明治二十八年の東奥日報マイクロフィルムは一月から六月までしか八戸図書館に保存されていない。
二月十日
劉公島占領の公報
二月八日午後六時五十五分東京発
我が艦隊の為に劉公島は取られたり又遠鎮遠の沈没せられたるは確実なり
是に於いて全く威海衛を陥る
大日本帝国万歳
陸海軍万歳
第二師団万歳
敵艦撃沈の詳報
六日午後四時伊東連合艦隊司令長官よりの公報によれば四日夜我が第一第三水雷艇隊は日没後敵艦隊を襲撃し定遠を壊し靖遠の底を破る我が水雷艇隊も大なる損害を受けその内機関部員皆死したるものあり五日夜第一水雷艦隊は東防塞より進撃して鎮遠威遠及び砲艦一艘を沈めたり
二月十三日
日島砲台の撃破
二月十日午後七時五十八分東京発
去る七日午前七時百尺崖の我が砲台より発したつ砲丸は日島砲台の火薬庫に命中し之を破裂せしむ残る所は劉公島のみ
八戸町の祝捷(しゅくしょう・勝利を祝うこと)
三戸郡八戸町有志者には去る十一日の紀元節を卜し中学分校内に祝捷会を催されたり来会者には裁判所郡衙(ぐんが・郡の役所)警察署監獄署収税署の職員一同より市中の主立った有志者銀行会社員等百数十名正午に集まり階上なる式場に臨みぬ発起人総代として郡長井上跳蛙氏開会の辞を述べ両陛下の万歳を三唱し次ぎに帝国万歳を唱え一同之に和し登壇せるは判事八木沢彰六郎氏にして厳然たる大礼服を着し祝辞を朗読せられ次ぎに福田祐記氏の演説及び種市良一氏の祝辞あり次ぎに登壇せしは浦山助太郎氏にして氏は厳粛なる語調を以て大本営へ奉祝の電文を発せること併せて第四旅団長伏見宮殿下へも同じく祝電を発することを満場に諮りしに拍手喝采を以て直に可決しそれより電音は発せられぬ之にて式を終え階段を下り体操場なる宴会席へ至り○白を挙げて互いに祝い十分の歓を尽くして散せしは夕方近く日は西山に傾くなりしと
真宗各寺の美挙
三戸郡八戸町願栄寺及び本覚寺同郡是川村清水寺上北郡野辺地村西光寺の各住職申し合わせ此の頃野辺地村に於いて市中を托鉢し其の得たるもののうち金二円五十銭を軍人遺族扶助料の内へ差し加えられたき旨を以て同村義勇会へ寄付し金一円を先般山東省に於いて名誉の戦死を遂げたる第二師団の勇卒上北郡浦野舘村小笠原助松氏の遺族へ吊祭料として送付方野辺地村長角鹿良右衛門へ委託致される由にて角鹿村長も深く諸氏の美挙を賞讃し直に送金の手続きを為し○○なる謝辞を為したりと言う
逃亡娼妓の科料
青森町柳原遊廓青湾楼抱えの娼妓高尾てふは両三日前同楼芸妓の小町、小徳なるものと逃亡を企てたる所小町、小徳の両芸妓は直に取り押さえられ高尾は去る十三日仙台に於いて取り押さえられたる由なりしが小町、小徳の両人は娼妓にあらざる廉を以て何事もなかりしが高尾丈は娼妓取締規則違反にて昨日青森警察署に於いて科料一円に処せられたり
貸座敷の営業停止
当地柳原の貸座敷花遊楼事松岡白吉方にては何故にや今度営業免許を取り消され同楼抱えの娼妓六人には何れも同地の松葉楼へ道具を運搬しありたり
貸座敷の税金不納
当地柳原貸座敷の内には例ながら税金遅納がちにて再三の督促に応ぜざるより営業を停止されんとしたるもの三、四軒ありこのたび漸く上納に及びたるも今後不納のものは猶予なく直に営業を停止すべしと言う
密売淫の拘留
青森町大字大町二十九番戸料理屋営業国谷ナミ方止宿の西津軽郡鰺ヶ沢生まれ菊谷アサと言えるは去る五日晩密売淫をなしたる罪で五日の拘留に処せられ家主は一円二十五銭の科料に処せられたり
公認の売春があるということは、税金を支払わない売淫を取り締まらなければ国が治まらない。このため密売淫を取り締まるが、果たして誰が密告したるものか。した男が吹聴したのか、巡査が足で調べたのか、それにしても、女がしていないと言えば証拠もないだろうに、座敷を貸した料理屋が罰金に処されたのは、昭和の御代の管理売春なるもので、これは明治の頃から言われていた訳か、フムフム。
既決囚護送
八戸裁判所にて処刑を受けたる八戸町三浦寅吉は私書偽造詐欺取財重禁錮五ヶ月罰金七円監視六ヶ月にて三戸町玉井才寿は殴打創傷重禁錮四ヶ月にて八戸町似鳥藤喜は賭博犯にてその他二名のものは昨日八戸より逓伝となり荒川監獄へ廻されたり
八戸国立銀行の訴訟事件
数年前より起こりし八戸百五十銀行頭取大久保平蔵氏に対する旧株主との間に起こりたる去る二十五年二月不当決議取り消し事件は去月二十五日大審院に於いて双方代理人対審ありたる末一部は破棄、一部は棄却されて今や全く旧株主の勝利に帰したりと
源代議士魯国商況視察員を訪問
代議士源晟氏には当期議会開会以来本県各代議士と共に青森開港案に付き熱心し其の一たび同案を議会に提出するや当局者を初しめ各代議士の間に奔走して之が通過を計り居ることなるが尚今回魯国商況視察員の来朝しおれるを機とし去る二十五日源氏の令息圭蔵氏(魯国神学士)を通辞として同視察員ニコラス・ザプーキン氏を築地の旅館に訪問して日魯貿易に関する意見を叩きたるに同氏は大に之を喜び種々の談話を為し今や西比利亜鉄道全通の期も一両年に迫りおる次第にて其の際西比利亜の如きは主に日本より需要品を供給せられざるべからず○して其の需要品は鉄、銅、硫黄等の類にして従って先ず之が貿易港を要することなるが予は本邦浦塩○○港と接する青森湾の如きは最も適当なるものと信じおることなれば近々同湾の視察かたがた北海道を漫遊する筈なりと述べられたる由にて源氏も貿易の必要を○んし且つ青森港は之の関しては適切の良港なるを以て同港をして対魯貿易港となさんとの建議を議会に提出したる事を語られしにザプーキン氏は痛く満足を表し尚今後共十分な尽力を以て其の目的を達するの勉められんことを希望したりという
窃盗被告事件の言い渡し
三戸郡八戸町工藤祐一というは年齢十六七の書生にて兼ねて東京に遊学しおりしか一旦帰郷し再上京せんと思い立ち下斗米長次郎の妻となりおれる叔母に此の事を謀りしに一も二もなく拒まれたりと一念凝っては押さえる能わず自己の祖母も同家に同居しおりしを以て其の衣類五十余点と外に小箪笥にありし長次郎の懐中時計金子及び自己の懐中時計を持ち出し質入れして百余円の金策を為し上京せんとせしが事発覚し青森地方裁判所八戸支部に於いて重禁錮三月監視六月に処せられたるを不当とし函館控訴院に控訴し去る二十五日公判開廷去る二十七日同院において被告は持ち出したるも前判決の如く裏手の塀を乗り越え忍び入りたる証拠なく且つその所行は悪意に出ざるものにあらずとて即判決を取り消し更に無罪を言い渡されたり
養父殺しの宣告
三戸郡八戸町上野としは昨年養父を殺害したる犯罪にて既に青森裁判所において謀殺罪に問われ死刑の宣告を受けたるが本人之を不当とし函館控訴院へ控訴したるものなるが其の宣告は愈々来る十八日なりという
八戸出身近衛兵の予餞会
八戸出身の近衛予餞会は東京上野桜雲亭において開かれたる由なるが来会者は源代議士、船越宣美、富田梧楼、大久保平蔵、工藤新助等数十名にして旧藩主南部子爵のも家従を率いて臨席たり原十目吉氏は開会の趣旨を述べ源、富田両氏の外福田祐英氏は学生総代として演説を為し七戸浪男氏は兵士総代として答辞ありきという
当地柳原貸座敷青湾楼長谷川才太郎方にて娼売りたる積もりにて雇われ来る松永おせん(二十六年)と言うは嘗て同楼を逃亡してその後種々の手段もて同楼を引き揚げ東京へ戻った後無辜の同楼主等を私書偽造その他にて告訴したるなどしたる者なるが今度はお廻りとして長谷川才太郎よりおせんは詐欺取財の廉を以て訴えられたりと言う今右に関する始末なりと言うを一寸記さんにも此のおせんは以前は東京は浅草公園の唄い女にて小元と言いしものの成れの果てなりと言えるが当時吉原仲の町の引き手茶屋信栄の世話になりその後下谷区数寄屋町へ待合い茶屋を開業せしも道楽にて身は持てず遂に昨年閉店し同年十二月二十一日日本橋区通二丁目の旅人宿蓬莱屋にて同区檜物町十七番地長谷川房吉外数名の斡旋にて当地の青湾楼へ金五百円の前借りにて住み込む事を約束出来本年の一月三日に東京を発して同楼へ到着し内金二百五十円は既に受け取り残金は鑑札の下り次第に渡す契約にて鑑札の下るを待ちおる内同月十日午後二時頃同楼抱娼妓高尾外一名の者と同家を脱出…略