秋も深まり、毎月第四金曜日の七時から開かれる「私のありがとう」も、辺りがすっかりと暗くなり、足元に注意が必要となった。
この場を貸してくださる売市の精神障害者支援施設、ギャラリーみちのオウナーの北村さんご夫婦に感謝しながら、にぎやかに始まった。
今回参加者は富田さん、大久保さん、早川さん、木村さんとお友達の○○さん、晴山さんと奥さんと娘さんの美智子さん、北山さんご夫婦、宮川さん、畑屋さん、川口さんと南郷の中村さんと中村節子さん。
この中村節子さんは現在「はちのへ今昔」に連載中の「我が人生に悔いなし」の著者。この人の筋運びには独特なものがあり、その場面が活き活きと描かれていて、読む者の心を捉える妙がある。その話の中に三沢高校の太田幸治さんの話が出 て、今号の甲子園特集となった。人の話の面白さを痛感させていただいた。
さて、今回の主役は北山さんのご主人。この人は年中忙しく活躍中。奥さんから鼻でハモニカを吹くと聞いていたが、出演依頼をしても、いつも出張中。お仕事はクレーンの技師だそうで、実に特殊な技能をお持ちだ。
たまたま雨降りで仕事が中止になったそうで、特別出演となったわけ。早速「荒城の月」を鼻で吹いていただいたが、鼻の片穴にティシュで栓をする。反対の鼻穴から息を出してメロディーを奏でるのだが、実に巧いもの。
それを聞いた川口さんが、普通に吹くハモニカよりも哀調があっていいとご機嫌。すると、北山さんが言ったナ。何、私はハモニカばかりじゃありません、楽器ならギターも弾く三味線もやる、ピアノだってお手の物、こないだも尺八吹いた、と尺八を吹く手真似、こうやって、吹いてきかせるんだけど、今日はハモニカしか持ってきていな い、だから、それを見せる訳にはいかないけど、こんな風にやるんです、何、私は楽器ばかりじゃない喋っても楽しませるんだから、ハイ、こうして尺八を吹いて、突然音を外す、アレ、どうして音が外れたのかな、尺八に何か詰まったのかな、と尺八を覗き込む、こうやって尺八を前の奥さんの所へ持って行って、「あれ、奥さん穿(は)いてないね」
うまいギャグだ。南州太郎って芸人がいる、出てくると黄色い声で「おじゃまします」、この人は海上自衛隊の呉音楽隊に入りキャバレーのバンドマンから浅草、松竹演芸場でデビュー。楽器を使った巧妙さがあるが、この北山さんも大した芸達者。売市には前回の斉藤さんの奥さんも凄い喋りを示した。この分だとまだまだ出そうだ。
川口さんも楽しいボケを見せるので、北山さんとコンビを組んで楽器漫才をやるとヒットするかも。
青森の晴山さんが十三日町の話をして、これが妙 にシンミリしてよかった。人情の機微は丁度、十月末の雨に似て、すこし寂しく、ちょっとシンミリしたものなのだ。
長いようで短い人生というものは母親のこと、貧乏だった幼い頃のこと、色々と思い出しては父母に感謝をするものなのだ。そして自身もいつの間にか親になり、必死に子育てし、やっとそれから開放される頃、頭はズリむけのハゲ。情けないけど真実だ。こうして今度は子供から、お父さんありがとうと言われるんだ。悲しいけれど、繰り返しが人生なのだもの。
中村節子さんに詩吟を披露していただいた。この人の技量はなかなかのもの。詩吟を初めて聞いた川口さんが感激。吟じたのは、頼山陽の「鞭声粛粛夜河を過る~」で始まる川中島の戦いを描いた漢詩、「題不識庵撃機山図」の作者としても有名。吟ずる前に川中島と言わずに不識庵撃機山図と題した。昔は川中島と言ったと解説していただいた。中村節子さんに誰にありがとうと言いますかと問うと、即座に「主人です」と返ってきた。この「私のありがとう」の会では、多くのご婦人が、先祖とか父母との声をいただいたが、主人、亭主は聞かないもの。ところが、出ました、ご主人の言葉。男は損な立場にいる。何を置いても女房・子供と思う心が仇桜、夜半に嵐の吹かぬものかなの親鸞聖人の得度の時のようなもの。やはり適当にして、好き勝手に生きるのが正しい。評価が低いから全人格が否定される訳じゃないけど、少々寂しい。ところが、亭主に感謝だ。
どうして?
「私の好きなようにさせて頂いた。詩吟をしたい、教場を持ちたいと言うと、お弟子さんを集めてくれました」
これはなかなか出来ない。習い事をさせる。これはよくあること。お茶もされたそうだが、これは教室を作るのに大変手間と金がかかるそうで、それはキッパリとあきらめ、詩吟の世界に飛び込んだ。商売になるほどではないが、趣味と実益をかねるそうで、多くのお弟子さんを指導される。
是川の晴山さんのご主人は白神に旅行にでかけ、偶然、狸とヘビを見て、これに感謝すると発言。それはたまたま見ただけ。それでも、見なければ楽しくなかったから感謝する。ハイハイ。その通りで…。
この娘さんがまた出来ている。時折夫婦喧嘩をする父母を見ていても、やはり私は父に感謝しますとキッパリ。それは悪い点もありますけど、私を育て看護学校にまで進学させてくれた父母の愛 情に感謝します。
そうだ、その通りだ。あたりまえと子供は思うが、親は人に言えない苦労を陰でしている。子供は幼いから、社会経験が少ないため、隣の子の方がいいと、無責任極まりない発言をして親を嘆かせる。それに気づくころは、かなり歳がいってからだ。でも、親御がこの言葉を聞けるのも稀。
さて、「はちのへ今昔」の編集長の月館さんのお店で働いたことのある大久保さんは、初めてお勤めしたのが小中野のツキウ、そこでお給金を貯め文化服装学院に入ったが、月謝と制作費に追われ、また務めに出た。それが三日町の石岡呉服店、呉服商の集まりがあり、石岡店をツキウの大将が訪れて、あれ、この子は大変気のつくいい子です、どうぞ指導をしてやってくださいと頼んだそうだ。月館宇衛門、明治生まれの傑物。三萬の跡地をジャスコが買った時、大反対の人々を尻目に、自己の利益より、町の発展の為には新しい人々に来てもらおうと叫んだ気骨の人。