ばれているが、こんなものは解決は容易だ。アメリカが自分の言い出したことに責任を持たないから解決策が見えないだけ。
もともと金は欲の皮のつっぱった連中が右往左往した結果、アメリカがこんがらがった証券化に厳しい監視をしなかったツケ。日本のバブルとは違う意味合いだ。民族学者の宮本常一が、八戸の将来を見通すような物言いをしている。昭和四十二年の著書から引用。
青森県西津軽郡鯵ケ沢の港は帆船の寄港地として明治末までは北国には珍らしいほど栄えた港である。津軽平野で産出せられる米はこの港と、岩木川の川口にある十三湊から帆船につまれて藩政時代には大阪に送られ、明治以降北海道開拓の進むにつれてその地方に送られた。
いまこの町を訪れると沿岸に沿って、町は帯のように長く、しかもその多くが、妻入りの大きな家で、明治時代の発展のさまを物言っている。しかしそれらの中で特に大きいもの、かつては問屋を営んでいたものの大半は没落しており、その家の間口を三つに仕切って小さい店三軒が利用しているもの、あるいは屋敷を屑物屋に貸して屑鉄が山のように積んであるものも見かけた。そして町はひっそりしていた。ただ職業安定所のまえは黒山のような人だかりであった。いずれも若くエネルギッシュな男たちであった。しかもそれは失業保険をもらう人びとてあった。かつてはこの港はこのように若いエネルギーを、ここに集合している人びとの何倍というほど必要とする活気があったに違いない。そのために長さ四キロにもおよぶ長い海岸通が発達したのであろう。しかし今はそのエネルギーのほとんどをこの土地は必要としなくなっている。そしてそこに往む人たちのもっともすぐれた生産エネルギーはその土地に投入せられることなく、他の土地、主として大都会に投ぜられており、そのことによって得た労賃や失業保険金によってこの町が大きく支えられていることが、この現象の中から読みとれるのである。
繁栄の礎を失えば町がその機能を失う。この鯵ケ沢、最近では倒産した北海道夕張市がある。繁栄を失えば住民をつなぎとめるすべを失い衰退の道を転げ落ちる。
八戸もこうなる瞬間に小林市長を得た。八戸は市制八十周年を迎えるが、この十年の間に3人の市長を見た。中村前市長は4年間市民のためには何もしなかった。したのは弔問だけ、無能の極みだった。国の役人あがりの小林市長が凋落する水産を機軸として八戸を立て直す策を打ち出した。
ところがこの男は不細工な面相と同じで腹に良い策を持ちながらも上手く伝えることができない。このハサップが再生八戸の原動力になるのは間違いない。しかし、小林市長を助ける面々がいない。無能無策な集団なのだ。監督に時代を見る名伯楽(はくらく・よく馬の良否を見分ける者。また、馬医。転じて、人物を見抜く眼力のある人)を得ても選手がやる気がない、言われることが分からないでは存分に力も発揮できない。気の毒千万。
が、彼のするハサップは正しい。鈴木継男氏は言う。八戸の水産品を蘭州交易会に持っていくことだと。筆者は前に武輪水産会長と鈴木継男氏の意見を聞けと断言したが、老人は大事な要点、要所、急所を押さえているものだ。
この鈴木継男氏は蘭州にガス事業を開発促進させる鍵を握った男だった。この意見は重要、市役所に貿易振興グループがある。何をしているかがさっぱりわからぬ課。ここにこの八戸水産品を売る努力を求める。中国蘭州に八戸の水産品を売り込め。大志民グループリーダーは中国語を勉強しろ。「はちのへ今昔」は65歳でも国際交流が開いた中国語講座を受講中。やる気があれば歳なんてのは関係ない。真剣に八戸の将来、未来を見据えろ。暖める席のあるうちに、小林市長も市役所職員各位も。
この推進も困難を数えれば幾つもあり、その困難さゆえに悲観的になる向きもいる。が、人類はそうした困難に直面するたびに克服策を講じた。今、アメリカ発の金融恐慌が叫ばれているが、こんなものは解決は容易だ。アメリカが自分の言い出したことに責任を持たないから解決策が見えないだけ。
もともと金は欲の皮のつっぱった連中が右往左往した結果、アメリカがこんがらがった証券化に厳しい監視をしなかったツケ。日本のバブルとは違う意味合いだ。民族学者の宮本常一が、八戸の将来を見通すような物言いをしている。昭和四十二年の著書から引用。
青森県西津軽郡鯵ケ沢の港は帆船の寄港地として明治末までは北国には珍らしいほど栄えた港である。津軽平野で産出せられる米はこの港と、岩木川の川口にある十三湊から帆船につまれて藩政時代には大阪に送られ、明治以降北海道開拓の進むにつれてその地方に送られた。
いまこの町を訪れると沿岸に沿って、町は帯のように長く、しかもその多くが、妻入りの大きな家で、明治時代の発展のさまを物言っている。しかしそれらの中で特に大きいもの、かつては問屋を営んでいたものの大半は没落しており、その家の間口を三つに仕切って小さい店三軒が利用しているもの、あるいは屋敷を屑物屋に貸して屑鉄が山のように積んであるものも見かけた。そして町はひっそりしていた。ただ職業安定所のまえは黒山のような人だかりであった。いずれも若くエネルギッシュな男たちであった。しかもそれは失業保険をもらう人びとてあった。かつてはこの港はこのように若いエネルギーを、ここに集合している人びとの何倍というほど必要とする活気があったに違いない。そのために長さ四キロにもおよぶ長い海岸通が発達したのであろう。しかし今はそのエネルギーのほとんどをこの土地は必要としなくなっている。そしてそこに往む人たちのもっともすぐれた生産エネルギーはその土地に投入せられることなく、他の土地、主として大都会に投ぜられており、そのことによって得た労賃や失業保険金によってこの町が大きく支えられていることが、この現象の中から読みとれるのである。
繁栄の礎を失えば町がその機能を失う。この鯵ケ沢、最近では倒産した北海道夕張市がある。繁栄を失えば住民をつなぎとめるすべを失い衰退の道を転げ落ちる。
八戸もこうなる瞬間に小林市長を得た。八戸は市制八十周年を迎えるが、この十年の間に3人の市長を見た。中村前市長は4年間市民のためには何もしなかった。したのは弔問だけ、無能の極みだった。国の役人あがりの小林市長が凋落する水産を機軸として八戸を立て直す策を打ち出した。
ところがこの男は不細工な面相と同じで腹に良い策を持ちながらも上手く伝えることができない。このハサップが再生八戸の原動力になるのは間違いない。しかし、小林市長を助ける面々がいない。無能無策な集団なのだ。監督に時代を見る名伯楽(はくらく・よく馬の良否を見分ける者。また、馬医。転じて、人物を見抜く眼力のある人)を得ても選手がやる気がない、言われることが分からないでは存分に力も発揮できない。気の毒千万。
が、彼のするハサップは正しい。鈴木継男氏は言う。八戸の水産品を蘭州交易会に持っていくことだと。筆者は前に武輪水産会長と鈴木継男氏の意見を聞けと断言したが、老人は大事な要点、要所、急所を押さえているものだ。
この鈴木継男氏は蘭州にガス事業を開発促進させる鍵を握った男だった。この意見は重要、市役所に貿易振興グループがある。何をしているかがさっぱりわからぬ課。ここにこの八戸水産品を売る努力を求める。中国蘭州に八戸の水産品を売り込め。大志民グループリーダーは中国語を勉強しろ。「はちのへ今昔」は65歳でも国際交流が開いた中国語講座を受講中。やる気があれば歳なんてのは関係ない。真剣に八戸の将来、未来を見据えろ。暖める席のあるうちに、小林市長も市役所職員各位も。
2008年10月28日火曜日
ハサップのアキレス腱はここ、鍵は水道企業団2
八戸は港から拓けた。港に活気が戻れば八戸は再び燃えるのは間違いない。サバの水揚げが低迷したころ、八戸に陰りが出た。イカだけでは盛り上がりに欠ける。サンマは安定しているが、八戸にはほとんど揚がらない。揚げる努力が欠けているからだ。
サンマ船は県外船、八戸に水揚げして貰いたければ奨励金を出す、高く買うの2点がある。高く買うためには基金を作れ、市民からも拠出をあおぎ八戸魚基金を創設し、サンマを買い、生で中国内陸に出す、あるいは八戸にないサンマの加工場を作る。幸い八戸には冷蔵庫がある。その冷蔵庫は空の状態。魚を持つ者が勝ちそうな雰囲気が現在。
株価下落で国際的に暗いムードだが、どんな不景気でも食わない人間はいない。中国蘭州は人口三百万、料理店の水槽にはなまず、鮒が活魚として泳いでいる。その中国人に生サンマを食ってもらう。脂が乗りジュっと音たて醤油をかけて食べれば、必ず虜(とりこ)になろう。蘭州と八戸はガス事業を教えた関係で緊密。中国に物を売ると金が貰えずに苦労、が、市が仲介に入れば問題は払拭。
生食から加工品の輸出と話は次第に拡大。出来るところから手を染めていけばいい。八戸のサバも銀サバの称号がついたそうだ。いいことだ、自分の足元にある物の価値を正しく見る、そして他よりも価値があると思えば積極的に声高に宣伝することだ。ある物しかないのだ。ある物に価値をつけて売る、それが加工の技術であり付加価値なのだ。
加工品は搬送が容易、中国人が好む味付けを工夫できれば、無限の売り先が確保できる。
さて、八戸に魚が揚がる、それをセリにかける。魚をトラックに積み込む時に、プラスチックの函にシャーベット氷と水、魚を入れる。その水が岸壁下の汚染水では不衛生で、八戸の名を落とす。
そこで魚市場のコンクリートに魚を落としても絶えず水道水が流れて、床が清潔に保たれていればいい。すると、その水道水に幾らぐらいの金がかかるかが問題。現在八戸市内で工業用水道水を最大使う企業は年間六千万円を消費する。同等の金を必要とすれば、魚市場に毎年一億六千万円を一般会計から赤字補填でつぎ込むが、さらに赤字が拡大し、奈良岡副市長がいうように水道は高くつくとなる。
ところが、これは物を一方的にしか見ていない。どういうことかと言うと、八戸市の一企業が水道企業団。ここは議会があり、その議決で全てのことは進行する。
水道企業団の小島事務局長に問うた。国家的事業、国が第一号に指定したハサップ、これにタダで水道を供給しないかと。
即座に否、が、議会で承認されれば仕方がない。理事者側が何と不服を唱えても、議会制民主主義では理事者は発言の機会もない。これが醍醐味。議員提案の最大の面白味がここにこそある。
つまり、議員が時限立法でハサップ漁港が出来、魚市場が機能を発揮したとき、水道料を向こう五年無料供与、さらにその後は協議するの一項を入れれば、水道はタダで使える。そんなことをすれば水道料金が上がるだろうと心配する向きもあろうが、漏水が二割近くもある。これは無料だ。上げる必要はさらさらない。
世の中が神経質になり、衛生管理至上主義、その衛生面を担うのは水道。それを無料でふんだんに使い、世界にもまれな衛生的な魚市場に変われ。それこそがハサップの狙いなのだから。
皆が各々の分野で持てる力を最大限発揮しろ、死ねば出したくとも出ない。生きてるうちが勝負の時、小林市長は貰った限りのある時間の中で最大限自分を売ることだ。副市長も水道企業団も広域事務組合も、市役所も貴方を推戴(すいたい・おしいただくこと。特に、団体などの長としてむかえること)のふりはしているが本気になって立ててはいない。もっとも貴方だけでなく、彼等の本質はそうした人を愚弄する、慇懃無礼なものなのだが、世の中は自分の意思をブチ通す所だ、まして、それなりの権限を付与されている、それにおじけることなく存分に猿臂(えんぴ・肘)を伸ばし、八戸市民のため、居て良かった市長の名を得ることだ。
行政の長とは市民活動の原点を作ること、これに尽きる。
サンマ船は県外船、八戸に水揚げして貰いたければ奨励金を出す、高く買うの2点がある。高く買うためには基金を作れ、市民からも拠出をあおぎ八戸魚基金を創設し、サンマを買い、生で中国内陸に出す、あるいは八戸にないサンマの加工場を作る。幸い八戸には冷蔵庫がある。その冷蔵庫は空の状態。魚を持つ者が勝ちそうな雰囲気が現在。
株価下落で国際的に暗いムードだが、どんな不景気でも食わない人間はいない。中国蘭州は人口三百万、料理店の水槽にはなまず、鮒が活魚として泳いでいる。その中国人に生サンマを食ってもらう。脂が乗りジュっと音たて醤油をかけて食べれば、必ず虜(とりこ)になろう。蘭州と八戸はガス事業を教えた関係で緊密。中国に物を売ると金が貰えずに苦労、が、市が仲介に入れば問題は払拭。
生食から加工品の輸出と話は次第に拡大。出来るところから手を染めていけばいい。八戸のサバも銀サバの称号がついたそうだ。いいことだ、自分の足元にある物の価値を正しく見る、そして他よりも価値があると思えば積極的に声高に宣伝することだ。ある物しかないのだ。ある物に価値をつけて売る、それが加工の技術であり付加価値なのだ。
加工品は搬送が容易、中国人が好む味付けを工夫できれば、無限の売り先が確保できる。
さて、八戸に魚が揚がる、それをセリにかける。魚をトラックに積み込む時に、プラスチックの函にシャーベット氷と水、魚を入れる。その水が岸壁下の汚染水では不衛生で、八戸の名を落とす。
そこで魚市場のコンクリートに魚を落としても絶えず水道水が流れて、床が清潔に保たれていればいい。すると、その水道水に幾らぐらいの金がかかるかが問題。現在八戸市内で工業用水道水を最大使う企業は年間六千万円を消費する。同等の金を必要とすれば、魚市場に毎年一億六千万円を一般会計から赤字補填でつぎ込むが、さらに赤字が拡大し、奈良岡副市長がいうように水道は高くつくとなる。
ところが、これは物を一方的にしか見ていない。どういうことかと言うと、八戸市の一企業が水道企業団。ここは議会があり、その議決で全てのことは進行する。
水道企業団の小島事務局長に問うた。国家的事業、国が第一号に指定したハサップ、これにタダで水道を供給しないかと。
即座に否、が、議会で承認されれば仕方がない。理事者側が何と不服を唱えても、議会制民主主義では理事者は発言の機会もない。これが醍醐味。議員提案の最大の面白味がここにこそある。
つまり、議員が時限立法でハサップ漁港が出来、魚市場が機能を発揮したとき、水道料を向こう五年無料供与、さらにその後は協議するの一項を入れれば、水道はタダで使える。そんなことをすれば水道料金が上がるだろうと心配する向きもあろうが、漏水が二割近くもある。これは無料だ。上げる必要はさらさらない。
世の中が神経質になり、衛生管理至上主義、その衛生面を担うのは水道。それを無料でふんだんに使い、世界にもまれな衛生的な魚市場に変われ。それこそがハサップの狙いなのだから。
皆が各々の分野で持てる力を最大限発揮しろ、死ねば出したくとも出ない。生きてるうちが勝負の時、小林市長は貰った限りのある時間の中で最大限自分を売ることだ。副市長も水道企業団も広域事務組合も、市役所も貴方を推戴(すいたい・おしいただくこと。特に、団体などの長としてむかえること)のふりはしているが本気になって立ててはいない。もっとも貴方だけでなく、彼等の本質はそうした人を愚弄する、慇懃無礼なものなのだが、世の中は自分の意思をブチ通す所だ、まして、それなりの権限を付与されている、それにおじけることなく存分に猿臂(えんぴ・肘)を伸ばし、八戸市民のため、居て良かった市長の名を得ることだ。
行政の長とは市民活動の原点を作ること、これに尽きる。
2008年10月27日月曜日
ハサップのアキレス腱はここ、鍵は水道企業団1

国家が八戸を第一号として水産界の興亡を賭けたハサップ事業は着々と実施に向け進行中。が、これが失敗するのはここから。これを除去する必要があり、このことを二ケ月半調査。その結果を公表する。
八戸第3漁港を改修し64億円をかけて、ハサップ対応型の漁港を造る。国が半分。県、市がその半分づつ。もうかる漁業を作り出そう、それには衛生管理の徹底したノルウエー方式を採用しよう。

それは船を岸壁に横付けし、ポンプで魚を船倉から吸出しタンクローリーで加工場に運搬。これは人口が450万しかいないノルウエーだからできる。日本は船からおろした魚はセリにかける。だから、一度、魚を魚市場にならべる。ここで人手に触れる。魚を選別機にかけセリ、落札されたものは函に入れられ運搬。
写真の曲がったところに魚市場の建物が建設される。その下に四角の上が欠けた防波堤が見える。この右根元から汚濁水が流れ込んでいる。この写真はヤフーから転載、三年前のものと思われる。そもそも八戸の下水普及率は低く、この魚市場付近はゼロ。つまり生活雑排水の外、便所の浄化槽から溢れた水、
魚の加工場からの汚水がどんどんと流れ込んでくる。その証拠写真がそれぞれ。八戸市の環境政策課もこの事実は承知。この上流には労災病院の浄化槽の水も流れ込む。この水路の近辺2工場には汚濁改良命令を出したそうだ。市内5ヶ所の改善命令のうち2工場がここに水を流している。ここからハサップ魚市場は目と鼻の先。この海へと注ぎ込む開口部の水質検査をしていない。にもかかわらず、新魚市場棟の下から海水を汲み上げ、運搬用函に入れる。これではハサップとは言えない。
先ず、水質検査だ。それもせず棟の設計は進行、設計屋に安全な水を採取させるというが、それは無責任。どこに水が衛生的だの保障がある。
水産課は福島県相馬市松川原釜で岸壁下9㍍で新鮮な水を確保しているから、八戸も大丈夫だという。相馬市は人口3万8千、白銀地区は2万9千人。ここの人々の糞尿、生活雑排水がここに集結。相馬は港から離れた突端にあり、住民がいないところだ。比較する方がおかしい。これら資料を手に先月、奈良岡副市長と面談。事情を説明するが、取水は問題ないと返答。ポンプで揚げると目詰まりするとの弁にも、階上のあわびの種苗所で経験したと平然。
マリエント近くの水産高校のわかめ育苗所でも同様な目詰まりをすると言うのも、確かに目詰まりすると答えたのみ。
ハサップは衛生管理が大事、水道水で市場を洗浄しないと不審を抱かれる。今は食品衛生が問題視される時代、積極的に水道水を使用したらどうか。○水道は高くつきます。だから、海水を汲み上げるんです。
● その海水が汚濁しているから水質検査を急ぐべき。
○検討する必要があります。
そして副市長は中国へ視察、それから一ヶ月たつが返事もない。役人はこうしたもんだ。「はちのへ今昔」の意見をガス抜きで聞いてやれば満足すると思っているのだろう。サンマを中国に生で輸出できないかと訊くと、今回の視察で蘭州の冷凍輸送能力があるか調べてみますと返答したが、その結果を「はちのへ今昔」に知らせなければ法律違反、とはならないから返事もない。
副市長がじきじきに調べられないだろうから、市役所の貿易担当の大志民氏を同行させよというのもフムフムでそれっきり。「はちのへ今昔」もめっきり物忘れが激しくなったが、副市長のように意図的に物忘れはしない。どうする、ここがアキレス腱。攻められれば根底からハサップは崩れる。来年の選挙に勝ちたければ、小林市長を擁護せよ。市長が代れば副市長の存在理由はない。
今、居る席も仮の席、先なる席はないのやら、居たければ市長を擁護し、排撃される手段をひとつひとつ潰すことだ。座れる時間は限られて、先送りはもうできない。「はちのへ今昔」は自民でも民主でもない、八戸市民のためになる人物を探すだけ。
続
2008年9月23日火曜日
地域住民と行政 続

私の日本地図 宮本常一 五島列島から
離島振興法という法律は島に住む人たちの生産と生活を向上し、そこに住む人たちに希望を与えることを目的としたものであったが、政治的な現実はその逆の方向に動いているのである。私は船着場にあつまってきた子供たちを見て、子供たちは決してしあわせな生活をしているように思えなかった。港から村へ上ってゆく坂の途中にある井戸では、女の子が、井戸へ頭を突込んで水をくんでいた。そこからその水をになって丘の家までかえらなければならないのである。そういう生活を親たちもまたくりかえしてきたはずである。
小さな島を維持してゆくためにはいろいろの工夫がなされた。島主ともいうべき部落会長は一月の総会できめられる。島にのこる戸主の中からえらばれるのである。戸主は普通五五歳になると子供にあとをゆずって隠居することになっている。
島には村づとめということがある。二五歳になると、それから三年間は島にのこって島のいろいろの世話をしなければならない。三年つとめれば出稼などに出てもよい。一方五二歳になった者も三年間村づとめをする。それを終えると隠居する。部落会長はたいていこの年齢のものがつとめる。あとの者は出稼にいってもよいわけである。
さて区長のうちへいって村の役員にあつまってもらって話をきこうとすると、役員の一人が、「まえにこの島へ来た人があってこの島のことをきいていった。いろいろ話してあげたのだが、それがラジオで放送された。こちらの言ったこととずいぶんちがえて話されていた。村人にめいわくをかけて申しわけなく思っている。そういうことがあるといけないから、なるべく話したくない。」という。部落会長の口の重いわけもよくわかった。
ここでは村は一軒の家とおなじようになっている。そのためにここに住みついておられるのであって、みんなが思い思いのことをしていたのでは住めなくなってしまうのである。みんなが出稼ぎにいったあと、村人のしなければならない仕事はいろいろある。屋根ふき、道路修理、葬式、渡海の役目などがそれである。今は渡船も動力船になったけれども、昔は平押しの船であったから、冬の波のあるときは何人もの人が乗って船をこがねばならなかった。いま勅力船になっているので人手はいらなくなったが、一戸あたり半年に一五〇〇円ずつを負担しなければならぬ。三日にいちどずつ親島へ郵便物をとりにいくのだが、火急の用事にも船を出す。渡海のつとめは順番にやっているが、一回つとめると七〇円もらう。それは一戸負担一五〇〇円の中から差引するから渡海役を一〇日つとめれば七〇〇円、そこで渡船維持の負担は差額の八○○円を払えばよいということになる。
とにかく村を経営していくには経費もかかり労力もかかる。一年のうちに村夫役として出ていく日は五〇日をこえるという。渡船だけについて、日誌にしるしてあるのをひろってみると、九月二九日から翌年の四月二三日までに一五二回往復しており、それに出た夫役が延四五〇人になっている。ほぼ三人ずつ乗っていったことになっている。船を運転するだけでなく、荷物の運搬などもしなければならないからである。
村の経費の方は日をきめて島中が海藻を一日乃至二日とりにいったものを供出してもらって、それを売り、また島共有のイワシ網があって、その利益の四分一を区がもらうことにしている。海藻売上げが万一万円、イワシ網利益金六万円、電灯は島の共同経営で、電灯料六〇〇円、電話料五〇〇〇円、運賃七六〇〇円、区で精米事業をやっているので、その利益二〇〇〇円、合計で二一万円あまり、それが島の維持費である。
私は区の記録も少し見せてもらった。区の帳箱に何十冊というほど保存されている。それをつぶさにしらべてみたらこの島がどのように生きつづけてきたかがよくわかるであろう。貴重な資料だと思った。
この島へわたることは親島の役場でできるだけチェックしている。島の方でもいちいち役場で様子をきいて相手を迎える態度をきめる。島には宿も食堂もないのだから、やって来た人に対する待遇のことも考えなければならない。島へやってきても島の人のためにならないような人ならば三等まかない。多少とも島の役にたつことをしてくれる人なら二等まかない。島のために働いてくれる人ならば一等まかない。それは相手の身分や肩書に左右されることはない。実にはっきりした自主性をもっている。部落会長が診療船へ乗るとき買ったクロイオは私たちをまかなうためのものであった。そしてお酒も出た。私がこの島をおとずれて、いったいどればどの利益をもたらし、この島の役に立ったことだろう。このような島の人こそしあわせに暮してもらいたい。しかしその後風のたよりにきくと、区の経費の捻出ができなくて、イワシ網も売ったということである。島民全体の幸福をまもるということがいかにむずかしいことか。
宮本常一は離島まわりをして住民の生活を知った。この人の民俗学は歩きに徹した。風俗・習俗を超えていかに人々がその地で生きるかを記録。何故生きるのか、どうしてその地にしがみつくのかを温かい眼でみつめた。離島における地域住民の生活を通して、原始日本人が集団で生きるには税の負担をしのがなければならないことを教える。しかし、狭隘な地での自給自足は江戸時代の藩政の行き詰まりに似て、国家規模で地域を見直す以外に生き残るすべがない。それが近代日本で現代にその影を引きずる。
為政者は逡巡してはならない。決断の時には敢然として立ち向かうことだ。先送りこそ諸悪の根源。アメリカは日本の金融危機に先送りを見て、今日のアメリカバブルを敢然と処理に向かう。が、それだけでバブルの処理はできない。自由経済に巣くう欲望を除去できないからだ。
が、アメリカは日本の先送りの精神が経済を破壊し、日本沈没の諸悪の根源と断じたが、金を儲けたいの精神は自由経済では断ち切れない。さて、アメリカがどのように対処できるのか見もの。
さて、日本国家が威信をかけて水産の凋落を救うためにHACCPを打ち出す。その第一号が八戸。地域だけでは水産の勃興は不可能。県・国家規模の投資が必要。それを手にした小林市長の決断は良し。しかし、今一歩、どのように進行するかが見えない。アメリカが第二次世界大戦の折、大統領のルーズベルトが病をおして、ラジオで「炉辺談話」を国民に聞かせる。若者を戦場に送り出した。その責任は私にある。どうしても日本に勝たなければならないが、戦地で苦しむ若者に満足な武器弾薬が支給できない。これは戦勝し母国に帰り立派に働いてくれる若者をみすみす見殺しにしなければならない。どうぞ国民諸君、尊い若者の命を救うためにも、戦時国債を買ってはいただけまいか、と、切々と訴えた。これを聞いたアメリカ人は燃えた。時代の先端のメディア、ラジオお巧みに使った。
が、日本はそれを軍の管轄下に置き、嘘を並べた、どこそこで勝利した。勝利したのは敵側だった。そして敗戦。塗炭の苦しみを味わった。
小林市長の決断は正しい。が、取り巻きに知恵がない。国家が決めた64億円の投資、半分は国。県、市が四分の一づつ。だが、県の態度が不明。県が出さない分は市が負担。正当に十六億円を県に負担させるには、八戸市が根性を入れて推進する姿を見せることだ。最新のメディアのTVに市長自らが出演し、漁業家、加工家の意見と未来への夢をシリーズでTV紹介することだ。
ところが、市の広報調整課は乗り気だが、水産事務所の職員に民主党支持者がいて、この案を潰す気になっている。自民・民主のセコイ闘いに国家的規模、八戸市全体の浮沈をゆだねるな。
事態はそんな気の小さい話ではない。反対する者の名を今回は記さない。が、補正予算をとり、市長を前面に立てず県の助成を得られないとなれば、その職員が退職金を叩いても追いつかない。石黒次長が間違えても、彼の退職金から千五百万円を引けばそれですむ。ところが、たかが八戸市職員の退職金で十六億円をどう賄えるというのか。立場をわきまえろ。
追い出された中村元市長への忠誠心と八戸市の未来とどちらが大切か、よくよく考えろ。
離島振興法という法律は島に住む人たちの生産と生活を向上し、そこに住む人たちに希望を与えることを目的としたものであったが、政治的な現実はその逆の方向に動いているのである。私は船着場にあつまってきた子供たちを見て、子供たちは決してしあわせな生活をしているように思えなかった。港から村へ上ってゆく坂の途中にある井戸では、女の子が、井戸へ頭を突込んで水をくんでいた。そこからその水をになって丘の家までかえらなければならないのである。そういう生活を親たちもまたくりかえしてきたはずである。
小さな島を維持してゆくためにはいろいろの工夫がなされた。島主ともいうべき部落会長は一月の総会できめられる。島にのこる戸主の中からえらばれるのである。戸主は普通五五歳になると子供にあとをゆずって隠居することになっている。
島には村づとめということがある。二五歳になると、それから三年間は島にのこって島のいろいろの世話をしなければならない。三年つとめれば出稼などに出てもよい。一方五二歳になった者も三年間村づとめをする。それを終えると隠居する。部落会長はたいていこの年齢のものがつとめる。あとの者は出稼にいってもよいわけである。
さて区長のうちへいって村の役員にあつまってもらって話をきこうとすると、役員の一人が、「まえにこの島へ来た人があってこの島のことをきいていった。いろいろ話してあげたのだが、それがラジオで放送された。こちらの言ったこととずいぶんちがえて話されていた。村人にめいわくをかけて申しわけなく思っている。そういうことがあるといけないから、なるべく話したくない。」という。部落会長の口の重いわけもよくわかった。
ここでは村は一軒の家とおなじようになっている。そのためにここに住みついておられるのであって、みんなが思い思いのことをしていたのでは住めなくなってしまうのである。みんなが出稼ぎにいったあと、村人のしなければならない仕事はいろいろある。屋根ふき、道路修理、葬式、渡海の役目などがそれである。今は渡船も動力船になったけれども、昔は平押しの船であったから、冬の波のあるときは何人もの人が乗って船をこがねばならなかった。いま勅力船になっているので人手はいらなくなったが、一戸あたり半年に一五〇〇円ずつを負担しなければならぬ。三日にいちどずつ親島へ郵便物をとりにいくのだが、火急の用事にも船を出す。渡海のつとめは順番にやっているが、一回つとめると七〇円もらう。それは一戸負担一五〇〇円の中から差引するから渡海役を一〇日つとめれば七〇〇円、そこで渡船維持の負担は差額の八○○円を払えばよいということになる。
とにかく村を経営していくには経費もかかり労力もかかる。一年のうちに村夫役として出ていく日は五〇日をこえるという。渡船だけについて、日誌にしるしてあるのをひろってみると、九月二九日から翌年の四月二三日までに一五二回往復しており、それに出た夫役が延四五〇人になっている。ほぼ三人ずつ乗っていったことになっている。船を運転するだけでなく、荷物の運搬などもしなければならないからである。
村の経費の方は日をきめて島中が海藻を一日乃至二日とりにいったものを供出してもらって、それを売り、また島共有のイワシ網があって、その利益の四分一を区がもらうことにしている。海藻売上げが万一万円、イワシ網利益金六万円、電灯は島の共同経営で、電灯料六〇〇円、電話料五〇〇〇円、運賃七六〇〇円、区で精米事業をやっているので、その利益二〇〇〇円、合計で二一万円あまり、それが島の維持費である。
私は区の記録も少し見せてもらった。区の帳箱に何十冊というほど保存されている。それをつぶさにしらべてみたらこの島がどのように生きつづけてきたかがよくわかるであろう。貴重な資料だと思った。
この島へわたることは親島の役場でできるだけチェックしている。島の方でもいちいち役場で様子をきいて相手を迎える態度をきめる。島には宿も食堂もないのだから、やって来た人に対する待遇のことも考えなければならない。島へやってきても島の人のためにならないような人ならば三等まかない。多少とも島の役にたつことをしてくれる人なら二等まかない。島のために働いてくれる人ならば一等まかない。それは相手の身分や肩書に左右されることはない。実にはっきりした自主性をもっている。部落会長が診療船へ乗るとき買ったクロイオは私たちをまかなうためのものであった。そしてお酒も出た。私がこの島をおとずれて、いったいどればどの利益をもたらし、この島の役に立ったことだろう。このような島の人こそしあわせに暮してもらいたい。しかしその後風のたよりにきくと、区の経費の捻出ができなくて、イワシ網も売ったということである。島民全体の幸福をまもるということがいかにむずかしいことか。
宮本常一は離島まわりをして住民の生活を知った。この人の民俗学は歩きに徹した。風俗・習俗を超えていかに人々がその地で生きるかを記録。何故生きるのか、どうしてその地にしがみつくのかを温かい眼でみつめた。離島における地域住民の生活を通して、原始日本人が集団で生きるには税の負担をしのがなければならないことを教える。しかし、狭隘な地での自給自足は江戸時代の藩政の行き詰まりに似て、国家規模で地域を見直す以外に生き残るすべがない。それが近代日本で現代にその影を引きずる。
為政者は逡巡してはならない。決断の時には敢然として立ち向かうことだ。先送りこそ諸悪の根源。アメリカは日本の金融危機に先送りを見て、今日のアメリカバブルを敢然と処理に向かう。が、それだけでバブルの処理はできない。自由経済に巣くう欲望を除去できないからだ。
が、アメリカは日本の先送りの精神が経済を破壊し、日本沈没の諸悪の根源と断じたが、金を儲けたいの精神は自由経済では断ち切れない。さて、アメリカがどのように対処できるのか見もの。
さて、日本国家が威信をかけて水産の凋落を救うためにHACCPを打ち出す。その第一号が八戸。地域だけでは水産の勃興は不可能。県・国家規模の投資が必要。それを手にした小林市長の決断は良し。しかし、今一歩、どのように進行するかが見えない。アメリカが第二次世界大戦の折、大統領のルーズベルトが病をおして、ラジオで「炉辺談話」を国民に聞かせる。若者を戦場に送り出した。その責任は私にある。どうしても日本に勝たなければならないが、戦地で苦しむ若者に満足な武器弾薬が支給できない。これは戦勝し母国に帰り立派に働いてくれる若者をみすみす見殺しにしなければならない。どうぞ国民諸君、尊い若者の命を救うためにも、戦時国債を買ってはいただけまいか、と、切々と訴えた。これを聞いたアメリカ人は燃えた。時代の先端のメディア、ラジオお巧みに使った。
が、日本はそれを軍の管轄下に置き、嘘を並べた、どこそこで勝利した。勝利したのは敵側だった。そして敗戦。塗炭の苦しみを味わった。
小林市長の決断は正しい。が、取り巻きに知恵がない。国家が決めた64億円の投資、半分は国。県、市が四分の一づつ。だが、県の態度が不明。県が出さない分は市が負担。正当に十六億円を県に負担させるには、八戸市が根性を入れて推進する姿を見せることだ。最新のメディアのTVに市長自らが出演し、漁業家、加工家の意見と未来への夢をシリーズでTV紹介することだ。
ところが、市の広報調整課は乗り気だが、水産事務所の職員に民主党支持者がいて、この案を潰す気になっている。自民・民主のセコイ闘いに国家的規模、八戸市全体の浮沈をゆだねるな。
事態はそんな気の小さい話ではない。反対する者の名を今回は記さない。が、補正予算をとり、市長を前面に立てず県の助成を得られないとなれば、その職員が退職金を叩いても追いつかない。石黒次長が間違えても、彼の退職金から千五百万円を引けばそれですむ。ところが、たかが八戸市職員の退職金で十六億円をどう賄えるというのか。立場をわきまえろ。
追い出された中村元市長への忠誠心と八戸市の未来とどちらが大切か、よくよく考えろ。
2008年9月22日月曜日
地域住民と行政
私の日本地図 宮本常一 五島列島から
宮本常一は民俗学者。日本中を旅して歩いた。良い作品ばかりだ。著者の日本人に対する優しい眼を文章から感ずるため、いまでも人々の心を打つ。
昭和四十年頃の話だがその中から八戸のハサップ(八戸港市場整備)の考え方のもとになるものを掲載。
六島 この島が共和制をしいていることを聞いて行った。港が小さいので困りはてて、島の南岸に防波堤をつくりはじめているが、経費が九四九万円で、そのうち、国が三二○万円、県が一〇八万円、町がニ一六万円負担してくれるけれども、地元負担が三二五万円で一戸平均一〇万円もかかる。これはまずしい島民としては実に重い負担であるが、工事費は一六〇〇万円もかかるであろう。そうなったとき、どうしたらよいか見当もつかないという。何とかして島民の負担を少なくすることを考えなければならないが妙案がうかばない。
島では経費を生み出すために、島の周囲にあった防風林の大半を伐って売ってしまった。台風などのときはどうすればいいのだろう。潮風があてて作物ができなくなってしまうはずである。そんなにしても港はほしいのである。いままで使用していた港は島の西南にある。よい港だがふところがせまく、漁船の型が大きくなると困ってしまう。
診療船はその港の方へついたけれども、波止の内へははいらなかった。動力船は波止の内側にならべてつないであったが、手押しの船は皆ひきあげてあった。漁獲をあげるためにはこの手押の船をすべて動力船にしなければならない,それ以外に島を発展させることはできないとのことである。
私はその話をいちいちもっともだと思ったが、港をつくるという一つの冒険が島を経済的な破綻にまでみちびくのではないかと思った。こういう経費は国家で見るべきではないのであろうか。
それとも国はこういう島の人びとの引きあげをのぞんでいるのであろうか。生きてゆくためにどうしようもない島ならば引きあげるのもまたよいであろう。しかし何百年というほど住みついてきた島が、現在になって住めなくなるとしたら、その原因はどこにあるのであろうか、また責任は誰にあるのであろうか。いままで往むことのできた世界を住みにくいものにしていくということの中にほんとうの国の発展があるのであろうか。
国を今日の上うにまで発展させ文化を高め得たものは土着の思想であったと思っている。その土を愛し、その土に人間の血をかよわせようとする努力が、この国を生き生きさせたのである。そのような愛情と努力は、すくなくも戦前までは国の隅々まで見られた。それが、いま国の隅々を住みにくいものにさせ、その人たちの気持をおちつかせなくしつつある。そしてその住む土地に対する愛着は急にひえはじめている。そしてその結果生ずる向都離村が、世の中の発展していく過程の中で、当然の現象なのか、あるいはヒズミなのか。そのことについて適切な解答を与えるものはない。
八戸は漁港として繁栄したが、海外への漁業がしめだされ衰退の一途、二百海里がもたらした国家的危機が八戸をモロに襲った。しかし、八戸は加工業者が知恵と努力で水産都市八戸の名を高めている。そこへ国がハサップ型漁業推進の地として認定。宮本常一が言う土着の人の愛着が良い成果を上げている。国が半分負担し、県、市がその半分づつだ。
地元は地元民以外に維持し改善することはできない。しかし、今回は国が積極的に推進する。この好機をものにできなければ未来の八戸は永遠に来ない。そのためには改良型漁業、食品衛生の徹底した漁港にするべき。改善すべきはして、遺漏のない状態で八戸の新漁業を推進しなければならない。
宮本常一は民俗学者。日本中を旅して歩いた。良い作品ばかりだ。著者の日本人に対する優しい眼を文章から感ずるため、いまでも人々の心を打つ。
昭和四十年頃の話だがその中から八戸のハサップ(八戸港市場整備)の考え方のもとになるものを掲載。
六島 この島が共和制をしいていることを聞いて行った。港が小さいので困りはてて、島の南岸に防波堤をつくりはじめているが、経費が九四九万円で、そのうち、国が三二○万円、県が一〇八万円、町がニ一六万円負担してくれるけれども、地元負担が三二五万円で一戸平均一〇万円もかかる。これはまずしい島民としては実に重い負担であるが、工事費は一六〇〇万円もかかるであろう。そうなったとき、どうしたらよいか見当もつかないという。何とかして島民の負担を少なくすることを考えなければならないが妙案がうかばない。
島では経費を生み出すために、島の周囲にあった防風林の大半を伐って売ってしまった。台風などのときはどうすればいいのだろう。潮風があてて作物ができなくなってしまうはずである。そんなにしても港はほしいのである。いままで使用していた港は島の西南にある。よい港だがふところがせまく、漁船の型が大きくなると困ってしまう。
診療船はその港の方へついたけれども、波止の内へははいらなかった。動力船は波止の内側にならべてつないであったが、手押しの船は皆ひきあげてあった。漁獲をあげるためにはこの手押の船をすべて動力船にしなければならない,それ以外に島を発展させることはできないとのことである。
私はその話をいちいちもっともだと思ったが、港をつくるという一つの冒険が島を経済的な破綻にまでみちびくのではないかと思った。こういう経費は国家で見るべきではないのであろうか。
それとも国はこういう島の人びとの引きあげをのぞんでいるのであろうか。生きてゆくためにどうしようもない島ならば引きあげるのもまたよいであろう。しかし何百年というほど住みついてきた島が、現在になって住めなくなるとしたら、その原因はどこにあるのであろうか、また責任は誰にあるのであろうか。いままで往むことのできた世界を住みにくいものにしていくということの中にほんとうの国の発展があるのであろうか。
国を今日の上うにまで発展させ文化を高め得たものは土着の思想であったと思っている。その土を愛し、その土に人間の血をかよわせようとする努力が、この国を生き生きさせたのである。そのような愛情と努力は、すくなくも戦前までは国の隅々まで見られた。それが、いま国の隅々を住みにくいものにさせ、その人たちの気持をおちつかせなくしつつある。そしてその住む土地に対する愛着は急にひえはじめている。そしてその結果生ずる向都離村が、世の中の発展していく過程の中で、当然の現象なのか、あるいはヒズミなのか。そのことについて適切な解答を与えるものはない。
八戸は漁港として繁栄したが、海外への漁業がしめだされ衰退の一途、二百海里がもたらした国家的危機が八戸をモロに襲った。しかし、八戸は加工業者が知恵と努力で水産都市八戸の名を高めている。そこへ国がハサップ型漁業推進の地として認定。宮本常一が言う土着の人の愛着が良い成果を上げている。国が半分負担し、県、市がその半分づつだ。
地元は地元民以外に維持し改善することはできない。しかし、今回は国が積極的に推進する。この好機をものにできなければ未来の八戸は永遠に来ない。そのためには改良型漁業、食品衛生の徹底した漁港にするべき。改善すべきはして、遺漏のない状態で八戸の新漁業を推進しなければならない。
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