80年前は小中野、鮫は八戸ではなかった。小中野は八戸に編入されずとも、十分ひとり立ちできた。
それは紅灯の巷(こうとうのちまた・花柳界)で稼ぎに稼いだ。一葉の美文体の小説の中にも、吉原に向かう人力車の音で夜も眠れぬほどとある。
金を生み出す仕組み、つまり制度を発明した奴らは、市に編入され、折角の財源を浪費され、自分の町を守る方策を無くすことをおそれた。
結句、市制80年は鮫、小中野を無人の巷とした。合併など美名に酔い、実を無くした、あるいは無くさせたのは無能な官吏と、自分さえよければの政治屋たちだ。
小中野には教員上がりの広田という政治家がいた。市民から住民票の請求を受けると、自転車で役場に走った。その時間を生業にあてて欲しいの念願がそうさせた。
こうした立派な政治家は滅びた。今の政治屋たちは自分たちが食うことだけを考えている。市議の報酬を十分の一にしろ。だれも選挙に立たない。したい人よりさせたい人にだ。
小中野は人力車が走り、料理屋の窓からは歌声や三味線の音が響いた。銭さえ払えば股ぐら立てて蔵たてた女たちがいた。
くだらねえ女におべっか使って金使い、一発やりたいで長横丁をウロウロする馬鹿野郎が多いが、そんなのは糞くらえだ。昔の方がよっぽど気が利いている。
銭さえ払えば欲望を満足させられるのと、銭だけふんだくられて泣きべそかくのとでは、どちらが風(ふう・ぶり、物事のしかた)がいい。これは時代が悪い。まして青森県が無策、無能だ。若い女を中心としてシャッター街をなくさせろ。それは女の股ぐら立てて蔵たてるんだ。股を開いてシャッターを開くのサ。
つまり、青森県の風俗を特殊浴場解禁すれば再び小中野は生き返る。馬鹿な80年。八戸市制80年は没落倒産の八十年。長い時間、ひたすら八戸を悪くした。市も県も市民をひたすら食い物にしただけで、援助、幇助の手を伸ばさない。馬鹿野郎が、県であり市だ。八戸も岩手県に編入されるがよかろう。さすれば、八戸は再度にぎわう。
八戸に繁栄をもたらした美人たち、芸者名を記載し往時の匂いでもかごう。
1浪二
2三吉
3才八
4幸吉
5五郎
6丸子
7小奴
8国八
9駒助
10力弥
11桃太郎
12さと子
13小夜子
14きな子
15ちよ子
16梅八
17笑子
18君勇
19駒龍
20粟子
21桃千代
22梅勇
23りせ子
24二葉
25みわ子
26葉子
27愛丸
28八重司
29吉代
30信子
31喜久龍
32牡丹
33蔦丸
34時栄
35梅奴
36万平
37梅幸
38千松
39糸司
40小高
41小梅
42ひろ子
昭和十二年版
芸者解説
割烹料亭は料理人の居る店
料理人がいないのは貸座敷・貸席
芸者には三方あり、立ち方は踊り手、
地方芸者(じかた・立たないで座るから地につくで)音曲・三味線・唄の担当、それもできないのが、寝方芸者・芸がないので女郎まがいで寝る。
男芸者が幇間、幇助罪などの助けるを使うが、間がもてないのをたすけることから
タイコモチは太閤秀吉を持ち上げたことから、たいこもちに転じた。曾呂利新左衛門を祖とする。豊臣秀吉の御伽衆と伝える人物。本名、杉本甚右衛門、また坂内宗拾ともいう。堺の人。鞘師を業としたが、その鞘が刀を差し入れるとき、そろりとよく合ったことからの異名という。頓知に富み、また和歌・茶事・香技にも通じたという。
秀吉のほうびに新左衛門は米を一粒ほしい。ただし、明日は二粒、3日めは四粒で一ヶ月間願うと言った。
10日で512粒。15日で16384粒。20日で524288粒。30日では米俵で450俵、石高で180石。(6万粒で1升)
秀吉が「奥山に紅葉ふみわけなく蛍」と詠み、下句をつけよと命じる。曽呂利はすかさず「しかとも見えずともし火のかげ」