2008年4月1日火曜日

長いようで短いのが人生、忘れずに伝えよう「私のありがとう」6

平成熟年も秋山皐二郎さんを始めとして、色んな人が死んだ。死なない人間一人もない。一年をふりかえると、あんなことこんなことと様々あるもんだ。そんな中、半年をこのギャラリー道で「私のありがとう」を開催させていただき誠に面白い経験をさせていただいた。
 大体、テレビを見て一日を暮らし、テレビに向かって吠えてる自分に嫌気がさす。子供を殺さなくてもよかろう、親を、亭主をと様々腹が立つ。でも、それもマスコミに踊らされている。この前、NHKが火事の家の三階から乳児を投げろと隣人が叫び、その子を抱きとめて助けたニュースを民放は流さない。
 刺激的な話ばかりを集め、心楽しい話はボツにするでは世の中間違っとる。嫌な話より楽しい話ばかりを集めることこそ大事だ。大体、人殺しの話なんてのは聞いてて楽しい訳がない。知りたい話は心温まるものだ。そして、その話は何度聞いても嬉しくなるもんだ。
ちょっと前に一杯のかけそばってのが流行ったことがある。人々はそんな人情噺に飢えているもんだ。
人情紙風船とも言われる人の情は、人とどう触れ合うかにかかるのだ。人と言っても健常者ばかりじゃなく、体が弱い、心も弱い人だっている。そんな心弱い人に、あんたはネ、今、心が風邪をひいているんだヨ、薬飲んでじっとしていると少しずつ良くなるからネと諭すのが北村道子さん。精神障害者の自立支援施設を経営される。
この人は人情家で人の話をひたすら聞く、そしてともに涙する、その後、今の心の風邪の話をされる。滲みるな、心の奥底に…。そして病んだ心にやる気が出る、出口のない道に出口を示す光明を見出す。そんな努力を十年継続される。なかなかできないことだ。その人が、「私のありがとう」の場を提供された。人を集め、自分の経験した嬉しかったこと辛かったことを喋りあおうというものだ。宗教も勉強も関係ない、今、一緒に生きていることを喜び合おうという、ただそれだけのものなのだ。
その場に彩りを添える意味で踊りがある、唄があるといった、言わば寄席。十一月二十三日(金)が今年最後の「私のありがとう」だった。次回は二十年の四月二十五日(第四金曜日)午後七時から。何故二十年まで待つかというと、筆者が旅行にでかけて四月にならにと帰ってこないからで、自分勝手な理屈。
今回は人の情に弱い男に司会を任せた。その人物は晴山さん。実に軽妙な喋りの出来る人だが、どうも話の組み立てに雑なところがあり、話をもりあげるコツが今一つ?めない。喋りの技法を教えよう、だが、教わって出来るようにならないのが、話芸、実践以外に修錬の場がない。そこで筆者の代わりに前面に出させた。突然の指名におじけをふるうでは上達は望めない。いついかなる場でも平然と全体を眺めて、そつなくこなすことが出来るかが問われる。
気配り半分目配り半分が司会のコツ。うまくまとめることが出来た。絶えず時計と睨めっこの司会業は場を読み取ることが出来なければ務まらない。面白おかしくまとめるか、格調高く納めるかは司会が選ぶ言葉による。まして、この「私のありがとう」は参加者から話を引き出さなくてはならない。そこら辺は晴山さんは実に巧みだ。軽く言葉を投げて実に明るい言葉を引き出す。誘導されて普段思うことがつい口に出る。
いつもおばあさんと一緒に来る小学生がいる。小針さんの坊やだが、おばあさん、第四金曜日だから行こうと言ったそうだ。来るとファミコンゲームに熱中。いつも下ばかり見てゲームと会話。おばあちゃんに誘われて仕方なしに来てるのかなと思うと、おばあちゃんに第四金曜日を教えた。晴山さんに、あの坊やは何で来るのかね、いつも下ばかり見てゲームをしてて、面白くもないだろう年寄りの話は? すると人情家の晴山さんが、名答、おばあちゃんと居たいんですよ。
 そうか、そうだったな、筆者も婆さんといた僅かな時間がいまだに宝物になっている。気が付かなかったなあ、孫は誰が教える訳でもないが、体の中の時計が、残り少ないおばあちゃんとの時間を伝えているのだろう。優しいなア、坊やも晴山さんも。今回の参加者は早川、木村、鈴木、加賀、富田、大久保、斉藤、清水、川村、中村、本宿、東野、坂本みちのぶさんと踊り子の八食センターで乾物販売店店主の安宗さん。
この人が「上海の花売り娘」を踊った。紅いランタン仄かにゆれる夢の上海、花売り娘、誰のかたみか可愛いい耳輪、上原げんと作曲、昭和十四年の岡晴夫の唄。この岡と上原は同じ部屋に下宿し、上野御徒町の万年筆屋で働きながら歌手を夢見た。そしてあこがれのハワイ航路で歌の星、あこがれのスターとなった。日本が海外侵攻はなやかなりし頃の異国情緒たっぷりな歌に乗せて、安宗さんが踊った。手品を加えた独特のもの、結構ファンもいて人気者、一芸に秀でた人は人生を二倍に楽しむことができるもの。
市会議員の坂本みちのぶさんが顔を出し、足の裏を揉むと体の調子を良くすることが出来ると教えた。この人は税理士で調理師で神主、おまけに治療士の資格もあるというマルチ人間。政治屋が多いなか、この人は政治家。世の中を良くしたいと、あらゆる分野に興味を持ち、どこから改善できるかと気配りをする。だから議会でも積極的に質問をする。時間を消化するための質問はしない。とことんまで食いつく。スッポンだね。教育長への質問もしつこい程。教員は生きているから、喫煙所を設けてやれ、と実に至当な問題を投げる。そして喰らい付く。だから役所には煙たい存在。本人はケロケロ、本当のことを言ってどこが悪い。真実を追究する者はこのぐらいの覚悟が必要。
このギャラリーみちの「私のありがとう」に出て、自分の仕事の宣伝も出来る。発言時間は決まっていない。喋りたいこと、伝えたいことを精一杯伝えればいい。工務店の若大将が自分の仕事に対する心構えを伝えた。好青年で好感が持てる。何事によらずひたむきな精神は好ましいものだ。商売はいい時もあれば悪いときもある。それを凌いでこその人生。なんでもかんでも上手くいけば人生の味わいを知らずにすごしてしまい、人情のなんたるかを知らずに終わる。人間は困難にぶち当たるたびに、人の情けを知るように出来ているのだ。スーパーユニバースで食品のマネキンをしている人が、お客様が試食品を食べてくれるだけでも嬉しい、どうしたら美味しくなるかを家で研究すると、人に喜んでもらう楽しみを知ると人間は一回りも二回りも大きくなるもの。
以前、「はちのへ今昔」に掲載した造船業の一族の方も参加され、実家の話が載っていたのでビックリされたと言われた。八戸は水産都市、漁業家も造船業も繁栄の道をたどられたが、今は最大漁獲量の四分の一と激減。それでも、八戸は水産と切っても切れない仲。この衰退をなんとか盛り返そうと小林市長が水揚げ岸壁を整備される。国も支援し水産都市の復活に賭ける。
国際的衛生基準の岸壁を建設し、畜産並の衛生環 境にして八戸サバの名を天下に知ろしめさんとの心意気。
人は事にあたるたび、池に小石を投げ込まれたように、広がり行くのがさざなみで、心の中にも広がります。そんなとき、どうしたらよいかと悩むもの。そんな解決できない大きな悩みも、お前だからこうした悩みを抱かせたよ、何故なら解けない悩みは与えられないもの。
悩みを抱いた人に出会ったら、話を最後まで聞いてやりなさい。そして、共に涙を流して泣いて、そして強くこう言っておやり。大丈夫だよ、かならずあんたなら出来るから、私も一緒に考える、困ったときはいつでもおいで、一緒に泣いて考えようね、と。
これが大慈大悲の心、西有穆山が崇拝した観音の力なのだ。皆が北村道子さんの慈悲の心をいただきました。有難う、そして皆様も同様に観音力が備わっています。でもそれに気づかないだけ。難しいことはさておき、又、おいでください。