2007年5月1日火曜日

東奥日報に見る明治二十九年の八戸及び八戸人2

津波惨話片々
母と子 岩手県北九戸郡門前にて潰れ家の下より頻りに救いを呼ぶ声あり堀り起こして見るに一婦人腰まで泥に入り六歳ばかりの女児を背にし三歳ばかりの男児を抱きおり背上の女児はすでに絆切(ことき)れてありたるが婦人も亦今しも救いの人の来たりしを見るより心の弛みにや息絶え残るは三歳ばかりの男児のみ
一場の悲哀劇 大槌町大砂賀といえる所の貸座敷の主人佐々木末吉長男一三(十五)長女さえ(十七)次女かね(六)の外娼妓六名あり一三近所に行き遊びおる間に津波起こり家内皆二階に籠もり神仏を念じつつ流れたり家はグルリグルリと回転して流れ行く中に松助といえる漁師その老婆を負うて流され来たり二階の軒に取り付きし途端老婆は怒濤に取り去られアワヤと見る間に松助の妻は二歳なる子を負うて流され来たり同じく二階の軒に取り付くや否や子はヒーと泣き声して怒濤の中に奪わる夫婦再会の奇縁の中にも母と子を同時に失える悲しさ殆ど狂気の如くなるを末吉は己も危うき激浪中の二階にて介抱しおる中長女さえは弟一三の身を案じ私は如何でも助かりませぬが弟を助けたいとて泣いた妹のさえはそんなら兄さんが死んだのか私は死にたくないよこれから悪戯をしませんから助けてください親父だんと縋りつき娼妓等も相抱きて泣く中浪はいよいよ怒りミリミリと音して裂け始めたれば一同念仏を唱える者あり助けを求める者あり阿鼻叫喚の間に天幸なる哉陸に打ち上げられ不思議の命を助かりさて一三は愈々死せしならんと亦もや泣きたる所へ走り来たりしは一三にて僕は山に逃げたから大丈夫と一同目出度く巡り会いし只々芝居の筋の如く悲喜こもごも至るも無理ならず
田老村被害甚大 東閉伊郡中被害最も甚大は田老村にして激浪の高きこと十余丈に達し潮流勢い最も強大にして沿岸にありたる二抱え以上ある松樹大凡百本余僅かに樹根を存するのみ又風帆船の海岸波打ち際を上る二町余の山腹に打ち上げられたるあり以て其の惨状の一般を知る此の如くなれば村役場尋常小学校員等皆死亡し巡査駐在所流失し駐在巡査一二名家族と共に死亡せり重茂村重茂駐在所所在地の如くはあたかも平原と化し只村長の屋根の端に押しつけられあるのみ船舶は一隻も不残流亡或いは破壊し巡査駐在所巡査一名家族と共に死亡せり船越村も亦被害少なからず村役場尋常小学校巡査駐在所皆流失し駐在巡査重傷を負い妻子残らず死亡せり山田町警察分署は大破に及び海波の為千余人を失い災後失火の為またまた四十余人一片の煙と化したるあり実に酸鼻に耐えざるなり而して其の概数は左の如し
人口二八三二八 死亡六七○四 負傷一三七○
戸数五三○八  流失家屋一八○二
破壊家屋三三五
八戸護身会の義捐 同会は八戸町大字窪町に在り主として柔剣道を講習し体育の発達を希図(きと・くわだてはかること。くわだて。もくろみ。計画)し一朝有事の時に際して国恩の万分一を報せんと所謂護国護身を目的とし昨年四月創設せられしものなるが爾来日なお浅きにもかかわらず会長鈴木好吉氏の励精なると教授藤田順次郎氏の熱心なるを以て目下八戸町及び小中野湊白銀鮫港等の青年無慮数十名の会員を有し日夜技術錬磨に余念なき由なるが今回本社において大津波遭難救助金を募集の挙あるや同会員奮いて義捐を為し今回救助義捐金八戸取り扱い所青霞堂の手を経て金十五円を寄贈せられたり
三戸水害続報
去る十八日午後一時より降り出したる大雨は実に盆を覆すが如く去る二十一日朝までは片時も止まず為実に馬淵川及び熊原川は氾濫平常より増水すること殆ど一丈五尺余沿岸の田畑悉く浸水す三戸町の中央にある黄金橋の如くは橋上に浸水せるも幸いに三戸役場員警官消防夫最寄り町民が非常の尽力により土俵を積みたるため橋台石垣を壊墜せるのみにて僅かに落橋に至らず三戸町部内において流失したる橋梁は五カ所浸水家屋は十一戸浸水田畑は二十余町流失田畑は十町歩余なり馬淵川に架設せる住谷橋と言えるは停車場に通じおるものなるが○流のために全く通行を断て…以下読めず
八戸の水害
去る十九日以来の大雨にて三戸郡八戸町両側の堰も為に溢水し大字鍛冶町は浸水家屋三戸あり一時は非常警戒を為したるほどなりと
馬淵川は去る二十一日に至りていよいよ水量を増し八戸尻内間の汽車運転を中止せり同川に架設せる大橋も今一尺ばかりにて橋上に達せんとし鉄道線路なる鉄橋も三尺程にて浸水の勢いあり為に鉄道工夫ら橋上に詰め合い流失し来るものの取り除きに着手したる程なりしと同川沿岸の田畑はいずれもこれが為に水冠りとなり低地は殆ど一丈五尺位も浸水したる由二十一日午後五時頃より漸く二十二日に至りて汽車の運転旧に復せり右の如く気候不順なるが為陽気を迎えるとか称して八戸の有志発起となり去る二十一日晩より大道に篝火を焚いたる由
五戸の水害
去る十八日夜十二時頃より翌十九日午前七時頃迄は大雨盆を覆すが如くに降りて市中は川をなし為に沢町高橋幸次郎家宅の如きは非常の害を被りまさに家屋も浸水の上に流失せん程なりしに五戸公立消防組の尽力にて大事に至らず
五戸川は大洪水となりて平水より大凡六尺程を増水し木材の流失夥しく堤防の崩壊等より出水は十九日午前五時頃より始まり正午頃までの間最も甚だかりし為に水陸田の浸害を受ける大凡六十町歩余。
五戸公立消防組は村長の命を受け五戸橋保護中流失木材長四間以上のもの橋杭に横たわり是の為に水切り杭の危険言うばかりなく消防手四五人にて取り退きに尽力せるも容易にうごかざる内上流に稼ぎいたる消防手三浦興志これを聞きて駈け来たり忽ち激流に飛び入り何の苦もなく取り流し為に橋梁の無難なるを得たるは同人の功や大なりと言うべし第一回の洪水一たびは終わりて人民未だ安堵に付かざる内又もや十九日午後十時より二十日午後三時頃迄にかけて降り出したる大雨は更に再び五戸川の川水を促して前日より増水したること二尺余川原町(二百戸計)は一同浸害を受けんこと慮り老幼男女は何れも立ち退きたれども村内浸害を蒙りたるもの僅かに十七八戸に止まり人畜には別に死傷等なかりしは不幸中の幸いとも言うべきか、水陸田の浸害を受くる前日より二十町歩余を増せり消防夫は前日に引き続き五戸川を保護せり同夜五戸川岸に山崩れありて一通りならぬ騒ぎをなせり村長は尚一層の警戒を加えて消防夫と共に徹夜をなせり殊に天満下筒口堰の大破を生じ水田砂石を運び去るるを慮りて川内村役場に能夫(わざふ)を差遣するなどの大混雑ありき浸害地は目下取り調べ中なり
藤田善五郎氏は消防夫一同に炊き出しを与えたり毎度ながら氏の義挙称すべし
青森県技師川村巌氏は大雨を冒して破損の道路橋梁を取り調べの為巡回一寸の暇なきが如し人は氏の熱心を称す
下田停車場道の修繕は漸く終わりたるに今又降雨の為大破を生じたり五戸の商業界は該道の修繕と関するや大而して今又此の大破を来す嘆すべし
九月一日小中野村の洪水
一昨夜来の降雨にて本日午前四時頃より新井田川増水小中野村(湊貸座敷所在地)一円に浸水し一同八戸町に避難せり目下騒動中なり、午前五時三十分より一層水量を増し湊川は一丈余の増水にて湊橋流れるやとの心配あり浦町は七尺余新町は三尺新地は五尺位の浸水の為に二階又は屋根へ家具を持ち運び混雑一方ならず浸水家屋四百戸計り午前八時三十分頃より漸く減水に傾きたれども浦町は未だ船筏にて用事を便じ八戸町より消防組一同を招致せられたり
嘯害(つなみのがい)善後の計と百石村
つなみの害の始末もほぼ片づき今後は漁民に於いても生計の方法を講ずるため当局者が漁民救済のことも一日を急ぐ次第なれば其の筋にていよいよ地方の慈善者の寄贈に係わる義捐金の内を以て漁業者の業をなさしめんが為に詳細なる調査をなし今回上北郡書記小林寿郎氏は百石村に出張して漁業家のおもだちたる村井倉松昆伝之丞外数名に就き先ず漁村曳子等に対する救急漁業の方法を諮問したるに村長佐瀬渉氏を初め村井氏等の意見は此の漁業の改良と拡張を計り且つ漁業家救済の最良法として巾着網を製造するの至当なるを認めよって更に漁業の被害者を二川目及び一川目の両所に集めて尚協議をこらさしめたるに一川目、二川目の二漁場とも巾着網を製することに決したるよし然るにこの巾着網たるやいずれも二千円余の大金を要するを以て主立った網主等更に出金して之に加入し一漁場共有の如くする都合なりと尤も被害村の深沢川口は救助の金額も少なく巾着網を作るは実に容易の事にあらざるを以て五戸一船の方法によるより外あらざるべしとの意見に決定せるも是は甚だ漁場に適せざるもの成る由にて依って更に資本家を加え是非巾着網になされたきものなりと村井氏等には専ら奔走中なるよし斯く百石村においてはすでに決定したるを以て小林郡書記は一昨日を以て三沢村に向かい出張したりという同村の計は如何になるべきや
この歳津波・洪水・地震と大災難