明治三十七年(一九○四)は日露戦争の年、東奥日報も軍事色顕著。日本と帝政ロシアとが満州・朝鮮の制覇を争った戦争。04年2月国交断絶以来、同年8月以降の旅順攻囲、05年3月の奉天大会戦、同年5月の日本海海戦などでの日本の勝利を経て同年9月アメリカ大統領T.ルーズヴェルトの斡旋によりポーツマスにおいて講和条約成立。
明治三十七年二月九日付け
●協商拒絶の通告
昨日外務大臣は露国公使に対して協商拒絶の通告をなせり同時に列国に其の顛末を声明せり
● 外交顛末と宣戦
外交顛末は明日発表同時に宣戦詔勅発布せらるべし
● 露国公使の引き揚げ
露国公使本日午後六時引き揚げの筈
● 臨時閣議
本日午前臨時閣議を開き重大事件を決定す
● 露艦又出つ
露国軍艦三艘再び旅順口抜錨せり行き先不明なり
● 宣戦詔勅発表期
宣戦詔勅は海軍(この所電文不明)次第発表せらるべし(この時代電話は未発達)
● 地方官召集
本月九日を以って各地方長官を東京に召集す
● 御前会議の結果
回答来らずして兵馬日に韓北を圧し来る栗野公使の情報は元老の会議となり外臣の情報は再び御前会議となる伊藤侯曰くやむを得ず山縣侯曰く然り皆も曰く同断、広義即ち決し天皇善しと宣す
● 露国艦隊の挙動
露国艦隊が旅順に引き返したるは別項の如し出港の目的は京城に於いて風聞したる如く爾く大なるものに非ずして単に近海に於いて艦隊運動を行いたるものの如し三日出港し翌日直に引き込みたるに徹して明らかなり該艦隊が今日北緯三十八度北南に出つるを得るや否やは疑問なり恐らくは到底能はざる事なるべしという
● 引き上げの邦人帰着
米国汽船アスプーチ号は浦塩斯徳より日本居留民三千人を搭載して敦賀港に帰着し直に浦塩斯徳に引き返す筈なるも戒厳令のため入港に許さざるも知るべからず西北利亜の重要地及び浦塩斯徳に尚本邦三千人もあり
● 露国陸兵の活動
過般報道の溝幇子より義州に入りし露国兵中八十駒は錦州に来らず蒙古地方に赴きしとのこととて其の数は馬玉崑の兵の朝陽付近に在るものを偵察の目的なり旅順口より運送船二艘役二千の兵を乗せて鴨緑江に向かい又旅順口ダルニー 方面より遼陽を経て鳳凰城に向うべき兵士は露国人の言によれば一万と言い之がため遼陽に在る馬車及び旅館の全体を徴発して準備に備え海城には露兵三千新に来り城外に宿営せりとの報知あり(五日北京発)
● 露兵二万の進軍
義州より昨日元帥府に達したる電報によれば旅順口より進発したる露兵は六千人にして遼陽より進発したるものは八千人にしていずれも安東県並びに鳳凰城方面に到着しこの付近に集中せる露兵の総数は既に二万に達せりこの内五千人は鴨緑江を渡り韓国に入らんとする模様ありしという(京城発)
● 満州露軍の戦備
満州の露兵は全く戦時装備を為し頗る兵員を移動し各地とも戦時部隊に改め居り先月初めてチタに来りしコサック兵六千南下し居りて東清鉄道は軍用の外運転せず為に満州内地の日本人は引き揚げること出来難き模様なり(天津五日発)
● 旅順口大攻撃(十日午前九時五十分東京特発)
八日より旅順口にて日露海戦を開始せり露の戦闘艦二艘水雷に命中して沈没せり外一艘は命中し浅瀬に乗り上げたり総攻撃は九日午前九時より始まる結果は未だ詳ならず
● 仁川海戦の公報
瓜生司令官の公報によれば仁川に於ける海戦にて露艦コーレツ(砲艦千二百㌧)バハツワリヤーク(一等巡洋艦六千五百㌧)及び汽船スンガリー破壊沈船せり我が損害は皆無なり
● 日露の宣戦布告
露国は本日モスコーに於いて宣戦を布告し帝国は唯今宣戦詔勅を公布せり
● 露船の捕獲
馬山浦にて捕獲せる露国汽船二艘本日佐世保に来たれり(昨日午後五時半東京発)
● 露船の捕獲公報
本日までに露国船舶我が軍艦の為に拿捕せられたるもの五艘なりとの公報其の筋に達したり
● 旅順口海戦の詳報(十一日午後八時二十分東京発)
東郷連合艦隊司令長官の報告によれば連合艦隊は去る六日佐世保を出発したる後総て予定の如く行動し八日正午我が駆逐艇は旅順に於ける敵を攻撃せり当時敵艦隊の大部分は旅順口外にありて我が駆逐艦の水雷にかかりしもの少なくもポルタワ(戦闘艦一万九百㌧)外一艘巡洋艦アウコリード(巡洋艦五千九百㌧)外二艘ありしものと認む我が艦隊は九日午前十時旅順沖に達し正午より約四十分港外に残留せる敵艦隊を攻撃せりこの攻撃の結果は未だ明瞭ならざるも敵に少なからざる損害を与え彼が士気を阻喪せしめたるものと信ず敵は漸次港内に逃走せるものの如し午後一時戦闘を止め引き揚げたり
この攻撃における我が艦隊の損害は軽少にして寸毫も戦闘力を減少せず死傷は約五十八名内戦死四名、負傷五十四名なりと我が艦隊は敵の砲火を犯して攻撃を果たし大部を本隊に合す御乗り組みの各殿下皆ご無事、我が将卒一般沈着恰も平生の演習の如く大に軍気振るう
三戸郡農事講習会閉会
同会は去る三日より八戸町産馬組合事務所に於いて開会し去る十一日八戸有志を会合し講習生と共に中村技師より特に耕地整理に関する講話を乞いたるが其の翌十二日閉会式を挙行せり来賓は同郡農会長船越宣美同副会長北村益銀行支配人石橋萬治県会議員遠山景三其の他農会議員等十数名にして船越会長より証書授与挙行の旨を告げ中村技師講習中の景況を報告し次て証書を授与せり次に船越郡農会長は県農会長の告辞と郡農会長としての告辞のべ講習生総代答辞あり午後三時閉会講師の労を謝せんが為め茶会を開く席上遠山議員は講習生の今後取るべき方針に就き述べるところありたり講習生は二十名なりと
上長苗代村の国債応募景況
三戸郡なる同村における国庫債券応募予定額は四千五百万円なる由なるが同村にて勧誘の結果去る八日までに五千八百七十円の多きに達し尚続々応募の模様なりしと言えば一昨十日の期限までには多額の応募額に達したるならんか右申し込み額の内価格申し込みは二千九百円(十四名)百円申し込み千三百二十五円(九名)也