2007年10月1日月曜日

長いようで短いのが人生、忘れずに伝えよう「私のありがとう」4

八月の例会出席者 売市・岩館さん、天内さん、市川さん、北山さん、竹岸さん、南郷・中村ご夫妻、新井田・畑屋さん、高舘・木村さん、下長・小針さんとお孫さん、根城・石鉢さん、田面木・吉成さん。
毎回いろいろな人の人生経験を聞くのは実に楽しいもの。今回は八戸から岩手県に転勤となり、水沢の娘さんを射止めて八戸に連れ帰った人がいた。結婚生活は円満で、子等にもめぐまれ順調に加齢。ところが突然、ご主人が脳梗塞に倒れ、奥さんは必死に介護。
その時、つくづく夫の有難みがわかったそうだ。誰しも健康で今の生活水準が永遠に続くものだと思いこんでいる。ところが六十になれば定年。昨日まで座っていた椅子から御破算(ごわさん・今までやって来た事を、最初の何もなかった状態にもどすこと)でねがいましてと抛りだされる。夫が元気でいればこそ、この生活があった、もしこのまま亡くなれば、私は一体どうしたらよいやら、とこう考えた。
 なかなか、こうは考えられないもの。夫が死んだ? そりゃ寿命だから仕方がない。粗大ゴミだって年に何回かの集荷がある。それと同じでハイ、サヨウナラと言われるのが多くの夫の宿命だ。
亭主は元気で留守がいいってな言葉もあるが、いつまでも夫が元気で、月給の運び屋だと思うな。オット、そうはいかないゾ。この人の亭主のように病気にもなるもんだ。
それでも気のいい水沢生まれの女房は、リハビリに亭主と共に励み、見事回復したそうだ。世の中は一寸先は闇、誰にもこうした嘆きは襲うものだ。でも、その時、頭を抱えこんではダメ。生きている限りは死んではいない。生きる以上は努力をしろと教えられる。努力するしないは誰が決める?
皆、自分自身が決めることなんだ。自分がもうダメだと決めると総てがそこで停止する。
まだある、もう少しがんばろうとするからこそ、生きている証がある。
こういう言葉がある。立っているより座ったほうが楽だ。座っているより寝たほうが楽だ。寝ているより死んだほうが楽だで、死んでしまえば全てがなくなる。
生きてること自体が不思議なようなもので、死んでしまえば何もない。痛いも苦しいもない。金の苦労も人付き合いの心労もない。上司に怒鳴られることもないと、楽を求めれば行き着く先は死んでしまうだけ。生きてるからこそ、努力が出来る。その努力は他人が認めなくてもよい。自身が出来なかったことが出来るようになったことを喜びとすればそれでよい。
六十の手習いでもダンスでも何でも、自分がしてみたい、やってみたいことを具現できるのが、この世なんだ、死んでしまえば何もできない。旅行でもいい、観劇でもいい、何でもいいからすることだ。死んで金を地獄に持参した人は一人もいない。美味い物を食うでもいい、何でも生きている間にすることだ。そして、今日も無事に眼が開いたことを有難いと思えるようになることだ。こうなると、なんにでも有難うと言えるようになる。石につまずいて転んでも、ありがとう、そこまで行くには修行がいるが、転んだときに、怪我しなくてよかったと思え。そうすりゃ膝小僧をさすりながらも有難うと言えるようになる。
大体腹がたつというが、腹をたてないようにすると長生きできる。西有穆山が年中腹を立てている婆さんに教えた。
「婆さん長生きしたいか」
「ハイ」
「それでは腹をたてないようにすることだ」
「それでも禅師さま、家の嫁ときたら、だらしがなくて、どうもこうもなりません、だから私が言うんです」
「そうかそうか、誰しも腹が立つときがある、でもな、腹を立てるたびに三日づつ寿命が縮ぞ」
「それはいけません、禅師さま、すると嫁は私の寿命を縮める出刃包丁ですか」
「これこれ、そう思うことが寿命を縮めるもとだ、どうしてお前さんはそう嫁を悪く言う、嫁さんはもともとこの家の者ではない、他所の家から嫁に来た、来たと思うから間違いで、来てくれた、来てくださったと先ず思うことだ、お前さんだって昔は若くて美しかった」
「あらいやだ、禅師さま、あなたは私の昔をご存知で?」
「そうだろう、皺だらけで見る影もないお前さんだって昔は若くて綺麗だった、そのお前さんは昔から、この家の者だったか? 違うだろう、お前さんも昔は他所の娘だった、それが縁あってこの家に嫁に来た、すると姑がお前さんに辛く当たった、だから、その腹癒せに今の嫁に辛く当たってはいまいか、それでは因果応報、いつまで経ってもこの家の姑婆は嫁の仇でしかない、お前さんもいつかは死ぬ、死なぬ者は一人だっておらぬ。死ぬのは誰しも嫌なことだ、長生きしたければ腹を立てないことだ。それには有難い呪文を唱えると腹が立たなくなって長生きができるようになる。それを教えてやろう」
「是非教えてください、その有難い呪文を、でも長いと覚えられません」
「短いから心配するな、いいか、文句を言いたい、腹が立つと思う時に、こう唱えろ、おん、腹立てまいソワカ、これだけで腹が立つのが治まる」
婆さんはそれから、この呪文を唱えて長生きしたそうだ。こうしたように、何事にも腹を立てると寿命は縮む。それでなくとも、人間は四苦八苦のうちの一つ、病を得るようになっている。それも健康で気力、体力十分な人がそれに遭遇した。
五戸高校と言うと、直ぐサッカーと答が返るほど、実力のある高校、このサッカー部員で元気いっぱいでグランドを走り廻った練習熱心な生徒が、病に倒れた。それは練習中に水を飲むなという指示を守って腎臓を壊した。人間の体は六割が水。その水の調整を行なうのが腎臓。
急激な運動、水を摂取しないことで、体が調整機能を失い、透析をするようになった。腎臓が動か   なくなると生きていけない。体の血を綺麗にするため透析をするのだが、病院に週三回、およそ四時間ベットに寝る。こうなると改善はなく、腎臓移植をする以外に生存はむずかしい。透析患者は全国に二十二万人もいる。
水を飲むと簡単に言うが、これほど体に大切なものはない。腎臓移植、誰が肝腎というように肝臓、腎臓をくれる者があろうか。
昨今はフィリピン人が腎臓を売るそうだが、手に入れた腎臓を体が受け付けない場合もある。拒否反応というもの。こうなると、折角手に入れた腎臓も役に立たない。
日本では毎年新しく透析を開始する人が三万人もいる。だが、一年間で腎臓移植をする人は七百人しかいない。0.02%と極めて低い。透析を開始すると七年がメド。三十年も透析をして生きている人もいるが稀なこと。
この人も死を覚悟。生きたい。また元気に仕事をしたいと思うが体がついていかない。当然悩んだ。
この人に弟が二人いた。この弟たちは兄が腎臓病で悩んでいるのを知っている。
さて、読者諸君、どうだ、あなたに二つある腎臓の一つを呉れと言われたらどうする。勿論、腎臓はひとつだけでも生きていける。あなたの配偶者なら否応なしに提供するだろう。
だが、兄であり姉であるとしたらどうだ。あなたに差し出すだけの勇気があり義侠心が備わっているだろうか。
上の弟は腎臓をくれないと言う。下の弟が兄さん、俺のを使ってくれと投げ出した。二つしかない腎臓、一つを取れば疲れやすい、今までどおりの生活が出来るの保障もない。でも、長兄のためなら、どうぞ、俺のを使ってくださいと己の体を投げ出した。
有難いじゃないか。尊いじゃないか。普段偉そうなことを言う人格者と称される人が、こうした嘆きの場に出会って、己の体を投げ出せる者が何人あろう。他人の痛いのは百年我慢が出来るという。そうした人間ばかりが多い世の中。
こうした弟さんもいるんだ。そして手術は成功。それでも、年に何回かは拒絶反応のようなものが出る。そのために入院するそうだが、透析のことを考えれば、天と地ほどの差があるそうだ。
健康と一言でいうが、健康は失ってこそ初めて、その有難みがわかるもんだ。
今、この人は保険の仕事を営んでおられる。失って初めて有難みがわかる、この自分こそ、財産を失う前に保全する術があると教えて歩く。
この人にとって保険は金を戻すための手段ではなく、失う前に手立てを考えよう、保険の組み立て方次第で、何の心配もなくなると、転ばぬ先の杖に仕組みを説いて歩く。
その根底にあるのは、自分は弟があればこそ、こうして生きていかれる。この有難みこそ、弟の恩顧、だが、保険は自分の意思で損害を回避できるのだ。恩愛は買えずとも保険は買える。だから、人のお役に立とうと今日も顧客を歩く。