2008年1月1日火曜日

赤字解消のあとにくるもの 市政展望・デーリー東北新聞記者 佐藤信三

一億四千余万円の赤字に悩み、この解消のため八戸市はさる昭和三十一年度、地財再建法いわゆる地方財政再建促進特別措置法の適用を受けた。予算編成などに自治庁の了解を必要とすることなどから、ヒモ付き財政などといわれ、市議会でも革新派などの反対を押し切っての強硬手段だったが、結果的には、地財再建法の適用が効を奏した格好となり、その後の財政事情は好転の一途をたどって、計画を三年短縮し三十四年度限りで地財法から脱却することになった。この関係議案が議会の議決を得たのは三十四年九月定例会である。
 しかし、一億四干余万円のぼう大な赤字がわずか四ヵ年で整理出来たということは、ひとり地財法だけの功労ではなかった。計画的な財政運営が確かに赤字整理に一役買ったことは否めないにしても、税収の大巾な増加がなかったら、自治庁のヒモ付き返上はいまなおむずかしかったのではないかと思われる。それほど同市の税収増は飛躍的なものだった。すなわち、東北電力が八戸火力発電所を建設し、日曹製鋼が八戸工場を建てるなど同市政の数年来の合言葉だった『工業誘致』がようやく結実して稼動を始め、固定資産税を含む税収入が増え、ヤリクリ算段の財政事情に、潤かつ油的役目を果したのである。考えようによっては地財法による財政再建計画の実施という主体条件が四とすれば、大工場の進出による税収の増加など外的条件が六で初めて再建団体脱却が可能だったのかも知れないのである、
ともかくこうして八戸市は四年ぶりで自主団体となった。三十五年度の市政を展望するのにこの事実を見逃がすことは出来ない。ということは、これまで再建債の償還に振り向けていた数千万円の貴重な予算を、いいかえれば、借金の返済金を市の単独事業に振替え可能となったわけで、思うような仕事を自分の裁量で進め得る情勢を切り開いたことを意味する。税金は住民に還元すべきだ、ということを政治の第一義とするなら、市政事者はまずこの事実を市民ともどもよろこんでいいはずである。まして三十五年度には市政施行三十周年記念事業も予定されている。再建団体脱却後の初年度が三十年記念とちょうど合致したことは大いに意義がある。いよいよ壮年期に入る八戸市がほんとうの意味のおとなの政治」を執行する気構えなら、いかにして税金を市民に還元しようとするのか、まずは三十五年度の予算内容を期待したい。
 それにしても八戸市には、やらなければならない仕事が山積している。東北一の臨海工業都市といわれ、その事実が、自他ともに認められつつあるにしても、しょせん同市は地方の小さな田舎町に過ぎない。なるほど、火力発電所をはじめ近代的な工場群の煙突が櫛比(しっぴ・櫛くしの歯のようにほとんど隙間なく並んでいること)]している状態は、さすがに偉容だが、このかげに隠れている街の実情は余りも貪寒たるものがある。「明後日と一昨日が同居している都市」といわれたところで返す言葉ががない現実である。立派な構想が見事に青写真に描かれていても遅々として進まない都市計画事業。道路は狭くデコボコ。側溝も下水道も整備されずにハエやカがバッコし、小児マヒや赤痢の多発で不潔都市の名をほしいままにしたさきごろの実例。すし詰教室がいまだなお解消されず、文化的な施設も皆無という有様では全く「おととい都市」の名に恥じないものがある。従ってこんごの八戸市の大きな課題は、工業都市としての港湾づくりなど立地整備をまず第一にあげなければならないのはもちろんだが、これと併せ、街づくりを重点的にとり上げるべきであろう。
 では、街づくりを市理事者はどう進めていくというのだろう。税収が増えたといっても同市の財政規模は約十一億円、人件費その他の消費的経費を差し引けば投資的経費はたかが知れている。しかもこのなかには港湾整備の負担金なども含まれており、純然たる街づくりに振り向けられる額はさして大きいものではない。これを効率的に用い、市民の福祉増進をはかるため、理事者はどのような方策を特っているかは、まだ明らかにされていないが、重点的な施策以外に、予算の効率的運営はとうてい考えられないと思う。しかし理想と現実にはやはり食い違いが現われそうである。と、いうのは、三十五年度予算にはまず市庁舎建設費(四~五千万円程度)を計上しなければならないし、市庁舎の建設に関連して、図書館の新築も不可欠である。市庁舎と図書館に億に近い予算を振り向ければあとはもう残された予算のワクは少ない。衛生的な街づくりが全市民からひとしく望まれたところで、この要望にこたえうる施策を三十五年度に期待してもとうていムリというもの。理事者はこうしたギャップをどう克服しようというのか判らないが、まず総花式な予算編成は絶対避けるべきであろう。年次計画で進めてもいい。ほんとうに市民の福祉が増進できるような施策を重点的にとり上げて、腰を据えた仕事をやってもらいたいものである。
 工業都市の立地整備は曲りなりにも軌道に乗り始めた。一万トン埠頭は三十五年度末で接岸可能の段階に入ったし、この埠頭を含めた港湾整備の再検討が港湾協会によって進められ、さらに飛躍的な港づくりが行われようとしている。長い間の懸案だった輸送施設増強問題も、国鉄当局と市ならびに市総会振興会数度の会合でようやく最終的な計画が打ち出され、国鉄側の改良計画会議に付議された。工業用水道計画もやがて着工の運びとなろうし、八太郎第二工業港の問題も具体化の様相を帯びてきた。従って、この面でのこんごの展開は、いまのところ悲観すべき材料は皆無である。理事者が情勢の判断を誤らぬ限り、これらの整備事業は一頓座を来たすことはまず考えられないようである。まずは順風満帆の「岩徳丸」の航行といってよいのではないか。
 また繰り返すようだが、一方でこのように順調に仕事が進んでいるからこそ、街づくりの遅滞は見逃せないのである。ようやく赤字団体から脱却できたからといってその反動で派手な仕事を期待するのは危険だが四年間のヒモ付き財政の惰性による「石橋を即いて、そして、なお渡らない」式の消極性もいけない。堅実な財政運営は市民のために避けるべぎでないが、堅実過ぎていたずらにカラのなかに閉じこもってはかえって大きなマイナスである。前向きの姿勢で、意欲をみなぎらせた街づくりの構想を市民のまえに明らかにし三十五年度をその足がかりの年としてもらいたいと思う。衛生センターの問題、住宅行政の積極化、道路行政の再検討、そして都市計画事業の推進等々。場当り主義の施策は現段階の八戸市では、その発展にブレーキをかけることは明らか。まず百年の大計を樹立すべきである。
 岩岡市政は安定した与党勢力にささえられている。この情勢が、岩岡市政に逆に安易さを生んで、日和見主義的な事態を招じた事実も過去にはあったようである。また、与党勢力の安定化は、議会内でも微妙な影響力となって、野党側の対抗意識を多少鈍らせたのも事実である。悪くいえば「長いものに巻かれろ」式の誤まった観念が議会を支配していたことは否めない。従って、まず岩岡市長に望みたいのは。与党の勢力を念頭におかないで毅然とした『市政への熱情』を燃やしてほしいということだ。自らの考えで自らの方策を打ち出し、そして議会の支持を得るべきである。公選首長の正しい生きかたはこれ以外にはない。議会内の動きに心を配り、選挙民の人気を考えるなど右顧左弁することは、公選首長の正しい道ではなかろう。市議会もまた自らの義務を果たすに忠実であってほしい。他会派とのカケヒキのみに終始し、重要案件を一瀉千里のカケ足審議で議決してしまうようなこれまでの悪弊は、この際きれいに一掃してもらいたいもの。要は、市政という『生きもの』は、市民を忘れて、成り立たない。結局、市理事者、市議会ともども、ともかく市民の福祉を第一義として、施策を打ち出してほしい。これは北方春秋に記載されたもの。立派な論理に裏打ちされた卓見。