2009年1月31日土曜日

ふるさとの味八戸せんべい 組合創立五十周年記念座談会


デーリー東北 昭和三十五年二月二十六日
八戸せんべいが四百年以前から、地方人に「ふるさとの味」として親しまれ、明治四十三年に業者が、品質の向上をはかるため組合を作ってから今年で五十年を迎える。組合では三月一日、五十周年事業として「せんべい祭り」を挙行する計画だが「せんべい」が我々の生活にあまりにも近いため、無関心にすぎている面があるようだし、ようやくその雅味ある味覚が全国的に認められ、みやげ品として折り紙つけられているが、その反面、生産に販売に多くの困難があるようだ。この機会に八戸名産「八戸せんべい」について、その過去や現状、あるいはこれからのことなどについて関係者からいろいろ意見を聞いてみた。
出席者
八戸物産協会長      牧浦好之助
同協会せんべい部会長   宇山博明
同協会事務局長      加藤一夫
業者
八戸せんべい組合長    坂本幸一郎
             岩館作太郎
             山下福太郎
司会   角田本社編集局長
九割は地元で消費
生産量も昔より減る
司会 まず八戸せんべいの現状について坂本さんからアウトラインを。
坂本 八戸地方現在の業者は組合加入者六十八人、未加入者を入れて百人ほどです。焼き方も進歩してきて、二枚型機械が十四、五業者、ハネ型が十業者、残りは手焼き式です。年間生産量は消化小麦粉二十二キロ入りの粉袋で三万袋ほど、製品の販路は地元消費が九割、残り一割が県外へ出ています。
司会 組合創立当時のことを
坂本 創立は明治四十三年組合員は六十八人、全業者は百十二人で、当時の生産量は現在よりも多く約四万袋もあった。当時八戸といっても人口八千人ぐらいの町だったから、相当食べられていたことがわかります。そのころのせんべいは今のより厚く形も大きかった。いまの人はわからないかも知れないが「せんべい汁」というのがあって毎日のように食べていたようです。
司会 機械焼きが始まったのはいつごろからですからですか。
岩館 ハネ型が早かったが二十五年から三十年前です。
司会 そのころでしょう、機械焼きは味が落ちると言われたのは。
山下 機械化という新しいやり方び抵抗するためにそういう話も出たことでしょう。実際に機械焼きはせんべいが空気にふれないため、重曹が発散しにくいことは考えられる。しかし今でも手焼きでなければ…という人もいますが、機械焼きも進歩しているから、味はむしろよくなってるとおもいます。
坂本 当時の組合は業者も多かったので競争も激しく卸売りのダンピングを防ぐためと、あとから進出してきた日本、日清製粉の大会社に対して業者の小資本力をカバーする動きもあった。せんべいの中に「八戸名産」の文字を入れること、厚さは三分以内とするなど細かなことまで規約に載っている。
司会 八戸以外で作られている南部せんべいとの関係はどうですか。三戸せんべいや弘前、盛岡などの「南部せんべい」について。
山下 三戸で作られている「流しせんべい」などは八戸せんべいとはつながりはないと思います。
坂本 盛岡のは八戸から持っていったもので、こちらの分家だ。今でも焼き型や機械などは八戸で研究して作ったものを盛岡へ持っていっている。南部の本家なので、せんべいも本家だと思っている人がいるが間違いだ。
山下 せんべいを焼いているところはほかにもあるが、機械を研究しているのは八戸だけだ。ひとつの型を作りだすのに十年近い期間研究している。携行食料にも試作
浦山さんは県外販売の恩人
司会 地元だけでなく、県外へ販路を広げたのはいつごろですか。
岩館 本格的に始めたのは山内市長の時だったでしょうか?軍隊の携行食料にしようと非常に力を入れたのもそのころ、焼き型を市長が作って業者に与えたほどだ。
司会 物産展などへの出品は…
山下 神田市長時代の少し前に、三越へ出したのが初めじゃないですか。もう三十年以上前です。
坂本 そのためか、東京へ持っていくときは他のデパートより三越でやった方が売れ行きが良かった。最近は上野の松坂屋が一番よく出る。
岩館 ここの出身者で、元代議士だった浦山助太郎さんが電気協会の副会長をしていたころ、大阪や東京にこの「八戸せんべい」を自費で宣伝してくれ、販路開拓に尽くしてくれた。いま大阪に持っていって売れるのはそのためです。八戸せんべいにとっては恩人の一人です。
県外にも伸ばせる
小売の利益を増せば
司会 東京などで組合で共同して作業場を作ったらということを言う人がいますが。
坂本 ちょっと無理です。利益が低いし、東京で買う人は今のところほとんどが地元からの出身者で数が限られている。この前、大阪の大丸で現地焼きをしてみた。しかし、現地の水や木炭に対する研究が十分でなく、いい味が出なかった。
加藤 十分な研究期間があれば良いものは作れるんでしょう。現在、機械焼きの燃料としてガスや重油の使用が研究されている。
司会 業者もなかなか容易でないことはわかったが、その点の解決にこれからどうしたらいいでしょう。
坂本 利益が低いので製造者が小売するという方法で、いくらかでもカバーしたい。現在の業者は駅通りを除いて、表通りに面していながら、店舗を飾ろうとしない。小売に対する意欲がないからで、この天の改善からしなければ…
司会 南部せんべいという名が一応通っているのはどのへんまでですか。
岩館 大阪あたりまででしょう。
山下 業者は小売値はどこでも同じでなければという気持ちから、高い送り賃がかかって利益もない所へ宣伝してまで売る必要もないという考えだ。
加藤 いくら宣伝しても、小売値を地元と大差なく全国の都市で売ろうとすれば、利潤の薄さ(二、三%)から小売店は扱わない。そこでこの間、大丸では適当なマージンを見込んで現在の二割高の試験価格で販売。物産協会の特製マークを入れて百円は百二十円、持っていった三百筒は二日間で全部なくなった。これで値段を変えても売れるということがわかった。
宇山 今までの地元と東京、大阪などの小売値が同じでなければいけないという考え方が間違いであって、輸送すると送料もかかるし、破損も見込まなければならない。小売店の利益もみて、新しい小売値を決めていい。全国で小売すれば地元五割、県外五割くらいは伸ばせる。
包装に新趣向を
土産品として魅力も

司会 盛岡や弘前の「南部せんべい」の影響は。
宇山 どこで作っていてもいい。良いものが最後まで残る。地元の製品のよさを認めて貰う方法として、包装や品質の改善などが必要だ。
司会 業者が今までそういう改善に積極的であなかったというのは、どうかこうかやってゆけたからではないですか。
坂本 たしかにそれもありますね。
宇山 せんべい業界でつぶれたというのは聞いたことがないし、蔵を建てたというのも聞かない。
坂本 せんべい業者はほとんどが、夫婦二人で焼く小企業だから。
山下 今でも各業者の焼き方は秘伝として公開されない一種の名人気質があり「○○屋のせんべい」の観念が強く、組合のせんべいとして一本にまとめられることをきらうことも、組合への未加入者が多く、呼びかけがすぐ行われない一つの原因だ。
岩館 戦争前、味自慢の業者たちがグループを作って共同で県外販売をしたことがあった。戦争でつぶれたが、今は共同でやるわけにはいかない。その原因は二つある。一つは原料粉の問題。昔はまじり物のない粉を使うために、業者が石臼や水車小屋などで製粉するほどだった。現在、大会社の粉はほとんど外粉が混じっているため、業者は各自で質の良い粉を探して使っている。第二はゴマ。この地方は良質のゴマがとれていたのが現在タバコにくわれてしまって、ほとんど作付けされない。茨城などから来るゴマは質が落ちて、混じりものがあり信用して使えない。業者は各自で質の良いゴマを見つけるためや、混じりものを除くために苦心している。そんな状態だから、使う粉やゴマを画一的に押し付けるわけにはいかないので共同作業は望み薄だ。
司会 せんべいも何十年もの間にいくらかづつ変わってきたと思いますが、その変わりぐあいを一言でいうと。
宇山 非常に上品になった。よくこれまでになったとびっくりするほど品が良くなった。このあとどこまでいけるか楽しみですね。どうでしょう。どんどん県外へ販路を広げるという意味で、新しい型のせんべい、たとえばバターせんべい、するめせんべいなどの珍種も作って県外販売に力を入れるというのは。
坂本 しかし、いろいろなものは線香花火みたいにほとんど消えていく。やはり最後まで残るのはゴマせんべいだ。
加藤 北海道へはゴマ、関東、関西では豆せんべいが良く売れる。そういう各地の好みの違いがあるから、その地方にあわせた物に力を入れて売り出す研究も必要である。
司会 最後に牧浦会長さんから一つ。
牧浦 新聞紙の袋に入れて売っていたころからみると包装も一段と良くなった。しかし、八戸名産のみやげとして売り出すにはまだ弱い。他の弘前や盛岡で作っているのも南部せんべいだけど「南部八戸せんべい」の良さは何回か食べているうちにわかるだろう。その味がわかる前には、やはり買いたくなるような包装が必要だし、買いやすい駅売りなどに良い物を出して早く良さを認めてもらわなければならない。八戸名産として全国に宣伝され、みやげの一枚のせんべいから八戸のことが語られるようになるとき、それは八戸を盛り立てる大きな力となる。そうなるためにこれからも組合長や部会長を中心に大いに研究してもらう。
司会 このへんで。

2009年1月30日金曜日

地域公共交通活性化会議2

さて、交通行政の観点から見れば、公共交通手段は捨てられない。八戸にもトテ馬車が走っていた。馬車組合はバスの出現に脅威を感じ騒動となった。
 バス会社の先陣をきったのが小笠原八十美、それに対抗し弱者馬車組合の用心棒が本多浩治、無産党で貧乏人の味方、こいつは骨のある奴で散々に小笠原をとっちめる。小笠原は代議士になるわけだが、この本多には手をやいた。そこで知恵のある小笠原は新聞をやりたがっていた本多に三本木にきて新聞主幹をやれとボロ新聞を買い取り与える。これにコロっときて本多はそれ以後小笠原の手下ヨ。この小笠原が選挙で銭を撒いて逮捕、その苦衷を救うのも本多だ。当時、小笠原は貧民病院を経営、その事務長が本多だ。警察に拘引された買収者が警官から殴られたのを発見し、ある医院をすすめ診断書をとれと命じた。買収された農民が医院を訪れるがたいしたことがないと戻す。
 ここに本多の知恵がある。いきなり自分の病院で診断書を書けばグルが露見、他の医院が書かなければ堂々と診断書が書ける。それで警官三名が逮捕され暴行凌虐罪でうたれた。これが有名な晴山事件だ。このぐらい知恵の廻る男だ。これだけの男だ、バス騒動の時は余程小笠原は苦しめられたのだろう。それで味方に引き込んだ。そして、小笠原他のバスを買い取り昭和七年、八戸市営バスが誕生したヨ。
 当時は黒字サ、それが戦争で統合され、戦後は南部バスになっちまった。これを八戸中学出身の夏堀悌二郎が同級生の五戸の代議士三浦一雄(この男は農林大臣歴任)に選挙協力を申し入れられ、反対給付で南部バスが八戸市に戻った。
 ところが、ドル箱が今度は苦痛箱になり下がりだ。市営バス売上げ19億、そのうち八戸市の補助が5億5千万、さらに高齢者乗車証として4億5千万、つまり八戸市から10億円の金が流れ出している。自分の努力での売上げはたったの9億円だ。これでよく倒れないものだ。民間企業ならとうに倒れている。
 これは毎日、三百万円を市営バスにくれてやっている。また、南郷村参入でここにバス路線を持たないため毎日十一万円をくれている。南部バスへは年間四千万円。
 この体たらくはどうしたことだ。この現状を八戸市民は知ろうとしないし、また声高に八戸市も伝えない。そこに今回の公共交通の会があった。バスへの乗車数が減っている理由は高校生の減少などが上げられるが、根本的にバスが実情に合っていないのだ。
 バス以外の交通手段にはタクシーがある。これをワゴン型にし障害者、高齢者でも座れる工夫をし乗り合いとすることだ。そして、これで路線を走らせる。朝の混雑時にはバスをタクシー会社に呉れてそれを走らせてもらう。あるいはワゴンの便数を増やすなどを考慮するべきだ。
 タクシーの売上げ、一日二万円目標、二百台のタクシーを八戸市内に走らせると、一年で14億円でしかない。八戸市の負担を十億円継続させると足りないのは4億円。これをどのように支払わせるかが問題。
 さて、乗り合いタクシーという以上、これは基本的にドアからドアとはしない。路線の停留所近くで降ろすを基本とする。路線を外れると別メーターにするなどを考えることだ。
 さて、もうすこし、話を根源的なことに移そう。回数無制限、載り放題タクシー定期券、その金額年間五万円というのはどうだ。乱暴な数字だが市民を24万として100億円だ。この定期券は24時間乗車できる。それも路線に出さえすれば無料で乗れる。高齢者になれば自動車運転免許証を返納する。
 個人で車を所有する時代は終ったと考えればいい。車を購入すると税金がかかり車検、毎年の自動車税、さらにガソリンが必要と、トヨタの宣伝に踊らされ車の借金地獄に陥った。
 これが車を放すことに力点を置けば、通勤の混雑は緩和、勤務先での駐車場の確保、市役所職員は毎月六千三百円を支払い年額では7万5千円。まして一杯飲めば運転代行と銭はかかるような仕組みだが、これらから全て開放されるのだ。
 一人あたり5万円の負担で百億円、これで24時間タクシーに乗れる。百億円では1400台のタクシーが市内を24時間走りまわるのだ。こんな都市が出現してみろ。近隣から移住してくる。
 世の中は知恵だ。トヨタの車にも口車にも乗らず、自動車運転免許証も不要、タクシー乗り放題(乗り合い)なら、免許証を持たない人も持つに等しい。もうすこし言えば、車を持たない人も車を持ったに等しくなる。
 チマチマとバスを残すことを考えるが、もう少し大きく輪ッパを廻そう。どの道人生はタダの一度なのだから。八戸人は金の使い方を知らない。どうせ使わなければならないなら、自分たちの使い勝手の良いように使うべきだ。それが生きた知恵だゾ。
 都立大の吉田氏は具体的に八戸を浮き彫りに見せてくれたが、今一歩踏み込み高齢者・障害者への無料バス券の支給4億5千万円をどう考えるかを忘れずに願いたいもの。
 また、参加者の質問も質問のための質問になっている。優秀な若い衆が来る以上、突っ込んだ質問ができる好機、それを市役所に頼まれたから来たのか、愚問を投げるは優秀な頭脳に無礼だ。簡単に結論は出ぬが、これを交通行政と取るか、新規の地域興しは車社会からの脱出と捉えるべきか、いよいよ事態は煮詰まってきたゾ、おのおのがた。

2009年1月29日木曜日

地域公共交通活性化会議1


昨日のバスを考える会合は痛快だった。名古屋大の助教授加藤氏と都立大の助教の吉田氏の話に引き込まれた。共に若い衆だ。
 全国を見て歩いただけあり、物の核心を衝いている。世の中こうした若い衆がいることを知っただけでも生きてきた甲斐を感ずる。「はちのへ今昔」の知人も次々滅びた。世の中、まだ見ぬ子らのために論議を尽くすは大事なことだ。現状がすべて正しい訳がない。
 勝海舟が咸臨丸で日本人の威信、(日本人ばかりがそう悲壮に思い込んでいただけだが)サンフランシスコに着いたとき、移動は馬車だった。モーツァルトの時代は、この時よりも百年も前だったが、やはり移動は馬車。
 人類が車輪を発明したのは6千年前、それを牛馬が曳く時代が千何百年かあったことだろう。ところが鉄の馬が出た。このことを予想した人がいた。それはベーコン、600年前の学者だ。学者はまだ誰も見ぬことを学問の力で見通すところにこそ、その存在理由がある。
 人々が困惑する事態が出現、それを全国規模で眺め、つまり巨視的、これを具体的に狭隘な地域に押し嵌める。これが有効か無効かは時間が決めることになる。つまり時代の篩だ。
 コミニュティーバスの例を挙げておられた。加藤氏の話でウッ? と思ったのは岐阜だかの例でバス定期の値上をしたら利用が増えたという言葉だ。
 これがあったなと痛感。利便向上なら高くても払う。住民と行政、企業はその地域なくしては立たないという運命共同体なのだ。企業からも応分の負担を求めるという意見だ。
 と、いうことは車社会にしたトヨタからも応分の負担を求めることなのだ。唐突に言い出した根拠を示す。
イギリスの産業革命以後、資材や製品輸送の必要で、タールを敷く簡易舗装路網が全国に建設された。1830年には蒸気機関バスが運行された。時速35キロも出たという。ところが、これに客を奪われた馬車組合が議会と結託し蒸気バスは道路を傷めると課徴金を取った。つまり規制だ。これでイギリスがもたつく間に他国の技術が上回りフランスで独立懸架前輪、二つのV形2気筒エンジンで別々に後輪駆動のバスが開発された。蒸気機関からガソリンエンジンの時代へと移った。ところが電気自動車も当時にはあった。変速ギアがないため簡単で上流夫人連の人気を博するも電池が弱く主流とならず。
勝海舟がメリケンに悲壮な覚悟で乗り込んだ時期は、世界は自動車の萌芽期でもあった。明治維新は1868年、フォードがT型を発売するのが1908(明治41)年だ。ここにメリケンの力が発揮された。何故メリケンが幕末に強大な力を発揮できなかったか、それは南北戦争で16代大統領リンカーンが国を二分し奴隷解放を旗印として血を流した。だから日本に介入できなかった。しかし、その後、猿真似日本人に自動車生産世界一を譲るまで、メリケンは世界の覇王だった。
メリケンには富者は貧者に施しをせよの義務がある。それがボランティアの精神だ。世界一のトヨタは地球温暖化の原因となった炭酸ガス発生についての責任があろう。これに対して金を拠出する義務がある。しかし、それをしない。温暖化の原因が炭酸ガスにあるというのも疑問が残るが、これは間もなく日本が飛ばした監視衛星で解明するだろう。が、本当に自動車に責任があるならば、これは生産者責任を負わなければならない。
つまり、自動車保有台数により県に金を交付する義務がおありだよというのが「はちのへ今昔」の主張だ。
自家用車が交通混雑に拍車をかけた。このため路面電車が追われ、トロリーバスも姿を消した。その責任は車の生産者にあったのだ。便利は不便でしかなかったのだ。
この延長線上に地方都市に悩みがあることを忘れるな。八戸のバスは撤廃することから考えるべきだ。加藤氏がこう言った。これは特区ですと。小泉政権で特区という超法規で地区を再生しようの考えが、小泉が去った現今でも省庁の中に生きている。このことひとつ知っただけでも参加した意義があった。
そして、それを実行、実施できる立場に若い衆の加藤氏がいる。これも目頭が熱くなった。国はけして阿呆ではない。なんとか国民のためになることをしたいと念願すれど、知恵がないのだ。断水時の八戸市と同様の人材のなさを露呈しただけなのだと感じた。それを外部の知恵者が助ける。世の中は知恵と才覚で堂々と渡る時代なのだ。勝海舟がオランダ語から英語に切り替えるように、福沢諭吉も同様な努力を払い、新時代に乗り出して行った。今も同じだった。
世の中を渡るには個々人の努力以外に無い。その必死の努力があれば堂々たる人生を送る。人間は覚悟なのだ。日本人を良くするには、必死に時代を読み解く、見通すだけの能力を要求される。誰に? 百年後のまだ見ぬ子どもたちにだ。
この気概だけが日本人を支える。恥を知ることだ。町人は金のために命乞いをする。侍はそれをしない。自分が信ずる道を走る。それが間違いであったら、腹を斬ることを知っている。ここが武士と町人の違いなのだ。今日本人は町人化した。だから、見えるものも見ようとしない。ゆえに間違いを犯すのサ。
続く

断水で判明した八戸市役所職員足軽以下3

八戸には市会議員が36人いる。これらが断水でペットボトル一本、耳の聞こえない人、眼のみえない人、高齢者独居老人の家に運んだのか。
 選挙の時は誰でもお願いしますだ。お願いした以上、それに応えなければならない。健常者はよいとしても障害者、高齢者は給水場から水を自宅に運ぶも大変。それは誰が考えても同じだ。一般市民は何処に高齢者がいる、障害者がいるのかを知らない。
 知るのは役所だ。その役所を意のままに動かすは市長の仕事であり議員の仕事だ。議員は担当課長に水を運びたいので住所を知らせろといえる。個人情報うんぬんと役人はぬかすが、非常時は超法規だ。難儀をする人間を助けるのが市議の仕事だ。
 この議員に情報を提供する課がある。それが貧弱な座布団バッチを偉そうに胸に付ける議会事務局。ここに15人の職員がいて、何もせずに正月を目いっぱい満喫して登庁だ。これらは人間以下。誰も登庁しなかったは防災室が開示したリストで明々白々。役所の仕事は記録をつけることだから、何でも隠そう見せないはできない仕組みになっている。
 議会事務局は議員全員に携帯電話でメールを同報する仕組みを持っていない。刻々と変化する断水情報を正しく伝える義務はないのか。議員に情報を正しく伝えなければ議会運営はできない。と、同様に非常時の情報伝達手段の構築すら議会事務局は考えていないのだ。己の職分を何と考えるのだ。それらは市長の仕事と考えるのだろうか。タワケ!
 議員が存分に動けるように情報を流すのは防災室の仕事か? そうではあるまい。それは議会事務局の仕事なのだ。日頃、議員に同調しまるで幇間のように駄法螺に相槌を打つのが議会事務局の仕事ではない。もっと真剣に己が仕事の根源を探れ。人生は短い、まして仕事をできる時間は極限られている。さらに、市役所職員の場合は慣れたころに異動だ。
 物事の本質はなにか? 自分の仕事を先達はどうこなしたのか、更に改革、改変ができないかを問われているのだが、議会事務局のボケにはそれが判らぬ。頭数はいてもカボチャばかりだ。時代は変化し同じ時間は二度はない。その機微を感じ機に臨み変に応ずる柔軟な態度がとれるのかが問われるが、今の山内局長には無理。知恵がない。人に感謝する心もない。全てを当たり前だと思う心のあだ桜、夜半に嵐の吹かぬものかなで、事故、事件への議員伝達方法を講じない。そもそも、電話で連絡する手段もあるが、一人も登庁せずしてどうやってそれが出来る?
 議員は勝手に情報収集せよが議会事務局の仕事か? そうではあるまい。市民一人ひとりは言葉に出さぬが断水時に議員が何をしたかを知っている。何も出来ない議員ばかりなら定数を半分にすることだ。18人でも議会は何も痛痒を感じない。市民のために動けない議員はいらないのだ。
 水道企業団に消防は出向いた。何かあったら電話くださいと帰った。そして消防も消防団もペットボトルを市民に配給しなかった。こいつらも知恵がない。頭は帽子をかぶるところだとしか考えていない。こんな消防長、消防団長でいいのか。機能しないだろう。ペットボトルを議員の一人が考えついたとしても、その運搬をどうするの疑問が出る。
 消防署員の半分を割く、消防団にそれを実施するなどの知恵を誰も持たない、持てないはマズイ。市長にも副市長にも知恵がない、水道企業団は全くない、防災室はペットボトルの存在すら知らないでは弱者はどうすれば救済されるのか。
 神戸のような大地震が発生したとき、消防に専念するのが消防署、人命救助に専念するのが消防団の色分けが出来ているのか? 今回の断水でもポンプ車でも水は搬送できる。しかし、それを実施しなかった。飲料水ではない、便所用に使ってくださいと説明しながら給水もできたはずだ。こんなことは素人の「はちのへ今昔」でも気付くが消防指令は無能ばかりなのか、それともしたくなかったのか?
 市民は信頼している。必ず役所が助けてくれると。しかしながらこれが現状なのだ。高い給料を貰う部長は糞ばかり、会計管理者は市長のそばで応急処置を施す水道企業団職員、あるいは情報伝達に必死な市役所職員に弁当を支給せよと市長に耳うちしたのか。銭の番人は財布の有り高を市長に告げ、職員の士気を鼓舞するために財布の銭を投げ出すのだ。市長からの暖房カイロだ、市長からの弁当だにどれほど勇気が出、そして活力が生まれるだろうか。ところが間抜け金庫番の出納室長はこれまた15人の兵隊を有しながら動かなかった。
 戦をすれば銭がかかるは誰でも知っている。市長は3日、四日の両日を水道企業団に宿泊。それでも出納室は動かない。兵糧を考えるのは誰の仕事だ? 財政部長か? ここも動きが悪かったが、財政の仕事ではあるまい。やはり出納室の仕事だ。つまり市役所は雁首ばかり揃えているが、市長の片腕になる人材に欠けている。
 市長選挙が今年の10月にあるが、四年かけても小林市長は職員から尊敬を得ていないのだろう。市長は演技で泊まりこんだと思っているのだろう。そうかも知らぬ、が、そうであっても職員諸君は市民のために汗を流すべきではなかったのか。
 水道企業団は飲料水の確保、一日3㍑を七日分確保しなければならない。市役所職員は水道企業団の味方でないことははっきりした。それも日頃の水道企業団職員の高慢による。誰を恨むこともない己がいたらぬを悟れ。
 一旦緩急あれば水道企業団だけで処理はできない。市役所の総合力を発揮しなければ処理はできない。マニュアルがと小林市長は叫んでいたが、己が信ずる八戸市役所職員はやる気がない。ごく一部の職員が自発的に出ただけだ。
 今回の断水は正月早々、これが夏場でなくて良かった。物が腐る、不衛生な状態が出現しただろう。小林市長は今回を教訓とし、市役所職員は動かないものと知り、動かす方法を構築することだ。議会事務局も正しい迅速な情報を議員に伝えることだ。さもないと、議員たちから総スカンを食うハメになる。
 平時にヘラヘラしている議員連も、有事の対応如何では失職する立場に追い込まれる。諸君らは市役所の監視員だと思い込んでいるが、市民に監視されているを忘れるな。もっとも議員は半分でいいいは「はちのへ今昔」の主張だ。不用なものはいらないのだ。その他の部署についても苦情を言いたいが今回はこれで一応終りにする。はりきれヨ、市役所職員たち。

2009年1月28日水曜日

断水で判明した八戸市役所職員足軽以下2

一旦緩急あればおっとり刀で城に駆けつけるは武士の習い。ところが来なかった。それも部長級ですら。太平楽を決め込んで餅にキナコでもつけて食っていたのだろう。
 そもそも大将は床几に腰掛け動かない。これが大将の仕事、武田信玄は謙信の刃を座って受けるがそれだ。大将は言葉を発せずとも副将がそれをする。ところが八戸市の副市長は一人は年寄り、一人はヘナヘナじゃ、大将自らが動かずばなるまい。そのための副市長だが彼らは己が仕事を弁えていない。
 部長級に招集をかける。取水管の取替えに時間がかかることは判明している。給水は水道企業団に任せると防災計画にはあるが、肝心の水道企業団が機能していないのだから、断水していない水路の消火栓を開かせ、断水地区への給水をしなければならない。
 部によっては高齢者、障害者、外国人への断水の知らせ、給水場の案内、水の運搬などを敏速にしなければならない。乳幼児を抱える家庭にも搬送しなければならない。
 これらの命令を誰が出すのかも不明だ。防災室の課員は全員が出勤しなかった。産休一年経過の婦人、青森県から派遣された職員の出動を室長は命じなかった。これは怠慢。緊急用員として雇用しているのが防災室勤務者。その大事な力を発揮する場に、緊急全員集合をかけられない室長では情けない。
 副市長のする仕事は先ず弱者救済。水道復旧は市長に委ね副市長は給水に専念しなければならない。水道企業団は非常用にガンジャの水のペットボトルを三千本所有。この水は他県の非常用として二千本送付された実績を持つ。
 ところが水道企業団のボケはこの水を一本も市民に供給しなかった。他県の痛みを知り送るはすれど、八戸市民の痛みは屁ほどにしか感じていない。これは馬鹿野郎といわれても仕方がなかろう。水道企業団の職員はワンサワンサと白山台のお山に寄せても知恵がない知恵が。
 水道企業団のボケに知恵がなくとも八戸市の副市長二人に知恵があればいいが、これらも同様の腑抜けだ。肝心の指令、命令ができない。
 さて、ペットボトルの水に二人のお飾り副市長が気付かずとも市役所の幹部、つまり部長が気付けばいいが、もともと水道企業団は他団体の意識だから、汗も知恵も出そうとも思わない。そうした奴等よ。
 これは水道企業団が悪い。総務課長も水道企業団は他団体だからと平然。だから水道部を自分たちの所有だと主張。この話は昨年来、いやっと言う程書いてくれたが、毛ほども感じていない奴ばら。だからこうした咎めが出る。自分の主張ばかりして義務を果たさぬから言われるのだ。給与を三割削減しろ。それだけの働きをしていないのだから。
 副市長も、部長も気付かなくとも防災室長が気付くべき。その理由は防災室は防災倉庫を根城に持ち、千食の非常食と米を持つが水は持たない。水は水道企業団に頼っているから。が、非常食管理人としては水のペットボトル活用に思いが至らなければ何のための防災室か。
 この歯止めも利かなかった。そして一本の水も市民の手に渡ることはなかった。
 市民一人当たり三㍑を確保せよ、それを七日分と防災計画書に記載あり。されど三千本ではどうにもならん。規定通りなら525万本が必要だが、水道企業団は五百人分、それも一日だけしか準備していない。これは防災計画無視。
 自分たちの給料を貰うことは決して忘れない。が、市民のことは片隅にもない。これが役人の現状だ。それを嘆くは愚かだ。彼らはそうした人種なのだ。人の痛みは百年我慢できるが、自分の痛みは一日でも我慢できな手合い。
 こうした馬鹿さ加減に我々市民はもっと眼を向けなければならない。奴等はあてにならない。あてにならない奴等をあてにするには、働かせることだ。市民が監視するなかで愚行をさせないことだ。今回の人災断水の顛末を見届けることだ、通水したから良いではダメ。通水は当然のこと、何で断水したのか、その後の処理は正しかったのかの検証なくしては再発するぞ。
 ところが防災室はその検証がいまだに出来ていない。今回の事故で幸いだったのはボケ部長でも課長でもない、係長級で自発的に出勤した者たちがいた。
 これらがインターネットを利用し情報を発信するも、限定的。防災室はホットスルメール利用者4000人に情報送達、これが効いて一月には加入が千件あったそうだ。
 が、高齢者、障害者に情報は正しく伝わったのか? 東奥日報が書いた。外国人に情報が伝わらなかったと。それはそうだ、国際交流、男女参画課は一人も出てこなかったのだ。
 自発的に出る者もいる。知ってても来ない奴ばらもいる。一人一人の資質なのだ。言われて嫌々する者、言われずとも自発的に出る者、この差は大きい。嫌々するなら役人お辞めよ。
 続く

2009年1月27日火曜日

断水で判明した八戸市役所職員足軽以下1


室町の頃、鎧具足もつけずに身軽に飛び出し刀をふるって実力をみせつけた奴らを足軽と呼んだ。己が働きを示さんがためだ。やる気があるものにだけ世は道を譲る。世界に冠たるノーベル賞を昨年は多くの日本人が手にした。歴史的快挙だった。独創の世界を歩んだ結果だ。他に負けないものを持つ人間に世間は拍手喝采する。
 横を見て他と同じことをする人間は勝利の美酒を飲む権利はない。まして、右を見て左を見て横断歩道を渡らない奴ばらには堂々たる人生を歩む意味と意義を見出さない。 
 断水で小林市長は水道企業団に泊り込んだ。率先垂範だ。大将が陣を張った。鮮明な旗幟(きし・はたじるし)が見えれば侍は鶴翼(かくよく・鶴が左右のつばさを張ったように、敵兵を中にとりこめようとする陣形。両翼に鉄砲隊を配置)、魚鱗(ぎょりん・陣形の一。魚のうろこのような形に並ぶもの)と日頃恩顧を頂く武将は直ぐ備えを立てるものだ。
 平時はヘラヘラしていていい。一旦緩急あればすわ、鎌倉が侍の心得ではないのか。ところが平時に慣れすぎて、すわ(さあっ)に腰が抜けたは大たわけだ。日頃の恩顧に応え奮迅、存分の働きを示すはこの時、これ以外に我が身の働きを見せる好機はない。まさに、男を揚げる運動会だ。天変地異、この時にこそ公僕の存在極まれりだ。
 此の期(このご・この時)に臨んで右を見て左を見て動かないは人非人(にんぴにん・人間以下のもの。特に、人の道にはずれたことをする人間。ひとでなし)。
 八戸市には緊急対応の手引きがある。震度6は全員登庁と規定。給水に対しての手引きも用意。それには消火栓から水を出して給水せよとある。ところが、これは水道企業団職員がすると規定。だから八戸市役所職員は手をこまねいて傍観。
 さらに、この給水の規定の上を見ると地震編とある。断水は地震じゃないから、この規定は適用されないと傍観を極め込んだ。タワケ!
 文字が読めるからこうなる。人は文字で規定されるものじゃない。平成十三年一月二十六日十九時十五分、新大久保の駅でホームから人が落ちた。その糞野郎を助けんと二人が線路に下りた。列車に三人とも轢かれて死んだ。糞野郎は日頃から左官の親方や同僚に酒で迷惑をかける奴だった。筆者は左官の親方と知り合いだ。だから、そのことを知るが、そんなことを救助せんと線路に飛び降りた人は知らない。嫌な奴でも人は人だと飛び降りて命を捨てた。一人はカメラマン、もう一人は朝鮮人だ。国も人種も関係なく、すわと飛び降りた。総理大臣が朝鮮人の葬儀に参列した。
 立派な朝鮮人だ。韓国とか北朝鮮と朝鮮人を二色に分けるな。ソ連と米国の代理戦争をさせられた民族だ。もともと三十八度線を挟んで無理やりに分けられた。朝鮮は今も昔も一つでしかない。
 異国の人間でもこれだ。ところがほとんどの八戸市役所職員は自身の家が断水になっても市役所に出向き、市民のために働こうとしなかった。
 市役所の構成はこうなっている。市長、副市長二人、部長九人、会計管理者、教育委員長、交通部責任者、病院長、議会事務局長、農業、選挙管理、監査の下に課長69、係長154がいる。これらが幹部職員だ。ところが、部長で一月一日の断水にもかかわらず登庁しないものがいる。
 防災に請求して、一日から四日までの登庁者の数を出させた。実に馬鹿野郎たちめと叫びたいだろう。これだけしか出なかった。さて、その原因と追求は明日のココロだ。

2009年1月26日月曜日

一月二十八日午後二時から 地域交通活性化会議 参加無料

赤字バスをやめてタクシーに切り替えができないかを考えよう、会議場所はワシントンホテル9階
 垂れ流しのバスは実情に合わない。これは廃止し、乗り合いタクシーに補助を出し、現バス路線を走らせる。停留所を設けず、路線内は自由に乗り降りができる。路線を外れることは想定しないが、ここらも論議の必要あり。
現在の八戸市役所を見ると幕末の幕府で手足が満足に機能していない。市民のためを考える頭脳が欠落している。市長の必死さは感ずるものの。取り巻きにロクなのがいない。偉そうにする議員も断水で水を配って歩いたのか。腕をこまねいて見ていただけだろう。市民のためなどはお題目さ。皆自分のことしか考えていない。
こんな議員しかいないのだから定数を半減しろ。十五人でも同じだ。歳費は半分になり風通しはよい。ついでに職員の給与を三割カットだ。給与、保健当で年間188億円出ている。50億は減る算段だ。景気後退のときは職員も痛みをわかて。税収が落ちてくるからノンキな御託はあげていられなくなる。
バスも高齢者社会を考えると公共交通の足となれるのか。今一度考慮のとき。南郷村が参入し新しい街づくりをかんがえなければならぬ。
一度、通年で乗り合いタクシーを走らせて都合不都合の検証も必要となろう。タクシーも青息吐息、バスをやめて、その補助でタクシーだけでも路線を存続する考えや、福祉タクシーのような考えもあろう。様々な意見を出し、五十年先の八戸の公共交通を考える時が今。