2008年2月1日金曜日

昭和四十四年夏、青森県を沸かせた太田幸治の軌跡

前号で我が人生に悔いなしの作者、中村節子さんが、母校三沢高の甲子園出場を書かれた。おのおの立場で三沢高を必死に応援した、あの昭和四十四年の夏はどんなものだったのか、それを可能な限りデーリー東北新聞で追ってみよう。
三沢高校甲子園準優勝の軌跡
昭和四十四年八月八日付け
全国高校野球組み合わせ決定
三沢は大分商と対戦
初戦必勝の表情
クールな三沢高チーム
大阪で松原記者 七日午前九時半から大阪市・新朝日ビル・フェステバルホールで行なわれた全国高校野球選手権大会の組み合わせ抽選会で三沢は第四日の第三試合(午前零時半)中九州代表大分商と対戦することになった。
 この日三沢は九時少し前に会場へ着いた。やはり二年連続の経験がものをいってか、いかにももの慣れた行動だ。北陸代表若狭高を最後に代表校三十校が勢ぞろいした。朝日新聞代表中村常務のあいさつのあと、開会式の入湯順序と、組み合わせのくじを引く順序を決め、予備抽選が始まった、予備抽選は会場に到着した順にくじを引き、いよいよ組み合わせを決める本抽選にはいった。場内は一瞬静まりかえったが各校主将が抜き取った番号が示されるたびに各校とも騒然となり、組み合わせもほぼ決まって、残すは第二日と第四日だけ。
 「初日の試合は避けたい」といっていた田辺監督の願いがかなってか、河村主将の抜き取ったくじは「第四日、第二試合B」大分商が初戦の相手と決まった。
 田辺監督や能登教頭らは本抽選の前に「どことぶつかっても十分やれる自信がある」といっていたが、大分商が守備のチームと知って″初戦はもらった″といわんばかりの表情。選手たちも他校が 「初日だ」とか「強敵だ」と騒いでいる中で、冷静そのものだった。
 選手たちはこのあといったん宿舎の「宝楽」に帰り、午後二時から前日に引き続き三和銀行グラウンドで練習。グラウンドがかたいため、おもに打撃に重点をおきシートノックは軽く行なった。練習終了後、偶然隣のグラウンドで大分商が練習をしていたため、選手たちは熱心に見学していた。
 きょう八日は大会をあすに控え、午前九時から甲子園球場で開会式の予行練習が行なわれる。
 大分商はやりやすい相手
 三沢田辺監督の話 大分商は打率、守備の面でうちと似ているチームのようだ。ただ攻撃力があまりないようなので、やりやすいと思う。チーム自体の力が昨年に比べればはるかにあがっているので、どことやっても十分にやれる自信がある。
 三沢は大敵
 大分商松田監督の話 昨年の夏、ことしの春・夏と連続出場している三沢は大敵です。うちとしては軟投型よりは速球の方が攻めやすい。いまのところ勝てる自信はありませんが、精いっぱいやります。
監督の親心も水のアワ
○抽選会場まで約一時間。あまりの暑さに監督の田辺さん、冷房つきのバスを頼んだ。ところが外の熱気と段違いの涼しさに選手たちはびっくり。「からだの調子が悪くなるから冷房を止めて」と悲鳴?をあげ出し、結局監督の親心も水のアワとなったが、田辺監督いわく「さすがに選手たちはよく考えているでしょう」。
 大分商やりにくそう 
○初戦の対戦相手大分商と同然隣同士で練習することになった三沢。早目に練習を切り上げて大分商の練習を見学。グラウンドのわきのベンチに全選手がどっかと腰を据えての敵情視察に、大分商もさすがにやりにくそう。エース得能投手もグラウンドのすみの方で軽いピッチングをしただけ。三沢は前哨戦で早くも大分商を圧倒した形。
 甲子園だより
菊池一塁手
大阪に着いて二日目、きょうは抽選日のため朝七時に起床、八時に会場のフェステバルホールヘバスで出発した。やはり夏の抽選会は春と違って迫力がある。初め予備抽選で主将の河村君が二十五番をあてた。くじ引きの番号とともに、入場行進の番号でもある。そして相手校が大分商と決まる。すぐ週刊朝日の甲子園大会特集号で大分商校を調べた。別に恐れる相手でもないので、いつもの調子で気楽にやりたい。そのあと映画「青春」を見た。午後二時ごろから三和銀行グラウンドで練習中、一回戦の対戦相手大分商が練習にきたので早く切り上げて大分商の練習を見たあと、みんなで相手校について話し合った。
 僕たちは、本大会は二年連続、実際は三回甲子園を踏んでいるんだ。相手は十回目の出場だが甲子園の経験者がいない。初出場と同じようなものだから、自信をもってゆこうと結論を出した。

八月九日付け 
【大阪で松原記者】炎天下に力とわざを競う第五十一回全国高校野球選手権大会は、いよいよきょう九日から全国の予選を勝ち抜いた三十校が参加して、甲子園球場で開幕する。一日目は午前九時から開会式が行なわれるが、北奥羽代表の三沢は仙台商に統いて二十五番目に入場する。この余韻がまだ球場を包む午前十時、第一戦の東邦(愛知)対富山北部(北越)戦がプレーボール。真紅の大優勝旗をめぐって十日間にわたる熱戦が始まる。 
 北奥羽の期待をになう三沢は六日大阪入り。緒戦の相手も大分商(中九州)と決まり、左腕得能投手を予想して、フリーバッティングに左投手を使うなど最後の調整に余念がない。大会屈指の速球投手太田も試合日の十二日に焦点を合わせて体調を整えている。八重沢、桃井、菊地ら主力打者もきびしい暑さになれ、シャープな振りで外野にするどい当たりを飛ばしている。心配された小比類巻捕手の割れた右手のツメもほとんどなおり、河村主将を除けば故障者もなくすこぶる元気。八日の開会式リハーサルも二年連続とあって落ち着いたもので、堂々と行進し、大会への自信を さらに深めていた。
甲子園だより
 八重沢遊撃手
大分商なら大丈夫
八月二日に甲子園出場が決まり、そして五日に三沢を出発してからもう五日たちました。いつも来てまず思うのは暑いということ、三沢と違ってムンムンする暑さです。でも、暑さに負けて試合に十分な体調で臨めないと甲子園に来たかいがありません。八日は甲子園で開会式の予行練習がありました。甲子園はもう三度目なので、あがることはありませんでしたが、午後からの練習でバッティングのポイントがちょっとずれているような感じで本調子でないのが残念でした。
 七日の組み合わせ抽選で、一回戦は大分商業と対戦することに決まりましたが、大分商のバッティングを見た限りではあまり調子が出ていないようで、これなら十分やれると思いました。
 大会では二回戦で負けるというジンクスを破るためにも、郷土の皆さんの期待にそうためにも全力をつくしてがんばりたいと思っています。
 八月十日付け
 【大阪で松原記者】真っ黒に日焼けしたたくましい顔力強い足音。ファンファーレが鳴り、軽やかな大会行進曲。そしてスタンドから沸きあがる拍手と歓声の伴奏。第五十一回全国高校野球選手権大会は九日、甲子園球場ではなやかに幕をあけた。  
 この朝、甲子園の空は晴れあがり、強烈な夏の日ざしに、グラウンドの黒土と緑の芝生があざやかな対照を織りなす。約六万の大観衆が白一色にマンモス球場を埋めた。
 午前九時、右翼ゲートが開き、いよいよ入場行進。この瞬間、半世紀の歴史と伝統に輝く″夏の大会″は新しい一歩を踏み出した。国旗、大会旗を先頭に、昨年優勝の興国・岩出清主将が持つ深紅の大優勝旗が続く。参加二十校のトップを 切って地元明星、三列縦隊、堂々の行進に拍手が一段とたかまる。鹿児島商、玉島商…。北から南から、集まった精鋭四百二十人。
 二十三回目の名門平安、斜陽の炭鉱町に明るさをもたらした初出場三笠もいる。春夏連続優勝にいどむ三重も元気な顔を見せた。
 注目の三沢は仙台商に続いて二十五番目。先頭の河村主将が北奥羽大会の優勝旗を両手にしっかりとにぎり、それに続くナインも堂々と胸を張り、力強い足どりで甲子園の土を踏みしめる。ひときわ目立つユニホームの純白にスクールカラーのグリーンがはえる。二年連続とはいえ、やはり感激も新たなのだろう、ナインの顔はややこわばって見えた。
飯塚商を最後にダイヤモンドに整列。参加二千五百二十三校、史上最高のきびしい予選を勝ち抜いた誇りを胸に、新たな栄冠への決意を秘めてー。「君が代」吹奏ののちに国旗、大会旗が各校主将の手によって掲げられた。
広岡大会会長のあいさつ、興国・岩出主将から優勝旗が返還され、次いで坂田文相、武田日本学生野球協会会長の祝辞、佐伯審判委員長が訓辞をした。
 最後に明星・平俊彦主将が全選手を代表して「正々堂々と試合することを誓います」と宣誓。大会歌「栄冠は君に輝く」合唱のうちに選手退場、式を終えた。
 午前十時九分、坂田文相の始球式で東邦―富山北部戦がプレーボール、十日間にわたる熱戦の火ぶたを切った。
興奮さめやらぬ三沢ナインだったが、開会式終了後三塁側スタンドに陣取って第一試合の前半を観戦、早くも新たな闘志を燃やしていた。    大会雑観
 バス捜すのに一苦労
七万の大観衆で埋まった甲子園球場のまわりは車でいっぱい。開会式終了後、東邦―富山北部戦を二回まで観戦した三沢ナインは、練習のため席を立った。ところが表へ出てみると乗るべきバスの姿がいっこうに見えない。付近が駐車禁止のため、バスを捜すのに一苦労。ようやく見つけだしたのが約二十分後、その間イライラしていたのは田辺監督と立崎部長。選手たちは感激に酔っているのかいたってのんきだった。
人気はスター並み
 甲子園は老若男女を問わず高校野球ファンでいっぱい。開会式後各校ナインはそれぞれ一回戦を観戦していたが、選手たちの人気はスター並み。かわいい豆ファンにサインをせがまれ閉口している選手たちの姿があちこちにみられた。それでも選手たちは、てれながら、なれない手つきでペンを走らせていた。
 甲子園だより
 菅原 豊選手
 あこがれの甲子園へやってきた。しかその球場も思ったよりも大きいとは感じなかった。
 きようから大会が始まったが、観衆が多いのにはびっくりした。三沢の人口の二倍以上もはいるのではないかと思った。さすがは甲子園球場だ。
 きょうの第一試合を見て感じたことは、投手のコントロールのすばらしさだ。僕はまだ一年で、練習のときフリーバッティングの投手をしているだけに、よけいにそう感じた。さすがは全国の予選を勝ち抜き、代表として出てくるチームの投手はレベルが違うと思った。
 それにもう一つ気がついたことは、攻守交代のとき全力疾走することだ。きびきびとして、いかにも高校生らしい。僕もこれらのよいプレーを見習い、これからの毎日を来年もまた甲子園へこれるようがんばってゆきたいと思います。

十二日付け
初戦はもらった
士気上がる三沢ナイン
【大阪で松原記者】きょうは待ちに待った第一戦。三沢ナインは最後の調整を終わり初戦はもらったと自信満々だ。 
 試合をあすに控えた十一日の三沢は午前十時から三和銀行逆瀬川グラウンドで仕上げの練習、大阪入りしてからもナインはのんびりムードで、監督以下をやきもきさせていたが、さすが試合の前日とあってきびきびした動きをみせていた。二、三日調子を落としていた核弾頭八重沢も、この日は見違えるような当たりをみせて復調、下位打線も好調とあって不安は全くなくなった。練習場には大阪在住の相馬県人会会長らも姿を見せ、陣中見舞い、試合への士気はいよいよ高まった。
 午後五時からは選手の部屋でミーテング、試合を前に秘策を練り、細々とした注意サインの再確認などをおこない、準備は万全といったところ。
 田辺監督の話 大阪へきてから、去年暑さで失敗したので選手が疲れないよう調整程度に練習を重ねてきた。選手はすべて好調で、二、三日調子の出なかった八重沢もよくなった。太田はカーブの切れが一段とよく絶好調。試合では立ち上がり単調にならないように気をつけさせる。特別な作戦はないが、まず先取点をねらって太田を楽にさせる。バント戦法も大いに使う。勝算は十分ある。
  春と同じケースに
 三日目、第二試合終了後、二回戦の組み合わせ抽選が甲子園球場で行なわれた。一回戦自信満々の三沢ナインは、宿舎でテレビを観戦していたが、抽選が始まると一斉に目がそそがれた。次々と決まってゆく中で残ったのは静岡商と明星の両強豪校。「えらいことになった」と口々にいっている中で、とうとう地元大阪の明星と決まった。春の選抜でも二回戦で地元浪商とあたって敗れているだけにこれも何かの因縁・選手たちがざわめく中で、小比類巻捕手は神妙に「全く春と同じケースだ」といっているのが印象的だった。
甲子園だより
赤坂恵捕手
甲子園出場が決定し、三沢を出発してから早いものでもう一週聞たちました。今度で三回きたことになりますが、何回きても甲子園はすばらしいと思います。さすがは高校野球のメッカです。毎日の気温が三十度を越える暑ささえなければ、もっといいのですが…。
 きょうは暑さの中を帽子をかぶらないで練習したため、軽い日射病にかかり、熱を出して寝こんでしまいました。でも心配はありません。幸いみな調子がよく、いよいよ一回戦の日が迫まり全員はりきっています。「今度こそ三度目の正直で二回戦のカベを破るんだ」とからだに疲れを残さないようにしながら最後の調整にあけくれていますからきっとジンクスを破れるでしょう。
 僕はまだ試合に出るチャンスはないと思いますが、全国を代表するレベルの高い野球をまのあたりに見て来年のためにもインサイドワークや捕球、送球などを覚えて帰りたいと思います。

八月十三日付け
三沢、大分商にサヨナラ勝ち
延長十回、桃井が快打
堅い守備、太田を援護
第四日
【甲子園で本田、松原記者】第五十一回全国高校野球選手権大会第四日は、十二日午前九時五十八分から甲子園球場で、玉島商―川越工、三沢―大分商、日大一―東洋大姫路の1回戦3試合を行なった。
 第一試合は玉島商が六回、小野の左翼本塁打で同点としたあと、七回川口の適時打で勝ち越し、松枝の好投で川越工を振り切った。第二試合は今大会初の延長戦となったが、三沢が十回、二死三塁から桃井の中前適時打で大分商を破った。第三試合は日大一が一回小山のスクイズ、五回安達の適時打で2点をあげて終始有利に試合を進め、小山の十五三振を奪う快投で粘る東洋大姫路の反撃を九回の1点に押えた。
 第五日の十三日は午前十時から1回戦最後の平安―横手と2回戦長崎商―若狭、仙台商―広陵の計3試合が行なわれる。【関連記事9面に】
▽一回戦
 ◇大分商(中九州)ー三沢(北奥羽)
大分商0000000200計2
三沢 0000020001計3
   (延長十回)
(大分)得能ー後藤佳
(三沢)太田―小比類巻
▽二塁打多島田、藤島2、八重沢
 【評】三沢はエース太田の思わぬ不調から苦戦し、試合は今大会初の延長戦にもつれこんだ。延長十回表、三沢は当たり屋八重沢が三本目のヒットで出塁し、二死後この試合不発だった四番桃井が期待にこたえて2ー2後の直球をセンター前にはじきかえしてサヨナラ勝ち。
 三沢は前半左腕得能のキレのよいカーブと内角にくい込む速球に手が出ず、四回を終わってヒットは八重沢の一本だけ。5三振を喫し完全に押えられていた。
 大分商も制球に苦しむ太田をくずせず、一回、二回、四回とランナーを出したが無得点。しかし六回表に絶好のチヤンスが訪れた。トップの多島田が2―2後の外角球をうまく流してサードの左を破る二塁打、続く藤島は手堅く送って多島田は三塁。ここで三沢バッテリーは三番後藤賢のスクイズを見破ってウエスト、多島田を三本間できょう殺した。
 「ピンチのあとにチャンスあり」のことば通りピンチを切り抜けた三沢はその裏やや気落ちした得能に卜ップの八重沢がストレートの四球を選び、小比類巻が送ったあと太田が中前にクリーンヒットをはなち一、三塁。続く四番桃井のカウント1ー0のとき太田が得能のうまいけん制球に誘い出されたが、一塁手橋本が二塁へ悪送球、ボールがセンター方向へころがる間に八重沢がかえって待望の先取点をあげた。桃井の遊ゴロも野選となってまた一、三塁、ここで菊池が初球スクイズを決めて2点目をあげた。
 太田は2点をリードしてから七回は3三振を奪うなど立ち直ったかにみえたが、八回、一死後九番利光に四球を与えたのがまずく、続く多島田には二遊間を破られて一、二塁。さらに二番の藤島に右中間に二塁打を打たれて1点。後藤賢に代わった三番吉野は2―1後レフトヘ邪飛球を打ちあげた。三沢の左翼手立花はこの飛球をよく追ってスタンドのすぐ前で捕球した。これをみた三塁走者の多島田が猛然とホームをねらい、立花からの返球が一塁寄りにそれる間に生還して同点に持ち込んだ。浅い位置だったが捕球した立花の体勢がくずれて、バックホームがちょっと遅れた。
 その裏三沢も八重沢が内角ややつまりながらもレフトフェンスヘ直接当てる大二塁打(河村主将がポールに当たった、ホームランではないか、と抗議したが受け入れられなかった)をはなったが、強攻策に出て得点にならず、九回裏にも菊池、滝上哲と二本の安打が出たが、あと一本が出ず延長戦。ねばる大分商は二死後から藤島が二塁打したが、吉野が凡退、三沢はその裏理想的な攻めで大分商を振り切った。まず当たり屋八重沢がレフト前にこの日三本目の安打、二番小比類巻が送って三、四番へ期待をつないだ。太田は初球を打って凡退したが、得能に内野ゴロ三つと三振に押えられていた桃井が追い込まれながらも、うまくはじきかえした。打球は得能の左を抜けてセンター前へ、八重沢がおどり込むようにしてホームインした。
 三沢は太田が7四死球を出すなど制球に苦しみ苦しい試合だった。予選以来無失策の堅い守備陣が太田を助け、攻撃面でも八重沢以下各打者が持ち味を発揮してくい下がる大分商を振り切った。
  ヒーロー
ナインに厚い信頼
初のサヨナラ打に興奮
桃井三塁手
 延長十回裏、三沢は一死二塁と一打サヨナラの好機を迎えた。三番太田は初球を打って平凡な二ゴロ、バッターボックスに四番の桃井が期待を一身に集めてはいった。一、二球目とも ファール、それまでに四打席凡退しているだけに桃井の脳裏を一瞬不安がかすめた。しかし三球目は直球、四球目がカーブとそれぞれ外角にはずれた。桃井はそのとき「とにかく投手に打ち返そう」と思ったそうだ。それがリラックスさせたのだろう。次の一打が八重沢を迎え入れるサヨナラ安打になった。
 河村主将が腰を痛めて以来桃井が副主将としてナインを引っ張っている。その責任感の強さが北奥羽予選の決勝、弘実戦の同点打、大分商戦のサヨナラ安打と結びついた。
 大阪入りして一、二年の選手が暑さにまいって水を飲んでいると「水を飲むと疲れが出るし体力がつかないよ」とさとしていたのも彼だし、練習で各選手に手をとって教えるのも彼だ。チャンスに強い打者、ピンチに強い野手、これほどナインに信頼される選手はないだろう。それだけに決勝打はうれしかったようで試合後もなかなか興奮がさめない。「生まれて初めてのサヨナラ安打です。夢中だったのでコースは覚えていません」声はうわずり、目はキョロキョロ。「ここで打たないともうチャンスはないと思って打席にはいりました。四番の責任がやっと果たせました。これからも最後の学年に悔いが残らないような試合をしたい」と予選から伸ばし続けているアゴヒゲに手をやりながら初めて笑った。
 
太田不調で苦戦
 三沢田辺監督の話 太田が予想外に悪く苦戦した。制球が悪くボールもキレがなかった。点数をつければ六十点ぐらいでしょう。大分商の得能君を打てると思い二度強攻策に出たのは私の失敗だった。桃井がもっと前に打っていれば楽に勝てた試合だったのですが…。八回の八重沢の当たりは絶対にポールに当たったホームランです。
 スクイズ失敗が敗因
 大分商松田監督の話 六回のスクイズ失敗が最大の敗因です。得能の出来はあまりよくなかったが、十回もよく投げてくれたと思う。内野に不安があったがやはり手痛いところでエラーが出てしまった。太田君の調子が悪かったのでいけると思ったのだが…。持てる力を十分出したのだから悔いはありません。
 二回戦のカベ破る
 八重沢遊撃手の話 練習ではちょっと調子が悪かったが、試合になればいつも打っているので自信はあった。八回の二塁打は手元でしびれたのであそこまで伸びるとは思わなかった。延長にはいったとき春の浪商戦を思い出しいやな気分だったが、勝てて本当によかった。今度は明星に勝って二回戦のカベを破りたい。
 これ以上悪くならぬ
 太田投手の話 試合前ブルペンで役げていたときは調子はいいと思っていた。前半ボールが走らないときはいままでにもあったのでそのうちよくなるだろうと思っていたが、きょうは最後まで調子が出なかった。同点にされたときもまだ勝てると思っていた。最低でした。これ以上悪くなることはありません。
 
冷静さで不調カバー
太田投手、豆ファンにも人気
 三沢の軸・太田投手は決していい出来ではなかった。「コントロールが全くないうえ、スピードもなく、低めに構えても高めに浮いた」と小比類巻捕手を大いに困らせたほど。県、北奥羽大会の七試合で失点わずかに2、奪三振八十一、代表決定戦では弘実を相手にノーヒット・ノーランをやってのけた″快腕″とはおよそ別人のようなこの日の投球だった。
 太田投手自身も「ふだんの半分ぐらいの出来。プルペンではよかったのにいざとなると肩に力がはいったようです」と申しわけなさそうに首をかしげた。にもかかわらず大分商の好投手・左腕の得能に投げ勝てたのは、キヤリア、冷静さで上回っていたからだろう。
 昨年夏、ことし春の選抜に続く三度のマウンドは三重の上西とこの太田の二人だけ。白系ロシア人の母親、タマラさんの血を引いた端正なマスク、恵まれたからだを生かしてのきれいなフォームは甲子園ファンにはすっかりおなじみ、「かっこいい太田君」をカメラにおさめようと、三塁則三沢のダッグアウトのそばには、試合中も若い女の子や少年がむらがっていた。
 「暑さでちょっと疲れた」八回、同点に追いつかれ、なお一、三塁のピンチが続いたが、太田は落ちついたマウンドさばきで後続を断ち切った。ここで冷静さを失い、逆転されていたら延長十回表二死三塁から放った桃井のサヨナラ安打の感激も味わえなかったかも知れない。
田辺監督は「これで太田も精押的に落ち着いて、本来の力を出してくれるだろう」と信頼すれば、春にくらべてひと回り成長した感じの太田も「これからの一戦一戦を大事に役げていきます」と力強くいってのけた。

八月十四日付け
【大阪で松原記者】勝ってよかった、エース太田の不調から思わぬ苦戦で、かろうじてねばる大分商を振り切った三沢ナインの胸には、勝利の喜び以上に、ホッとした気持ちが強かったろう。昨年度から甲子園へくること三度。そのつど一回戦をモノにしているだけに「三度目の今度こそ二回戦の壁を破ろう」と堅い決意で大阪入りした。そしていよいよきょう十四日、相手にとっては不足ない、強敵明星と激突する。 
春の選歌で涙をのんだ浪商と学校は違っても同じ大阪代表と二回戦で顔を合わすというのは、なにかの因縁かもしれない。ナインは「今度こそ雪辱するんだ」と張り切っている。明星は四十五回大会初出場で優勝、その後もたびたび出場し、今大命も本格派後藤投手を擁して優勝をねらっている。そのうえ地元という利点もあり、三沢も苦戦は免れないだろう。
十三日は、きょうの第三試合の時間に合わせて午後三時から三和銀行グラウンドで練習した。フリーバッティング、レギュラーバッティングとも、対大分商戦で活躍した八重沢、桃井、滝上哲らが鋭い当たりをみせた。田辺監督も「守備に不安はない。太田もこれ以上悪くなることはないので、やはりカギは打力になる」といっているように、約二時間の練習もほとんどがバッティングの練習にとられた。
一方、宝塚ヘルスセンターに一泊した応援団約百人も、このグラウンドのわきで応援練習の「特訓」をしてナインを力づけた。

甲子園だより
暑さに気力奪われる
 滝上哲選手
 第一戦大分商戦の十二日は朝七時に起床、八時半に朝食をとりそのあと少し休んでからユニホームに着替えバスで三和銀行グラウンドヘ。十時ごろから約一時間、一人一人最高の調子に持っていくよう最後の練習。みんななかなかよい調子だった。しかし、いざ試合が始まったら、練習のような力が十分発揮出来なかった。それは、相手が弱いという考えもあったかもしれないが、それよりも、ムッとするような暑さにチームの気力が奪われたような気がした。三和銀行グラウンドでの練習中はそうでもなかったが、やはり試合になると精神的な疲れが出て、思うように動けなかったようだ。試合が終わって宿舎に帰りミーティングを開き、反省と二回戦の対戦相手明星について話し合った。
八月十五日付け
三沢ベスト8に名乗り
好投太田先制打放つ
明星を1点に押さえる
【甲子園で本田、松原記者】第五十一回全国高校野球選手権大会第六日は、十四日午前九時五十九分から甲子園球場で松山商―鹿児島商、玉島商―松商学園、明星―三沢の2回戦3試合を行なった。
 第一試合は松山商が六回二死二塁から樋野の左越え二塁打であげた1点を井上の好投で守り切り、鹿児島商を破った。
第二試合は玉島商が五回、藤九の満塁三塁打を含む長短4安打と敵失で5点を奪い、松商学園に圧勝した。第三試合は1点を争う好試合となった。三沢は五回太田の適時打で先取点。七回はスクイズを見破られたが、三本間にはさまれ立花が捕手の落球に生きて2点目を取った。明星も八回一死二、三塁から平の中犠飛で1点を返したが、及ばなかった。三沢の準々決勝進出は初めて。
 第七日の十五日は午前十時から日大一―静岡商、平安ー取手一、富山北部ー飯塚商の2回戦3試合を行い、ベスト8が出そろう。
▽2回戦 
三沢 0000101000計2
明星 0000000010計1
(三沢)太田―小比類巻
(明星)後藤―藤原、川島
▽犠打三2(小比類巻2)明2(平、後藤)盗塁 三1(小比類巻)明4(黄2、三木、清原)失策 三1(菊池)明2(川島、後藤)
 【評】三沢は優勝候補の明星を確り、青森県では東義に続いて二度目の準々決勝進出を果たした。三沢は一回表四球で出た八重沢を小比類巻がバントで送り、三番太田が後藤の高目カーブを中前にはじき返して一死一、三塁と早くも先制のチャンスを迎えた。続く桃井は初球スクイズを失敗したあと低目のシュート、菊池も2―0からカーブをともにカラ振りして得点出来なかった。太田は1回戦とは別人のような好調で、立ち上がり、いきなり二者を連続三振。三番黄の鋭い当たりは不規則バウンドして一塁内野安打となり、続く 平にはコーナーをねらいすぎて四球を与えたが、五番の三木をフルカウントから三振に仕止めた。低目によくボールが伸びたうえ、キレもよく明星打線と真っ向から勝負した。
 三沢は三回立花が内野の失策で出塁、一死後小比類巻が一、二塁間をゴロで破って一、二塁。続く太田は2―1から外角低目のストレートを見送って三振したが桃井が二遊間を破った。立花が三塁を廻ってホームをついたが、センター黄から好返球でホーム寸前でタッチアウト。またも先制機をのがした。しかし五回に後藤をとらえた。この回トップの立花が三振のあと八重沢が三遊間を痛烈に破って出塁、小比類巻が手堅く送って太田に望みを託した。その太田は2―1と追い込まれながらも外角カーブを、うまく右前に持って行った。八重沢が頭からすべり込んで待望の先取点をあげた。さらに七回にも立花が中前安打。八重沢は凡退したが、小比類巻が三球目にきれいなヒットエンドランを決めて一、三塁と攻めつけた。迎えるバッターは先制点をたたき出した太田。あと1点がほしい三沢は1―1後太田にスクイズさせた。これが明星バッテリーに見破られて外角遠くはずされ、太田はカラ振り、三塁走者の立花が三本間にはさまれたが追った明星の捕手藤原がタッチをミスしてポロリ。立花が巧みに体をかわしてホームインした。
 太田は回を追うごとに調子を上げて、明星に乗ずるスキを与えない。同じ本格派の西井(宮崎商)を打ち込んだ明星打線も、この太田のスピードに押されて打球がほとんどつまり気味。八回になって一死後岡野が一塁ゴロエラーで生き、黄の右前テキサス安打で一、三塁としたあと、平がセンターに深い犠飛を打ち上げてやっと1点を返した。さらに九回にも二死後清原が二遊間を抜き、盗塁して一打同点のチャンスを迎えたが、太田は九番の後藤を遊ゴロに仕止めた。
 三沢は太田の力投と後藤の決めダマであるシュートを捨て外角球をねらう作戦が成功して先制したのが勝因。
 ○………○
 「イブシ銀」の味みせる小比類巻捕手
 いうなればイブシ銀のような存在が三沢の小比類巻捕手。チーム随一の出塁率を誇るトップ八重沢の後ろに控えて、予選以来バントの成功率は一〇〇%近い。そのうえ、打たせれば短く持ったバットで一、二塁間にガチン。大会一のチビッ子捕手だが、山椒は小粒でも…とスタンドからは太田や八重沢に負けない大きな拍手。
 ○………O
 大阪の三沢ファンでスタンドがいっぱい
○甲子園で大人気の三沢だが、この日は地元の期待を背負った明星が相手だけに「三沢はいちばん好きなチームやし、明星は勝たせたいし…」という声があちこちで聞かれた。そのためか、三沢市からかけつけた応援団は百人足らずなのに、球場は三沢ファンと明星ファンに真っ二つ。どちらが地元なのかわからないようなシーンも続出した。
 太田の出来85点
田辺三沢監督の話 明星の後藤投手はシュートがすごいという話だったので、内角を捨て外角にマトをしぼったのが成功したと思う。太田の出来は85点ぐらいで、カーブのキレが悪かったようだ。助かったのは、明星の打者が大振りできてくれたことで、もっとコツコツ当ててこられたら苦しかったに違いない。ここまでくれば、もうどこと当たっても同じで、精いっぱい、のびのびとゲームをするように心がけている。
 打つ手なかった
 後藤明星監督の話 太田君にやられました。大分商戦の時とは格段の違いで、ボールが低目、低目に決まって手の打ちようがなかった。ともかく完敗です。

でかした!三沢ナイン
二回戦の壁ついに破る
勝利への闘志爆発
応援団も狂気の万歳
【甲子園で本田、松原記者】とうとうやった。地元の強豪明星を堂々と破った三沢は、初めて準々決勝ヘコマを進めた。アッパレ三沢ナイン。厚かった二回戦の壁をついに破ったのだ。
 本大会屈指の好投手、三沢・太田、明星・後藤の投げ合いで見ごたえのある投手戦を展開、両投手とも前評判通りの力を発揮しての熱戦にスタンドはわいた。一回戦同様、三沢の応援団は三塁側。この朝バスで着いた三沢高同窓会の藤田会長ら四十人が加わりざっと三百人。このほか、甲子園にすっかりなじみの三沢を応援しようという地元の観衆で、一塁側のスタンドに負けないほど。
 三沢は五回一点、七回には幸運な一点を拾い太田の力投で守り切った。2―1で迎えた最終回の明星の攻撃にスタンドは総立ち。応援団は声援を忘れてかたずをのむ。「三沢ガンバレ、太田ガンバレ」最後の打者が遊ゴロに倒れて三沢の勝利の瞬間、球場全体が割れるような拍手と歓声で騒然。バンザイ、バンザーイ。
二回戦の壁を打ち破りたい、三沢ナインの執念が実を結んだ。伝統を誇り、地元の声援をバックにした明星を相手に、堂々のベスト8進出。この日もまた、リンゴの差し入れがあり、東北出身の近畿在住の人たちがつめかけて盛んに応援、三沢は、これに見事こたえた。
一投一打に歓声
テレビ観戦の三沢市民
車の流れもピタリ止まる
三沢市民は一投一打にわいた。裏通りは車の流れもピタリと止まり、どこの家でもテレビにかじりつき。官公庁や会社では、テレビ屋が持ち込んだカラーテレビを取り囲み、一投一打にうなるような歓声をあげていた。三沢高校では先生や生徒二十数人が藤林校長を囲んで割り合い冷静な観戦ぶりだったが、市役所の方は会議室に二台の大型カラーテレビを据え付け、市民相談室のテレビの前も市民が鈴ナリ。「太田ガンバレ、八重沢打て」とヒットが出ると天じょうが抜けるような騒ぎで、熱気がムンムンだった。職員にまじって観戦する小比類巻市長も一球ごとに身を乗り出すようにテレビに食いつき「ボールを打つな、ゴロを打て」とアドバイスしては貧乏ゆすり。最後はいても立ってもおれないと市長室と会議室を行ったりきたり。試合が終わった瞬間はみんな総立ち。どの顔も喜びでクシャクシャで、だれかれなく握手をしあっていた。厚かった二回戦の壁を破ったことから、市長も「どれ、応援に駆けつけるか」と張り切っていた。
八戸市庁もフレーフレー三沢
八戸市庁でもテレビやラジオが引っぱりダコ。仕事をしている職員も三沢がピンチやチャンスを迎えると仕事をほっぽり出してテレビの前に走っていた。中村市長、木幡助役も市長室のテレビで観戦。三沢が2点目をあげると「これで大丈夫だろう」と秘書課員に酒の手配をしていた。ところがいざ打電するときになって明星が1点を返したため一時おあずけ、結局打とうか打つまいかとためらっているうちに試合が終わった。市長は″気をもませるネ″と試合途中で庁外に出たが、助役は最後までテレビにかじりついていた。
○  ゲンのいい緑のハンカチ
 この朝貸し切りバスで駆けつけた藤田三沢高同窓会長は「一回戦はテレビで見たが、スタンドの応援が単調だったので…」といいながらスクールカラーの緑のハンカチを応援団に配った。試合は終始三沢ペースで進められ、スタンドの観衆は休みなしに緑のハンカチを振り、藤田会長の思惑通り多彩な応援風景を繰りひろげた。
太田って素敵ネ
高い鼻、端正な顔立ち。投げてよし打ってよしの″カッコいい若者″三沢・太田投手の人気はすごい。長いインタビューを終わって球場を出かかると、出入り□には黒山の人。しかもその大半が若い女性ファン。「ウワー、太田ってすごい男前ね」というささやきも聞かれ、プロ野球のスターを上回る人気。これを見て驚いたのは田辺監督。「もみくちゃにされてはあとが困る」とあわてて太田を引きとめ球場内を三十分ほどうろうろ。しかし一向に人が減らないので、最後は球場従業員八人ほどのボデーガードつきで一気に強行突破、やっと脱出に成功した。

八月十六日付け
きょう名門平安と対決
意気込む三沢ナイン
太田マイペースの調整
【甲子園で本田、松原記者】強敵明星を2―1と下し、ついに二回戦のカベを破った三沢は、一夜明けてぐんとたくましくなったように感じられる。青森県初のベスト4進出を目ざして、十五日午前中も、宿舎の近くの三和銀行逆瀬川グラウンドでバッティング中心の練習に打ち込んだが、奥山、小川両バッティング投手の投げるタマを二時間余りたっぷり打ち込んだ。一、二回戦の好調さを裏付けるような鋭い打球が内外野へ飛んでいた。前日力投した太田は軽い肩ならし程度のマイペースの調整。
2時過ぎ、準々決勝の組み合わせが決まり三沢は第二試合(午前十一時)で出場二十三回を誇る名門平安との対戦が決まった。平安はトップから四番までズラリ左打者が並び「右腕太田」にはやや不利な感じだが、明星戦で見せた快速球を低目に散らせば、そうやすやすと打ち込まれることもあるまい。
三沢は一、二回戦とも1点差の試合をモノにしてきているだけに勝負強さもついてきている。田辺監督の語ることばのはしはしにも「勝算われにあり」との意気込みがうかがえた。
太田の冗談にナイン大笑い
○北奥羽で開催県のチームが甲子園に出場するというジンクスを十年ぶりに破り、甲子園では二回戦で負けるという自チームのジンクスをも破った三沢チームは今度は本県初の「ベスト4」入りをするんだ、と大はりきりだ。その証拠にフリーバッティングのさい、投手をつとめた小川選手がすぱらしい好投?をみせ、速球をピシピシ投げた。打席に立っていた太田はこれには大むくれ。なかなか打球が飛ばないのに業(ごう)をにやした太田「おれを押えてどうするんだ。あすは代わりに投げるつもりか」にナインは大笑い。
▽準々決勝
 【三沢―平安】
平安が三沢の好投手太田をどう攻めるか。太田は1回戦の大分商戦では不調だったが、2回戦の明星では.すっかり自信を取り戻した。カーブにいま一息の甘さはあるが、速球が抜群。バックも遊撃八重沢を中心によくまとまっている。平安は太田のカーブをねらうことが攻略への道。トップ西村から四番渋谷まで左打者を並べている有利さをどのように生かすかが、せり合いになれば勝負強い平安に分があるが、投手力を比較すると平安の家村より三沢太田の方が上である。
甲子園だより
調子落とさないよう打撃に重点
谷川義彦右翼手 
みんな二回戦のカベなんて考えず、一戦一戦決勝戦のつもりで戦った。相手が明星なのでスタンドはギッシリしていたけれども、そんなことを気にしないで、気力で自分たちの野球をやったのが勝利に結びついたのだと思う。前日、日大の監督さんから「打ったらとにかく走れ、走るんだ。そして二年生の時のようなすなおな気持ちでやれ」といわれていたので、試合も思い切りやれた。試合終了のサイレンが鳴って、センターポールに校旗が掲げられたとき初めて勝ったという気持ちになった。けれども自分としてはこのごろバッティングの調子が落ち気味なので、練習でボールをよく見て打つことを心がけ、名門平安に備えている。

八月十七日付け
三沢投打に圧倒
殊勲滝上哲が先制打
古豪平安一点がやっと
【甲子園で本田、松原記者】第五十一回全国高校野球選手権大会第八日は十六日午前八時二十八分から若狭―富山北部、三沢―平安、静岡商ー松山商、玉島―仙台商の準々決勝を行なった。    ’
 第一試合は若狭が一回、清水の適時二塁打などで3点を先取し東の好投で富山北部の反撃を1点に押え4ー1で快勝、北陸勢として初めてベスト4に進出した。第二試合は三沢が五、八回に平安の家村を打ち込んで各1点を奪い、太田の力投で粘る平安を2―1で振り切った。青森からの準決勝進出も初めて。
 第一試合は長打力にまさる松山商が三回、樋野の2点本塁打で先行、五回にも谷岡の二塁打などで2点を加え、ヱース井上も要所をしめるピッチングで静岡商の反撃をかわし4―1で勝った。       
第四試合は仙台商が前半先手、先手と攻めたが、玉島商は四回、藤九の三塁打を含む8安打などで8点をあげて逆転。七回にも4安打で3点を取り、大勝した。
 第九日の十七日は正午から松山商―若狭、玉島商―三沢の準決勝が行なわれる。
▽準々決勝
◇三沢(北奥羽)―平安(京滋)
三沢000010010計2
平安000000001計1
(三沢)太田‐小比類巻
(平安)家村―津田
▽二塁打八重沢、菊池▽犠打三4(小比類巻2、高田2)平1(川本)▽盗塁三〇平2(福本、家村)▽失策三T(小比類巻)平0
 【評】太田、八重沢、桃井らの大きな歯車に、滝上哲、立花、小比類巻らの小さな歯車がガッチチリとカミあった三沢は、ついに古豪平安を打ちくだき、青森県からは初めてのベスト4進出という快挙をなしとげた。
 三沢は三回まで平安・家村の軟投に手こずり、三人ずつでかたづけられた。一方、平安も二回、五番家村が四球を選んで出塁しただけで、三沢・太田、平安・家村の剛対柔の投手戦となるかにみえた。打順が一回りした四回、三沢はトップの八重沢が、真ん中低目のタマをうまくミートして中前にはじき返したが後続なし。平安もその裏左の福本が太田の外角球を左前に流して出塁、すぐ二盗した。川本が手堅く送って一死三塁の絶好機、四番の″片足打法″渋谷は0―2から鋭い当たりで遊撃を強襲したが福本は三塁から動けず一、三塁にとどまった。ここで太田―小比類巻のバッテリーは、対明星戦でみせたような″スクイズ殺し″をやってのけた。家村のスクイズをあざやかにはずし、福本を三本間でタッチアウト、ピンチを脱した。結果論だが、この先制機をモノに出来なかった平安は、やはり″勝利の女神″から見放されていたといえるかもしれない。
 ピンチのあとにチャンス、五回表、三沢の″小さな歯車″が動き出した。まず、この回トップの菊池が初球を三遊間安打、高田に送られ、谷川のいい当たりの二ゴロで三進した。ここで、今大会調子を上げ、下位打線をぐっと引き締めている滝上哲が三遊間突破のタイムリー、菊池ゆっくりホームを踏んで先制した。このリードに気をよくした太田は、やや力をセーブして打たせてとるピッチングに切り替えた。平安打線は太田の伸びのあるストレートに押され、外野へ飛ぶタマも力がない。
三沢は六、七回にも先頭の八重沢、菊池がいずれも右、左のラッキーゾーンにワンバウンドではいる二塁打を放ったが、慎重なスクイズ作戦が裏目に出て迫加点にならない。しかし八回、立花が二遊間を抜き、続く八重沢がこの試合三本目のヒットを三遊間に飛ばし一、二塁、バントの″名手″小比類巻の三塁線バントは家村の判断よく三塁で立花が封殺された。ここでボックスにはいった太田は、それまで家村の変化球を左に引っ張って三打席凡退だが、さすがに勝負強い。外角球をうまく右前に落とし八重沢を迎え入れた。自らのバットでたたき出した貴重な2点目だ。
 平安は後半、早いカウントから打って出て簡単に凡退。九回、安打と四球で迎えた一死一、二塁で渋谷登場というスリリングな場面も。渋谷が太田のスビードに押されて二死となった。このあと飛び出した一塁走者を刺そうと小比類巻が大悪投する間に二塁走者福本かえって1点差としたのが精いっぱい。家村の右飛でゲームセット。
 2―1とせり合った試合だったが、三沢は内容で圧倒的に押しまくり会心の勝利だったろう。
会心のゲームでない
三沢・田辺監督の話 3点とれば勝てると思ったし、家村投手からはとれる自信があった。平安打線は左が多くて太田には外角をはずして内角の低目だけをつくように指示した。滝上哲がよく打ってくれました。試合に関してはまだ不満の点があり、会心の勝利ではない。
  四回の逸機が敗因
 平安藤森監督の話 四回の一死、一、三塁に得点出来なかったのが敗因です。太田投手にやられました。高目を捨て低目をねらう指示したのですが、球審に高目をストライクにとられたので苦しかった。太田投手は初球に好球を投げていたが、ウチの選手はこれを見のがしていた。
 二塁打は外角の直球
 三沢・八重沢遊撃手の話 家村投手のタマは打ちやすかった。六回のスクイズは一球目にサインが出ていたが、太田君がやらなかったので走らなかった。二塁打は外角の直球でした。
痛烈に三遊間抜く
難球処理もさりげなく
 滝上 哲選手
 三沢の決進撃の陰に滝上哲、立花、小比類巻らチビッ子選手の活躍を見のがすことは出来ない。三沢はどっちかというと八重沢、太田、桃井らだけが目立つ″頭デッカチ″の印象を与えていたが、北奥羽予選にはいってカラーが一変した。それまで守備の人だった滝上哲が決勝の弘実戦で二塁打を含む2安打を放ち、どこからでも打ち込めるスキのない打線が出来た。
 事実、一回戦の大分商戦では再三ファインプレーをして味方のピンチを救うとともに打っても2安打。二回戦の明星戦では安打こそなかったが、鋭い当たりが野手の正面へ飛んでいた。そして青森県チームとしては初のベスト4をかけた平安戦、五回菊池を三塁に置いて三遊間を痛烈に抜き、0―0の均衡を破る殊勲者となった。
 滝上哲は昨年の三沢の宮崎主将の跡を受けて二塁にはいった。田辺監督が最初、″打″の馬場、″守り″の滝上哲と二人に二塁のポジションを競争させたのが好結果を生み、滝上哲は根性と練習熱心で桃井、八重沢、菊池の大型内野陣に攻守とも一歩もヒケをとらず難球もさりげなく処理するほどに成長した。
三沢ナインで一番人気あるのは太田だが、その次がふた子の滝上哲、健の兄弟選手。この春までは人気が先行していた感じだったが、名実ともに人気選手になったという印象を強くしたこの日の活躍だった。
気の強さみせる太田
○大田投手は平安戦でも投打に活躍、このところすっかり記者団との応対も板についてきた。「平安は打撃に力があるので高めに投げないように注意した。出来はこの前の明星のときとほぼ同じくらい」とまだまだ会心の投球ではないという。2点目の右前打は真ん中にきたストレート。家村君の調子が悪かったのでしょう、スピードがなかった」と自分の殊勲よりも相手投手に同情する。また最終回平安の反撃で苦境に立たされたときは1点は取られてもよいと思った。二死となったので別に心配はしなかった」と気の強いところをみせていた。
 試合前相手と顔合うのはイヤ小比類巻
 ○試合開始三十分ぐらい前から両軍選手は選手控え所で顔を合せながら出番を待つ。相手が大きいと圧倒されそうな感じを持つが、いつもこれを気にしているのがチビッ子の小比類巻選手。この日も「控え所で相手チームと顔を合わせるのが一番イヤ」と小さいからだをますます小さくしていた。ところが試合になると、どうしてどうして、太田をリードしてガッチリ本塁を守っていた。
 試合観戦で「港まつり」の人出まばら
○三沢が古豪平安を破った。「はちのへ港まつり」でにぎわう八戸市の浜通りでも午前十一時三沢―平安戦が始まると同時に表通りに人かげはまばら。テレビの前にどっかとすわり込んでまつりならぬ野球応援で酒を飲みかわす姿がみられた。三沢の勝利が決定すると今度は港まつりにどっと人が繰り出したが、野球とパレードが重なれば人出は半減だった?と関係者は胸をなでおろしていた。
勝った!勝ったのどよめき
優勝へピタリ照準
名門、強豪なんのその
【甲子園で本田、松原記者】五万余の大観衆をのんで甲子園はわき返った。その三分の二は三沢ファンではなかったろうか。一戦ごとに調子を上げている太田投手の快速球がウナリをあげて小比類巻のミットに吸い込まれる。打線もムラなく打つ。
敗退の平安も快進撃祈る
東北のチームで準決勝以上進出は、大正四年の第一回大会の秋田中(準優勝)と同六、八年の三、五回大会の盛岡中(いずれも準決勝で敗退)しかない。南国のチームに対し、ある種のコンプレックスを持っていた東北の野球チームにとって、大分商、明星、そして平安に会心の勝利を収めた三沢の快進撃は、まさに胸のすくような出来ごとであったろう。
 平安・藤森監督は試合終了後「残念だけど悔いのないゲームをしたことになろうか…」と歯切れ
が悪い。くやしそうだ。家村投手はこの日の調子を「一、二回戦と比べて悪かったとは思わない。三沢はカーブに弱いようだったが…」と声をつまらせた。汗と涙、しばらくして「一番打者をマークしました。しかし…」結果はトップ八重沢に軍配が上がった。四回、先頭打者として中前に痛打、いけるゾ!とナインをふるいたたせた。
 四回裏、平安一死一、三塁からスクイズを見破られて先制機を逸した。藤森監督は「完全に見破られた。あそこで1点とっていれば太田君を攻略出来ただろうに…」あとはことばにならない。打ち込まれた家村も「三沢打線は全般にねばっこい。このあともがんばってほしい」と、さっぱりしたことばは高校生らしい。
青森県からは、選抜大会で八戸高が準決勝進出を果たしたことはあるが、夏の大会では初めて。田辺監督は試合を振り返り一、二、三回と簡単に三人ずつで終わったが、あれも作戦」となかなか調子がよい。「家村をじっくり見た。ストレートでポンポンとストライクをとってくるので、どんどん打たせた」と□は軽く、さすがにうれしそう。だが、太田については「まあ、85点ぐらいかな」とちょっぴりカラい。
 狂気乱舞の市民
太田君の両親 病床で心は甲子園に
 「また、勝ちましたね」と甲子園の話があいさつがわりになった三沢市民。「この調子だと優勝も夢ではなくなったぞ」とつい大きな話もでる小比類巻市長。
 ″まさか、まさか″が本当になって準決勝進出を決めた十六日の平安戦のあと三沢市の話題は野球一色になった。「野球で仕事にならない」と笑顔でじだんだをふむ商店主も数を増している。
 谷川右翼手がウイニングボールをしっかりとグラブにおさめたその一瞬、三沢高校のテレビの前では全身に喜びを感じた先生たちが天じょうが突き抜けるような大歓声をあげながら飛び上がった。日頃ひかえ目な藤林校長も表情をくずし「これだけやってくれればいうことない」と手をたたく。居合わせた新岡精弥金木高校長が声高く「おめでとう」。
 市役所では土曜日にもかかわらず、居残り組がテレビに食いつき大声援。小比類巻市長も市長室のテレビから離れず、2点をとっても「まだまだわからない」という慎重ぶり。行事の都合で応援に行けないでいるが「こうなったら行かぬわけにはいかない」と十七日午後出かけることになった。
 病気で一ヵ月以上も前から市内の黒川医院に入院している太田投手の両親も大変な喜び。心臓病の父親のさとるさん(五四)はテレビもラジオも禁じられ、タマラさん(四八)らがトランジスタラジオにイヤホーンをつけて結果を知らせたりしていたが、この日ばかりは院長の許可が出たので病室のラジオで二人一緒に一喜一憂した。
 タマラさんは「先取点をあげたので気は楽でした。幸司がそれを守ってくれるようただ祈りました」と小さな銀色のクルスを大事そうに見せてくれた。
 「最後のピンチに心臓がドキン、ドキンと音をたてた。とにかくよくやってくれた」とさとるさん。
このさとるさんとは同敬生の同市中央町四丁目、精肉業横田弥一さん(五四)がスイカを持って病室に飛び込み「よかった。よかった」とタマラさんの両手をとらんばかり。横田さんは晴れての舞台にふさわしい上等のスパイクを太田投手にプレゼントしたという。「なんたって足元がしっかりしなきゃいかんと思った」のだそうだ。
 「こんなからだでなかったら、もちろん甲子園へかけつけるのに…」というさとるさん、タマラさん。そういえば太田投手の剛球がうなるところに二人の顔がいつも見られた…のだ。

八月十八日付け
三沢決勝進出なる
粘りの玉島商下す
東北高校球史五十四年ぶりの快挙
きょう松山商と対決
球運に乗って勝ち進む三沢高は、ついに予想もしなかった優勝戦進出を決めた。                          
 第五十一回全国高校野球選手権大会九日目は、準決勝二試合が行なわれ、第二試合で玉島商(東中国代表)と対戦した三沢は、太田の力投を軸に打線もよく打ち3―2で快勝、大会前の下馬評だった″ダークホース″から、一躍″優勝候補″におどり出た。優勝戦はきょう十八日午後一時から、半世紀の球児たちの汗と涙でいろどられた深紅の優勝旗をかけて行なわれる。
 「三沢が決勝へ進めるか!」きのう午後二時半から始まった準決勝第二試合は、激戦地の中国地方を勝ち技いてきた、ネバリが身上の玉島商と、好投手太田を擁する三沢の対決。青森県民のおそらく大部分は、三沢の必勝を祈ってテレビに見入ったことだろう。手に汗にぎる三沢の先制機が何度かつぶれる。太田が快調なだけに″早く点をとってくれ″とイライラさせられる。爆発は六回にきた。八重沢の大三塁打が出た。バントの名手小比類巻の時にパスボールでまず1点、ワーッとあがる歓声は、スタンドのそれに劣らないほど。それからヒットのつるべ打ち、あっという間に3点がはいった。「もう大丈夫」。
 あとは太田の右腕が注目。六、九回、それぞれ1点ずつ返されたが、三沢はこれまで三試合1点差がつきまくっている。このジンクス?はまた、ついに破れず、タ日の甲子園のマウンド上で、太田を中心に、三沢は勝利の喜びを全身でわかちあった。
太田力投打線も爆発
甲子園ゆるがす三沢旋風
六回、先制点もぎ取る
巧打八重沢が導火線
【甲子園で本田、松原記者】第五十一回全国高校野球選手権大会第九日は、十七日正午から甲子園球場で松山商―若狭、玉島商―三沢の準決勝を行なった。
第一試合は松山商二回敵失で先行、七回は無死満塁から再び敵失で2点、八回には谷岡の2点本塁打でダメを押し、井上、中村の好継投で若狭を破って三年ぶり六度目の決勝進出を決めた。
 第二試合、三沢は六回三塁打の八重沢が捕逸でかえって均衡を破り、そのあと四球と3長短打を集めて計3点。太田の9三振を奪う力投で粘る玉島商を振り切り、初の決勝進出を果たした。最終日の十八日は午後一時から松山商―三沢の決勝戦が行なわれる。
▽ 準決勝
三沢000003000計3
玉島商000001001計2
(三)太田―小比類巻
(玉)松枝―川口  、      
▽三塁打 八重沢▽二塁打 桃井2、小野▽犠打三3(太田、滝上哲、立花)玉2(徳永2)▽盗塁三0玉3(三宅真、川口、小野)▽失策 三3(太田2、菊池一)玉1(藤九)
 【評】腰のバネを十分にきかせたダイナミックなフォームから投げおろす三沢・太田の快速球は前日仙台商に7―2と大勝した玉島をも寄せつけない。これにこたえて打線も六回、八重沢の三塁打を含む、4安打を集中して3点を奪い、三沢はねばる玉島を振り切り、ついに決勝進出を果たした。
 初回、玉島・松枝に簡単に三者凡退に打ち取られた三沢は、二回、先頭の桃井が左にエンタイトル二塁打を放ったが、続く菊池がバント失敗から三ゴロ、高田、谷川も内野ゴロを打たされて先制点のチャンスをつぶした。玉島も初回二死から川口が三遊間をゴロで抜いたが松枝が右飛に倒れる。三沢は四回にも太田が三遊間を突破、前打席の二塁打で気をよくしている主砲桃井は一塁の頭上をフラフラと越すヒットで、一、三塁、続く菊池の打球は三塁線ギリギリのゴロで三塁の三宅道は離塁した太田にタッチしたが一瞬セーフ、満塁の好機!と思われたが、一塁走者桃井がこの打球をファールと感違いして走らなかったため二塁で封殺、またも好機を逸した。一方の玉島も二、三、四回ときれいに三人ずつでかたづけられる。
 六回、三沢はやっと猛攻が実った。まず八重沢が、それまで2打席ともシュートを打たされて凡退していたが、2―1後の外角高目の好球を鋭くとらえた。打球は右中間のど真ん中を破る三塁打、動揺した松枝は続く小比類巻の0ー3後の4球目に胸元近く高いタマを投げ、これがパスボールとなって八重沢なんなく生還、均衡を破った。小比類巻は太田のバントで二進、ここで当たり屋桃井が三塁線を痛烈に破るタイムリー二塁打、菊池も左前安打とたたみかける。この一死一、三塁から高田が期待にこたえ三遊間突破、3点となった。このあたり、スクイズの失敗で苦しんできた田辺監督の強攻策が実を結んだ。
玉島商もその裏一死から三宅真が一ゴロ失で出、徳沢の送りバントですばやく三進、川口の三塁内野安打で1点を返した。太旧は勝利を意識したのか八回急に制球を乱し、2四球を出したが松枝を二飛に打ち取ってピンチを脱し、最終回の小野の左翼線二塁打と自らの暴投で1点差とされたが、後続を断った。
 準々決勝まで不振を統けていた四番の主砲桃井は松枝から4打数4安打1打点を奪い打撃の感が戻ってきたようで、対松山商戦でのバットに大きな期待がかけられると田辺監督も内心ホクホクといったところだろう。
 優勝の使者?千羽ヅル平安から贈られる 
三沢の応援団席にこの日千羽ヅルが持ち込まれた。前日平安に勝ち、平安応援団からリレーされたものだが、この千羽ヅル、山口県下松市下松高校の生徒が折ったもの。山□県大会で敗者から勝者へとリレーされ、本大会には宇部商の手で持ち込まれた。平安から受け取った三沢応援団は一度だけこの千羽ヅルを登場させ、あとは大事にしまい込んだが、果たしてこの千羽ヅル、深紅の大優勝旗を獲得する使者となるか。
  印象的な沖沢助役
  と能登教頭の握手
 ○優勝戦への切符を手にした瞬間の三沢応援団席はまさに感激の一瞬。球場に流れる校歌に声を合わせ、校旗をみつめる顔、顔、顔。一段と高い拍手のあと、沖沢三沢市助役と能登三沢高教頭の堅い握手と目に光る涙が印象的だった。
  お色気抜きの応援団 
○基地の町三沢なら、さぞかしハデな応援だろうと想像していた甲子園ファンは、三塁側三沢応援団をのぞいてびっくり。黒い制服にタスキ掛けだけの地味な応援団が二十人。ブラスバンドや先生を入れても学校関係の応援はわずかに八十人たらず。赤いスカートのはなやかな女生徒が赤い旗を振って声援する一里側の玉島商とは好対照の質素さだ。
 ○夜行、新幹線と乗り継いで甲子園へ十七日朝かけつけた三沢PTA役員で市会議員の吉田俊三郎さんは「せめて応援団だけでも涼しいユニホームをと、郷里の関係の大阪問屋さんに頼んで寄付してもらうことになったんですが色気抜きの三沢流で最後まで応援したいという生徒側の希望で着ずじまいです」と語っていた。
 会心のゲーム
 田辺監督の話 きょうは会心のゲームだった。ここまできたからには優勝をねらいたい。松山商は走力もあり、試合運びのうまいチームだと聞いている。作戦は今夜寝ながら考えます。
 初戦のつもりで
 太田投手の話 カーブを比較的多投したのは監督さんの指示があったからですが、直球でも十分いけたと思います。玉島商では川□選手が投げにくかった。た。九回、走者が一人だけなので、あとを出さなければ勝てると思い、思い切って投げたのが暴投となった、あすは一回戦のつもりで戦いたい。
 ピンときません
 桃井三塁手の話 四回、二塁へ走らなかったのはファウルだと勘違いしたからです。試合前の練習で日大の河内監督から「練習の時は思い、切り打って、試合では楽に打て」といわれたのがよかったのだと思います。あすは優勝戦ですが、まだピンときません、
 堅くなっていた
 八重沢遊撃手の話 初めの2打席とも松枝投手にタイミングを狂わされてインコースのシュートを打たされました。三塁打は外角高目でした。内野が少し乱れましたが、やはり準決勝で堅くなっていたからだったと思います。
 やるだけやった 
玉島商・今井監督の話 太田君は予想以上によかった。外角のストレートだけねらわせたのですが、太田君にインコースをよくつかれたのが打てなかった原因だったと思います。エラーやバントの失敗がたたりましたが、やるだけやったのですから悔いはない。
優勝へゴー
球史に輝く快進撃
ガンバレ三沢、あと一歩
応援団も感激の涙
 【甲子園で本田、松原記者】三沢強し。とどまるところを知らない三沢の快進撃はついに優勝戦まできた。青森県の高校野球史に輝かしい一ページを加え、きょう十八日午後一時から西の強豪、四国の松山商と真紅の優勝旗を目ざして戦う。準決勝まで実に堂々と勝ち進んできた。優勝旗の、初の「白河の関」越えまであと一歩。ガンバレ三沢。
 この日、三沢・太田の力投を見ようと、甲子園に詰めかけた高校野球ファンはざっと六万。地元勢が全く姿を消した試合としては記録的な大観衆。この大観衆の拍手と声援を背に、太田のピッチングは快調。強打を売り物に大量点をあげ、あるいは逆転勝ちしてきた玉島商の打線を、太田は速球でほんろうした。結果は僅(きん)差だったが内容的には堂々と、しかもあぶなげない三沢の勝利だった。
 スタンドを埋めたファンは胸のすくような太田のピッチング、三沢の快勝に狂喜した。三塁側の三沢応援団は一戦ごとにその数がふえ、この日も沖沢三沢市助役ら十数人がかけつけた。最終回、ちょっとした破綻があって1点差につめよられたが、最後の打者藤九をライトライナーに打ち取ってゲームセット。勝った、勝った。この瞬間、スタンドでは三沢高の能登教頭が沖沢助役のところにかけ寄り堅い握手。″やった、やった″″おめでとう″二人の声はうわずり、涙が光っていた。夕日を真っ向から浴びた三塁側スタンド。声を限りに応援した同校応援団、同窓会、はるばるかけつけた三沢市民…。流れる汗、そして感激の涙。四度目の校歌が球場いっぱいに流れ、センターポールにはためく校旗。この間、だれもが汗、涙をふこうともしない。
 力投の太田、そしてバックスが盛り上り自信に満ちたプレーで、ついに最後の標的「優勝戦」へねらいをつけた三沢、好調の波に乗る三沢に、スタンドから「それいけ三沢!」。
 太田の力投に破れた玉島商三宅真主将は「太田はすばらしい。速球に全く手が出ませんでした」。
また今井監督は「ベストを尽くして戦った。悔いはありません」といいながら「目標は一応ここに置いたが、やはり勝ちたかった。運を天にまかせてぶつかったが、もう一つの精神力に欠けていたのでは…」という。十四年ぶり二度目の玉島商、春の選抜大会にも出湯して一勝している。三沢は連続の二度目だが、なにかの因縁を感じたのだろう。「太田をマークしていたが、なんとか出来ると思った」(今井監督)というが、太田はこの日も攻略されないばかりか、全くスキがなかった。
 優勝ムードの三沢市
○三沢市は完全に野球一色。テレビ放送の始まる午後二時半ころから往来の車はピタリとなくなり「野球のため五時まで休みます」とはり出して休業する店が続出した。
夜の町では乾杯を重ねる市民の姿も目立ち、すでに優勝気分はいやがうえにも盛り上がっている。とても落ち着いてはいられないとマイカーで甲子園へ向かった人も多い。仕事のつごうで行けずにいた小比類巻市長も十七日の夜行で甲子園へ…。
 会心の笑み、田辺監督
○雪深い青森県。暖国の「野球どころ」と比べて数多くのハンデを背負った三沢が堂々の決勝進出だ。勝因は「まず太田の好投、そして打線もよく打った」と田辺監督。しかし「玉島商さんは変化球に弱いと聞いておりましたので太田にカーブを多投させました」と作戦の成功にしてやったりのえみを見せた。
 立て役者の太田は「カーブの切れはよかったですが、出来は80点。3点取ってくれたから勝てたようなものです」ともの静かに話した。東北地方の代表が決勝ヘコマを進めたのは、実に第一回大会(大正四年)の秋田中以来である。
よい生徒が集まる?
強打の玉島商に逆に打ち勝って、決勝進出を決めた三沢。応援部長の社会科を教える鈴木喜代治教諭は「これでますますよい生徒が集まる」と大喜び。二、三年前までは一流大学進学希望者は、お隣の八戸や青森の高校にはいるケースが多かったが、三沢が甲子園の土をふんでからは、市内から流出者がめっきり減ったとのこと。「太田投手の社会科は5で最優秀の成績。野球部といえども学業の方も決しておろそかにしてはいませんからね」と、野球だけの三沢ではないことを強調していた。  
八月十九日付けデーリー東北新聞
三沢―松山商 ともに譲らぬ優勝戦
デーリーの一面トップに昨日同様、大きく掲載された。この試合が野球史に刻まれる名勝負となった。
延長十八回、引き分ける
歴史に残る名勝負
史上初、きょう再試合
 延長十八回、期待の三沢の攻撃も得点をあげることが出来ず、決勝戦は引き分けとなった。「関連記事七、八、九面に」
第五十一回全国高校野球選手権大会を締めくくる決勝戦は十八日午後一時から甲子園球場で行なわれた。三沢・太田、松山商・井上の両右腕投手は全く疲れることを知らず、幾度か見舞われたピンチにも冷静そのもの。バックも好守備で両投手を盛り上げ、スコアボードには0が続く。無得点のままついに今大会二試合目の延長戦にはいった。延長にはいってからも両チームはしばしばランナーを出すが、決定打が出ない。特に三沢は十五、六回とも安打や特に三沢一死満塁の絶好機を迎えたが、死力を尽くした松山商の堅守の前に一点をあげることが出来ず、延長十八回0―0のまま大会規定により引き分け。きょう十九日午後一時から再試合が行なわれる。
三沢惜しかった、というよりは、よくやったの余韻が強く残った一戦だった。おそらく球史にも長く残ることだろう。
決勝戦の延長は三十四年(第四十一回大会)の西条―宇都宮工(十五回)以来十年ぶり六回目。0―0の延長は大正六年(第三回)の愛知一中―関学中以来五十二年ぶりのこと。これまでの決勝戦延長の最高は十五回、決勝戦の再試合は大会史上初めてである。
太田は大丈夫
三沢田辺監督
 出直しですが、今度はおそらく左の中村君が投げてくるものと思う。左攻略の策をこれから考えますが、幸いウチは上位打線が左に強いのでなんとかいけると思います。太田はあれだけ投げたので、疲れが心配ですが、まず大丈夫でしょう。樋野、谷岡君と、とくに当たっている西本君をマークします。
 太田投手の話 「別に疲れは感じなかった。十八回投げたのは初めて。これまでは昨年の新人戦で、日大山形と十五回やり、4―1で勝って翌日も投げている。きょうは直球だけでは打たれると思い、カーブもかなり使った。あぶない場面は何度もあったが、点を取られる気がしなかった。
 八重沢遊撃手の話 井上君のカーブに手こずった。キレが鋭く打ちにくかった。堅くなったのははじめだけで、あとはのびのびやれた。あすは絶対に勝つ。
 桃井三塁手の話 八回の三塁ゴロはとれないと思ったが、からだが自然に飛びついていた。延長戦に入ってからは、春の選抜の浪商戦の     ことが思い出されて、ちょっと不安だった。
小比類巻捕手の話 太田君は後半になってボールに伸びが出てきた。松山商の選手はよく走るので、最後まで気が抜けなかった。低めをストライクにとってもらえず苦しかった。
 技術より気力
 松山商・一色監督 もうこうなったら技術より気力。井上投手のがんばりに期待するほかはないが、中村も好調なので、投手に関しては心配していません。三沢打線は確かに力がありますが、弱点もみつけました。問題は太田攻略ですが、十八回投げて一向に衰えないあの球威、まともに攻めても点はとれません。だが、疲れも残るだろうし、手がかりはあると思います。
ゼロまたゼロ
死闘四時間十六分
太田、井上気力の快投
三沢惜しい十五、十六回の逸機
【甲子園で本田、松原記者】延長十八回、0―0で引き分け。決勝戦は十九日午後一時から再試合となった。第五十一回全国高校野球選手権大会第十日は十八日、甲子園球場に五万五千の観衆を集めて松山商―三沢の決勝戦を行なった。午後一時、きびしい残暑の中にも風がそよぐ好コンディションの中でプレーボール。試合は松山商・井上、三沢・太田両右腕投手の投げ合いで無得点のまま延長にはいった。九回までは押され気味だった三沢が延長後は盛り返し、十五、十六回ともに一死満塁の好機をつかんだ。しかし、ともに松山商の好守にはばまれ、延長十八回大会規定により引き分けた。決勝戦が引き分け再試合となったのは大会史上初めてのこと。
【決勝]
◇松山商(北四国)j三沢(北奥羽)
三 沢000000000000000000
松山商000000000000000000
(延長十八回=大会規定により引き分け)
(松山商)井上―大森
(三沢)太田―小比類巻
▽犠打 松5(福永、平岡2、谷岡、田中)三5(小比類巻、八重沢、高田、谷川、太田)▽盗塁 松6(谷岡、大森2、福永、井上、樋野)三1(高田)▽失策 松2(谷岡、樋野)三〇
▽試合時間 4時開16分        、
 【評】スコアボードには延々とゼロが続く。両軍とも再三チャンスを迎えながら決定打を奪えない。三沢太田の速球、松山商井上の鋭いカーブが打者をほんろうする。がっぷり四つに組んだ両軍は一歩も譲らず、ついに延長十八回、0―0のまま大会規定により決勝では初の引き分け、再試合となった。
 太田は立ち上がり制球を欠き、二死二、三塁のピンチを招いたが、五番久保田を三ゴロに打ちとって脱した。
 三沢はその裏二死から太田が右前安打したがものに出来ず、二回裏も無死から菊池が左前安打したが、併殺でチャンスをつぶした。
 太田は前半やや球速を欠いたが、カーブをときおりまぜた重いタマで松山商を押え、一方松山商井上も落ちるカーブを決めダマに三沢に決定打を許さない。松山商は七、八、九回とやや疲れの見えはじめた太田に襲いかかる。しかし七回は二死満塁に二番福永が中飛で倒れ、八回は二死二塁に三遊間へ飛んだ痛烈なゴロを桃井の横っ飛びに好捕する超美技にはばまれた。九回も徹底的なバント作戦でかきまわそうとしたが、太田がすばらしい守備を見せた。
 三沢も井上の落ちるカーブに手をやきながらも七回二死二、三塁、八回は四球と安打で一死一、二塁のチャンスを迎えたが、井上の力投の前にどうしても均衡を破れない。ついに今大会二度目の延長戦へもつれ込んだ。
 延長戦へはいってから太田の速球は一段とスピードをましたのに対し、井上はしだいに疲れが出たのかカーブのキレがにぶくなった。松山商は十一回二死から西本が安打、十二回は一死から二本の安打が出たが、太田をくずせない。
 三沢も十三回までは三人ずつで片づけられたが十五回になって大きなヤマ場を迎えた。この回先頭の菊池が井上のカーブの曲がりはなを左前安打し、続く高田のバントを前進した谷岡がはじいて無死一、二塁、谷川は手がたく送り一打サヨナラのチャンスを迎えた。しかしコントロールに自信のある井上は、滝上哲を敬遠気味の四球で歩かせで満塁策をとった。続く立花にもスクイズを警戒したが三球ともボールとなった。だが冷静な井上は続けてストライクを二つとり2ー3に持ち込み、六球目、打った立花の打球は井上のグラブをはじいて前進してきた遊撃手樋野の真っ正面へころがった。樋野のバックホームは一瞬早く、三塁走者の菊池は本塁で封殺、八重沢も大きな中飛に倒れてチャンスを逃がした。
 井上は十六回にも2四球と遊ゴロ失でまたも一死満塁のピンチを迎えたが、高田の2―2からのスクイズが松山商バッテリーにはずされ、から振りに終わって、飛び出した三塁走者の小比類巻も三塁にもどれずタッチされて無得点に終わった。
 心配な太田の疲れ
中村、井上継投にやや分?
▽決勝再試合
 松山商―三沢
 松山商に一色監督が「勝負に負けていたのによく引き分けられた」と言ったように″救われた″という気持ちがある。逆に三沢は「勝てていたのに…」と後悔の念が強いだろう。この精神的な違いがかなり試合展開に影響しそう。
 それでなくても松山商は野球がうまい。細かいプレーにも抜け目がなく、じっくり構え直すと地力を発揮するだろう。投手陣も十八回を投げ抜いた井上に代わる左腕の中村が控えている。もし井上の疲れがひどいようだと中村先発で継投策という余裕もある。
 三沢は太田一人にたよらざるを得ない。いくら若いといっても2試合分を役げた翌日では相当球威にも衰えが出るだろう。攻撃力は互角と見るが、やはり攻め方のうまい松山商に分がありそうだ。
  強気の北村副知事
 ○県庁も午後から仕事が手につかぬありさま。特に北村副知事は三沢出身だけに副知事室のテレビ前に腰をすえて観戦。隣室の角田総務部長や竹内水産商工部長もかけつけて、県庁首脳部が総出で応援といったところ。終盤のチャンスでは「押せ、押せ」と北村副知事得意の強気でブラウン管を割らんばかりの声援。ついに再試合となったが「ただ頭がさがるのみ。本当によくやった。あすも善戦健闘するよう、ひたすら祈っています」という長文の電報を打った。
 竹内知事は忍者?
 ○竹内知事が甲子園に応援に出かけたとのウワサが伝わって、県庁秘書課はびっくり。竹内知事は目下台湾へ旅行中で、きょう十九日の午後三時でなければ羽田に到着しないはず。予定を繰り上げて帰ったという連絡は全くないだけに、工藤秘書課長補佐は「どこから、こんなニュースが出たのかね」と目をシロクロ。このウワサ、県民みんなが三沢応援に出かけたい気持ちのあらわれか。
 勝利呼ぶか県大阪
 事務所員がカンパ
 ○この日試合前、球場入り口で青森県大阪事務所の職員が三沢応援のカンパをした。「もっと早くやればよかったでしょうが…」と原田所長。近畿在住の本県関係者などに呼びかけていたが、このカンパが力水となって勝利を呼ぶことを願うとか…
 作戦の失敗はない 田辺監督
「勝ちたかっった。どうしても負けたくなかった」。延長十八回、まさに″白熱の攻防″を繰り返した松山商と三沢。両校選手は汗と土にまみれたユニホーム姿のまま薄暗い選手通路に並んでうつむいた。この悔やしさを、十九日の再試合でどう爆発させるか!。
 ○引き分けが決まったとたん三沢の田辺監督は思わず天を仰いで深いため息をついた。「満塁のたびに勝てたと思いました」と話す表情には悔やしさがありありとうかがえる。「十五回にスクイズは考えませんでした。作戦の失敗はないと思います」と強気な監督らしいことば。そして話が太田のことになると「スタミナにやや不安を感じますが」と今度は顔を曇らせた。
 負け試合をはっき
 り認める一色監督
 ○「負け試合でヒヤヒヤのしどうしでした」と松山商一色監督ははっきりと劣勢を認める。そして「引き分けに出来たのは井上の力投と守備が堅かったからです。それにしてもいい試合でしたね。お互いに力というより精神力を思い切ってぶっつけ合った一戦でしたと太鼓腹をゆすりながらゆっくりしゃべる。その横で一人で232球を投げ抜いた井上投手は「後半が悪すぎました。あしたも投げます。スタミナに心配はありません」と言い切った。その口調には「負けてたまるか」という男の意地がうかがえた。
 決勝戦に徹夜組も
 いまや甲子園のアイドルになった三沢の太田投手、対する名門松山商。この対決は爆発的な人気を呼び、入場券を手に入れようと熱心な徹夜組約六十人を含めて朝九時にはざっと三千人が行列を作るすさまじさ。球場側では「徹夜するなど決勝戦では初めてのこと」と驚き、十一時開門の予定時間を一時間繰り上げた。また試合開始一時間前の正午には内野、アルプス席とも売り切れ、満員札止めとなった。
 古谷甲子園球場長は「松山商の十六年ぶりの決勝進出、三沢・太田君の人気もありますが、人口都市集中化の現われではないかと思います。それと例年なら地元チームが敗退すると観客はガタ減りするのだが、ことしは団体入場者がとくに目立っているようです」と説明していた。   
八回の窮地 桃井の美技で脱す
 試合経過
▽一回 【松山】大森四球、福永のバントで二進、樋野の三ゴロで三進、谷岡四球のあと二盗したが、久保田三ゴロ【三沢】八重沢遊ゴロ、小比類巻三ゴロ、太田右前安打、桃井三ゴロ(両校0) 
▽二回【松山】井上遊ゴロ、西本左前安打、平岡、田中ともに三振【三沢】菊池左前安打、高田三振、谷川のニゴロは4―6―3とわたり併殺(両校0)
▽三回【松山】大森二邪飛、福永中飛、樋野ゴロ【三沢】滝上哲右飛、立花三振、八重沢三ゴロ (両校0)
▽四回【松山】谷岡中飛、久保田中前打、井上の遊ゴロで二進、西本三ゴロ【三沢】小比類巻三振、太田右飛、桃井投ゴロ(両校0)
▽五回【松山】平岡、田中ともに三振、大森二塁右を破る安打し二盗、福永一触二ゴロ【三沢】菊池中飛、高田遊撃内野安打二盗、谷川の三ゴロで三進、滝上哲三振(両校0)
▽六回【松山】樋野投ゴロ谷岡中飛、久保田二飛【三沢】立花投ゴロ八重沢四球、小比類巻のバントで二進、太田遊ゴロ(両校0)
▽七回【松山】井上遊直、西本右翼線安打。平岡の投前バントで二進、田中、大森ともに四球で二死満塁となったが、福永中飛【三沢】桃井遊ゴロ菊池中飛、高田四球、谷川右前安打で一、二塁、滝上哲三振(両校0)
▽八回【松山】樋野中前打、谷岡の一前バントで二進、久保田三振、井上三ゴロ【三沢】立花死球、八重沢の三前バントで二進、小比類巻左前テキサス打で一、二塁、太田捕邪飛、桃井の三ゴロで小比類巻二封(両校0)
▽九回【松山】西本中前打、平岡、田中の連続投前バントで二、三進、大森のバントは投ゴロ【三沢】菊池右邪飛、高田捕邪飛、谷川のバントは投ゴロ(両校0)
十回【松山】福永バントの一ゴロ樋野二ゴロ、谷岡三振【三沢】滝上哲バントの三ゴロ、立花遊ゴロ、八重沢中前打したが二盗に失敗(両校0)
▽十一回【松山】久保司井上ともに二飛、西本遊撃内野安打、平岡三振【三沢】小比類巻左飛、太田三ゴロ、桃井三振(両校0)
▽十二回【松山】田中一ゴロ、大森二塁右を破る安打したが二盗に失敗、福永石前安打し二盗、樋野三ゴロ【三沢】菊池、高田ともに三振、谷川三遊間安打したが二盗失敗(両校0)
▽十三回【松山】谷岡、久保田ともに三振、井上四球に出て二盗、西本中飛【三沢】滝上哲三振、立花捕ゴロ、八重沢遊直(両校0)
▽十四回【松山】平岡三振、田中二ゴロ、大森三塁手左を破る安打し二盗、福永二飛【三沢】小比類巻投ゴロ、太田左飛、桃井三ゴロ(両校0)
▽十五回【松山】樋野三遊間安打、谷岡の三ゴロで二進、久保田三ゴロ、井上三振【三沢】菊池左前安打、高田の三前バントと失策で一、二塁、谷川の投前バントで二、三進、滝上哲敬遠の四球で満塁、立花の投触遊ゴロで菊池本封、八重沢中飛(両校0)
▽十六回【松山】西本三振、平岡四球、田中三振、大森の初球に平岡二盗失敗【三沢】小比類巻四球、太田の没前バントで二進、桃井遊ゴロ失で一、三塁、菊池敬遠の四球で満塁、高田スリーバント失敗で三振のとき小比類巻三塁を飛び出し2―5の封殺で併殺(両校0)
▽十七回【松山】大森右飛、福永ニゴロ、樋野二塁左を抜く安打し二盗、谷岡二ゴロ【三沢】谷川中飛、滝上哲三前バント安打したが、立花の投前バントで二封、八重沢の遊ゴロで立花二封(両校0)
▽十八回【松山】久保田没触二ゴロ、井上中飛、西本四球、平岡右飛【三沢】小比類巻中前安打したが、太田の一前バントで二封、桃井右邪飛、打者菊池のとき太田二盗失敗、0―0で引き分け(両校0)

きょうこそ握るぞ!真紅の旗
三沢ナイン、意気高らか
大観衆すっかり魅了
まさに「壮大なドラマ」
 三沢か松山商か死闘四時間十六分。深紅の大優勝旗めざして両校一歩も譲らぬ熱戦を展開、ついに延長十八回を終わって0―0。腕も折れよと力投する太田、そして井上。1点をもぎとろうとがんばる打線。死力を尽くして戦ったが、ついに優勝旗はきょうにお預けとなった。
 高校野球史に新しい一ページを画す大熱戦はまさに壮大なドラマだった。新しい半世紀への第一歩を踏み出した今大会で、第一回大会の秋田中に続いて、東北から二度目の決勝戦に臨んだ三沢は「優勝旗を必ず持ち帰るんだ」と自信満々。太田の腕はさえる。援護するバックも精いっぱい松山商・井上にいどんだが、両校ゼロをかさねるばかり。チャンスに、ピンチにスタンドはゆれる。ついに大会史上初めて優勝戦での引き分け、再試合となった。
 戦い終わって三沢の田辺監督はきびしい表情で″無念″とはき捨てるよう。「失敗でした」考えこんだあと「さすがに松山の守りは堅い」。
 一方の松山商・一色監督は″しんどい″。そのあと「あすはもらう」。十八回を戦いぬいた両ナインは精も根も尽きはてた感じ。しかし、きょう十九日の再試合を控えて「がんばるぞ」高校生らしいさわやかさ。
 球場から宿舎に帰るバスの中の三沢ナインは意外とさっぱりしたもの。「あの旗(優勝旗のこと)はまたしまい込まれるんだなあ」という太田投手のつぶやきが車内の笑いをさそっていたのが印象的。またきょうの主審は辛かった。太田君の外角低目は入っていると思ったが、と小比類巻捕手。逆に立花左翼手は「ボクのは、完全にボールだったヨ」と車内の判定をうながす。延長十五回一死満塁で1ー3からの低目のボールをストライクと判定されたのがまだ納得出来ない、といった口ぶりだった。
 三塁測スタンドは「決勝戦になったら応援に行く」という念願がかない、この日昼前に着いた小比類巻三沢市長夫妻も加えてまた応援団がふえた。小比類巻市長は「よくやった。正直いって落ちついて執務出来ない」とやもたてもたまらず応援に駆けつけて盛んな声援。試合後「大変なことになったもんだ。こんなに活躍してくれるとは全くうれしい。なんとか勝たせたかった」と残念がることしきり。
 河村主将の両親、兄弟、八重沢選手の両親、桃井選手の母親、親類もスタンドからわが子、わが兄弟のプレーをみつめる。「ここまでくれば十分です、選手もそうだと思う」と異口同音にいうが、ここまでくればやはり勝たせたい、優勝してほしい。
午後からは野球デー
三沢市、のろし上げ気勢
○三沢市はまさに野球デー。全市民が仕事を午前中に片付けて午後は試合に熱狂した。市では試合開始の午後一時にのろしをあげて気分を盛りあげ、市役所屋上には″祈る優勝″のたれ幕がするする。商店街でも必勝三沢高のはり紙をしてシャッターをピシャリ。
 十字架手にタマラさん 
○市内の黒川医院に入院している太田投手の両親はほとんど全快したので、この日そろって病室のテレビを観戦「なんとか1点」とクルスをにぎりしめるタマラさん。息つく間のない攻防にさとるさんはただうなるばかり。再三のチャンスを逃かしてがっかりした顔もみせたが「まあよくやってくれた。あすもナイスピッチチングをしてくれるものと信じる。二十日には退院も出来ることだし」と明るく話していた。
 ぐったり、藤林校長 
三沢高校では留守隊長の藤林校長やPTA副会長の山崎文一さんら教職員、生徒など三十数人がテレビを前に「さあ、がんばれ」と盛んな声援。チャンスやピンチのたびに歓声と拍手。四時間余、お茶を飲む余裕もないまま藤林校長は「みんなよくやってくれた。エラーのなかったのが特にうれしい。あしたもこの調子でやってくれれば申し分ない」と笑顔をせたが、さすがに疲れたという表情だった。
三沢ナイン歓迎パレード
二十日、青森市から三沢市まで
三沢高は優勝決定戦をきょう十九日に持ち越したが、三沢高ナインの歓迎会の計画が県庁、県教委、県高野連、青森市警察の間で進められた結果、青森市から三沢市まで延長八十㌔わたり、オープンカーで花やかにパレードを繰り広げることになった。
三沢ナインは二十日午前十一時五十分特急「日本海」で青森駅着、駅前広場で花束とレイが贈られ、市内をパレードしたあと県庁で竹内県知事の祝辞を受け、国道四号線を一路三沢市へ向かう。途中、浅虫、野辺地、七戸の中心街を通り三沢市内をパレード。市役所前で三度目の歓迎会を開く。この予定はあくまで、きょう十九日の決勝戦が順調に進んでのことだが、日程の繰り延べなどの変更は十九日の話し合いで決まる。三沢高ナインの歓迎式典の日程とコースは次の通り。
▽二十日午前十一時五十分特急「日本海」で青森駅着。
青森駅前広場で歓迎式典・三沢高ブラスバンドが駅頭へ出て演奏し、選手整列、ナインに花束とレイを贈る。続いて小田桐県高野連会長が祝辞、田辺監督があいさつし岡本県教育長の       音頭でバンザイ三唱。
▽駅前から三沢高ブラスバンドを先頭にオープンカー分乗、新町―柳町―県庁ヘパレード。
▽県庁では、竹内県知事の祝辞、全選手にトロフィー贈呈。
▽午後二時県庁ー浅虫―野辺地(町内を通る)―七戸―十和田市―三沢駅。午後四時三沢駅―市内パレード。
▽三沢市役所前で、花束を贈り、小比類巻市長が祝辞を述べる。
八月二十日付け 
三沢悔いない準優勝
全国高校野球燦然と輝く熱闘譜
 みちのくの短い夏の終わりの話題を一手にさらった三沢高校ナインの活躍だった。戦い利あらず、2―4と松山商の前に敗れ去ったが、前代未聞の十八回の緊迫した熱闘譜は、やがてこの大会が百回を数えても、なお後世に語りつがれていくことだろう。太田君、桃井君、八重沢君、小比類巻君、そしてナインの諸君、監督の田辺さん、本当にご苦労さま。立派でした。
松山商十六年ぶり四度目の栄冠
 汗と泥にまみれ、栄光への最後の挑戦を試みる三沢、松山商のナイン。炎天下、声もかれるほどの声援を送ったスタンドの人たち。第五十一回全国高校野球選手権大会の″二度目″の決勝戦は、十九日午後一時、前日の、あの力闘が生み出した熱気の残る甲子園球場に満員の観衆を集めて行なわれた。ゲームは松山商が先行、三沢がこれを迫うという形で展開された。鉄腕太田も、やはり疲労には勝てない。タマにいつもの伸びがなく、六回、ついに致命的な2点を加えられ、3点差とされた。だが七回、下位打線が活躍して1点を返し、二塁に走者を置いて打者八重沢、打った!打球はグングン右中間へ、″これで1点差″と思った瞬間、ボールは極端にライト寄りに守備していた中堅手のグローブヘ。チャンスは消えた。
 試合終わって、深紅の大優勝旗は松山商大森主将の手にしっかりにぎられた。前日、二度にわたり三沢の頭上に輝かんとした優勝旗だ。真実、悔いは残った。だが三沢ナインは精いっぱいやったのだ。準優勝の立派なタテを胸にだいた河村主将をはじめ、選手たちの表情には力を出し尽くしたあとに感じるさわやかさがいっぱいにあふれていた。甲子園大会は終わった。
最後飾った必死の攻防
三沢の粘りも及ばず
連投太田初回に2ラン浴びる
甲子園で本田、松原記者】深紅の大優勝旗は二日がかり、27イニングを戦い合ったすえ、松山商が獲得した。
 第五十一回全国高校野球選手権大会の決勝再試合、松山商―三沢戦は十九日午後一時から晴れ渡った甲子園球場に五万の大観衆を集めて行なわれた。前日十八回を無得点のまま引き分けたのとはうって変わった活発なフタあけ。一回松山商が樋野の2点本塁打で先行すると、三沢もその裏すぐ小比類巻、桃井の長短打で1点を返した。だが松山商は六回一死二、三塁から暴投と失策で2点を加え、井上、中村の再三の継投で三沢の反撃を1点に押えた。三沢は最後までよく食いついたが、ついに及ばなかった。 
松山商の優勝は十六年ぶり、四度目。四国から優勝チームが出たのは第四十六回大会の高知いらい五年ぶり。              
 試合終了後、閉会式に移り、深紅の大優勝旗が松山商・大森主将、準優勝のタテが三沢・河村主将の手にがっちり握られた。沸き上がる拍手、歓声の中を両校選手が場内一周、十一日間にわたる大会の幕を閉じた。
  【決 勝】
◇松山商(北四国)―三沢(北奥羽)
松山商200002000計4
三 沢100000100計2
(松山商)井上、中村、井上、中村―大森
(三沢)太田―小比類巻                      
▽本塁打 樋野▽三塁打小比類巻▽二塁打樋野、西本▽犠打 松O三1(谷川)▽盗塁松1(福永)三0▽失策松1(谷岡)三1(滝上哲)▽暴投太田
▽試合時間2時間6分
 【評】太田のたった一球の失投が試合の明暗を分けた。前日、延長十八回を戦って、どうしても均衡を破ることが出来なかった決勝再試合は、早くも初回松山商樋野のレフトラッキーゾーンにはいる2点本塁打で破られた。松山商は初回トップの大森が三球三振のあと福永が太田の速球にバットを軽く合わせて二塁手の頭上を破る。三番樋野に対し太田は一球目内角低めにストライクを決め、二球目をはずすつもり(太田の話)で同じコースの高めへ投げた。しかし樋野はこのボールになるタマを一振した。打球はぐんぐん伸びてレフトラッキーゾーンにはいる2ランホームラン。対若狭戦と同じコースを打ったホームランだけに太田の手痛い失投だった。
 しかし、三沢もその裏八重沢凡退後、小比類巻が1―1のあとの速球を右中間一番深いところへ三塁打。続く太田は気負って内野ゴロに終わったが、四番桃井は徹底的なカーブ攻めにあいながら井上の五球目、キレの甘いカーブをとらえて左前安打、小比類巻を迎え入れた。なおも菊池が三ゴロ失で出塁、高田がリリーフした左腕中村から四球を選び二死満塁と攻めつけたが、七番谷川は落ちるカーブにバットが合わず、あえなく三振して1点にとどまった。
 初回、両校とも長打をおりまぜた活発な攻撃だっただけに打撃戦となるかと思われたが、太田は以後立ち直り、また松山商中村も左投手特有のナチュナルシュートと落ちるカーブを武器に力投し五回まで三人ずつで片づいた。六回表松山商は一死後二番福永が自ら三本目のヒットで出塁、続く樋野は三塁線を痛烈に破る二塁打。次打者谷岡の四球目、高めへはずすつもりが外角低めの最もとりにくいところへ。太田の思いがけない暴投で福永がホームイン、さらに谷岡のライト前の飛球を二塁手滝上哲が深追い、しかもバックホームをあせったため無理な体勢となり、グラブに当てて落球した。松山商は拾いものの追加点2点をあげた。
 しかし三沢も粘る。七回、先頭の高田が1―3から選んで出塁、統く谷川はドラッグバントを試み惜しくもアウ卜となったが、高田は二進、八番滝上哲は二球目を中前ヘタイムリーして高田かえり2点差。なおも中堅手からのバックホームが悪投となる間に滝上哲は二進、ここで松山商はまた投手を中村から井上に代えた。立花の打球は投手のグラブに当たって三沢にとってはアンラッキーな二ゴロとなり二死、期待された八重沢のあわや右中間を破るかと思われた大きな当たりも、あらかじめ極端に右寄りに守っていた中堅手に好捕されてしまった。太田は七、八、九回と安打を打たれながらも後続を断ち、味方の反撃を待ったが、松山商のたくみな投手リレーに押えられ、最終回二死から代打に出た河村が二ゴロに終わって涙をのんだ。
予想以上の成績
 立崎部長 予想以上の成績をあげられてうれしい。これが東北人のねばりだと思った。選手も全員持てる力を出し切った。悔いは全然ない。社会人になってからもすべてにこのような意気込みを示せは社会の荒波も乗り切れる、ということを選手たちは学びとった。郷土や関西在住の県関係者の物心両面にわたる応援に感謝しています。この応援にこたえられたのではないかと評価している。
 河村主将 みんなよくやった。これで北国でもやれば出来るという自信がついたと思う。よい思い出になった。最後の打席に代打に出ることはこの前からいわれていたので、ベンチの後ろで素振りをしていた。最良の機会に出してくれた監督や同僚たちに感謝したい。感激した。
 太田投手 初回ホームランを打たれたのは、はずすつもりの内角高目のボールだった。やるだけのことはやった。だから、スカッとした気分です。まさか決勝まで残れるとは思ってもいなかったが、明星戦に勝って、これならどことでも対等に戦える目信がついた。きょうの再試合が一番苦しかった。
 小比類巻捕手 仝力を出し切ったので、悔いはない。二回戦のカべを破っただけでも、)はあったと評価している。松山商、平安、明星、みんなすばらしいチームだ。きょうのパスボール(記録はワイルドピッチ)は高目にはずすつもりが、低目にきたので、にがしてしまった。私の責任です。
 菊池一塁手 いまは胸がいっぱいです。これからくやしさが出てくるかもしれない。試合前の練習では、感じよくバットが出ていたので打てる気がしたのだが…。中村投手の外角球にやられた。最初は二回戦のカベを破ることだけ頭にあったが、気がついたら決勝まで残っていた。
 滝上哲二塁手 もう一本安打を打ちたかった、勝つ自信はあったのに…残念です。一回戦大分商との五回に打った甲子園の初安打がうれしかった。延長で引き分けた決勝戦は一生忘れられないだろう。技術的にも精神面でもよい勉強になった。この教訓を生かして、また出直す。
 桃井三塁手 決勝は勝てると思っていただけにくやしかった。二回戦の明星に勝ったとき、これならやれると思ったが…。やはり松山商は伝統と強豪の名に恥じない立派なチームだった。今大会を通して単に野球の技術的な問題だけでなく、いろいろ教えられる点が多かった。
 
 病む母へ「甲子園の土」
松山商たたえる太田投手
三沢太田投手、甲子園での全国高校野球選手権大会決勝戦で、古豪・松山商を相手に一歩も引かず、延長十八回を完投。一夜明けた十九日の再試合で惜しくも準優勝となったが、この日も九回をただ一人で投げ切る健闘ぶりに、甲子園の大観衆は惜しみない拍手を送った。
 母親のタマラさんが病気で入院中のため、両親が甲子園に応援に行くことはできなかったが、その甲子園で一回戦から決勝まで六試合を投げ抜いた太田投手に対し、スタンドからは「よくやった、胸を張って帰れ」と声が飛び、田辺監督も「準優勝できたのは大田の力があったからだ」とたたえる。
 だが太田もまだあどけない高校生。閉会式のあと″ホタルの光″が流れる球場の中で、病む母親へのみやげにと、マウンドの土を袋に入れていた姿が印象的だった。
悲運の主将 河村、最後の打席へ
 ○九回裏三沢攻撃も二死。場内アナウンスは「バッター谷川君に代わって河村君」。
 銀さんにこだまする大拍手。このときまで一度も打席に立たなかった″悲運のキャプテン″だ。
 昨年秋、ツイ間板ヘルニヤにかかり、センバツは足を引きずっての出場だったが、大会がすむと入院するという不運がつきまとった。田辺監督は「ウチがここまで勝ってこられたのは河村のお陰。あの子が選手と私とのよきパイプ役になってくれました。一番の功労者です」とほめる。
 準優勝の銀メダルに「ワー重い」 
三沢高校ナインは、球場からバスに乗るさい、大田投手らの姿を一目見ようと押しかけた約二千人の中、高校生らに取り囲まれ、やっとの思いで宝塚市内の宿舎にたどり着いた。二階大広間で、午後六時からミーティングが開かれたが、田辺監督の「よく私の指示通り動いてくれた。悔いのない試合ぶりだった」に、うつむいていた選手たちも一人一人に銀製の準優勝メダルが手渡されると「ワー重い」と勝敗を忘れて顔をほころばせていた。
これで十分と小比類巻市長
○深紅の大優勝旗を「白河以北」に持ち帰れなかったが、選手も監督も、そしてスタンドの応援団も悔いはない。スタンドの小比類巻三沢市長は「これで十分です。本当によくやってくれました」とひとこと。
三沢高校を準優勝に導いた田辺正夫監督
○「決勝戦とはこんなにも大変なものだとは思わなかった。とにかく大変」と切り出した。選手が指示通り動き、実力以上のものを出してよくやってくれたことに満足そうだったが、それでも「大変」だったのは、ここまでくれば優勝したかった、という欲と男の意地があったからだろう。全試合を通じて、これといった作戦の失敗もなく、むしろ上出来で、監督のだいご昧を十分味わったとか。それだけに、前日の延長戦には、一まつの悔いが残り、再試合を含め非常に苦しかったようだ。
○学ぶところも多かった。実り多い大会だったともいう。太田という好投手に恵まれたとはいえ、全国レベルに「あと一歩」の青森県高校野球界で三沢を指導し、一躍有名となった。「機動力がいかに貴重であるか、またチームプレーに徹しなければ…」という野球のイロハを真顔で話すようすが不自然でないのは、野球のことなら何でも体得しようというガメツサの現れか。ねばりある、たよりになる男というのが周囲の人たちの一致した見方。
三農出身で、三農時代は捕手。県大会で準々決勝が最高だった。球児なら一度はあこがれる甲子園に、監督としてではあるが出場出来たことに満足しているようだ。甲子園を去るとき、ファンから贈られたバットを「子供のみやげに」と大事そうにしまった。小学四年と幼稚園の二人の男の子に「将来、必ず甲子園へ」の夢を託している。趣味は野球。三度目の甲子園経験で、雪国のハンディをなくすため、冬季間「ボールを持たない野球」で鍛えることを再び痛感したそうだ。やれば出来るを今後の人生訓にしようかとも。三十三年三沢市役所入りし、現在土木課長補佐。三沢市松園町二丁目。三十八歳。
沿道百㌔歓声と拍手
ほころぶ真っ黒な顔
三沢市大群衆、会場埋め祝福
青森県で開かれた歓迎パレードでこんなに盛大で熱狂的なパレードはなかったろう。それほど感激的な各地の三沢ナインの歓迎ぶりだった。主力の太田投手と桃井、八重沢の三遊間コンビの姿が見られなかったのはちょっとさびしかった(高校球児が選抜されブラジル遠征、それに選ばれ不在)が、ナインは胸を張ってオープンカーで約百㌔をパレード、堂々と準優勝の報告をした。
デーリー東北新聞は本田記者を追加投入し、主催の朝日新聞に負けない、地元紙ならではの肌理細かく、熱く胸を打つ記録を報道、それは時を越え、今もまだ青森県民の心を打ち続ける。