はちのへ今昔

2007年7月1日日曜日

遠来の客、白鳥にとって八戸は住みやすいのだろうか 1

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八戸の地元紙、デーリー東北新聞の人気欄に「こだま」がある。死亡欄とこだまは絶対に見ると市民に言わせるほど。 ここに時折投稿をする人物に奥山秀二って人がいる。この人は売市の床屋さん。この奥山三兄弟は父親の代から床屋で、そろぞれが優秀、三人兄弟とも店を持っていて、いずれも盛業。人が良...

八戸自動車史 2

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O八戸から久慈まで自動車は行く  営業路線の許可を得た岩淵氏は、早速、常盤商会を速してリパブリック箱型(または電車型とも呼び現在のバスと同様の型)を購入した。渡辺という運転手も付いてきた。  そのころの一日、この渡辺運転手の助手台に乗せてもらって久慈まで行った上杉氏の談話をまとめ...

八戸自動車史と八戸市営バスを考える 1

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本を漫然と読んでいると気づかないことも、えっ、どうしてだろうと思うと次々に調べたくなるもの。自動車史の2を入力していて、八戸市営バスにつながることを知らされた。 つまり、現今では大赤字に悩んでいる市営バスを、かくなる事態が生ずるとも思わずに、市民の利便性を考えて、八戸にバス事業が...

南部バスにも乗れるようになった市営バス乗車証とは何か

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現在運転している自動車を昭和六年四月までに大型バスに改めて皆同一型とする 営業時間を午前七時より午後八時までとし二十三日町より湊橋までは十分毎に湊橋鮫間は一時間毎に運転する 賃金は二十三日町より湊橋間は金十銭、湊橋陸奥湊駅間は金五銭、三島鮫間は金五銭 職業を奪うのではない 市民の...

昭和四十九年の八戸、高齢バス無料証の出た時代 1

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磯の真砂と盗人は の名文句は石川五右衛門が悪行の限りを尽くし、捕まり、そして釜茹での刑になる時の時世の句といわれているが 時代は現代ともなると。 釜茹でどころか凶悪この上なくとも死罪もまぬがれ、のうのうと生き延びる。「俺は殺す気がなかったんた」とぬかせば辯護士たちが寄って集って被...

小中野特集 小中野小学校百年史から 3

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むかしあれこれ「学都小中野」面目躍如 出席者 佐々木直次郎 浪打定雄三河久蔵 月館宇右衛門(明治四十三年卒) 稲葉米三郎(明治四十三年卒) 佐川慶次郎(明治四十四年卒) 夏堀正三(大正二年卒) 佐々木哲夫(大正三年卒) 岩見正男(大正七年卒) 大久保弥三郎(大正九年卒) 成田謙三...

山田洋次監督・キムタク・宮沢りえで西有穆山の映画を作ろう 5

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西有穆山(にしあり ぼくざん)幕末八戸が生んだ仏教家、曹洞宗の頂点に昇り道元禅師の正法眼蔵の研究家として著名。吉田隆悦氏の著書から紹介。 金英の選んだ道、その頃の曹洞禅風  江戸に戻った金英和尚は、これから真剣勝負のやり直しだ。修行の方針をどちらに進めたらよいか、と考えた。当時、...
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