ラベル 断水事故 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 断水事故 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2009年2月8日日曜日

断水しない仕組みづくりは可能

電力は全国を九つに分割し殿様稼業。ここは他の電力会社が出力不足時には相互融通が可能。何故? 電線が繋がっているから。つまり、水道もこの発想を持ち他からの水を融通してもらえばいい。
 八戸のように巨大な都市、青森県は人口145万人、八戸圏域35万人と25%を占めるため近隣の小さな市での生産水道水も大した量にはならないが、それにしても八方と手を結べば可能となるやも知れぬ。
 この観点から水道行政を眺めるとこんな点が浮き彫りになった。非常時にライフライン機能を早期回復するには相互応援が大切と協定を締結。
青森県水道災害応援協定 昭和44年
日本水道協会      平成9年
埼玉県さいたま市    平成7年
岩手県二戸市      平成15年
岩手県種市町      平成15年
協同組合八戸管工事協会 平成11年
応援給水 十和田市   平成17年
隣接する三沢市との締結がなされていない。今回の断水で、十和田市からは陸送2千トン、水道管から9千トンの合計1万1千トンが融通され、これは金で支払われる。六戸の折茂、沖山には十和田市の水道管が埋設されている。ここを開いて付近住民の供給。ところが、この管が細く100パイ。この細さでは知れた量しか出ない。これを太くすると八戸市内で十分に使用できる。それには400パイの太さが必要。これを通じたとすると、八戸市内一日の水道使用量は9万トン、蟹沢、三島、おいらせは断水しなかったので都合3万5千トン、これに400パイをつなぐと十和田市から3万8千トンが流入し合計7万3千トンになり必要量の8割は確保できる。
 今回の応急導水管の太さは600パイ。400パイはかなり太い。供給側、つまり十和田市に造水能力があれば可能となる。六戸にはたての台配水塔があり、ここまで導水管を引くか、向山ポンプ場まで引くかの問題もあるが、向山は300パイと太い。先ほどの計算より流量は減るが十分可能。すると十和田市側の300パイの管を探す必要があるが、十和田市の管路情報を水道企業団は持っていないので不明。
 三沢市は湧水量が少なく相互扶助協定を結んでいないが、こことも結べば十分断水を防ぐことは可能だろう。管を結ぶ距離が長くとも路上に応急管を設置し交通誘導員を置きポンプ場までを確保すればいい。こうした工夫で時間を稼ぎ復旧工事を急ぐことだ。
 相互応援体制も今一度見直す必要がある。地方行政に水道事業を委ねる危険性がここにはある。三沢、十和田は水道料金も安い。電力のように全国を9つに分けて甘い汁を吸う方法もあるが、県単位での均一料金方法もあろう。地方行政にはすわ、鎌倉の根性がない以上、この県単位の水道企業合同も視野に入れるべき時こそ来たれり。

2009年2月6日金曜日

断水に対しては万全のつもりだったが3


八戸市は災害時に支援をしなければならない、あるいは支援をして欲しい人の名簿を作成した。これは役人が自発し作成したのではなく、あくまでも支援要請登録があった人を対象としている。
 この名簿を作成したのは健康福祉政策課、その名簿には高齢者独居老人、障害者の一級手帳を持つ人等三千五百人。その名簿を表にしたのがこれ。地域別に住人、電話番号などが記入されているそうだ。その原本を見せない(個人情報)ので詳細は不明だが、これらをどう支援するのかと聞いたところ、役人が直接動かず、ボランティアが動く仕組みを考案。ここらが役人の頭のいいとこでズルいところだ。実際漏れた管を水に入って取り替えるのは下請けサ。水道企業団は手も汚そうとしない。シナの役人のように筒袖の中に手を入れて大物ぶっている。だからシナは日本にも他国にもいいようにされた。自分で働く汗を流すを知らない奴は他人の苦しみを理解なんてできなのサ。所詮、人を金を払う道具としか考えていない。この体質が有事には問われる。
 この健康福祉政策課の無能ぶりは、その名簿を作成し防災室に運んだ。同様に消防にも手渡した。それで? それで終りヨ。ここがシナの役人発想サ。自分たちは書類を作成すれば事終れりだ。今回の断水でそれが機能したかは別問題なのサ。
 表をよく見ると右端に支援者1、2とある。これは支援を必要とする人間に地域のボランティアを貼り付けた。勿論、この人々の名も名簿には記載されているのだろう。この人たちは動いたのか? 健康福祉政策課の課員たちが一月三日に出てきて自分たちで水を役所に用意されていたビニール袋で11人に運んだ。何故? 支援者が動かないのを知っていたからだ。何故動かなかったのか? それは課員が動けと言わなかったからだ。
 すると、誰が地域支援員に号令をかけるのか? それが決まっていないままに防災、消防に名簿だけを届けた。防災も消防も受け取ったが、それを吟味しようとしない。これを災害時にどう生かすか、どう行動するかを考えず漫然と書類を床に積んだ。だから、何も動かなかった。
 まさかの知恵こそ真の知恵と昔から言う。そのまさかに問われるのが役人なのサ。七人の侍の映画で冷たくした百姓らが警鐘を打たれ野武士が来たと怯える。そのまさかの為に侍を雇った。腰に刀をぶちこみ、猛然と現場に疾駆する。信の為に命を捨てる覚悟にこそ値打ちがあるのサ。人としてのヨ。それを亡くして、あるいはそれを持たずして百年生きてもタダ生きやがったといわれるのがオチだ。人は他人のために命を捨てられるのか?を絶えず問われているのサ。平和ボケした平成の奴等にはそれが見えないものヨ。
 焼夷弾が落下して戦火の中を逃げ惑った人々も次第に滅び、焼け跡暮らしを経験した世代も職場から消えた。あとに残るのは手前のことしか考えないもの知らずばかりサ。だからこうした自分の都合で物差しを振り回す愚かものたちが出た。弱者救済は八戸市役所ではカラ念仏。毎日、念仏を唱えていた婆が地獄の閻魔に食ってかかった。閻魔さん、アンタ、この私がどうして地獄だえ? 閻魔が言ったナ。お前は確かに箸を上げる度にナンマンダブを唱えたが心がこもっていない。いよいよ息を引き取るときだけ本当の念仏が出た。それはお前のための念仏で生きる喜びの念仏じゃないゾ。これだ、八戸市役所のはカラ念仏ヨ。それで衆生を救おうなんぞと爪の垢ほども思わない。これを馬鹿野郎と呼ぶ。
 駅のホームから落ちた阿呆を助けようと、我が身忘れて新大久保の駅で線路に飛び込んだ朝鮮人の心意気は凄かった。カメラマンも偉かった。が、八戸市職員は何をしたのだ。オタオタ自分の手で11件の給水をしただけで、事が足りるのか。そうではあるまい、支援員を動かす仕組みも考えず、自分の仕事を放擲した罪は重い。
 また、部下に適切な指示が出せない課長、部長は叱責されても仕方がないが、小林市長もそこまでの知恵を持たない。たかが4年、されど4年、この年月の間で市長は問われた。前の弔問市長の中村氏よりはマシ。だが、それも悪いのと比較してだ。
救わなければならないのは要支援者ばかりではなかろう。二十年先の八戸を担う新生児二千人も救う対象にしない健康福祉部のありかたは非難されるべきだ。子どもは宝なのだ。これを忘れて未来はない。
水道企業団は絶対に断水は起きないつもりだった。だがつもりと実態は違い、こうしたザマを見た。予定と決定は違うように役人ばらの思惑と大きく違うところで世の中は動くもの。
 最後に役人のつもり違いを記す。心に刻め。
 高いつもりで低いのが役人の志
 低いつもりで高いのが役人の頭
 深いつもりで浅いのが役人の知識
 浅いつもりで深いのが役人の出世欲
 厚いつもりで薄いのが役人の情
 薄いつもりで厚いのが役人の面の皮
 有るようで無いのが役人の奉仕の心
 無いようで有るのが役人のしてやった心
 多いようで少ないのが役人の親切心
 少ないようで多いのが役人の無駄
 心せよ、壁に貼って拝めヨ。

2009年2月5日木曜日

断水に対しては万全のつもりだったが2


有事に慌てれば負け。これは戦争でも災害でも同じ。ヤクザと敵は相手がアッと驚くことをして、その呆然とした瞬間から優位に立ち事を運ぶ。相手が人間だからだ。相手が物の場合はアッと驚くが修理をすればいいが、原子力は怖いゾ。何たって見えないから。六ケ所の原子力の処理も遅遅として進まない。用心に用心しても放射能は漏れるのヨ。ともかく漏れないようにすることで、相手が物なら水道企業団も漏れた水を塞げばいい。それには時間を稼ぐことで、市民の狼狽を押さえることだ。市民は情報が正しく伝われば納得して待つ。待つ以外に方法はないが、一応は本音と建前で文句を言ってみるもんだ。その言葉は「金返せ!」それ以外には出ない。
 結句が金返せと決まりなら、ああでもないこうでもないと言い訳と口紅はあとから付けるじゃないが、水道企業団は言い訳はしないことだ。ひたすら赤心から小言を聞く、申し訳ないと詫びることだ。
 雪印が平成十二年一万三千人の食中毒を出した。そのときテレビで社長が「そんなこと言ったって、私は寝ていないんだ」と言った。それが引き金になって商品は返品され、会社は空中分解した。危機管理なる言葉の重要性をこの石川という社長は認識していなかった。雲霞の如く湧き出すマスコミに丁寧に相手をすることは、イメージ降下を防ぐ大事な策。これに無策では戦いを放棄したも等しい。
 雪印はこの社長を頭に頂いた時点で敗北が決定したのだ。今回の断水では小林市長の対応は60点で合格だ。さらに水道企業団に宿泊したことは好感度満点。すると、副市長はどうだったか。奈良岡氏は弘前の自宅から急遽駆けつけた。高齢者の西氏は一日、二日と水道企業団に詰めた。問題はその後、どのように市役所職員を動かしたかだが、両副市長とも落第点だ。彼らには指揮監督する意識が欠如している。
 小林市長を応援する気概に欠ける。こんな者たちが大将の傍に居ることが間違いなのだ。やる気に欠ける、あるいはやる気があってもやらないじゃ何のための副市長か。職員は指示、指令がないと動かない奴ばら。もともと働きたくない者どもであることは副市長らは自分の若い頃を思い出せば十分理解できる筈。
 高齢者、弱者保護が彼ら副市長には欠如している。貧乏人の苦労を知らない奴は頭に立つ資格がない。公明党、共産党の人々を先頭に立て、彼らの言葉を聞くべきだ。貧民は貧民なりの理屈を知る。その視線で見れば即、しなければならないことが見えるのだ。
 さて、便所の水を確保するために世増ダムを作った。このダムは五年間、水道企業団の役には立たない巨大なバケツ、つまりダム建設で家を追われた住民は糞に追い出されたに等しい。これも妙な話だ。このダムを有効利用することは勿論だが、住民に安心を与えるため、水道の水の残量がどうなっているかを伝達することこそ至上の策。つまり、貯水池にある水を飲料水にだけ使えの指示。便所水は運搬する。鮫、港地区の下水道は普及ゼロ。浄化槽を使用する人も肥溜め式便所の人もいる。その地域への運搬量は少なくすむだろう。まして六町村への運搬はさらに少ない。
 それにも関わらず、飲料水も便所水も一緒に考えるから巨大な生活用水の運搬となる。頭を整理して飲料水は確保されていると繰り返し伝達し、修理の時間稼ぎをすることだ。水道企業団が慌ててはならない。
 ところが、水道企業団は八戸市役所から分離独立し、勝手に給料を上げ、市役所よりも高給を取り、一律の水道企業団手当てを出した。これはさすがに気がひけたのかやめた。が、八戸市役所は一律の勤勉手当を7億5千万円も出し続ける。どちらが悪党か?両方だよ。水道企業団は何が市役所ヨ、市役所は勝手なことをしやがる水道企業団ヨと反目しているところへこの断水だ。
 だから市役所職員は動かない。水道企業団も日頃デカイ口を叩くなら市役所の応援を得ずに自力で解決してみろ。できもしないのに大口きくな。横浜線に大口駅の隣が菊名で車掌が駅に到着、大口、大口、次はキクナで乗客が笑う。関東モンの楽屋オチだ。
 それに小林市長がやっと気付いて危機管理のマニアルが、マニアルが不備で……浜口のことか?プロレスの?あれはアニマル浜口。この市長もオタオタで当選した時のテレビでマニフェストがの一点張り、顔と同じで頭のめぐりはそれほど良くない。丁度メリーゴーランドでなにやら楽しく、なにやら悲しげで同じ所をグルグル。インターネット?それはグーグル、スキーで使うのはゴーグル。

 

2009年2月4日水曜日

断水に対しては万全のつもりだったが1


水道企業団の断水事故は人災、しかしこれは完全に防げるつもりだった。それは八戸市内に耐震管を環状に設置しこれに水を溜めこみ7日以上の生活用水の確保を狙っていた。
 ところがこれは中途半端の状態で環状にはなっていない。この完成予定は平成二十一年度。これが完成していれば今回の事故は防げたか?と言うとそれは防げなかった。この耐震管は絶えず水圧がかかっていないと水がでない。つまり浄水場からの水圧がかかったことを想定している。ところが白山浄水場一ヶ所しかないため、ここに原水が上がらないと圧力不足になり、せっかくの環状耐震管も役に立たない。
 これを防備するには浄水場を二ケ所にするか、あるいは原水取水経路を複数にするかがある。根城の浄水場は廃止になり跡地活用が考慮される状態のため、これは言うべくして無理。原水取水口を新井田川にもとめた。そしてこれを是川に設置、その工事完了は来年の三月予定。ここに巨大なポンプを設置し馬淵川、新井田川の二本から原水を取り込み完璧と目論んでいた。
 ところが運転経費がかかる。十年前と今日では原油が倍にあがった。4兆4千億円が8兆8千億円に膨らんだ。これだからアラブに金があつまりドバイにどでかい誰も住まないビル群を建て、それをロシアの寒さに凍える人々に売りつけようと画策。これも、今回のメリケンバブルで破裂ヨ。所詮、金を儲けてもそれを使わないかぎり楽しみはない。世の中は楽しみ方、その手ごろな代表が酒と女ヨ。これに手を出し、八戸の老舗造園屋の一族の助平な奴が不名誉なことを仕出かしたのは諸君の記憶にもあろう。こ奴は不埒な下郎で、市役所に勤めておったが、同僚の独身女性に手を出し、それも定年目前でだ、その女と別れたくなかったのだろう、その女から別れ話が出る、つまり、他の男と結婚すると聞いて逆上、その女との性交写真を、結婚相手の男の車のフロントガラスに貼り付けたというから、馬鹿もここまで行けば立派。性交写真を貼り付けて意趣返し成功と思ったら大失敗。テメエの犯行が露見、女は市役所から出張所に飛ばされ、とうとう自分から辞めたヨ。エッ?結婚はどうしたか?破談ヨ。
 友達の友達は皆友達ヨで、手当たり次第に性交する奴もいて、売春防止法なんてのが出来て小中野はさびれ絶滅したが、それを友達で埋めたのが階上のモーテル群の出現、これも段階の世代が老齢化して役に立たなくなり凋落したナ。
 この色の話をしていると話がそれるので、またいずれ稿を改めて記するが、運転経費がかかるのヨ、アラブの石油が奴等の手口で次第に高騰したために。馬淵川の取水口は川中島にある。川中島と言っても信玄の話じゃない。尻内の近くの場所だ。ここにポンプを置いた。ところが十年に一度川増し(洪水・これを八戸では川増しというんだそうだ)が来る。一昨年、水辺の楽校が出来たときに堤防一杯まで水が増して、水辺の楽校は水の下の楽校になった。これを自分の為にしようとした元公民館長もいたりして、世の中は欲っかきが多い多い。それに加担する市役所職員もいたりして実に八戸も世の中の縮図ヨ。
 さて、このポンプ一台につき年額一億二千万円也を東北電力にお支払いだ。こいつら、つまり東北電力のことだが、存外コスイ奴ばらで、今も電柱の本数、街路灯のことを調べているが、街路灯は定額制のため電力メーターは不要、ここにつけこんで付いてもいない街路灯の電気代を不正請求していないかと昨年の九月から「はちのへ今昔」はお調べだヨ。いまだに誠意ある回答を八戸市役所も出さない、東北電力も示さない。ケシカラン奴らヨ。
 このコスイ電力ならぬ東北電力は電柱の税金も逋脱しているようだが、まだ判明しない。電柱の数は「はちのへ今昔」には知らせないとワザワザ言いにきた東北電力の社員がいた。勝手にしろ。こっちは市役所から聞けばいいのだ。いちいち電力の不誠実な社員と口をきいている時間がない。
 この新井田川からのポンプが増設になると二台ポンプで電力に二億四千万毎年払うのか?と水道企業団に聞くと「イイエ、そうはならない、一台が動けばもう一台は休むから」すると、このポンプ場は何の役に立つのか、「はい、予備的なもので」
 そんな予備的なものに巨額な投資をする神経が病んでいるが、断水が生じないなら大切かも知れぬが、ところがこんな考えもある。
 新井田川の上流にあるのが世増ダム、これを完成するために地域住民を追い出した。完成したのは平成十五年、このダムから直接白山浄水場に導水すれば、圧力があるだけにポンプは必要としない。
 このダムに水道企業団が投資したのは170億円。これが糞の役にも立たなかった。つまり、ダムは水を溜めた巨大なバケツだ。水道企業団が水を確保しなければならないのは一市六町村、三十五万住民の生活用水だ。
 これを戦前の時代に引き戻して考えてみる。水道事業は衛生面からは必要、コレラなどの病原体は水系を通り井戸水利用で伝染。これが水道により解消されると国が推進。つまり飲料水の確保だ。飲料水は一人あたり一日3㍑を確保せよと八戸市防災計画に示されている。
 水道企業団が確保しなければならないのは、その三日分で総計で3150トンでしかない。今回の断水で白山浄水場の水位が下がったと言っても各地域に配水池がありその総計溜水量は12万トン。これは近隣町村を含む住民35万人の38日分にあたる。つまり、水道企業団のしなければならなかったことは広報活動だった。
 取水口から水が漏れ断水になる事態は避けられなかった。しかし、あわてず飲料水は十分にあると連絡することだった。飲料水の確保を告げ、生活用水の運搬手段に専念すればいい。一ヶ月あれば断水箇所の補修、補強は完全に修繕可能な時間がかせげる。
 それでは、その生活用水の運搬だ。風呂は風呂屋に行かせる。その料金は水道企業団がもつ。便所水は太平洋の水を運搬し各家庭に配給する。この運搬経路を確保すれば生活はできる。
 金融恐慌が起きた。地震のあとは必ず銀行が潰れる。歴史的事実だ。そのとき国会で大蔵大臣片岡直温が「東京渡辺銀行がとうとう破綻を致しました」と失言し、取り付け騒ぎが起きた。その時、銀行に山と金を積み、来る客すべてにドンドンと要求払いをすれば、客はあきれて金を引き出さない。つまり時間稼ぎをすればいい。それに加担するのが日銀サ。株式会社日銀が徹夜で輪転機を廻し、白バイ先導で金を運べばいい。こうした演出が出来ないようじゃ一国を預かることは不可能だ。
 それと同様に飲料水が確保できれば、生活用水のことだけ処理すればいい。飲料水は火急をようするが生活用水は便所水だヨ、急ぐひつようもない。ウンコが便器に溜まるだけだ。運搬された海水で糞とか言いながら流せばいい。もともと自分の分身だ。仕方もなかろう。神戸の大地震のときは下水のマンホールの蓋を開け、日本橋で糞をしたそうだ。日本橋とは何だ? エッ、それは板を二本渡して橋にしただけヨ。それがお江戸日本橋ャ七つ立ちだヨ。