金明花・著 在日本朝鮮青年同盟・編
貧農の家に生まれた著者は、幼い頃から馬の尾毛を材料とした冠りを夜おそくまで編んで家計のたしにする。母は水がめを頭にのせて村々を売り歩き、ために髪の毛もほとんど技ける。十六の時、咸鏡北道鏡城郡に越し、家内で機織りをやるが、貧ゆえに売られゆく友達の姿に憤りを抱く。やがて二十歳で十人家族の長男李容徳に嫁ぎ、
「朝鮮はなんとうるわしい国だろう…だがわれわれ朝鮮人は倭奴の鉄鎖にしばられ苦しみにあえいでいる…あいつらをわれわれの手で打ち倒すのだ」
との夫の言に著者は深くうなずく。税金は重く、家計の苦しさから故郷を捨て、一家は満州・北間島延吉県鳳林洞に移る.
しかし、「ここでも、地主の搾取は朝鮮とかわることなくひどかった」。夫はひそかに革命組織に入る。家には共産党支部の人達が出入りし、著者は同志達の話を聞きながら次第に社会矛盾の本質を理解するようになり、連絡、ビラ配布等の活動に参加してゆく。
やがて婦女会、反帝同盟などに入って他村への宣伝工作に携わるようになるが、一九三二年はじめ、夫は逮捕され、延吉監獄に収容される。同年夏、著者は共産党に入党。だが同時期、著者は夫の弟二人と、夫を失うことになる。一人の弟は秘密通信文所持で反動団体員に殺され、一人は捜索にきた「討伐隊」に殺された。夫は一旦釈放されるが、再び逮捕され、竜井の日本領事館で壮烈な最期を遂げる。
著者は同志に勧められて遊撃根拠地に入る。根拠地の住民たちは遊撃隊と一緒になって「討伐隊」と戦った。一九三三年四月、著者は延吉県遊撃隊に入隊し、武器をとって闘うことになる。しかし、最初は炊事班である。
一緒になった若い女性隊員たちの経歴も著者のそれと似ていて、三十一歳の著者は「明花オモニ(おっかさん)」と慕われる。
二十二歳の崔淑同志、彼女の夫は延吉監獄で拷問を受け、パルチザンの秘密を守るために舌をかみきって自決する。彼女の大胆な戦いぶりと崇高な同志愛。
金貞淑同志の諸種の革命任務への忠実性、類い稀な自己犠牲精神と敵に対する勇敢性。
崔煕淑同志の夫はソウルの西大門刑務所に投獄される。彼女は重傷を負って敵手におちた時、
「朝鮮はきっと解放されるだろう…おまえたちは祖国を裏切リ、侵略者日帝の走狗になりさがっているが、わたしたち共産党員と人民は日帝をうちくだき、どんなことがあっても祖国をとりもどすだろう」
と叫ぶ。敵は彼女の両眼をくりぬき、心臓までもえぐりとった。
著者は、敦化の大森林で、重傷を負った中国人同志の保護を受持ち、想像を絶する悪条件の中を超人的な献身性で七十七日間も持ちこたえ、任務を果した。日常はつつましやかで、万事に控え目な彼女たちの、鬼神をも哭かしむる戦いぶりは何に発しているのか。問うも愚かなことであろう。
本書は「金日成元帥とともに」という一章を立て、新しい時代の民族解放闘争の中核・抗日遊撃隊の創設者金日成将軍の、革命情勢の節目節目における卓越した指導力と、隊員や大衆との人間味あふれる応対の一端を紹介している。隊員の侵略者日本に対する燃えたぎる憎悪は、金日成将軍の適切な指導がなかったならば、散発的な個人テロに終わり、民族解放と新社会建設の大業とは効果的には結び付かなかったであろう。
著者は祖国解放後、延吉県鳳林洞を訪れ、息子と娘に再会する。十四年の歳月は娘をして容易には母の懐に飛び込ませない。真夜中、皆がひっそりと寝静まったフトンの中でそっとまさぐる娘の手をとらえ、母娘が抱擁する場面は実に感動的である。
2008年9月13日土曜日
2008年8月3日日曜日
日・朝間の見解の相違
世の中は百人いれば百の意見があってしかるべし。朝鮮併合があったのは1910年8月。その前年、1909年7月に朝鮮併合の方針が閣議決定されたものの、韓国統監府を辞して帰国していた伊藤博文はあくまでも併合自体は将来的な課題として早期合併に抵抗を続けていた。しかし、10月26日に安重根によって伊藤博文が暗殺されたことにより早期併合に反対する有力な政治家がいなくなったこと、および初代首相であり元老のひとりでもあった伊藤を暗殺されたことによって日本の世論が併合に傾いていった。
こうした意見が日本にはあったようだが、朝鮮側はこのように記述。
伊藤、皇帝に譲位をせまり、七条の協約を強要する
伊藤はついに、密使問題を口実に廃帝を決行した。伊藤は、李、宋らを教唆して、「日本は開戦する」などの流言をとばさせたり、「長谷川が皇居砲撃態勢をとる」と言明させたり、また「皇帝は日本に行って謝罪せよ」とも要請させた。また日本外務大臣林は、伊藤に協力するため、ただちにソウルにやって来た。
十七日夜、李らは皇帝に譲位を奏請した。皇帝はテーブルを叩いて激怒し、これを拒否した。李は翌日もまた譲位の要求をやめなかった。皇帝は、熟慮しながらもみずから決断しようとしたが、李は「まちがえば禍は国家の安危に及ぶ」とも言った。夜になって、「皇位は皇太子に代理せしむ」との命令がでたが、伊藤はなお李を指揮して譲位式を強行することを決定し、そのうえ林と要求条件まで密議した。
十九日早朝に、譲位の詔書がにわかに下った。人心はいよいよ激しく狂奔疾呼し、人々は皇居の外に雲集した。日本警官は群衆を駆逐しようとしたが、人民は瓦礫を乱投し、数名が負傷した。日本兵は発砲してこれを撃退した。また数名の人民が鍾路に集まって激昂して演説し、日本の交番所を破壊し、日本人十余名が負傷した。同友会員姜、宋らは、決死隊を組織し、李の家を焼き、日本の警察署を襲撃した。伊藤は軍隊を出動して鎮圧させた。暴動は数日を経て終わった。
安重根は海州の出身で、幼時から秀才の誉れたかく、学問は人の道に通じ、併せて武芸にはげんだ。十五歳の時、東学党の乱にあい、父泰勲は起義挙兵して東学党を討伐した。重根は、父の軍に入隊して賊徒を甚だ多く殺傷し、功があった。
己酉十月、伊藤は満州を視察し、ロシア大蔵大臣と会見しようとした。おもうに、満蒙の利権を協定し、そのうえ各国の密使と中国問題を協議し、みずから中国の財政統監をつとめようとひそかに決めていたのであろう。ここで重根は、決然として奮いたった。老賊伊藤が満州に来るのは、天が機会を与えてくれたものであるとして、ただちにハルビン駅に行った。駅頭には、数千のロシアの警備兵、各国領事団や見物人がむらがり、軍楽がつぎつぎに奏でられ、爆竹が鳴りつづけていた。伊藤はロシア大臣と握手し、儀仗兵を閲兵し、おもむろに各国領事団の方にむかって歩きだした。重根は、伊藤にむかって十歩ぐらいのあいだをおいて、ロシア軍の背後にたった。統をあげて一発をうち、まず伊藤の胸に命中。しかし、爆竹の音が発射音を乱し、各軍はまだ気がつかなかった。 重根は「朝鮮独立万歳」を三唱して捕縛された。重根は手をうって大笑しながら、「どうして私が逃げると思うのか」と叫んだ。
世の中はこうしたもんだ。どちらも正しいのかも知れない。どちらも間違っているのかもしれない。こうなると河島英五のてんびんばかりの歌の世界だ。
誤魔化さないで、そんな言葉ではボクは満足できないのです、てんびんばかりは重たいほうに傾くにきまっているじゃないか、どちらももう一方より重たいくせに、どちらへも傾かないなんておかしいよ。
「はちのへ今昔」は傾いた見方をしているが、それを嘘と呼ぶ人も、異見という人もあるが、どちらかへ傾くのが摂理(せつり・自然界を支配している法則)。
こうした意見が日本にはあったようだが、朝鮮側はこのように記述。
伊藤、皇帝に譲位をせまり、七条の協約を強要する
伊藤はついに、密使問題を口実に廃帝を決行した。伊藤は、李、宋らを教唆して、「日本は開戦する」などの流言をとばさせたり、「長谷川が皇居砲撃態勢をとる」と言明させたり、また「皇帝は日本に行って謝罪せよ」とも要請させた。また日本外務大臣林は、伊藤に協力するため、ただちにソウルにやって来た。
十七日夜、李らは皇帝に譲位を奏請した。皇帝はテーブルを叩いて激怒し、これを拒否した。李は翌日もまた譲位の要求をやめなかった。皇帝は、熟慮しながらもみずから決断しようとしたが、李は「まちがえば禍は国家の安危に及ぶ」とも言った。夜になって、「皇位は皇太子に代理せしむ」との命令がでたが、伊藤はなお李を指揮して譲位式を強行することを決定し、そのうえ林と要求条件まで密議した。
十九日早朝に、譲位の詔書がにわかに下った。人心はいよいよ激しく狂奔疾呼し、人々は皇居の外に雲集した。日本警官は群衆を駆逐しようとしたが、人民は瓦礫を乱投し、数名が負傷した。日本兵は発砲してこれを撃退した。また数名の人民が鍾路に集まって激昂して演説し、日本の交番所を破壊し、日本人十余名が負傷した。同友会員姜、宋らは、決死隊を組織し、李の家を焼き、日本の警察署を襲撃した。伊藤は軍隊を出動して鎮圧させた。暴動は数日を経て終わった。
安重根は海州の出身で、幼時から秀才の誉れたかく、学問は人の道に通じ、併せて武芸にはげんだ。十五歳の時、東学党の乱にあい、父泰勲は起義挙兵して東学党を討伐した。重根は、父の軍に入隊して賊徒を甚だ多く殺傷し、功があった。
己酉十月、伊藤は満州を視察し、ロシア大蔵大臣と会見しようとした。おもうに、満蒙の利権を協定し、そのうえ各国の密使と中国問題を協議し、みずから中国の財政統監をつとめようとひそかに決めていたのであろう。ここで重根は、決然として奮いたった。老賊伊藤が満州に来るのは、天が機会を与えてくれたものであるとして、ただちにハルビン駅に行った。駅頭には、数千のロシアの警備兵、各国領事団や見物人がむらがり、軍楽がつぎつぎに奏でられ、爆竹が鳴りつづけていた。伊藤はロシア大臣と握手し、儀仗兵を閲兵し、おもむろに各国領事団の方にむかって歩きだした。重根は、伊藤にむかって十歩ぐらいのあいだをおいて、ロシア軍の背後にたった。統をあげて一発をうち、まず伊藤の胸に命中。しかし、爆竹の音が発射音を乱し、各軍はまだ気がつかなかった。 重根は「朝鮮独立万歳」を三唱して捕縛された。重根は手をうって大笑しながら、「どうして私が逃げると思うのか」と叫んだ。
世の中はこうしたもんだ。どちらも正しいのかも知れない。どちらも間違っているのかもしれない。こうなると河島英五のてんびんばかりの歌の世界だ。
誤魔化さないで、そんな言葉ではボクは満足できないのです、てんびんばかりは重たいほうに傾くにきまっているじゃないか、どちらももう一方より重たいくせに、どちらへも傾かないなんておかしいよ。
「はちのへ今昔」は傾いた見方をしているが、それを嘘と呼ぶ人も、異見という人もあるが、どちらかへ傾くのが摂理(せつり・自然界を支配している法則)。
2008年7月18日金曜日
朝鮮人は凌虐に耐え、しかも矜恃を保つ民族
東洋文庫に「朝鮮独立運動の血史」がある。その中に次の文あり。中米新聞社『大陸報』は、つぎのように言っている。
ある欧米の女性宣教師は、さいきん朝鮮を訪問し、日本人の朝鮮人待遇の実情を調査し、このほど上海に帰った。彼女の述べるところによると、朝鮮の女性たちに対する日本人の態度は、非常に残酷無惨である。現在の朝鮮は厳然たる暗黒時代で、道徳的にも学問的にもきわめて水準の高いすぐれた女性たちは、ほとんど牢獄に入れられて、筆舌につくしがたい虐待を加えられ、きわめて多数の人が、ひとしく心理上、生理上の深い傷痕をこうむっている。
しかし、朝鮮人民の独立精神は、このうえなくすぐれ、かつ偉大で、百折不撓(ひゃくせつふとう・何度くじけても尚心がかたく、困難に屈しないこと)、たとえ死んでもなお後侮しないものがある。そのために、日本兵や警官に対しても、すでに畏怖するものはなにもない。日本人はつねに「外国の宣教師がそそのかした」とデマをとばすが、実はいささかの根拠もないのである。朝鮮人の独立要求は、すべて自発的である。
同女性宣教師は、種々の文献的証拠をつかんでいるが、その証拠のうちの一例は、ある日本官憲が一女学生の事件を審理した記録によるものである。そのなかで同女学生は、「教師の教えに従わないで、街路で、朝鮮の国旗をもち自由独立を高唱した。日本人はこの女学生を逮捕し、衣服を剥ぎ、木架に縛りつけ、顔面を竹刀でなぐりつけた」と述べている。その他多くの惨刑は、いちいち枚挙のいとまがないほどである。これらの女学生は、ひとしく愛国心に富み、学問にすぐれ、また英語をよく駆使できる者である。
彼女らが、旗を高く掲げ「万歳」を高唱するのは、一種の消極的愛国の行動にすぎない。それは、上海でストライキをする中国の女学生と、なんら異なる点はない。しかし、日本人は、この朝鮮人学生の行動をあたかも仇のように待遇しているのである。
マリアという名のある女学生を法廷で訊問したとき、日本官憲は、マリアに、「お前は朝鮮独立を考えてどれくらいになるか」と質問した。マリアは、「わたしは心の中で独立を考えない時はありません」と答えた。日本官憲は、「お前はなんで、男子と同じように独立運動をしようとするのか」と言った。マリアは、「世界のあらゆる成功者は、みな男女が協力して成功しています。よい家庭は、かならず、夫婦が協力してつくるものであります。よい国家もまた、かならず、男女協力してこれをつくるものです」と答えた。つぎに「お前はどういう料簡で独立がいちばん大切なものと信ずるのか」と問うと、「わたしは朝鮮人である以上、朝鮮の独立を望むのはあたりまえのことです」と言った。「お前は立派な教育をうけているが、別に特別の理由があればすべて申したてなさい」と言うと、「わたしは、わたしの考えをことごとくあなたに話したいとは思いません」と答えた。
日本官憲が「お前は日韓合併と日本政府の政策を、どのように考えているのか」と聞いた。マリアは、「朝鮮は、けっして日本の合併には応じません。あなたの政府の朝鮮支配にいたっては、すべて公道に反し、まさにドイツがその属国を処置したところとまったく異ならないものです」と言った。日本官憲が、「お前が朝鮮の独立を要求するのは、別に特別の理由があるか、どうか」と言うと、「わたしには、三つの理由があります。一つは、朝鮮の幸福を図るためであります。二つは、日本帝国の幸福を図るためであります。三つは、世界の平和を図るためであります。第一は、朝鮮と日本の歴史、風俗、言語はまったく異なっています。日本はけっして朝鮮を同化することはできません。わが国のさきの皇帝と人民は、けっして合併を願ってはいませんでした。さきの皇帝が合併条約に署名したのは、日本人が武力で強要したからです。ここ十年来、朝鮮人民は、独立を図り、前者が倒れれば後者がその意志を継ぎ、つぶさに、あらゆる痛苦をなめ、一命をうしなっても後悔せず、男女老幼全国民は一丸となり、一人として独立を切望しないものはありません。第二は、朝鮮人民はすでに日本の支配を拒否し、あなたがた日本のいかなる圧制をも問題としていません。ついに叛乱はまぬがれがたいでしょう。したがって、あなたがた日本がその安全を計るためには、朝鮮の独立を許すのがよい方法でありましょう。
第三は、朝日両国間が険悪で衝突をくり返せば、極東の平和はないし、またひいては全世界の平和もない。そのため、世界の平和をはかろうとすれば、先ず朝鮮を独立せしむべきです」と言った。日本官憲は、「お前の話には誤りがある。お前はなにを考えて独立を求めているのか。アメリカをたのんでか、武力をたのんでか、それとも平和会議か」と質問した。マリアは、「わたしは神を信じています。わたしはアメリカに期待などしていない。また武力をたのんでもいない。日本が朝鮮を併合したときは、武力的征服ではなく会議のかたちをとりました。そのため、わたしもまた、日本政府との情理のある談判で独立を恢復することを望むものです」と言った。
日本官憲は、「お前にはすでに、なにも手にいれられるものはない。なんであえてこのようにおろかな行動をするのか」と言った。
マリアは、「事は人によってなされるが、その成敗は、運命であります。わたし個人の力は弱く無能ですが、しかし、かならず国家のために力をだすべきであります」と言った。日本官憲は、「お前は教育をうけており、この料簡のせまい偏見をすてて、つとめて日本人と同化につとめよ」と言った。マリアは、「わたしは、そんなことはできません。わたしは朝鮮人です。かならず朝鮮の独立を希望します云々」と答えた。
この他にも、なお、ある村に一女性がいた。名を張雪といった。奥地のちいさな村に住んでいた彼女は、独立運動の風評を聞き、この風評をまちがいないものと信じた。そして、ついに、人にも知らせず、みずから葬衣一揃えをつくり、ある朝早くこの葬衣を着て警察署の前に行き、大声で「独立万歳」を叫んだ。日本警官はただちにこの奇女を逮捕し、「いったい誰に教えられてこのような奇態を演じたか」を聞いた。張雪は、「教えた人はいない」と答えた。日本の警察は、「教えた人がいないなら、なんでお前は『万歳』を叫ぶのを知っているのか」と言った。張雪は答えて、「鶏は、夜があけはじめると鳴くものですが、はたして誰が鳴くことを教えたのでしょう。わが国の独立の日は、すでに曙光が見えています。そのために、わたしが『万歳』を叫んだだけです」と言った。二日後、日本警官はその両手に拷問を加え投獄した。彼女はまた、縛られた手指を咬みやぶって、血をもって着物の襟の上に「独立」の二字を書いた。その家族がこのことを知り、獄中に食事を差し入れた。張雪は、このとくべつ良い食事をとろうとせず、獄中の人と苦楽をともにすることをねがった。また種々の苦役を志願して、少しもうらみごとを言わなかった。
朝鮮はすでに復活し、女子の英傑は男子に異ならない。種々奮闘につとめ、断固節操をたもち闘いつづけることこのようであったので、これを考える日本人をしてぞっとさせるものがあった。
日本が戦争に負けたとき、この闘いが出来た人がいたか。負けても負けないのが朝鮮民族。いつも虐げられている人は、表面は温和だが、腹の底は煮えたぎっている。ベトナムでもこれを見た。同じ東洋人だが、日本人は直ぐ忘れる民族だ。自分が倒れても、その意思を次なる者が引き継ぐの精神は殴られ続けて体得したものだ。三つ児の魂百までもで、恥辱は雪(すす)ぐが彼等の基本なのだ。学ぶところが多い。
ある欧米の女性宣教師は、さいきん朝鮮を訪問し、日本人の朝鮮人待遇の実情を調査し、このほど上海に帰った。彼女の述べるところによると、朝鮮の女性たちに対する日本人の態度は、非常に残酷無惨である。現在の朝鮮は厳然たる暗黒時代で、道徳的にも学問的にもきわめて水準の高いすぐれた女性たちは、ほとんど牢獄に入れられて、筆舌につくしがたい虐待を加えられ、きわめて多数の人が、ひとしく心理上、生理上の深い傷痕をこうむっている。
しかし、朝鮮人民の独立精神は、このうえなくすぐれ、かつ偉大で、百折不撓(ひゃくせつふとう・何度くじけても尚心がかたく、困難に屈しないこと)、たとえ死んでもなお後侮しないものがある。そのために、日本兵や警官に対しても、すでに畏怖するものはなにもない。日本人はつねに「外国の宣教師がそそのかした」とデマをとばすが、実はいささかの根拠もないのである。朝鮮人の独立要求は、すべて自発的である。
同女性宣教師は、種々の文献的証拠をつかんでいるが、その証拠のうちの一例は、ある日本官憲が一女学生の事件を審理した記録によるものである。そのなかで同女学生は、「教師の教えに従わないで、街路で、朝鮮の国旗をもち自由独立を高唱した。日本人はこの女学生を逮捕し、衣服を剥ぎ、木架に縛りつけ、顔面を竹刀でなぐりつけた」と述べている。その他多くの惨刑は、いちいち枚挙のいとまがないほどである。これらの女学生は、ひとしく愛国心に富み、学問にすぐれ、また英語をよく駆使できる者である。
彼女らが、旗を高く掲げ「万歳」を高唱するのは、一種の消極的愛国の行動にすぎない。それは、上海でストライキをする中国の女学生と、なんら異なる点はない。しかし、日本人は、この朝鮮人学生の行動をあたかも仇のように待遇しているのである。
マリアという名のある女学生を法廷で訊問したとき、日本官憲は、マリアに、「お前は朝鮮独立を考えてどれくらいになるか」と質問した。マリアは、「わたしは心の中で独立を考えない時はありません」と答えた。日本官憲は、「お前はなんで、男子と同じように独立運動をしようとするのか」と言った。マリアは、「世界のあらゆる成功者は、みな男女が協力して成功しています。よい家庭は、かならず、夫婦が協力してつくるものであります。よい国家もまた、かならず、男女協力してこれをつくるものです」と答えた。つぎに「お前はどういう料簡で独立がいちばん大切なものと信ずるのか」と問うと、「わたしは朝鮮人である以上、朝鮮の独立を望むのはあたりまえのことです」と言った。「お前は立派な教育をうけているが、別に特別の理由があればすべて申したてなさい」と言うと、「わたしは、わたしの考えをことごとくあなたに話したいとは思いません」と答えた。
日本官憲が「お前は日韓合併と日本政府の政策を、どのように考えているのか」と聞いた。マリアは、「朝鮮は、けっして日本の合併には応じません。あなたの政府の朝鮮支配にいたっては、すべて公道に反し、まさにドイツがその属国を処置したところとまったく異ならないものです」と言った。日本官憲が、「お前が朝鮮の独立を要求するのは、別に特別の理由があるか、どうか」と言うと、「わたしには、三つの理由があります。一つは、朝鮮の幸福を図るためであります。二つは、日本帝国の幸福を図るためであります。三つは、世界の平和を図るためであります。第一は、朝鮮と日本の歴史、風俗、言語はまったく異なっています。日本はけっして朝鮮を同化することはできません。わが国のさきの皇帝と人民は、けっして合併を願ってはいませんでした。さきの皇帝が合併条約に署名したのは、日本人が武力で強要したからです。ここ十年来、朝鮮人民は、独立を図り、前者が倒れれば後者がその意志を継ぎ、つぶさに、あらゆる痛苦をなめ、一命をうしなっても後悔せず、男女老幼全国民は一丸となり、一人として独立を切望しないものはありません。第二は、朝鮮人民はすでに日本の支配を拒否し、あなたがた日本のいかなる圧制をも問題としていません。ついに叛乱はまぬがれがたいでしょう。したがって、あなたがた日本がその安全を計るためには、朝鮮の独立を許すのがよい方法でありましょう。
第三は、朝日両国間が険悪で衝突をくり返せば、極東の平和はないし、またひいては全世界の平和もない。そのため、世界の平和をはかろうとすれば、先ず朝鮮を独立せしむべきです」と言った。日本官憲は、「お前の話には誤りがある。お前はなにを考えて独立を求めているのか。アメリカをたのんでか、武力をたのんでか、それとも平和会議か」と質問した。マリアは、「わたしは神を信じています。わたしはアメリカに期待などしていない。また武力をたのんでもいない。日本が朝鮮を併合したときは、武力的征服ではなく会議のかたちをとりました。そのため、わたしもまた、日本政府との情理のある談判で独立を恢復することを望むものです」と言った。
日本官憲は、「お前にはすでに、なにも手にいれられるものはない。なんであえてこのようにおろかな行動をするのか」と言った。
マリアは、「事は人によってなされるが、その成敗は、運命であります。わたし個人の力は弱く無能ですが、しかし、かならず国家のために力をだすべきであります」と言った。日本官憲は、「お前は教育をうけており、この料簡のせまい偏見をすてて、つとめて日本人と同化につとめよ」と言った。マリアは、「わたしは、そんなことはできません。わたしは朝鮮人です。かならず朝鮮の独立を希望します云々」と答えた。
この他にも、なお、ある村に一女性がいた。名を張雪といった。奥地のちいさな村に住んでいた彼女は、独立運動の風評を聞き、この風評をまちがいないものと信じた。そして、ついに、人にも知らせず、みずから葬衣一揃えをつくり、ある朝早くこの葬衣を着て警察署の前に行き、大声で「独立万歳」を叫んだ。日本警官はただちにこの奇女を逮捕し、「いったい誰に教えられてこのような奇態を演じたか」を聞いた。張雪は、「教えた人はいない」と答えた。日本の警察は、「教えた人がいないなら、なんでお前は『万歳』を叫ぶのを知っているのか」と言った。張雪は答えて、「鶏は、夜があけはじめると鳴くものですが、はたして誰が鳴くことを教えたのでしょう。わが国の独立の日は、すでに曙光が見えています。そのために、わたしが『万歳』を叫んだだけです」と言った。二日後、日本警官はその両手に拷問を加え投獄した。彼女はまた、縛られた手指を咬みやぶって、血をもって着物の襟の上に「独立」の二字を書いた。その家族がこのことを知り、獄中に食事を差し入れた。張雪は、このとくべつ良い食事をとろうとせず、獄中の人と苦楽をともにすることをねがった。また種々の苦役を志願して、少しもうらみごとを言わなかった。
朝鮮はすでに復活し、女子の英傑は男子に異ならない。種々奮闘につとめ、断固節操をたもち闘いつづけることこのようであったので、これを考える日本人をしてぞっとさせるものがあった。
日本が戦争に負けたとき、この闘いが出来た人がいたか。負けても負けないのが朝鮮民族。いつも虐げられている人は、表面は温和だが、腹の底は煮えたぎっている。ベトナムでもこれを見た。同じ東洋人だが、日本人は直ぐ忘れる民族だ。自分が倒れても、その意思を次なる者が引き継ぐの精神は殴られ続けて体得したものだ。三つ児の魂百までもで、恥辱は雪(すす)ぐが彼等の基本なのだ。学ぶところが多い。
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