「関取千両幟」
ところが勝っていけない相撲がありまして、やはり大阪相撲で江戸へきて十日間全勝。ところが誰一人、ひいきにするというお客様がない。何になりましてもごひいきは大切でございます。お相撲さんなぞはいただくお給金よりはご祝儀の方が大変なもので、初めて太刀山を倒しましたのが大正五年でございますね、夏場所八日目に東の小結だった栃木山という人がこの天下無敵の太刀山を倒した…。いやどうも、国技館が割れるような騒ぎで、負けないというものを負かした…栃木山が部屋へ帰って来たら背中へ百円札がべたべた貼ってあった。今の百円じゃありません。大正時代ですから…そうですね、今のお金に換算したら十万円ぐらいの価値があろうという、そいつがべたべた、背中へ貼りつけてあったんですから…。あたくしも相撲とりになりゃよかったと思った…なったって弱いんじゃしょうがない。栃木山という人が太刀山を破った…その翌年の春場所でございます。これは十日目結び、西の正大関でございました大錦卯一郎という大阪の出身、この人にまた太刀山がやぶれましたんで…。二番負けたというので、とうとう太刀山という人は引退をしてしまいました。本来は横綱というのは負けちゃいけないんだそうです。天下無敵、日の下開山というんですから負けるべきもんじゃない、勝って当り前なんです。だけども今そんな事を言ってた日にゃ横綱になったらすぐに引返しなくちゃならない。場所数もふえているし致し方もございませんが…。
大錦が勝ちました時にその後後会のかたが大変よろこんで、
「今日はよくやってくれた。お前にほうびとしてこれをあげるからお父ッつァんに何か好きなものを買っておやり」
というので小切手を一枚くれた。これが三万円あったそうです。大正時代の三万円ですから、何か買ってやれッてんですが、いろいろ考えたが買いようがない。神戸に六甲山という山がある、あの下へ地所を買いまして隠居所を建てました。地所ぐるみ三万円で立派に出来ましたものでしょう。これを大錦のお父ッつァんへ贈り物にしたという…。わずか一番でそういう事がある。
ところが十日間の全勝というんですが、誰一人ひいきにするお客様がない。あア、俺は江戸の水には合わんのかと…関取が淋しそうに…腕組みをしている。表から家の中の様子をしきりに覗いている乞食がいる…。
「おい、何じゃ乞食が表でうろうろしているようじゃ。銭をやって早う去なしてしまえ」
「はい。…おこもさん、関取が銭をくれるからこれを持って早う通っとくれ」
「ありがとうございます。あっしやァ銭ァ欲しくはねえんで…お宅の関取にちょいと会わしてもらいてえが、会ってもらえるかどうか…聞いてみておもらい申してえんで」
「(弟子親方に)何じゃ、銭はいらんが親方にちょっとでも会わしてくれといいますが…」
「うん? わしに会いたい…(入り口ヘ出て来た態で)おこもさん、こっちイ…いやア、遠慮はいらんで入っとくれ。…わしに何ぞ、用でもあるのか」
「どうも…わざわざお呼び立てをしてすみませんが折入って頼みがあるんで聞いてもらえましょうかね」
「出来ることなら聞いてあげるが…」
「実はね、あっしや関取がひいきなんでねえ」
「何じゃ」
「(テレ隠しに笑って)ヘッヘッヘこんな事を言やァこのやろう、気でも違ってやんだろう、天下の力士を乞食の分際でひいきとはとんでもねえ奴だと、腹ァ立てるかも知れねえがまア…何といっていいか、好きでたまらねえから、こういうのをひいきというんじゃねえかと思うんですが…。乞食がどうなるもんじゃねえが、あっしが持って来て食ってもらいてえものがある。こんな汚ねえものは食えねえとごみためへ放り込まれりゃアそれッきりだから、先イお聞き申してから持ってこようかと思うんですが、いかがでござんしょう」
「わしがひいきじゃで下さるものがある…折角の思召し、快よう頂戴をいたします」
「えッ?(意外という面持)食っておくんなさる…そいつァ有難えなどうも…じゃ、今すぐ持ってくるから待っておくンねえ」
表へ出て行きましたが…お蕎麦を持ってきた。
蕎麦というものは大変縁起のいいもの。商いをしてまとまりました時には祝いに蕎麦でも食べようという。手を打つ、手打ちそばという。それから晦日に蕎麦を食べると金がのびるという…晦日そばというものを今でもずいぶん召し上がる方がありますが。どういうわけで晦日にそばを食べると金がのびるんだろうと…ある方に聞いてみたらそうじゃないんだそうです。金箔屋さんで金を打って伸ばしている、隣の家で味噌汁をこしらえて、その味噌の香がぷーんとしてくるともう、どう叩いても金が伸びなくなる。そういう時に、そば粉を火の中へくべると味噌の香りを消して元のように金がとんとん伸びて行く。だから味噌の香を消すには蕎麦粉で消して金を伸ばすといったんだそうで…。それを晦日にそばを食べると金が伸びるんだなんてんで…。
(箸を持ち蕎麦を食う形)「どうも、いくら食ったって伸びやしねえや」なんてんで、愚痴をこぼしているのがある。そば屋には一定の器があるが、そんなものは乞食には貸しませんから竹の皮へそばを包んでもらい、ふちの欠けたきたない茶碗へだしを入れて、
「どうもお待ちどうさまでございます。へえ、これァね、(茶碗を差し出し)あっしの器でこんな汚ねえが、蕎麦屋でようく洗ってもらったんで。心ばかりのもんでどうかひとつ、関取に食っていただきてえんで…」
「折角の思召し…頂戴いたします。(振り向いて)野郎、箸を持ってこい」
取り的から箸を取り寄せ、竹の皮包みを引き寄せて、ふちの欠けた汚ない茶碗で関取がさもうまそうにこの蕎麦を食べている。天下の力士にご馳走をする乞食はさぞ愉快でしょう…。
「(にこにこ嬉しそうに)ありがてえなどうも…関取、お前さん、食っておくんなすったね」
「おこもさん、恥ずかしいがわしは、江戸へ来てひいきのお客さんは一人もない。わしのような者でもひいきじゃといって頂戴したのは、あんたの蕎麦がはじめて…。大名がたの前で山海の珍味をいただくより、心からくだされた一杯のそばは実に美味い。大名衆でもおこもさんでも、ひいきという二字に変りはござりません。大阪へ去んで、江戸のお乞食さんまでにごひいきになったといえばわしの鼻が高い…どうぞこの上とも、末永うひいきにしておくれ」
嬉し涙を瞼に浮かべて両手をついたから、
「あッ、まァまァ、関取、手をあげておくんなさい…よく言っておくんなすった。さぞ心持ちが悪かったろうが、今、口直しをあげるから、ちょいッと待っておくんなさい。おうッ(遠くの人へ手を叩き呼ぶ)甚太、熊、留…」
「どうした、食ったか…」
「あとで話をするから、持ち込め」
どかどか…運んでまいりました酒肴、そうこうするうちに今の乞食がすっかり早変りをし、
「関取、あっしゃアね、魚河岸の新井屋てえもんで…。上方見物に行ってお前さんを見たんだ。あア、いい関取がいるな、江戸へ来なすったらいいと思っていた…今度、江戸ィ来たという話だからしるし物の一つもこせえてあげようと思ったんだが、何しろここンところは、目の回るように忙しいんでその折りがなかった…すると、仲間の寄り合いでお前さんの話が出て、『どういうわけかあの関取は相撲は強いが人気が無え。乞食がそばを持ってッて食うか』…十人が九人といいてえが、十人が食わねえ…あっしゃ一人、食うと言ったんだ。『もし食ったらどうする』『魚河岸がそろってひいきにしてやる』てえから、『よし、それじゃ俺が一役買って出よう』ツてんで…こんな茶番をしたわけなんだが…、天下の力士を乞食の分際でひいきだとはとんでもねえ、この馬鹿野郎奴と、つまみ出されてもしょうがねえのを、大名衆でもお乞食さんでもひいきという二字に変りはねえといわれたら…その宿無しは嬉しいだろうねえ。お前さん、聞きやァ上方へ帰るてえ話だが…いやァいけねえ、お前はんが帰るといっても、今度は魚河岸が帰さねえ。どうか江戸へとどまって十分にはたらいておくれ。これは今の口直しだよ」
と持ち込んだ酒肴…。これが動機になって、たいへん江戸で人気を得ました。
大阪の天下茶屋に安養寺という尼寺がございますがここに墓がある。池田から出ました人で稲川重五郎。
相撲とりを夫に持てば
江戸長崎やくにぐにを…
とさわりでおなじみの『関取千両幟』。あの浄瑠璃に出ます稲川というのはこの人をモデルに書きましたもので…。
関西相撲の逸話でございます。
2008年9月7日日曜日
2008年9月6日土曜日
日本の話芸 古典落語 人情話 1
「はちのへ今昔」被害者の会が、筆者の話を連載というが、筆に力がないと、読者をつなぎ止められない。さらに、難しいのがノンフィクション。徹底した調査が必要。時間と金がかかる。ところが、小説は楽、花魁、職人、めおとの三つの題をまとめるだけで一話できる。常現寺のおいらん道中の話で、大筋の花魁が分かれば、後は枝葉だけ。
落語で難しいのは人情話、落語にはいい話が沢山あるが、昨今の若者はそれを知らない。落語に造詣(ぞうけい・学問または技芸に深く達していること)の深い人には「はちのへ今昔」もやきが廻ったの叱責もあろうが、辛抱していただきたい。落語と言えば笑点での座布団ぶんどり合戦しか知らないむきもある。ご寛容のほど。
「紺屋高尾」
花魁で、最高の位にいるのを太夫と申しまして、中でも有名なのは高尾太夫で十一代まであったらしいんですが、とりわけ、初代の、花魁道中の時、自分の生んだ子を乳母に抱かせて一緒に練り歩いたという子持高尾、仙台萩で有名な伊建綱宗が通ったという仙台高尾、それにこのお話に出て参ります紺屋高尾、この三人がよく知られております。
神田紺屋町で奉公人が十五人、手広くやっている藍屋吉兵衛という染物屋がございます。ここに永年奉公している久蔵という男が寝込み医者を呼びます。
「お前の病気は恋煩いだ。それも相手は素人じゃない。入り山形に二ツ星、いま全盛の三浦屋の高尾に想いをかけた。どうだ当ったろう」
「へえ……あっしやア両親に早く死に別れやしてね、身寄りってえなア、千佳の竹の塚の在にいる伯父だけでして。で、その伯父にゃア子供がねえんで、あっしを可愛がってくれましてね。前前から、年期があけたら家で引き取るからって言ってたんす。あっしもそろそろ帰ろうかと思って友達にそういったら、『お前は二十六にもなるってえのに、吉原に一度も行ってねえが、田舎イ引っ込んじまったら一生知らずに済んじまう、俺が連れてってやる』ってえから、『俺ア以前から、あんなとこイ行って悪い病気でもしょったら生涯取返しがつかねえ。決して吉原に足入れんなっていわれてるから厭だ』っていったら『花魁道中見物するだけならべつに間違えはねえ、かえっていいみやげ話になる』ってんで、無理に引っ張っていかれちまった。すると凄い美人で『ああいう花魁なら、死んでもいいから盃が貰いてえ』っていったら、友達が笑いやがって『馬鹿アいやがれ。ありゃア病気しょい込む気遣えはねえが、大名道具っていって、てめ えにや盃どころか傍へも寄れねえ』そこで錦絵を買って眺めてました」
「ハハハ、表向き見識を売ってはいるが、売り物に買い物、金さえ出せば自由になるよ」
「幾らで?」
「そうだな、初回で、どうしても十両だろうな」
「先生、あっしの給金は月一分で」
「そうか、年で三両か……、お前三年の辛抱は出来るかい? そうか、それならば九両を溜めなさい。そしたら花魁に逢わしてあげる……なあに、一両ぐらいなら、あたしが足してもいい……ああ、身請でもされない限り、廓にいなくなることはない。もしさようなことになっても、何とかしてお前に逢わしてやるから、その気になって一生懸命働きなさい」
病は気から、薬は気やすめ、薬を飲むってえとたちまち全快いたしました。さア金を残そうってんで、一生懸命働いておりますうちに、丸三年がたち、四年目に入った二月。
「親方、なんぞご用で」
「ああ、ちょっと話があるんだ。まアそこイ坐れ……俺がゆうべ帳面調べたら、お前の給金が残らず俺の方の預りンなってて、三年分で九両溜まってる。そこでだ、お前が辛棒した骨折りとして、俺から一両ここイ包んどいた。これをお前にやる。これでお前の金は十両ンなったんだ。判ったな?」
「へえ、さいですか、十両ンなったんすか。じゃア、十両出しておくんなさい」
「なんだ、手ェ出しやがって、確かに十両はてめえの金だ。で、あと三年辛棒したら、合せて二十両ンなる。そしたら俺が店を持たして、鉄漿(おはぐろ)つけた女房を貰ってやるから、紺の暖簾下げて、『親方、これを染めてくださいまし』『ようがす、あさっておいでなさい』かなんか、てめえがいえるようになる。それまで預っといてやるから、一生懸命やれよ」
「親方、三年前にあっしが患った、その時、お医者が金ェ溜めて高尾を買う気ンなりやァ治るってんで、その通りィしたら治った。で、金が溜まったんで高尾を買うんで十両くれ」
「そうかい。なぜそれを先ィいわねえんだ。三百文女郎買うってんなら渡せねえが、大名道具となりやァ話ァ別だ、なア……三年分の給金で一夜の栄華を買うてなァいい度胸だ。……気に入った。よして金ェ渡してやろう」
「さいですか。じゃア今夜出掛けるんで」
とにかく身綺麗にしなくちゃァいけないってんで、床屋や湯へやりまして、女房のおみつにいいつけ、荒物から履物にいたるまで、仕度をさせます。やがて久蔵が戻りますってえと、着替えをさせ、十両の金を持たせまして、先ずはお玉が池の先生のところへ、先生がお茶屋ィ行って話しますってえと、三浦屋へ聞き合わしてくれた。と、客がいま何かの都合で急に帰ったんで、花魁があいているという。
早々に茶屋を引き上げまして三浦屋に送りこまれます。玄関には三浦屋の主人、四郎左衛門が出迎えまして、久蔵は花魁の部屋へ通される。先生の方は、ここまで来れば用はございません、お茶屋に引き返えす。
ただきょときょと見廻しているだけで、ぽオ。となっちまった。と、番頭新造というものがそこィ入って来まして、
「お大尽、御寝(ぎょし)なりまし」
「ぎょしなりまし? なんです?」
「寝なまし」
「ねなまし? はアはア……どちらイ寝なます?」
「どうぞあれへ」
見ると、高さ四、五尺はあろうかという絹の夜具が敷いてある。どうやって上ろうかってんで思案にくれておりますってえと、そこへ禿に手を曳かれた高尾が入ってまいりました。
ここで引付けの盃や煙管のやりとりなどがございます。さて、いよいよお引けってえことになりまして、高尾と久蔵の二人だけとなります。
「主はよう来なんした。今度はいつ来てくんなます?」
いつ来るかっていわれても、いくら紺屋の職人だって、あさってたァいえません。べそをかいたと思ったら、泣き出した。驚いたのァ高尾太夫。この人ア、四代目とも五代目ともいわれておりますが、高尾を継いだ中でも一番美しく、生まれも良く、才媛で、しかも素直でやさしいという、申し分ない人でございましたそうで、
「どうしなんした? おなかでも痛うざますか」
「へえ、いえ、そうじゃねえんで。今度来られるなア、三年経ってからなんでして、それを思うと」
「三年? なんぞ仔細がありなんすか? わちきに聞かせてくんなまし」
「へえ……実ァあっしァ紺屋の職人でござんして、三年前に花魁を見染めてからってえものは、仕事が手につかねえ、だが花魁にやァ、傍にも寄れねえっていわれたんで、いっそ死んじまおうと思ったら、あっしを今日ここィ連れてきてくれた、お玉が池の先生が、十両金ェ拵えたらきっと逢わしてやるからっていってくれたんで、お恥ずかしいが、あっしァ一年で三両しきゃ取れねえ。だが、花魁に逢えるんならってんで、三年間、ビタ一文使わねえで、ようやく九両溜った。そこイ親方が、よく辛抱したってんで一両くれたんで。親方はそん時、あと三年辛抱したら暖簾分けてやるって、いったんすが、それで溜めたんじゃねえっていったら、じゃア行って来いって。あっしが着物がねえってんで、着物から帯から、親方がまだ履いてねえ履物と、切り立ての褌、それに金入れまで、そっくり貸してくれたんで、こうしてお目にかかることが出来たんす。また来るにゃア三年稼がなくっちゃなりません、いや、稼ぐなア辛抱出来る ですが、そのうちにやア花魁がここィ居なくなりャ二度とお眼にかかれねえ、それを思うと悲しくってつい泣いてしめェやした」
これを聞きました高尾、源平藤橘……四姓の人と枕をかわすいやしい身というのに、三年も想いつめてくれる情の深さに涙しまして、こういう実のある人につれ添っていたなら、生涯見捨てられることはなかろうと、
「主、それは本当ざますか。わちきは来年の二月十五日に年期があけるんでざます。もし、わちきのようなものでも、女房にしてくださんすなら、主のところへたずねて行きたいんす」
「へっ? 花魁が? あっしのかみさんに?」
「拝みんす。どうかわちきを女房にしてくんなまし」
「あ、ありがとうごぜえやす」
「それなら、二度とここへ来てはなりんせん。今夜の勘定は、わちきがよいようにしておきまほう。主の持って来なんした十両は、親方の仰言るようにしなさんし」
その夜は、馴染並みの扱いを受けまして、また逢うまでの形見の品を貰い、大門口まで送って貰いまして、意気鷹揚と店へ帰ってまいりました。
それからまた真っ黒なって働きますうちに、その年も暮れ、翌年の二月十五日。
吉兵衛の店先へ新しい四手駕籠がぴたりっと停まって、中から出てまいりましたなァ、髪をしっとりと丸髷に結い上げ、眉は剃ってうっすら青く形だけを残し、お召納戸に黒紋付姿の高尾太夫でございます。
親方にしとやかに挨拶する口もとには、もう鉄漿をつけまして、
「これはどうぞ久蔵さまへのおみやげでございます」
と、花魁の方から持参金。
ちょうど大伝馬町に手頃な店があるのを見つけた親方は、早速暖簾を分けてやりまして、高尾もまた、久蔵と、仲睦まじく、末長く暮らしたということで、紺屋高尾として後世までその名が残りました。
まことに人の運命は計り知れないという、紺屋高尾の一席でございます。
落語で難しいのは人情話、落語にはいい話が沢山あるが、昨今の若者はそれを知らない。落語に造詣(ぞうけい・学問または技芸に深く達していること)の深い人には「はちのへ今昔」もやきが廻ったの叱責もあろうが、辛抱していただきたい。落語と言えば笑点での座布団ぶんどり合戦しか知らないむきもある。ご寛容のほど。
「紺屋高尾」
花魁で、最高の位にいるのを太夫と申しまして、中でも有名なのは高尾太夫で十一代まであったらしいんですが、とりわけ、初代の、花魁道中の時、自分の生んだ子を乳母に抱かせて一緒に練り歩いたという子持高尾、仙台萩で有名な伊建綱宗が通ったという仙台高尾、それにこのお話に出て参ります紺屋高尾、この三人がよく知られております。
神田紺屋町で奉公人が十五人、手広くやっている藍屋吉兵衛という染物屋がございます。ここに永年奉公している久蔵という男が寝込み医者を呼びます。
「お前の病気は恋煩いだ。それも相手は素人じゃない。入り山形に二ツ星、いま全盛の三浦屋の高尾に想いをかけた。どうだ当ったろう」
「へえ……あっしやア両親に早く死に別れやしてね、身寄りってえなア、千佳の竹の塚の在にいる伯父だけでして。で、その伯父にゃア子供がねえんで、あっしを可愛がってくれましてね。前前から、年期があけたら家で引き取るからって言ってたんす。あっしもそろそろ帰ろうかと思って友達にそういったら、『お前は二十六にもなるってえのに、吉原に一度も行ってねえが、田舎イ引っ込んじまったら一生知らずに済んじまう、俺が連れてってやる』ってえから、『俺ア以前から、あんなとこイ行って悪い病気でもしょったら生涯取返しがつかねえ。決して吉原に足入れんなっていわれてるから厭だ』っていったら『花魁道中見物するだけならべつに間違えはねえ、かえっていいみやげ話になる』ってんで、無理に引っ張っていかれちまった。すると凄い美人で『ああいう花魁なら、死んでもいいから盃が貰いてえ』っていったら、友達が笑いやがって『馬鹿アいやがれ。ありゃア病気しょい込む気遣えはねえが、大名道具っていって、てめ えにや盃どころか傍へも寄れねえ』そこで錦絵を買って眺めてました」
「ハハハ、表向き見識を売ってはいるが、売り物に買い物、金さえ出せば自由になるよ」
「幾らで?」
「そうだな、初回で、どうしても十両だろうな」
「先生、あっしの給金は月一分で」
「そうか、年で三両か……、お前三年の辛抱は出来るかい? そうか、それならば九両を溜めなさい。そしたら花魁に逢わしてあげる……なあに、一両ぐらいなら、あたしが足してもいい……ああ、身請でもされない限り、廓にいなくなることはない。もしさようなことになっても、何とかしてお前に逢わしてやるから、その気になって一生懸命働きなさい」
病は気から、薬は気やすめ、薬を飲むってえとたちまち全快いたしました。さア金を残そうってんで、一生懸命働いておりますうちに、丸三年がたち、四年目に入った二月。
「親方、なんぞご用で」
「ああ、ちょっと話があるんだ。まアそこイ坐れ……俺がゆうべ帳面調べたら、お前の給金が残らず俺の方の預りンなってて、三年分で九両溜まってる。そこでだ、お前が辛棒した骨折りとして、俺から一両ここイ包んどいた。これをお前にやる。これでお前の金は十両ンなったんだ。判ったな?」
「へえ、さいですか、十両ンなったんすか。じゃア、十両出しておくんなさい」
「なんだ、手ェ出しやがって、確かに十両はてめえの金だ。で、あと三年辛棒したら、合せて二十両ンなる。そしたら俺が店を持たして、鉄漿(おはぐろ)つけた女房を貰ってやるから、紺の暖簾下げて、『親方、これを染めてくださいまし』『ようがす、あさっておいでなさい』かなんか、てめえがいえるようになる。それまで預っといてやるから、一生懸命やれよ」
「親方、三年前にあっしが患った、その時、お医者が金ェ溜めて高尾を買う気ンなりやァ治るってんで、その通りィしたら治った。で、金が溜まったんで高尾を買うんで十両くれ」
「そうかい。なぜそれを先ィいわねえんだ。三百文女郎買うってんなら渡せねえが、大名道具となりやァ話ァ別だ、なア……三年分の給金で一夜の栄華を買うてなァいい度胸だ。……気に入った。よして金ェ渡してやろう」
「さいですか。じゃア今夜出掛けるんで」
とにかく身綺麗にしなくちゃァいけないってんで、床屋や湯へやりまして、女房のおみつにいいつけ、荒物から履物にいたるまで、仕度をさせます。やがて久蔵が戻りますってえと、着替えをさせ、十両の金を持たせまして、先ずはお玉が池の先生のところへ、先生がお茶屋ィ行って話しますってえと、三浦屋へ聞き合わしてくれた。と、客がいま何かの都合で急に帰ったんで、花魁があいているという。
早々に茶屋を引き上げまして三浦屋に送りこまれます。玄関には三浦屋の主人、四郎左衛門が出迎えまして、久蔵は花魁の部屋へ通される。先生の方は、ここまで来れば用はございません、お茶屋に引き返えす。
ただきょときょと見廻しているだけで、ぽオ。となっちまった。と、番頭新造というものがそこィ入って来まして、
「お大尽、御寝(ぎょし)なりまし」
「ぎょしなりまし? なんです?」
「寝なまし」
「ねなまし? はアはア……どちらイ寝なます?」
「どうぞあれへ」
見ると、高さ四、五尺はあろうかという絹の夜具が敷いてある。どうやって上ろうかってんで思案にくれておりますってえと、そこへ禿に手を曳かれた高尾が入ってまいりました。
ここで引付けの盃や煙管のやりとりなどがございます。さて、いよいよお引けってえことになりまして、高尾と久蔵の二人だけとなります。
「主はよう来なんした。今度はいつ来てくんなます?」
いつ来るかっていわれても、いくら紺屋の職人だって、あさってたァいえません。べそをかいたと思ったら、泣き出した。驚いたのァ高尾太夫。この人ア、四代目とも五代目ともいわれておりますが、高尾を継いだ中でも一番美しく、生まれも良く、才媛で、しかも素直でやさしいという、申し分ない人でございましたそうで、
「どうしなんした? おなかでも痛うざますか」
「へえ、いえ、そうじゃねえんで。今度来られるなア、三年経ってからなんでして、それを思うと」
「三年? なんぞ仔細がありなんすか? わちきに聞かせてくんなまし」
「へえ……実ァあっしァ紺屋の職人でござんして、三年前に花魁を見染めてからってえものは、仕事が手につかねえ、だが花魁にやァ、傍にも寄れねえっていわれたんで、いっそ死んじまおうと思ったら、あっしを今日ここィ連れてきてくれた、お玉が池の先生が、十両金ェ拵えたらきっと逢わしてやるからっていってくれたんで、お恥ずかしいが、あっしァ一年で三両しきゃ取れねえ。だが、花魁に逢えるんならってんで、三年間、ビタ一文使わねえで、ようやく九両溜った。そこイ親方が、よく辛抱したってんで一両くれたんで。親方はそん時、あと三年辛抱したら暖簾分けてやるって、いったんすが、それで溜めたんじゃねえっていったら、じゃア行って来いって。あっしが着物がねえってんで、着物から帯から、親方がまだ履いてねえ履物と、切り立ての褌、それに金入れまで、そっくり貸してくれたんで、こうしてお目にかかることが出来たんす。また来るにゃア三年稼がなくっちゃなりません、いや、稼ぐなア辛抱出来る ですが、そのうちにやア花魁がここィ居なくなりャ二度とお眼にかかれねえ、それを思うと悲しくってつい泣いてしめェやした」
これを聞きました高尾、源平藤橘……四姓の人と枕をかわすいやしい身というのに、三年も想いつめてくれる情の深さに涙しまして、こういう実のある人につれ添っていたなら、生涯見捨てられることはなかろうと、
「主、それは本当ざますか。わちきは来年の二月十五日に年期があけるんでざます。もし、わちきのようなものでも、女房にしてくださんすなら、主のところへたずねて行きたいんす」
「へっ? 花魁が? あっしのかみさんに?」
「拝みんす。どうかわちきを女房にしてくんなまし」
「あ、ありがとうごぜえやす」
「それなら、二度とここへ来てはなりんせん。今夜の勘定は、わちきがよいようにしておきまほう。主の持って来なんした十両は、親方の仰言るようにしなさんし」
その夜は、馴染並みの扱いを受けまして、また逢うまでの形見の品を貰い、大門口まで送って貰いまして、意気鷹揚と店へ帰ってまいりました。
それからまた真っ黒なって働きますうちに、その年も暮れ、翌年の二月十五日。
吉兵衛の店先へ新しい四手駕籠がぴたりっと停まって、中から出てまいりましたなァ、髪をしっとりと丸髷に結い上げ、眉は剃ってうっすら青く形だけを残し、お召納戸に黒紋付姿の高尾太夫でございます。
親方にしとやかに挨拶する口もとには、もう鉄漿をつけまして、
「これはどうぞ久蔵さまへのおみやげでございます」
と、花魁の方から持参金。
ちょうど大伝馬町に手頃な店があるのを見つけた親方は、早速暖簾を分けてやりまして、高尾もまた、久蔵と、仲睦まじく、末長く暮らしたということで、紺屋高尾として後世までその名が残りました。
まことに人の運命は計り知れないという、紺屋高尾の一席でございます。
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